12 彼女は呆れるくらい欲が深くて、そして懲りるということを知らない
少しだけですが、気持ちの悪い(動物がかわいそうな目に遭っている)描写がありますので、苦手な方はお気をつけ下さい。
人生でもっとも喜ばしくない再会から、一週間。
そのたった一週間のうちに、風可憐が呆れるくらい欲の深い女であることを、また懲りない女であることを、私たちはまざまざと見せつけられていた。
「ちょっと、見てよあれ……」
「あの女、また……」
回廊を歩いていると、他部署の女官が二人、途中で立ち止まっているのが見えた。外のある一点を睨むようにして見つめ、顔を顰めながらひそひそと何事かを話し合っている。
その様子が気になって、私も立ち止まった。今は休憩中だから、多少時間に余裕があった。
彼女たちの視線の先、かろうじて姿が確認できる程度の距離にいたのは、月柏怜と風可憐だった。
澄み渡った青空の下、いつものように三人の侍女を従えた風可憐が、興奮したように頬を染め、うっとりとした様子で月柏怜にあれこれと話しかけている。対する月柏怜は、相手をするのがよほど嫌なのだろう、無に近い表情を浮かべている。本音では一刻も早く立ち去りたいのだろうが、去ろうと足を動かすたびに風可憐の侍女に取り囲まれてしまい、その場から脱せないでいるようだった。
――皇帝たる兄と思ったように接触ができないからか、それとも謁見での兄の反応がはかばかしくなかったからか、風可憐は他の男――文官や武官たちにも堂々と言い寄るようになった。とはいえ、彼女は声をかける男を徹底して選んでいる。
すなわち家柄が良く、高い地位にいる、美形。
その条件さえ満たしていれば、究極的には誰でも良いのだろうと思うが、その筆頭株である月柏怜は、完全に彼女の標的にされてしまっていた。
「…………」
夏特有の、熱気を孕んだ風に煽られつつ、二人の様子を眺めていると、不意に後ろから、ちょんちょんと肩を叩かれた。振り返ると、炎雨林が立っている。
私は驚きで目を丸くした。さすがは将軍というべきなのだろう、気配が一切感じられなかった。多少距離が開いているとはいえ、他の女官たちもまったく炎雨林の存在に気付いていない。
振り向いた私に、炎雨林が「やあ」というように片手を上げた。親しげな振る舞いをされてしまったが、私としては炎雨林と親しい間柄であるつもりはないので、とりあえず会釈を返した。
炎雨林は私が何を見ていたかに気づいていたようで、そちらを見ながら困ったように眉を下げた。
「まったく、風可憐嬢には困ったものだよねぇ。何しに皇城に来ているんだかわからないし、何より皇城の女の子という女の子の恨みを買っているのがわからないのかなぁ」
ハクレイは人気者だから、と炎雨林は呟くようにつけ足した。
……妃候補として皇城に上がりながら、女性人気が抜群に高い月柏怜にまで積極的に絡みはじめた風可憐は、炎雨林の言った通り、皇城中の女性という女性に敵視されるようになっていた。今、ここで風可憐への憎悪を燃やしている女官二人が良い例だった。
……とはいえ、風可憐は妃候補に上がるほど身分が高いため、表立って抗議はできない。どんなに腹が立っても静観するしかなく、当の風可憐はといえば、そんな周囲からの突き刺さるような視線にも、まるで動じていなかった。……自分より身分の低い人間のことを歯牙にもかけないあの女らしいと、私は密かにそう思っていた。
私と炎雨林は揃って同じ方向を――すなわち声も聞こえないほど遠くにいる二人を見つめながら、会話を続けた。
「炎雨林さまは、あのように声をかけられたりしないのですか?」
炎家も月家と並ぶほどの名家であるし、炎雨林の地位も顔も申し分ない。
しかし炎雨林は軽く首を横に振った。
「幸い、というべきか、炎家と風家は昔、分家同士が少し揉めたことがあってね。家同士の仲が微妙だからか、さらっと挨拶される程度で済んでるよ」
「なるほど。それは良かったですね。……助けには行かないんですか? ご友人でしょう」
「大丈夫。ハクレイもあれで鍛えてるし、本当にいざというときは逃げられるよ。それより」
また宮の前に動物の死骸がぶちまけられてたから、片付けといたよ。
そろりと囁かれ、私は炎雨林に向き直って深々と頭を下げた。どうやら、これを言うためだけに、わざわざやって来てくれたらしい。
「お手数をおかけして、すみません」
炎雨林は事もなげにひらひらと手を振った。
「いいのいいの、気にしないで。アンジュちゃんのせいじゃないし、カイエンにも頼まれてるからね。頼まれた仕事をこなすのは当然の責務だから」
確かに、今の炎雨林は、兄に頼まれて秘密裏に私の護衛の真似事をしてくれている。……風可憐と望まない再会を果たしてしまってからというもの、宮の前に動物の死骸が置かれたり、彼女とすれ違うたびに耳元で暴言を吐かれたりするようになり、それを兄に報告したところ、私の身を案じた兄が、兄の親友で懐刀の炎雨林に、私の身辺に注意するよう頼んでくれたのだ。……護衛、と言っても、炎雨林にも本来の仕事があるし、あくまでも内密のことなので、常に一緒に行動しているわけではない。こうして死骸の片付けをしてくれたり、日に何度か様子を訊ねに来てくれる程度である。――しかし。
「……それにしたってご迷惑でしょう」
無残に腹を割かれた鼠やら鶏やらの死骸を、一日に三回も四回も片付けなくてはならないのは、大の大人であっても精神に来るはずだ。
深い申し訳なさを滲ませた私に、炎雨林はまるで兄のような小言を言った。
「いいんだって。そんなことよりアンジュちゃんは、まず自分の心配をしないと。毎日毎日隙あらば宮の前に動物の死骸がぶちまけられてるなんて、普通じゃないから。――まあ犯人の目星はついてるんだけどねぇ」
炎雨林が再び先ほどの方向を――未だ月柏怜に絡み続けている風可憐を眺めやりながら、心底呆れたように溜息をつく。
「所詮素人の犯行だから、目撃者も――彼女の侍女が君の宮の方向から走ってくるのを見たって人間も複数いるし、大体アンジュちゃんに強い恨みを持ってる子なんて自分くらいしかいないのに、それでも本気で気付かれてないと思ってるのかなぁ。だとしたら頭が相当お花畑だよね」
その辛辣な言葉を、私は少々意外に思う。
「……言いますね。女性には全般的に優しいのかと思っていました」
すると炎雨林は「アンジュちゃんはまだまだ俺のことがわかってないなぁ」という表情を浮かべた。……この人のことなどわかりたくもない、と私は思った。
「確かに俺は女の子が好きだけどね。いくらなんでも人への悪意たっぷりの女の子は愛せないよ。いい男だからこそ、見る目があるんだ」
「そうなんですか」
「そう。……しかし彼女は本当に毒のような女だな。アンジュちゃんの身体をぼろぼろにしただけじゃ飽き足りず、再会した途端また嫌がらせをはじめるなんて」
「……昔に比べれば、随分優しい方ですよ。死骸の贈り物に、すれ違いざまの暴言だけだなんて」
とはいえ風可憐の性格が改善したわけではないとわかっている。皇城という、自分が絶対君主になれる場所ではないから、多少の抑えが効いているに過ぎなかった。
炎雨林が、呆れたように私を見やった。
「……アンジュちゃん、直接的な暴力がないからマシだって思ってるんでしょ。感覚がすっかり麻痺しちゃってるね。こりゃカイエンが心配するわけだなぁ。……ていうか可憐嬢は、君がカイエンの妃候補だったこと、知らないんだよね?」
その言葉に、私は本気で身震いしながら即座に答えた。
「知っていたらこんなものじゃすみませんよ……。たとえどんな手を使っても、私を殺してでも、ここから追い出そうとするでしょうね」
下賤な女と蔑んでいる私と自分が同列に扱われていたと知ったら、彼女は手がつけられないほどに怒り狂うだろう。
だから兄は最悪の事態――逆上した風可憐に私が殺されることを危惧して、城の人間に箝口令をしかせた。
私が兄の妃候補に上がっていたことを、風可憐とその関係者には絶対告げてはならない、と。
幸いなことに、風可憐自身が嫌われすぎていることと、私の傷について知っている人たちが私に深い同情を寄せてくれていることから、箝口令は正しく効果を発揮していた。
そこで炎雨林が、心底理解できないというように、私に視線を移しながら首を傾げた。
「――カイエンは君をとても大事にしてるのに、どうしてすべての元凶である可憐嬢をとっとと城から追い出してしまわないんだろうね?」
……炎雨林の言う通り、兄は風可憐の言動に盛大に腹を立ててはいるが、皇帝権限を使って無理矢理追い出そうとはしていなかった。
炎雨林からすると、それはとても不可解な行動に見えるらしいが、私は特別不思議には感じていなかった。
私たちはこの世でたった二人の兄妹で、血が繋がっている分、誰よりも互いのことを理解していて、同時にやっぱり他人だから、完全に思考を読むことはどうしたってできやしない。
だから兄の考えていることがなんとなくわかるような気がしたし、わからないような気もした。
たった一つはっきりしているのは、兄が私を本当に愛してくれているということで、だからこそ、いざというときには全力で私を守ってくれるということだけだった。




