漂流者
細かい契約の書類作成があるからと店主は一度、彼女達を裏へ連れて行って
そして、机の上に置かれた書類と拾い集めた金貨の入った袋を前にして俺にそう聞く
「…金貨あと三枚はどうするんで?」
…あんだけ、大見得切ったのに
俺の所持金は足りなかったらしい
なんか、雰囲気に誤魔化されてくれないかなーと淡い期待をしたのだがそうはならなかったらしく
どうしようかと考えていると
店主はため息を付き
「大体、値段なんて言い値で吹っかけてるに決まってるんですから」
「…こういう時は、まとめて買うんだから安くしろとか、ゴミを引き取るんだから、こっちが金を貰いたいくらいだとか言うんですぜ?」
そう言って、店主は袋を掴み
そこから金貨を1枚取り出し、俺に放り投げる
「…随分と良心的だな?」
感情に任せて、結構な事言った気がするが…
ハゲだとか…ハゲとかね?
それに店主は苦笑いを返して
「在庫抱えたまんま店も閉められねぇんで、困ってたとこなんですよ」
「…やっと売り手が見つかって良かったで」
ーーこの店に入った時から思っていた
今まで入った店はどれも、鼻を刺す匂いがして
そこに並べられる奴隷たちは衣服すら与えられず
まるで、本当にゴミの様に捨て置かれていたが…
だけど、この店は違った
彼女達は自分で歩く事ができるから鎖に繋がれて質素で最低限ながら衣服を与えられ
出来うる限り清潔にされているから
ーーここは、そんな匂いがしないのだと
そして在庫を抱えたまま店を閉められないというのなら、それをゴミだと嘲るなら
そんなものは簡単で《《捨ててしまえばいい》》
感謝とともに、それを店主に言おうとした瞬間
「…それは口止め料です」
「取り繕ったって、俺は奴隷商人でさぁ」
そして、ふっと息を吐きながら
「最後に忠告しときます」
「漂流者の旦那には分かんねぇと思いますが、この世界で彼女達を人と呼ぶのは茨の道ですぜ?」
ーー漂流者
その言葉に、俺は苦笑いする
この世界では、俺みたいな流れ者…
異世界から来た人間をそう呼ぶらしい
「まぁ…それは重々承知してるよ」
俺がこの世界に来てから、一週間
そんな現実は嫌というほど見てきたのだ
そして、俺はその始まり
異世界へ漂流した日を思い出してしまう
ーー硬い床の感触に気がついた瞬間
完全に、寝過ごしたと思った
時計を見れば既に9時をまわっていて
「ヤバい、やらかしちまった!!」
俺は大慌てで、スマホの着信履歴を確認するが
そこに着信は無く、画面端には「圏外」の2文字
…最悪だった、連絡手段すらない
携帯の料金を払い忘れたのかと
慌ててドアポストの中を探すが、その通知もなく
スーツに着替えビジネスバッグを掴んで
乱暴にドアを開けると
ーーあったのはアスファルトではなく石畳で
それを歩くのはRPGの様な世界から飛び出してきたかのような衣服、何よりも…獣のような耳がある人々がそこを歩いており
「…ここ、何処だ?」
「つーかどういう状況!?」
俺の記憶が正しければ、新居に越して、なかなか寝付けないままタブレット端末で動画を見てて…
多分、そのまま寝落ちた気がする
取り敢えず一度ドアを閉めて、部屋を見渡すと
シンクの上にはカップ麺のゴミ
フローリングの上に敷かれているのは昨日買ったばかりの真新しい布団とちゃぶ台
ーーそれは昨日から住み始めたアパートの一室で
ますます、今の状況が飲み込めなくなる
「…GPSなら圏外でも使えるはず!」
スマホのマップを開くと地名はまったく見覚えがない〈モーリスタ〉と表示されており
…全然意味が分からない
知らない地名が表示されている事もだが
表示される縮尺を限界まで遠くしても
そこにあるのは見慣れた世界地図ではなくて
「てか、それ表示できるってどういう事…」
流石、グー○ル先生
ワールドワイドだとは思っていたが
それは俺の想像を遥かに超えていたらしい
そして、それを信じるとするならば…
「ここは俺の知ってる世界じゃないって事?」
そんな突拍子のない話でも
先ほど見た、獣耳のある住人たちを見てしまえば
現実味を帯びていて
…この物件を契約した時に言われはした
「駅とか色々近いですよ」って
そして、その近さにも関わらず破格の家賃であり
不動屋は重要事項説明で言っていたのは
「…出るって話なんで」
正直、そんなのどうでも良く
幽霊が出るよりも怖いことなんてこの世に一杯あるし、家にいる時間もあまり無いのだからと
軽はずみにそれを契約してしまって
考えてみたら、確かに言われている気もするが…
誰だってそれを「異世界」が近くて「現実世界」から出ちゃう事だと思わなくて
「どうやって出社しよう…」
今日は、幾度となく面接に出向いて
やっと手にした正社員の仕事の初出勤日
俺の心機一転の新生活
それは、出鼻を挫かれる様に予期せぬ形の始まりを迎える事となったーー
「後は、旦那の名前を書いてもらえりゃ契約はおしまいです」
彼が差し出したのは三枚の契約書
「シロナ」「リーフィア」「ニナ」を買う為の書類であり、俺は机の上の万年筆を手に取る
その署名欄にそれを記入し
店主はそれを確かめて聞く
「…こりゃなんて読むんですかい?」
「│橘 綾人」
「アヤトさんね」
「…今後もご贔屓に」
それを言って店主は苦笑する
「いけねぇや、つい癖で言っちまった」
そういえば、彼は店を閉めると言っていたか?
「…結局、俺にはアンタの言うアイドルが何だかわかりゃせんでした」
そして真剣な目をして
「アンタは、諦めねぇんですね?」
「…俺は彼女達をアイドルにするよ」
それを聞いた店主は袋から金貨をもう一枚撮りだして俺に放り投げる
「…これは?」
「餞別でさあ」
「食うに困って、飢え死にされたらこっちの寝目覚めが悪いもんで」
「ありがたく受け取っとくよ…えっと」
そういえば、彼の名前を聞いていなかった
「俺はニールで」
「彼女達はもう外に居ますよ」
「…ありがとな、ニールさん」
最後に、それを思い出したようにニールは
「聞くまでもねぇとは思いやすが、隷紋は?」
隷属を示し所有物を表す彼女に刻まれた烙印
その焼き印を思い出して
「そんなもん、要らねぇよ」
「…左様ですかい」
ーーその言葉を聞いて
ニールは少しだけ昔を思い出してしまう
かつてのモーリスタ
そこで奴隷商人を始めたばかりの若き日の自分も
隷紋も、鎖すら必要ないとそう言って
人と接するように扱って
それでもそうやって扱った
奴隷たちにすら偽善だと馬鹿にされながら
気が付けば、こんな場末に追いやられて
ニールは諦めてしまった
所詮、奴隷は奴隷で商品に過ぎないと
そうで無ければこの世界で生きていけないと
だから、彼のそれは若気の至りかも知れず
世間も世界も何一つ知らない故の
そんな、戯言で綺麗事かも知れないが…
「…ご健闘をお祈りしときます」
ニールのその言葉に
アヤトは手を振って答えてドアを出た