大魔術師は悲嘆した。
その後教室には続々と生徒が登校してきて、一段とそのにぎやかさを増していた。朝からよく喋るものだ。
また、彼らが喋っている内容には私の、というか信吾の話題が含まれているものも多いため、なんというかむず痒い感覚を覚えてしまう。視線もあからさまに感じるため、より一層とその感覚を敏感に捉えてしまいなんとも言えない。
私は教室のあちこちに貼られた掲示物を見て回るのに忙しいのだが、その度に不躾な視線が付随してくるために若干鬱陶しさすら抱く。私が読み物を読むときはいつも真剣なのだ。邪魔をされたくはない。しかし、だからといって読めなくなるわけでは無いので何も対処はしないが。
そうこうしていると、不意にチャイムの鳴る音がした。それを聞くや否や、はたと気づいたようにクラスを出ていく者や席に着く者があらわれ始める。察するに、もう少しで朝礼が始まる、という合図なのだろう。直前に席に戻ればいいと考えているのか、まだ席を離れたままおしゃべりを続ける生徒たちもちらほらと見うけられる。
私はとりあえず自分の席に戻ることとしよう。一通りの情報収集は完了したからな。得られた情報によると、現在は文化祭という行事の準備をしている最中なのだとか。まだ序盤であり準備はそれほど進んでいないようだが。我がクラスではモザイク画をやる、と決まった所らしい。作業的には地味なものになりそうだ。他のクラスの内容と共に一覧として掲示されていたのだが、中には『ピタゴラス・スウィッチ』というものもあった。日常的なものを利用してからくり装置のようなものを作る、というやつだ。私は書店で解説本を見ただけなので、どんなものになるのか非常に興味がそそられた。
チャイムから数分が経ったのち、教室の前方から教師が入ってきた。ひょろりとした50代ほどの男性教師で、かけているレンズが大きめな眼鏡のせいか物腰が柔らかそうな印象を受ける。やや気弱そうでもあるな。
男性教師は教壇に立ち、静かにするように一声かけた後、号令を促した。教室の一番右前の生徒が起立、と声をかけると、生徒たちが席から一斉に立ち上がる。なるほど、こういうシステムなのかと思いながら、私もそれに倣った。少し勝手が分からず遅れてしまったため、挨拶は礼だけに留めて再び着席。
その後は教師が点呼を取り始めた。どうやら男女別で名前順に読み上げているらしい。何故男女別なのかはよく分からないな。昔の名残だとかそういったものなのだろうか。私より前の生徒は数人程度で終わり、すぐに里中の名が呼ばれる。
前に返事をした者たちと同様に返事をしたのだが、教師はえ、あ、といった風に声をもらしてこちらを見た。二度ほど。綺麗な二度見というやつだ。
多少動揺したらしく、教師はその後数回噛みながらも点呼を済ませた。連絡も無く再び登校し始める、というのは少しまずかっただろうか。別に悪いことをしているわけでは無いのだがね。それから、文化祭の準備を始めていこうだとか、落し物の報告などといったことを話したのち、朝礼は終了した。
そういえば掲示されていた時間割によると、次の授業は国語らしい。今回は大丈夫だろうが、別の科目で移動教室などは無いかどうか、早めに他の生徒に聞いておくべきだろうか。そんなことを考えていると、教師から声がかかった。里中、ちょっと、と言いながら廊下に呼ぶようなジェスチャーをしている。
私はそれに素直についていく。
「里中、学校来たんだね。前触れも無かったから少し驚いたよ」
教師は柔らかい声でそう切り出した。というか、いい加減心の中で教師と呼ぶのは面倒になってきた。彼の名前を知りたいが、名札を付けていたりはしないので窺い知ることはできない。かといって生徒に聞くのもあれだしな。え、こいつ教師の名前すら忘れたの?みたいなことになってしまう。
「こう、何か心境の変化があったのかな?」
「ええ、まあ。このまま学校に通わないのももったいないなと思いまして」
「そっか。まあ何にせよ、里中がまた学校に来てくれるなら嬉しいよ。何か困ったことだったり分からないことがあったら何でも聞いてくれて構わないから」
今、何でもと言ってくれたので丁度良いから聞いておこう。
「ありがとうございます。あ、早速なんですが、教室の移動をする授業があるかどうか聞いても?」
「ああ、移動教室ね。えーと、美術とか音楽はともかくとして、理科は理科室、英語のオーラルコミュニケーションが13番教室。これは出席番号の前後で分かれてるやつね。あとは…数学も移動あったかな。あ、でもこれは里中は教室か。えーと…その他は多分無かったと思う」
「分かりました。どうもありがとうございます、先生」
名前は結局分からなかったので先生と呼んでおいた。この呼び名の万能性は高いからなあ。以前、学院で先生、と呼び止められたので振り返ったら、私と同じように振り向いた教諭が3人ほど居た、というエピソードがあった。しみじみと思い出す。結局呼ばれたのは私では無かった。
話を終えて教室に戻る。席についたが、特にやることがないな。周囲の生徒との親交でも深めるべきか。まあそれが目的で学校に来ているというところもあるしな。ああ、目的と言えば、幸せな家庭を築くべくこちらに来たのだから、私は女子生徒に積極的に話しかけていくべきなのだろうか。しかし現段階ではそれは如何ともしがたい。周りに知り合いもおらず、孤立しているのが私の状況だ。女子生徒に話しかけようものなら、怪訝に思われ敬遠されていく可能性も高い。ああ、もどかしい。近づきたい、だが近づけない。心持ちはまるでヤマアラシのジレンマのようだ。
まあ、それは仕方がない。少しずつでも友人と呼べる存在を作っていくのが現在すべきこと。地道に積み重ねていくしかあるまい。取りあえずは次の国語の授業からだ。
そんなことを考えていると、後ろから肩を叩かれる感触がした。何かと思って振り返ってみると、背が低めの男子生徒が興味深げにこちらを見ていた。そういえばこの彼は私が登校して間もない時からちらちらと、こちらに好奇の視線を向けていたような気がするな。
「ん?何か用?」
口元に薄く笑みを浮かべながら、私は彼に疑問を投げかける。
「ああ、別に用って呼べるほどのものじゃねえんだけどなー。あ、俺安形な。一応、覚えてるかわかんねーから名乗っとくけど」
「安形修志くん、だっけ」
「そうそう。って、出席番号最初だし流石に覚えられやすいのかね、俺」
というか、先程の点呼の際にクラス全員の名前は覚えた。あとは記憶している顔と照合させただけだ。
「ま、それはいいけど。話しかけたのはなんていうか、興味本位かねえ。なんでまた学校に来ようと思ったのか、とか。あ、言い方あれだけど、単純な疑問としてな?里中が学校来たのはスゲー良いことだなって思ってるし」
ほうほう、簡潔に言うと知識欲を満たしたいと。うむ、その心意気や好し。なんとなくそれだけで好感を持ててしまった私は単純なのだろうか。
「そうだね、なんていうか…勿体ない、っていうのが大きいかな。このまま学校に行かないなんて、青春を謳歌できてないっていうか。そんな感じがして」
「MOTTAINAI、か。あ、悪い。発音変なのはネタな。にしても、その勇気はスゲーと思うよ。一回学校行かなくなると、中々もっかい行こうと思うの難しいだろうしな。俺風邪で3日休んで、そんで治っても学校行くのがだるく感じて1日ズル休みしたことあってさ。似てるか分かんねえけど、そっから気持ち立て直すのは結構エネルギー使う感じするよなー」
「そう言ってもらえるとなんか気持ちが楽だなあ。ありがたい」
「で、話変わるけど。もいっこ聞きたいことあってな。実はこっちが本命なんだけど」
「ん?」
「里中っち、鞄やったら軽そうじゃねえ?」
「さとなかっち?」
「あ、ごめん。勝手に愛称つけたわ」
「なんか新鮮。それで、鞄軽いっていうのだけど…たしかに軽いね。ノートと筆箱と、あと体操服だけしか入れてなかったし」
「え、いや、なんで教科書入ってねえの?あ、貰ってない?いやでも2学期の頭は何日か来てたような記憶が」
「教科書は家にあったよ。ただ、嵩張って重そうだから持ってこなかった」
「なにしてんの里中っちー!?」
「え、だめ?」
なぜ焦燥感を漂わせているのだろうか。
「ダメじゃない要素がねえわ!…つーか次が国語でさえなければこんなに俺も焦らないって…!国語の井上が性格クソ悪くてめんどくせえっての知ってんだろ?ん?知って…るよな?一学期もあいつの授業あったし」
「ゴメン、存在ごと忘れてた」
私はそう言い切って爽やかに微笑んだ。
「良い笑顔浮かべてんじゃねえ!ああもう…!俺の取りあえず貸すから、俺は他のクラスで借りて…」
「あー、あれが井上先生だっけ」
時既に遅し、というべきか。教室の前方からは男性教師が入ってくるところだった。あれが井上。なというか性格の劣悪さが顔面に滲み出ているような男だな。いや、そう聞いたからというのもあっての印象だが。
「…遅かったか…。あいつ他のクラスから教科書借りてるのとか分かったら取り上げやがるからな。…どうする、里中っち」
安形少年は声のトーンとボリュームを落としながら会話を続ける。
「まあ、教科書はなくても何とかなるよ。」
「いやなんねーだろっ?」
「大丈夫。なんとかする」
そう言うとほぼ同時に、教卓方面から声がかかった。
「そこぉ。もう授業始めるんだからいつまでもぺちゃくちゃ喋ってないでぇ準備しなさぁい」
井上教諭からの言葉だ。何故か尻上がりに声のボリュームが上がっていて、既に苛立っているかのような声色だ。あるいは、本当に苛立っているのかもしれない。
今ので教室内の会話の声がほとんど途絶えた。ああいう喧噪は私は嫌いではないのだがな。なんというか、安形の言ったことがすぐに理解できてしまった。確かにこの教諭は面倒そうだ。
十数秒間、井上教諭がチャイムを待って焦れている、カツカツと教卓を叩く音だけが室内に響く。
気まずい空気の中救いのようにチャイムが鳴った。号令がかかり、全員で一礼。授業が始まる。
「はい皆さんこんにちはぁ。休み明けだからってぇ休み気分を引き摺ってダラダラダラダラしないでくださいねぇ。それじゃあ授業始めますよぉ。今日から新しい章に入りますがぁどうせ皆さん予習とかしてきていないでしょう。面倒ですが入って行きますねぇ」
私はしてきているぞ!
「……んんの前にぃ。そういえば何やら見ない顔…ぁあ里中君ですかぁ。2か月も学校来ずにオウチで遊んでいた里中君ですかぁ」
「ええ、久々に来てみました。こんにちは井上先生」
「2か月も!学校に来ていなくてあなた…ちゃんと授業についてこられるんでしょうねえ?んんんんん!?どうやら教科書が机に出ていないようですがぁ……?もしかしてわ・す・れ・た。とか言うんじゃないでしょうねえ??どうなんですかぁ?」
「いえ、持ってきませんでした」
「持ってこなかった!!!小学生みたいな言い訳をせずにワスレマシタァと言うべきところを!!あなた何しに学校「不要だと感じたので」……は………?」
井上教諭の話は長くなりそうなので強制的にカットさせていただいた。
続けざまに私は言い放つ。
「教科書は覚えたので、面倒で持ってきていません。一応言っておきますが、別にこの授業を軽んじているということではなく、他の科目に関してもですので」
井上教諭は訳が分からない、というような表情を浮かべている。
そして教室内は少しざわついている。
「静かにい!!……里中君はヒキコモリでも教科書が覚えられるほどオツムがよろしいということなのでぇ……今日からやる小説の本文を朗読してもらえますかぁ」
ほほほう。なにやら『どうせ覚えてるなんて嘘だろ、読めないだろ』と言わんばかりの嘲笑に満ち満ちた表情をしている井上教諭。では張り切って読ませてもらうとしようか。
「…親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分、学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張ってもそこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが―――」
その後数分をかけて、教科書に載っている範囲をきちっと、最後まで読みきった。井上教諭の目をじたっと見ながら。
それからも授業の中で嫌がらせとして質問をいくつも投げかけられたが、すべてに的確な回答を返しておいた。難しめの、心情を問う質問も出されたが、そこは解説を挟みながら返答していった。ここの行のこの記述が関係して、さらに文から読み取れる人物の人柄も加味した結果、こういう心情になる。それが理由でこの後こういう行動をとる、ということをロジカルに説明してみた。私は学者だから、『行間を読む』とかいう曖昧なことは言わないのだ。なんか途中から私の解説に合わせて、生徒が教科書をめくる音が重なっていたので面白くなってしまった。
わたし、そろそろ教壇立っていいかな。
井上教諭は授業が進むにつれてその勢いを失って行った。
まあ、なぜこんな事をしたのかというと、井上教諭は典型的な勘違いをした教師であったからというのが大きい。
教師というものは学校の規律を当然正すべき存在であるというのは言うまでもない。それゆえ、生徒や学校のことを真面目に考えている教師程、口うるさくなってしまう傾向があるとはいえる。が、彼に関しては規律の為や生徒のことを思って口うるさかったのではない。ただ単に、ストレスを発散したいだけ。威厳を保ちたいから、生徒を貶める発言をして自分を優位に立たせたいだけ。
教師という存在であるだけで偉い、という思い違い。それは教育者として抱えてはいけない傲慢だ。
教育者は教え子を尊重し、時に共に考え、時に教え子から学ぶべきである。
それが私の持論だ。
もちろん私の考えがすべて正しいなどど思っているわけではないが、あれはちょっとどうだろう、と思った次第である。
また、このクラスの生徒たちが井上教諭に抱いていたであろうヘイトを少し発散させようと思ったり。
とりあえず目立つことをやって、人気取りというか…生徒たちと喋るきっかけでも作れれば、とか。そんな本音、少ししか持っていない。
あ、いかん。本音と言ってしまった。
…………。
私は、この国の教育者に対して不安を抱き、溜め息をつくのであった。
なんだこいつ白々しいぞ。
ちなみに井上の口調を書いているうち、私の脳内ではCV:若本規夫で再生されていました。




