第9話
エリシアとの模擬戦を終えた俺は、訓練場の出口へ向かっていた。
ちなみに、今の自分の健康状態で言えば全身が重い。最後の一撃を受け止めた時の衝撃がまだ両腕に残っているし、折れた剣の感触も妙に手の中へ残っている。魔法を使えない俺にとって、騎士との真正面からの戦闘がどれだけ無謀なものなのかは分かっていたつもりだったが、いざその差を叩きつけられると、想像以上に堪えるものがあった。
第一部隊には実力不足。エリシアの判断は正しい。むしろ、あれだけ打ち合ってくれた上で才能があると言ってくれたのだから、かなり温情のある評価だったのだろう。
それでも、悔しくないわけではなかった。ヴィーナが選んでくれた。ゴーティエが認めてくれた。エリシアのような強者と立ち会う前は、そういう事実に少しだけ甘えていたのかもしれない。だが実際に剣を交えてみれば、俺はまだ彼女たちと同じ場所に立てていないのだと嫌でも思い知らされた。
「ロイ君!」
そんなことを考えていた俺の背中に、遠慮のない衝撃が走った。振り返るまでもない。顔を見なくても声を耳にするだけで分かる。
セレナだ。
何故この人は、模擬戦直後の人間へ当たり前のように飛びついてくるのだろうか。今の俺は兵士というより、軍病院へ運ばれる一歩手前の負傷者に近い状態なのだが。
「死ぬって……」
「大袈裟ね。ちゃんと立ってるじゃない」
「立ってるから大丈夫って判断するのやめてくれ。今の俺は見た目より中身がかなり終わってる」
「でも、エリシア相手にあそこまで粘ったんだから十分すごいわよ」
そう言って笑うセレナの顔には、いつもの軽さだけではなく、どこか本気で感心しているような色が混じっていた。
それは少し意外だった。普段は俺をからかうことばかりしているため忘れそうになるが、セレナも三銃士と呼ばれる騎士の一人なのだ。戦いを見る目がないはずもない。
「まぁ、こっぴどく負けたけどな」
「そりゃ、今のロイ君じゃ勝てないでしょ」
「おい、言い方」
「ごめんごめん。でも、あのエリシアに才能があるって言わせたんだから十分よ。あの人、姉さん以外には結構厳しいもの」
それは見れば分かる。というより、初対面で部隊配属そのものを再考しろと言われた側としては、身をもって知っていると言った方が正しい。
「だからさ、そんな顔しないの」
セレナは俺の頬を指で突いた。
「実は第二部隊のみんなも見てたけど、あの試合を見て馬鹿にする奴なんていないわ」
「え、他の隊員も見てたのか?」
「当然じゃない。ロイ君がどれくらいやれるのか、皆気になってたみたいだし」
どうやら俺が思っている以上に、掛け持ち所属という肩書きは目立ってしまっているらしい。できれば静かに働きたかった。緩やかにでもいいから給料さえ上がってくれたらそれで良かった。
だが現実は、第一部隊の副騎士長と模擬戦をした直後に、第二部隊の面々からも品定めされているという状況だ。平穏な軍務生活とは一体何だったのだろうか。
「というわけで、行くよ」
「ちなみに聞くけど、どこに?」
「分かってるでしょ?第二部隊作戦室に決まってるじゃない」
「俺に拒否権は?」
「あるわけないでしょ」
セレナは満面の笑みでそう言うと、俺の腕を掴んで歩き出した。予想通りではあったが、やはりこの姉妹に俺の意思は存在しないらしい。
◇◆◇
第二部隊作戦室は、第一部隊のそれとはかなり雰囲気が違っていた。整理整頓された机、無駄のない配置、壁に掛けられた戦略地図、その全てが一目で精鋭部隊の空間だと分かる張り詰めた雰囲気を持っていた。対して第二部隊の作戦室は、同じ騎士団の施設でありながら、どこか人の生活感が強い。
壁には第二部隊の防衛管轄であるフィオネ王国北方領地の地図が貼られ、机の上には作戦資料と一緒に菓子の入った瓶が置かれている。端の棚には予備の武器や防寒具が丁寧に積まれており、窓辺には誰かが育てているらしい小さな鉢植えまであった。第一部隊がお堅めな軍議の部屋だとすれば、こちらは部隊の溜まり場という印象に近い。
「みんなー、連れてきたわよ」
セレナが扉を開けながら軽い調子で声を掛けると、中にいた三人が一斉にこちらへ視線を向けた。まず目に入ったのは、栗色の髪を後ろで束ねた女性騎士だった。背筋が真っ直ぐ伸びていて、立ち姿からして真面目さが伝わってくる。制服の着こなしにも乱れがなく、机に置かれた書類も綺麗に揃えられている辺り、第二部隊の中では規律担当のような立場なのだろう。
「遅いですよ、セレナ。顔合わせの時間は既に過ぎています」
騎士長であるセレナを当たり前のように呼び捨てにしている姿を見れば、二人の付き合いが長いことは容易に想像できる。その堂々とした物言いも相まって、彼女はエリシアを思わせる真面目な人物に見えた。
「ごめんごめん。ロイ君の試合が長引いちゃって」
「それは把握していますが、セレナが観客席で一番騒いでいたことも把握しています」
「え、見えてた?」
「見えていました」
セレナが悪びれもせず笑うと、女性騎士は小さくため息を吐いた。この人は間違いなくセレナに振り回されている苦労人だ。見ただけで分かる。
「紹介するわね。この堅物副官がリリア・ブランシュ」
「別に堅物ではありません。第二部隊副官、リリア・ブランシュです。よろしくお願いします、ロイゼ・ホーシンさん」
「あ、よろしくお願いします。自分もロイゼでいいですよ。呼び捨ててもらった方が気楽なので」
差し出された手を握る。第一部隊のエリシア先輩とは違い、こちらはしっかりと握手をしてくれた。手の力は強く、鍛えられていることが伝わってくるが、態度そのものは丁寧だった。
「先ほどの模擬戦、拝見しました。エリシア副騎士長の剣をあそこまで凌げるのであれば、少なくとも隊長が無理を言って連れてきたわけではないようですね」
「無理を言って連れてきた? おかしいですね。俺の記憶だと、騎士団長命令でここに放り込まれたはずなんですが」
セレナは悪びれる様子もなく胸を張った。むしろ誇らしげですらある。その表情を見ていると、俺の配属に何らかの形で関わっていることだけは嫌でも伝わってきた。
「ロイゼさん、そこは触れない方がいいです。この人の粗暴さに関しては私も諦めています」
初対面でいきなり諦めることを強要された。思ったとおり、この人は第二部隊の苦労人枠らしい。
「次はこの子ね」
セレナが指差した先には、小柄な少女がいた。
赤みがかった髪を二つに結び、机の上に広げた紙へ何かを書き込んでいる。顔を上げた瞬間、こちらを見た大きな瞳がぱっと輝いた。
「ミナ・アルベールです! ロイゼさん、さっきの模擬戦すごかったです!」
「あ、ありがとう。でもそんなに?」
俺がそう返すと、ミナは勢いよく何度も頷いた。その拍子に肩口まで伸びた髪がぴょこぴょこと跳ねる。エリシアよりも淡い青色の瞳はきらきらと輝いていて、まるで憧れの英雄でも見ているかのようだった。
「すごかったです!エリシアさんの剣って、本当に速いんですよ?私だったら一撃目で倒れてます!」
「流石にそれは大袈裟じゃない?」
「じゃあ三撃目で倒れます!」
「うーん、あんまり変わらないな」
ミナは元気よく笑った。明るくて、人懐っこい。第一部隊で張り詰めた空気に晒された後だと、その素直な反応が少し眩しいくらいだった。
そんな彼女はしばらく俺の顔を見つめると、不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「いえ、その……ロイゼさんって、少しだけ兄に似ている気がして」
「へぇ、お兄さんがいるんだ」
「あ、でも雰囲気だけです。顔とかじゃなくて、なんというか、無茶をしてるのに自分では普通だと思ってるところが」
「‥‥‥それは、褒めてる?」
「多分、褒めてます!」
多分なのか。ミナはそれ以上詳しく語らなかったが、兄という言葉を口にした時だけ、少しだけ表情が柔らかくなったように見えた。明るい性格の裏に、何か大切な記憶を抱えているのだろう。
そして最後の一人は、茶色の髪をした青年だった。年齢は俺とそう変わらないように見える。穏やかな目をしており、席を立つと丁寧に頭を下げてきた。
「アルト・リースです。よろしくお願いします、ロイゼさん」
丁寧に頭を下げるその姿は、騎士というより地元にいそうな好青年を思わせた。その柔らかな笑顔を見ていると、彼が誰からも好かれる性格をしていることは容易に想像できた。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「僕も平民出身なので、少し親近感があります」
「あ、そうなんだ」
エリシア先輩の話では、上位部隊に所属する人間の大半は高潔な血筋を持つ者たちだと言っていた。だが、アルトのような平民出身者もいるということは、それだけ実力を認められたということなのだろうか。
「はい。ですから、第一部隊の模擬戦を見ていて少し嬉しかったんです。平民でも騎士に届く可能性があるんだって」
その言葉は素直に嬉しかった。第一部隊では血筋や才能の話を嫌というほど聞かされたばかりだ。もちろんそれが間違っているわけではない。実際、魔法やスキルは血筋の影響を大きく受ける。だが、それだけではないと言ってくれる人間がいることは、思っていた以上にありがたかった。
というか、なんだろうこの安心感は。第一部隊では常に実力を測られているような緊張感があったが、第二部隊にはそれがない。自然と肩の力が抜けていくのを感じる。
「それで、残りの人たちは?」
俺が部屋を見回すと、苦い表情を浮かべながらリリアが額に手を添えた。
「一人は毎度のことながら来ていません。レオンという剣士なのですが、会議を嫌っているというより、人と群れること自体を避ける傾向があります」
「め、面倒そうな人だな」
「ですが実力だけは本物です。ただ、協調性に関してはセレナと同じくらい‥‥‥いえ、それ以上に難があります」
「リリア、私を巻き込まないでよ」
「自覚がないことが一番の問題です」
リリアの返しに、ミナとアルトが苦笑する。どうやらレオンという人物は、この部隊ではいつもの問題児として扱われているらしい。
「でも、根は悪い人じゃないですよ」
アルトが付け加えた。
「ただ、誰かと一緒にいるのが苦手なだけで」
「昔はもっと素直だったんですけどね」
ミナがぽつりと呟く。
その言い方に少しだけ引っかかるものがあったが、今は深く聞く場面ではなさそうだった。
その時、作戦室の扉が開いた。
「お、噂の二等兵じゃん」
軽い調子で入ってきたのは、金髪の男だった。整った顔立ちで、いかにも女性受けしそうな雰囲気を持っている。だが第一印象として真っ先に浮かんだのは、信用してはいけないタイプの男というものだった。
「シオン、遅刻です」
「いやぁ、廊下で可愛い事務官の子に呼び止められてさ」
「呼び止めたのではなく、貴方が声を掛けたの間違いでしょう」
「細かいことを気にしてると婚期を逃すぜリリア。なんなら、今度俺が恋愛のいろはを教えてやろうか?」
「貴方に教わるくらいなら一生独身で構いません」
辛辣だった。シオンと呼ばれた男は肩を竦めると、こちらへ軽く手を上げた。
「俺はシオン・レーヴェ。よろしくな、ロイゼ。美女三姉妹に取り合われてるって聞いて、どんな色男かと思ってたけど、意外と普通だな」
「普通で悪かったな」
「いやいや、褒めてるんだよ。普通っぽいのに面倒な女に好かれる奴は大体ろくでもないから」
「それは、褒めてないよな?」
「まぁ、半分くらいは」
半分も褒められていない気がする。
だが残念なことに、面倒な女という部分だけは妙に説得力があった。
ヴィーナ姉さん、セレナ、アナスタシア。
名前を思い浮かべただけで胃が痛くなる辺り、俺も大概重症なのかもしれない。つい数時間前にはルナ先輩の生肉弁当という兵器まで目にしている。こうして並べてみると、俺の周囲だけ女性陣の癖が強すぎる気がした。いや、気のせいではないな。間違いなく強い。強烈なまでに。
続いて入ってきたのは、柔らかな雰囲気を持つ女性だった。長い淡金色の髪を肩へ流し、穏やかな微笑みを浮かべている。年上だろうか。彼女が部屋へ入っただけで、空気が少し和らいだ。
「遅れてごめんなさい。メリナ・クラリスです。怪我をしたら遠慮なく言ってくださいね」
「その格好、医療班の方ですか?」
「ふふ、近いですね。私はこの部隊の治癒担当です」
メリナはそう言って微笑む。アナとは違う意味で安心感がある。少なくとも治療のついでに婚姻届を出してくるような雰囲気ではない。
「あ、そう言えば、アナスタシアさんから伝言を預かっているんです」
メリナの言葉に、セレナがぴくりと肩を揺らした。
「伝言?」
「はい。急ぎの案件が入ってしまったそうで、第三部隊の作戦会議は明日の午前へ変更になるとのことです」
その瞬間だった、先程まで上機嫌だったセレナの動きが目に見えて止まる。やがて彼女はゆっくりと俺へ視線を向けた。何故だろう。嫌な予感しかしない。
「それと」
メリナは苦笑しながら続けた。
「アナスタシアさん、とても残念そうにしていました」
セレナの口元が僅かに吊り上がった。対して俺は頭を抱えたくなる。容易に想像できるからだ。
恐らくアナは、今日のうちに俺を第三部隊へ連れて行くつもりだったのだろう。
そして予定が潰れた。つまり、今日一日、俺は第二部隊に拘束されることになる。俺がその結論へ辿り着いたのとほぼ同時だった。
セレナは満足そうに頷くと、どこか勝ち誇ったような表情で椅子へ腰を下ろした。言葉は何も発していない。だが、その顔だけで十分だった。どうやらこの人は、妹の予定が延期になったことを心の底から喜んでいるらしい。
最後に入ってきたのは、大柄な男だった。黒髪を短く刈り込み、口数は少なそうだが、背負っている大剣からして明らかに前衛担当だと分かる。
「グレンだ」
自己紹介はそれだけだった。だが、不思議と悪い印象はない。
「グレンは喋るのが苦手だから許してあげて」
メリナが補足する。
「別に苦手ではない」
「では何かロイゼさんへ一言」
「よろしく頼む」
「ほらね」
メリナが微笑むと、グレンは何も言わずに席へ着いた。
改めて、一人を除く形にはなるが、これが第二部隊幹部の面々か。
第一部隊とは全く違う。けれど、全員が一癖も二癖もありそうだが、少なくとも俺を値踏みするような視線は少ない。むしろ模擬戦を見た上で、ある程度こちらを受け入れてくれているような雰囲気があった。
それだけで充分、肩の力が抜ける。
「というわけで、ロイ君。改めて、第二部隊へようこそ」
「歓迎してくれるのはありがたいけど、作戦会議って何するんだ?」
「午後の時間も空いたわけだし、ちょうどいい任務が入ってるの」
その言葉と同時に、リリアが広げた地図の北側を指差した。
「第二部隊管轄下の北方領地で、魔物の群れが確認されています。数は二十前後。現地の村から救援要請が届いており、早急な討伐が必要です」
部屋の空気が変わった。先ほどまで軽口を叩いていたシオンも表情を引き締め、ミナは資料を手に取り、アルトは真剣な顔で地図を覗き込む。グレンは既に装備の確認を始めていた。
セレナも笑ってはいる。だがその笑みは、いつもの軽薄なものではない。騎士としての顔だった。
「折角だから、ロイ君も一緒に来る?」
「え、模擬戦直後なんだけど」
「実戦訓練にはちょうどいいわよ」
「おい、人の体力を無視するな」
「大丈夫ですよ!」
ミナが元気よく手を挙げた。
「私がたくさん応援します!」
「それはありがたいけど回復は?」
「メリナがいます!」
「なるほど。そういうことね」
メリナが優しく微笑む。どうやら逃げ道は用意されていないらしい。アルトが少し申し訳なさそうにこちらを見る。
「無理はしないでください。でも、ロイゼさんが来てくれるなら心強いです」
そう言われると断りにくい。第一部隊では実力不足と判定されたばかりだが、第二部隊は少し違う。彼らは俺を完璧な戦力としてではなく、これから伸びる仲間として見てくれているように感じた。
それが少しだけ嬉しかった。
「分かった。行くよ」
「決まりね」
セレナは満足そうに笑う。
「第二部隊、出発よ!」
こうして俺は、第一部隊で副騎士長に叩きのめされたその足で、今度は第二部隊の魔物討伐任務へ連れて行かれることになった。
それにしても、配属初日という言葉の意味を、騎士団の人間たちは少し勘違いしているのかもしれない。




