大魔術師は談笑した。
授業が終わって教諭が教室を後にした直後、私の右肩にぺしーん、という衝撃が加わった。痛くはない程度の小気味良いそれは、当然安形の手によるものだった。
私が振り向くか否かというところで、既に安形は話し始めていた。
「里中っちー!!なにあれなにあれめっちゃカッケ―じゃん!!教科書丸覚えとかマジか!それに里中っちの解説井上のよりも分かりやすかったんだけど何なの天才!?」
驚きを露わにした口調の安形であったが、興奮気味なためか教室内にやや響く程度に声量がある。
「ちょっと、声大きいって」
「あ、ごめん。いや、でも声のボリューム増えても仕方ないわ。あの井上をボロカスに負かすっていう衝撃がすごかったし。今このクラス中が里中っちに注目してると言っても過言ではないっ……!」
確かに先程からチラチラと視線を感じるが、その質は授業前とは顕著に変化があり、やや友好的なものも一定数感じられる。まあしかし、困惑、不審、羨望などの感情は少なからず存在している。私はそれも織り込み済みだ。腫れ物に触れないようにという敬遠よりは、いささか不可思議であろうと興味を持たれる方がずっと対処し易い。そうして見方が少しでも変化すること自体に意味があるのだと考えている。
照れるな、などと返しつつ安形と会話をしていると、横からふと人影が現れるのに気が付いた。
「修志」
その人物、織田少年は安形に名前で呼びかけた。
「んー?どした、ノブ」
ノブ……?彼の名は織田遼であったはずだが。出欠確認の点呼でもそう呼ばれていた。あ、いわゆる渾名なのかもしれないな。……しかし、なぜノブなのか。
「いや、またお前が変なあだ名でもつけてるんじゃないかと心配でな」
「えー。変とかひっど。…まさか俺あだ名つけるセンス無い?」
「いや、センスというかベクトルが個性的というかな…」
「里中っちには里中っちってあだ名つけてるけどこれは別に個性的じゃないっしょ!」
「ああ…たしかに意外と普通な…」
「ジョコビッチとかハリルホジッチとかの名前の語感から持って来たった!」
「結果普通なのに発想が独創性に溢れすぎだろ」
なるほど、それが起源になっていたのか。旧ユーゴスラビアだとかその辺りの地域に多く見られる姓だな。
「つうかノブ、どうした?そっちから話しかけて来るとか珍し。あ、里中っち目当てか。お?どうなんや?お前に里中っちが幸せにできるか!!」
「いつの間に俺と里中が結婚する流れになったんだ。…まあ、もう少し話してみたかったというのは合ってるが」
織田少年はそう言ってチラリと私の方を見る。
「あなたなんかに里中っちは渡さない!この…!泥ぼ
「そっか。僕としても織田くんと話せるのは嬉しいかなあ。少しでも興味を持ってもらえたんならね」
「え、ちょっと無視し
「正直興味湧きまくりだな。まあ、質問攻めなんかして困らせたくはないんだが」
「質問……あ、別に何でも聞いて大丈夫だから僕も一つ聞いても良い?」
「ん、別にいいが…なんだ?」
「なんでノブって渾名なわけ?下の名前って遼だよね」
「ああ、それは
「織田ってゆーたら信菜ちゃんやんけ!せやからそっからノブの二文字だけを呼んでるっちゅうわけやで!」
安形がそう主張をしてきた。何故だか怪しい関西弁でだ。
「おいエセ関西……って待て、信長からじゃないのか。面白がって信長の子孫かと聞かれることが多かったからお前もそのクチかと思ってたんだが。おい。」
「いや、まあ嘘じゃないけど。実話なこれ。丁度ノブと知り合う直前くらいの時期にゲームやり始めてな」
「テンションの抑揚が謎すぎるだろ」
「まあまあ。今のはちょっとはしゃぎすぎたかなっていう周りへの配慮なんで。…とまあ、ノブのあだ名はとあるゲームから取ってきたわけ。て言っても俺しか呼んでないけどな!」
「僕も率直に信長の方かと思ったから予想外だなあ」
「俺が一番驚いてる」
「ノブが?なんか感情の起伏ちょっと小さい印象だったから意外だわあ」
「自分でも自覚はあるが」
「うっそお。前に教室にスズメバチ出てきた時さ、みんなわーわー言ってるのに一人だけ冷静にハチ見てたじゃん。そんで教科書丸めてスッと立ち上がったと思ったら、精密な振りで叩き落として外に出してたし。ノブお前裏で仕事人とか呼ばれたんだぞ?」
「あれも驚いてはいたな。ただ、動きをしっかり見極めるために観察していただけだ」
「そもそも持った感情は驚き、なんだね。恐怖とかじゃなくてさ」
「それ俺も言いたかったわー今。そんで、その後クラスに響いた拍手に全く興味なさげにしてるしさー。そんなノブが人に関心持つなんて…はっはっは、父さん嬉しいぞっ」
「こんな父親はクーリングオフしてやるよ。…そして細部にこだわってカイゼル髭撫で付けんのはやめろ」
「ボケを拾ってもらえて嬉しいわあ。…んで、里中っちに興味持ったってのはやっぱ勉強面?」
「まあ一番はそれだな。人となりも気にはなったが」
「ノブすっごい頭良いもんなー。よくテスト前に勉強教えてもらうからなあ俺」
「修志がやたらと俺にすり寄ってくる間隔が狭くなると、ああもうすぐテストか、って気分になるな」
「えー、俺季節の風物詩になってんの?風流だわあ」
こういう風にゆるく話をしていると、なんというか学生らしいなと私は考えてしまう。おっと、そうしていると次の授業の教科担任が教室に入ってきた。楚々とした雰囲気の女性教師だ。年齢はまだ若く、また髪色は自毛なのか若干茶色がかっている。それを髪留めで留めただけの髪型だ。
「お、ヨシちゃん来たかあ。今日もかわゆいのう……もっと話したい…」
安形がヨシちゃんと呼んだ彼女は、名を田後佳乃と言うらしい。教師3年目とまだ新米なものの、生徒からは愛称がつくほど慕われており信頼は厚いようだ。現に今も、授業の準備してねー、と呼びかけている彼女に対して生徒たちはにこやかに返事をしており、率先して皆が席に着こうと動いている。
なんというか、井上教諭とは真逆の位置に存在するような関係だな。そんな趣旨のことを私が口にすると、『ヨシちゃんが居るからこそ俺たちはあの一限に耐えられる!』と安形は力説していた。
本当に生徒たちに好かれている教師のようだ。…困らせてしまうと周りからの反感を買いかねないな。そう考えた私は、ヨシちゃん教諭の持ち物を確認したのち安形に提案をする。
「ね、この時間の教科書だけ貸してくれない?」
「え?覚えてるって言ったのに…え?なんで?」
安形は非常に不思議そうな表情をしていたので、私は彼に耳打ちする。
「僕が安形くんの教科書を借りれば、安形くんは先生が予備で持ってる教科書を借りに行かなきゃならなくなる。後は―――分かるね?」
「よーし里中っち、俺教科書忘れたからヨシちゃんと楽しくお話ししてくるわ!!」
安形は私に英語の教科書を素早く手渡し、勇み足で教卓へと向かって行った。
その一部始終を見ていた織田は、私に『策士め』と言って薄く笑うと自分の席に着いた。
ああ、そういえば英語についてだが、いささか私は学習量が足りていない。幸い、言語の文構成自体は難しくはないため、中学三年から高校一年程度の知識は有していると自己分析している。元居た世界に似たような言語はいくつか存在していたと思う。
言語を二つ同時に習得するのは効率が悪いかと考慮したが、このくらいならば本屋でもっと学習しておけばよかったかもしれない。
しかしながら、他教科に関しては高校三年から大学生程度の習熟率であるため、英語に関して若干の不安が残っているというわけだ。今日からでも、しかと学びを進めていかなければな。
さて、授業が始まったわけだが、その印象を一言でいうなら、分かりやすい、に尽きるのではないだろうか。教科書の内容は授業の半分程度で説明を終わらせ、現在は基本5文型について解説しているのだが、これがどうも上手い。ロジカルに教えるところとそうでないところの使い分けが特に巧妙である。ここは一つの『かたまり』としてO、目的語になる、などと、非常に納得がいく言い方をするのだ。
また、重要な点についてはいつも生徒に質問を投げかけ、生徒もそれにすぐに反応している。日頃から同じように問いかけ、反復させることで記憶の定着と印象付けを図っているらしい。
授業終わりにはプリントが配布された。決して課題などでは無く、次回の授業で使うもののようだ。予習は強いないので一通り目を通しておくように、ということらしい。生徒たちの意欲も高いためか、休み時間に入ってもそのプリントに目を通している者も多かった。私もぱっと読んでみたが、単語レベルは現在の程度に合わせたものでありながら、文章構成に関しては非常にしっかり論理立てられている良いものであった。
ふむ、ヨシちゃん教諭は中々のやり手だな。私はそう感じざるを得なかった。
この休み時間に織田、安形と話して知ったことなのだが、ヨシちゃん教諭の受け持っているクラスは英語の成績が非常に優秀なのだとか。前回のテストで英語の点数が学年30位以内に入った生徒が、このクラスでは10人近く居たそうな。
因みに織田が1位、安形は30番以内には入りこそしないものの、全教科中で最も良い点数だったらしい。英語以外は?と安形に尋ねると、察しろ…。とどこか遠くを見つめる眼をしていた。
三限は数学の授業で、特筆すべきことは無かった。普通の、教科書に沿った内容の授業だった。つまらなすぎて、ある意味では井上教諭の方がマシのような気がしていた。流石にそれはないか。
四限は学級活動の時間で、文化祭に関しての準備が主なものだった。今日から本格的な始動らしく、担任教諭はそのための荷物を持って教室にやってきた。
曰く、フリーソフトで画像を取り込み、モザイク画を作成、A4サイズの画用紙に色の配置を記すという作業を夏休みから今まででコツコツやってきたらしい。文化祭の準備期間は2週間と少しだけらしいので、生徒だけでやろうとすると終わらないだろうという配慮からなのだそうだ。
というか、夏休み前にテーマを決めてしまっていたのか。動き出しが非常に機敏だ。
今日のところは班ごとに貼る色紙を切り分ける作業となった。教卓まで色紙とはさみ、カッターとついでにカッティング用のマットを取りに行く。黙々と同じサイズに切り分けていく作業なのだが、中々に面倒なようだ。安形が『あっ』と声を出したかと思ったら色紙をカッターで斜めに切ってしまっていた。
ああ、斜めに切ってしまった部分を処理しなければならないという手間が発生した。…ここは私が頑張るとするか。班員に声をかけ、自分がどんどん細長く切っていくから後の裁断は頼みたいという旨を伝えた。逆に遅くなるのではという視線が投げられたが、手持ちの色紙から5本ほどテンポよく切り出したところで見る眼が変わり。全員がカッターからはさみに持ち替えた。まあ定規があるのだから私には楽な仕事だ。フリーハンドでやれと言われたら多少骨だがな。
10分ほどひたすら色紙を切っていると、いつの間にか無くなってしまった。細切りのものがやや残っているので手伝うとする。そうすると、数分もしないうちに色紙をすべて切り終わっていた。
終わったなー、と若干の達成感を覚えていると、安形を筆頭として班員が私を褒め称えてきた。
そんなに称賛されるようなことだったろうかと思って他の班を盗み見ると、半分も終わっていない所が通常だったようだ。意外と早く済ませてしまったらしい。
これで担当するすべての色紙を切ったというわけではなく、一先ず配られた分を切り終えたというだけだが、かなり作業が早く進んだようだ。もう早くも貼る作業に入り始めてしまおうかとも思ったが、今日はまだ糊を持ってきていないと聞き、他の班の助っ人に入るということになった。
それによってそれほどの多人数ではないものの、色々な生徒と話をすることができた。これは想定していなかったものの、私にとっては大変大きな収穫であった。数班を回ったのちにチャイムが鳴り、この授業は一旦終了となった。今後、同様な学級活動の時間と放課後の少しの時間を使って制作を進めていくらしい。
昼休みになり、織田、安形の両人と昼食を共にすることになった。
いつも一緒に食べている友人などとは食べなくて大丈夫なのかと聞けば、安形に関しては色んな所を渡り歩いているのが常であるので問題ないという。特定の数人と一緒に、ということは少ないらしい。織田については一人で食べることが多いらしい。安形のような友人が居ないわけでは無いが、一人だと考え事をしやすいからだと語る。私も割とその感覚は分かる。弟子たちと議論を交わしながら研究をするのもいいが、一人で熟慮することも大変に意味あることだと考えていた。
自分で作った弁当を食べ始めると、美味くはあるのだがもう一歩二歩足りないような感覚を覚えた。ううむ。特にきんぴらは初めて口にした物で物珍しさが目立つが、味のしみ具合が若干不足している感じだ。もう少し炒め時間や火力の調節が必要かもしれない。料理は科学、という素晴らしい格言があるようだが、まさにその通りだと私は思う。調味料、調理時間、調理工程それぞれの良いバランスを探し、何度も試行と失敗を繰り返しつつその先を目指す姿勢はまさに研究であるといえる。このような熱い……う。無意識に左手を硬く握ってしまい、安形にどうしたのかと指摘された。思考が外に漏れるのはあまり宜しくは無いな。以前はそんなことは無かったと自覚していたのだが、こちらに来て少しばかり浮かれていたのだろうか。爺らしくもない。いや、もう爺でもないが。
そういえば、悠の方も今は昼休みか。弁当を開けて何を思っているのか、そして家に帰った時の反応が楽しみで心躍るな。
そんなことを考えつつ二人と会話をしていると、いつの間にか弁当を食べ終わっていた。
弁当箱を鞄に閉まっている途中で、織田と安形以外の人間から声がかかった。
「あ……えっと…、里中、くん」
彼は吉田佑介といったか。少し気弱そうな表情が記憶に残っている。…今もそんな表情だが、私に何の用だろうか。
「吉田君?どうしたの?」
「そ、その……廊下…人が呼んでて…」
その顔色はあまり宜しくは無い。嘘をついている感じではないが、視線が泳ぎ不安気である。これは私を呼んでいるという人物に対して何らかの恐怖心のようなものを覚えているのだろうか。
まあ良い。どのような人物が呼んでいようと何も問題は無い。
……キャラ弁に怒っている悠が居たらどうしよう。
むしろそれは和むな。
一応、信奈ではないのは仕様です。




