第54話 中学2年の夏
それは幼い頃の記憶。
あるこども園の教室内。そこに幼い少女はいた。
「……」
少女、まだ5歳の御堂朱里は、妙に大人びた目線で世界を見ていた。
くだらない。何もかも。
周りでは、同年代の子供たちがおもちゃやお絵かきで遊んでいる。
無邪気に、何も考えず。
「ほら、朱里ちゃんもあの中に入ったら?」
保育士の女が、少女に心配して声をかけた。だが、朱里にとってそれすらも煩わしかった。
「それって命令ですか?」
「え、いや命令じゃないよ。そんなこと言わないよ」
「じゃあ別に大丈夫です」
保育士の女は困った顔をして朱里を見る。扱いづらい、そう目が語っていた。
(それをして何か私に良い事あるの?)
遊ぶことに意味なんてない。
友達を作ることも、仲良くなることも意味がない。
少なくとも自分にとっては。
どうせ、いつ死ぬかも分からないのだ。
叛鬼衆。御堂直系の娘。そう生まれたからには、”普通”は必要ない。
*
ある日。
「じゃあみんなお母さんと、お父さんの似顔絵書いてねー」
保育士の女が中央でそう言った。
周りの子供達は、クレヨンを使って一生懸命に書いている。
そんな中、朱里の手は動いていなかった。
(あれ……どんな顔していたっけ)
両親の顔を思い浮かべようとしても、パッと浮かばなかった。
月に数回しか帰らない母と父。その顔の造形を思い出すのは困難だった。
「……」
なんとか似顔絵を描いて提出する。
その用紙には特徴のない二人の顔が描かれていた。
*
「みんなこれでチャンバラごっこしようぜ!」
薄っすらと赤い髪の少年が、広場で騒いでいた。手には箒を持って振り回していた。少年に乗せられ、周りの子供たちもスコップや箒を武器のように構える。
「うぉぉぉ、くらえ必殺!」
少年はいつも元気だった。いつも子供たちの中心にいた。
彼らの笑い声が園中に響く。
「こら! 掃除用具で遊ばない! 危ないでしょ!」
「げっ、見つかった! 逃げろ—!」
少年たちは、大人に見つかり園内を逃げ回る。
「……」
朱里はなんとなく居心地が悪く感じた。
(私イライラしてる?)
少年を見ていると腹が立った。何も考えず、ただ今を楽しんでいる少年。
世界には、楽しいことしかない。そんな目。
羨ましがっているのだろうか。自分とは違う彼を。
きっと彼は普通の両親がいて、普通に愛されて、普通に大人になっていくのだろう。
いいなぁ。心の奥底でそんな声が聞こえた。
*
朱里は最近、少年の姿が見えないことに気づいた。
保育士たちの話を盗み聞くと、どうやら母親が亡くなり休んでいるらしい。
久しぶりに見た少年は、前までの様子とは打って変わっていた。
口数が少なくなり、ぼーっとしていることが増えていた。それに何でもないことで癇癪を起こしたり、急に泣きだして暴れたり。
そんな少年の周りから人が減るのはそれほど時間がかからなかった。
家族を失い、少年は独りぼっちになっていた。
いい気味だ。そんな感情がどこかにあった。
それと同時に同族意識のような奇妙な感情が朱里に芽生えた。
「う~、あぁぁ、なんで……なんで」
母を亡くした少年は、一人砂場で泣いていた。
周りの大人たちは、またかと疲れ切っていた。
誰にも構ってもらえなくなった少年。
ひとりぼっちの幼い少年。
「まだ泣くの?」朱里は少年に声を掛けた。
突然の声に少年は朱里を見る。
「だれ……朱里ちゃん?」
「泣いても何も変わらないよ。これ使って」自分のハンカチを少年に差し出す。
「……ありがとう」少年はハンカチで涙を拭った。
可哀想という感情ではなかった。
ただ、私に与えられる行為によって、こいつはどんな反応をするのだろうか。
そんなちょっとした好奇心のようなものだった。
その日から朱里と少年は関わるようになった。
少年の名を佐藤恋詩と言った。
*
朱里は卒園し、小学生になった。
少年も同じ学校だった。
あれ以来、少年は朱里に懐いた。
朱里も少年のことを子分のように思っていた。
1年、また1年とゆっくり時が流れていく。
少年と関わるにつれ、朱里は少年の”危うさ”に気づいた。
ある時、川で怪我をした犬が溺れかけていたことがあった。
朱里は助ける気はなかった。ただの犬だ。それに前日は大雨で、水深が深いことを理解していた。
「恋詩、見ないでい——は?」
気づけば少年が川に飛び込んでいた。
「恋詩!」
無様な泳ぎ方。なぜ泳げているのか不思議な泳ぎ方。
そして少年が犬の下へ辿り着く。だが、少年が助けようとしていることが分からないのか、犬は暴れた。
子どもの身体では普通の大きさの犬でも、抑えるのは無理だ。
案の定、少年は溺れかけていた。
「あぁ、もう最悪」
朱里も川に飛び込み、少年と犬の下へ辿り着く。
少年も溺れているからか、無我夢中だ。
「あかっ、きちゃ、だっ」
「っ喋らないでっ」
だが、朱里でも暴れる一人と一匹を抑えながら陸に上がることは困難だった。
(まずいっ……息が)
水を飲み込んでしまった。息ができない。
どうすればいい? どうすれば助かる?
その時、”偶然”木の板が近くに流れてきていた。
それに捕まらねば、みんな死んでいただろう。
「はっ、はっ、はぁ、何考えてっ」
「ふっ、ふ、はぁぁ、ごめん」
そして朱里と少年、怪我をした犬は助かった。
朱里はそれ以来、少年から目が離せなくなった。
危険に対する予測が何もできていない。なのに、誰かを何かを助けようとしてしまう。
恐怖へのブレーキが機能していないようだった。
こいつはちゃんと大人になれるのだろうか。
初めはただの好奇心で関わったが、いつしか「こいつは私がいないと駄目かもしれない」そんな気持ちに変わっていた。
*
小学校高学年にもなると、朱里は自分の美貌や一般的な能力が人よりも優れているのだと知った。
成長するにつれ、周囲は朱里を放っておかなくなった。小学生ながら、周りが媚を売っているのが分かった。
でも、他者と深く関わるつもりはなかった。
少年以外は。
少年は、成長していくにつれ本来の素直さや、元気さを取り戻していた。
そうなると、周りは少年を受け入れ、少年は朱里以外にも友人ができるようになった。
だけど、朱里は面白くなかった。それは私のなのに。そんな思いがあった。
朱里と少年はすくすくと育ち、中学生になった。
*
中学2年の夏。
「好きだ! 付き合ってくれ!」
朱里は少年に告白された。一緒に行った夏祭りの帰り道。
顔を真っ赤にして、少年は朱里を見る。
少年が自分のことを好きなことは分かっていた。
朱里もいつしか少年のことを心の底から好ましく思っていた。
でも、駄目だ。断らないといけない。
自分は普通の人生は歩めない。
それに許嫁だっている。
断る以外の選択肢はない。
「……」
自分が断ったら、少年は悲しむだろう。
それに、いずれ少年は別の誰かの物になって、誰かと幸せになるかもしれない。
自分以外の誰かと幸せになる少年を想像すると胸がムカムカした。
「いい……よ。私も恋詩が好き」気づけばそんなことを言っていた。
少年と朱里は恋人になった。
後で、悲しませることになるのは分かっていながら。
少しでも少年と普通の日々を送りたかった。少年の特別になりたかった。
時期を見て、別れの言葉を告げよう。もう、そうするしかない。
生まれてからずっと抑えつけられてきた少女にとって、少年との特別な日々は掛け替えのないものになった。
楽しい。自分が普通の女の子のように、恋をすることができる。
好き。ずっと一緒にいたい。愛してる。捨てないで。傍にいて。
恋人同士になれば、少しは感情が落ち着くと思った。
でも、時が経つごとに少年への感情が大きくなっていくのを自覚した。
結局、朱里は自ら別れを告げることはできなかった。気づけば2年が経過し、朱里と少年は高校生になっていた。
そして、ある日。家の人間にバレた。ある程度は気をつけていたつもりだったが、限界はあった。
もう自分からは離れることはできなかった。
最悪のタイミングだったが、良いタイミングなのかもしれないとも思った。
朱里は少年への思いが強くなるにつれ、同時に”自分はこの人の近くにいてはいけない”と思うようになった。
この人がもし自分が”鬼”と戦っていることを知ったらどうなるだろう。
見ているだけの人じゃない。
”いつか、私や誰かを守るために身を乗り出す”そんな予感があった。
以前に、怒ったことがある。やめて、自分の危険を考えないで助けに行くなと。
「って言ってもなぁ、身体が勝手に動いちゃうっていうか」
一般的に見れば美徳。善い人なのだろう。
だけど、彼のことを大切に思っている人からしたらどうだ。
何よりも自分自身を大切にしてほしかった。
彼は自分で思っているよりも自己評価が低い。自分みたいな命より、他の誰かが生きたほうがいいと、本気で思っている。
そんなときにバレた。
そして朱里と少年の恋人関係は終わった。
*
まだ朱里は知らない。
別れたその日、少年が狭間に飲み込まれたことを。
人を鬼へと変える妖刀を手に入れたことを。




