大魔術師は動揺した。
おめでとう!爺さまはネットサーファーに進化した!
結局朝までずっと調べ物をしていた。ちなみに、ユウと母親は魔術で深い睡眠に入ってもらったため、どちらも私がずっと起きていたことは知らないだろうと思われる。おそらくは。
調べ物をしていて分かったことだが、ネットというものは情報元が非常に多く散見しており、一つの事柄を知りたいときにそのブレを分析するのが中々に面倒だ。その点まとめサイトは助かる。大抵は誰にでも理解しやすいように書かれているからな。
時刻は朝6時半に差し掛かろうとしている。少し疲れたなと思いつつ、伸びをする。身体のあちこちから痛みが走るが、一体なぜ……そうだったな。私としては問題なくとも、この身体は昨日階段から落ちた身だ。大きな怪我は治したと言っても、色々と疲労も溜まっていたのだろう。徹夜を敢行してしまったのは早計だったかもしれないな。取りあえずもう怪我は治してしまおう。ついでに活性化もかけ、徹夜による身体のだるさもリフレッシュさせる。これで隈もできない事だろう。
私が少しぼうっとしていると、何やら足音が聞こえてきた。む、早朝だというのにどちらかが起きてきたのか。
「あれ?兄ちゃん。おはよう…」
ユウだったか。
「ああ、おはよう」
挨拶を返すが、ユウは眠そうな顔を怪訝そうな表情に変える。
「……もしかして兄ちゃん、夜通しパソコンやってたの?」
「いや、そんなことは」
「やたらと冷却ファンが回ってるし、履歴の量とか確認すれば大体分かるからね?」
くっ。思い切り見抜かれてしまった。これが情報格差というものか……!これ以上言い訳をしても仕方がないので、正直に話してしまおう。
「…色々と調べ物してるうちに時間が過ぎてね。集中してたらいつの間にか朝になってた」
「はあ……。まあ、パソコンを使えるようになるってのは現代人として良いことだと思うけど、ほどほどにしなよ?」
ぐうの音も出ないほどの正論とはこういう事だな…。
「気を付けるようにするよ。…ところで、やたらと早く起きたみたいだけど、何か用事でもあるの?」
「あー、部活だよ。日曜日は7時半から練習があるからね」
なるほど、部活動か。ユウは文化系と運動系のどちらに属しているのだろうか。
「あ、そういえば兄ちゃんは朝ごはん食べた?食べてないなら一緒にトースト焼くけど」
私も丁度腹が減ってきていたところだったので、焼いてもらうよう頼んだ。
朝食を摂りながら雑談をしていると、ユウは吹奏楽部に所属していることが分かった。ちなみに楽器はオーボエを担当しているのだとか。オーボエというと、17世紀に誕生した木管楽器だったと記憶している。まだ音色を聴いたことはないので、そのうち聴いてみたいものだ。
食事を終えると、ユウは学校名の入ったジャージに着替えて家を出た。
それを見送り、私は再び情報収集に専念することにした。
1時間半ほどはそうしていたであろうか。再び誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。いや、誰かと言っても母親であることは疑いようがないことなのだが。
リビングに入ってきた母親は私を一瞥すると、おはようと声をかけた。私はそれに応答すると、再びパソコンに目を落とした。
母親はトーストを焼くと、飲み物と共にテーブルへと置いた。トーストを食べ終わる頃になり、ふと気が付いたように呟く。
「あんた、調べ物に余念がないのね」
「うん、まあ。使ってみると意外と面白くてね」
私は手短に答える。
「それで、信吾はどこに行ったのかしら?」
不意打ちで投げかけられたその言葉に、思わず私は身を竦ませた。
私のあからさまな動揺を見ながら、母親は言葉を重ねる。
「歩き方が違う。しぐさが違う。会話の間が違う。昨日は私の思い違いかとも考えたけど、今はっきり確信したわ。あんたは信吾じゃない。だって」
―――信吾はすぐにパソコンを使いこなせるほど優秀じゃないもの。
私はその言葉に、今は亡き信吾になぜか同情を抱かずにはいられなかった。
そして同時に、母親という存在の偉大さに心の中で称賛を送った。こんなに早く気付かれてしまうとはな。私は決意を固め、言葉を発した。
「…改めて思うが、母親というものは凄いものだな。
……ああ、あなたの言う通り、私は里中信吾ではない。全くの赤の他人。彼に霊が乗り移っているというような話でもない。まず、ショックを受けるだろうが言っておかなければならないことがある。心して聞いてほしい。」
そこで一旦言葉を切ると、私は重々しく口を開く。
「…里中信吾は、死亡した。昨日の昼前だっただろう。死因は階段からの落下による脳挫傷、そして脳出血だと思われる」
母親はそれを聞いて、こみ上げるものを堪えるように目を閉じた。そして数秒ののちに目を再び開き、呟く。
「……続けて」
私はそれに小さく頷き、続きを話し始めた。
「すまないが、私では彼を助けることは不可能だった。なぜなら、私はこの地球の人間では無いからだ」
彼女の表情が怪訝そうなものに変わる。証拠を見せねばこれは信じようがないだろうと思い、簡単な魔術を起動させる。分かりやすいように指で操作をしてみるか。
テレビの近くに置いてあったティッシュ箱を浮かせ、ゆっくりとこちらへと持ってくる。テーブルに着地するように操作したのちに、魔術の起動を終えた。
「これは私たちが魔術と呼ぶものだ。地球ではよく魔法と呼ばれる場合が多いようだな。物理現象を自らの力で操る術、あるいは思念を具体化し現象として現す術やその他諸々を含めたもの。それはこの地球上には存在しないものだろう?」
驚愕しながらも、彼女は頷く。
「私はその魔術を専門に扱う魔術師でね。まあ、元居た場所を有り体に異世界と表現すると、私は異世界から地球へと干渉し、自力で転生を果たしたわけだな。つまりは私がこの地球へ渡った時点で、この肉体からは彼の魂魄は剥離していた」
「その……魔術でどうにかなったりかはしないのかしら…?」
「残念ながら不可能だろう。死者の完全な蘇生は魔術を極めた私でさえ侵すことのできない領域にある。死霊術というものを使えば魂魄を呼び出すことは可能かもしれないが、大体は碌なことにならない。死によって一度肉体から離れた魂魄が自我を保ったままでいる、というのは非常に難しいことでな。所詮は仮初めの蘇生にしかならない」
彼女は落胆したような表情を浮かべ、そう、と小さく呟いた。息子を亡くしたのだ。当然、ショックを受けないはずがないだろう。が、彼女は切り替えるように言葉を発した。
「そう、ならもう騒いでも意味がないわ。今後の話をしないとね…。今更にはなるけど、自己紹介をしておくわ。私は里中陽子、歳は今年で36になるわ。太陽の陽に子供の子と書く、よくあるやつね。それで次男は悠といって、13歳になったところ。えーと、悠久とか悠長って言葉に使われる字を書くのね。というか、漢字とかってあなたは普通に分かるのかしら?パソコンも使ってたようだし…」
「ああ、昨日のうちに日本語については大半を理解した。大学受験程度の知識であれば古文と漢文も会得している」
「昨日のうちにって…どう考えてもオーバースペック過ぎない?」
「まあ、魔術師として研究をしているとこれくらいのことはできなくてはならないからな。もっとも、思考加速であったり分離思考などの多重展開については魔術による補助に頼っているが」
「へ、へえ……。それで、あなたはなんという名前なのかしら」
「私か。私はエニルという名を名乗っていた。家名は特にないが、生まれた村の名前を取る場合はウィデア。また、国から贈られたミドルネームのようなものがいくつかあった。まあ、それはどうでもいいのだが。ちなみに歳は122だったな」
私の言葉を聞いて、陽子はポカンとした表情を浮かべた。む、陽子という名前は「ようし」とも読むことができるな。そうなると電子や中性子などが関わってくる話になるが、読み方ひとつで意味が全く変わるというのが日本語の面白いところであり難解なところであると感じるな。…ああ、どうでもいいことを考えてしまったな?
「国からって…お偉いさんだったの?ていうかひゃくにじゅうに?ひゃくにじゅうにって何?」
「まあ、国から色々と依頼を受けることは多かった。それと、122というのは人間としての寿命の限界を最大限に引き延ばした結果だな。結局は寿命が来てしまったため、こうして別の世界の別の身体へと転生を果たしたわけだ。あちらの人族が別段長命なわけではないな。まあ、数百年生きる種族は居るには居るが」
「よく分からないけどすっごいおじいちゃんだってことは分かったわ」
「心外だ」
「さてと。取りあえず、あなたはこのまま一緒に暮らしていくっていうことで構わないかしら?」
「それは私にとってありがたいが……良いのか?」
「ええ、まあ。身体があるから信吾が死んだとは言えないし、急に居なくなっても悠が悲しむと思うから。だから、今後もあなたは信吾のふりをしているといいわ。それにほら、私っておじいちゃんっ子だったから。ご年配の方には厳しくできないのよねー」
「完全にじじい扱いか……まあ別にそれでいいが。あ、そうそう。中学校というものに通ってみたいんだが、それは許可してもらえるだろうか?」
私がそう尋ねると、陽子は僅かながら表情を曇らせた。
「あー……うん。大丈夫なんだけど…」
「何か問題が?」
「うん、ちょっとね…。なんというか、信吾はその……有り体に言うと、引きこもりだったわけ」
「それは承知している。その上で行きたいと考えたのだが」
「ああ、ていうかあなたなら問題とか無さそうね……。信吾が学校に行かなくなった理由を私は正確に知らないけど、恐らくはいじめとかその辺り。だから、あなたが学校に通いだしたらいじめっ子がこぞって群がってくる可能性もあるんだけど…」
「問題ない、撥ね退けよう」
「うん、そうよね…」
「何なら調教しておとなしくさせてもよいな」
「別の意味で心配になってきたわ」
陽子がどこか遠くを見つめるような眼をし始めたので、話題を転換するとしようか。
「ところで、この家で暮らすにあたって私はどこで過ごせばよいのだろうか?」
「え?そりゃあ信吾の部屋じゃない?」
「そう思ったのだが……なんというか申し訳ないと考えてな」
「別に気にしないわ。ああ、エロ本とか隠してあったらどんなのか教えてもらえるかしら?」
そう言いながらニヤニヤと笑う。
「承知した。では部屋を使わせてもらうが、階段を上がって右手の一番奥にある部屋で合っているだろうか?」
「承知しちゃうのね…。うん、そうだけど…確認したの?」
「直接ではないが、魔術で確認はしていた。確信を持てなかったために入りはしていないが」
「それで、徹夜でパソコンを弄ってたわけ?」
「ああ、そうだが……何故悠といいあなたといい、そんなに察しが良いのか…?」
「なんとなくよ、なんとなく。それじゃあまあ、これからよろしくね、おじいちゃん?」
「年寄扱いはやめてほしいものだ。こちらこそ世話になる。」
私はしっかりと深く頭を下げる。陽子はそれを尻目に、階段を上って行った。
…彼女の心理状況を考えると、しばらくはそっとしておかなくてはな。
私はそう考えると、再びデジタルの世界へと没入していった。
お読みいただきめりがとうございます。
次の投稿は9月21日0時になります。




