第四話 本当の名前
*
「サオリだ」と元助は言った。
「花が咲くに織斗と同じ織物の織で咲織。それが両親がつけた、あの子の本当の名前だ」
「でも爺ちゃん、何も言わなかったじゃん。サキって普通に呼んでたし」
「言えなかった。名前を変えるほど神木を恨んでいると思ったら、それ以上あの子に近づくことが出来なくなった」
「それで、咲ちゃんはますます何も言えなくなったのね」
頬杖をつきながら黙って話を聞いていた姫未が言った。
織斗はそちらに目線をやる。
「私が見る限り、咲ちゃんは元助や織斗に恨みを持ってる感じじゃなかったわ。期待してたんじゃない? この家の人は自分を暖かく迎え入れてくれるかもって」
「どういう事ですか?」
「自分を虐待したのは親戚であって、本家の祖父や兄はそんなこと指示してない、虐待の事実を知らないかも。そう期待を込めてここに来た。だけど実際話してみれば、病気で預けたなんて嘘つかれるわけだし?」
「それは……」
「その嘘で、咲ちゃんは元助が全てを知っていたことを理解した。そして織斗、あんたは当主としての自覚なさすぎ、無知すぎ。何も知らされてなかったとはいえ、封印は解いたわけでしょ? だったらあんたが神木のリーダー、当主なのよ」
姫未の言葉に胸が痛くなった織斗だが、返す言葉がなかった。
当主と言われても、そうなったのはつい最近、一ヶ月前までは何も知らない普通の高校生だった。自覚と言われても、面倒くさい事は嫌いと避けるように生きてきたのに……
「逃げちゃいけない時なんだな、今が」
小さい頃、よくわがままを言っていた。
妹に会いたい、と。
結奈がいるだろうと宥められたが納得できず、「じゃあ、妹が欲しい」と言い換えると笑われた。
「本当にいるから! 俺の妹が!」
なぜか、そう信じて疑わなかった。
そして現実に今、咲が会いに来てくれたのに。
「迎えに行ってくる」
立ち上がってリビングを飛び出す織斗の背中を、姫未と元助は黙って見送った。
やがて元助が立ち上がり、出口へ向かう。
「どこ行くの?」
姫未の言葉に、元助は振り向かないまま答える。
「書斎に、記録書がありますので」
「……咲ちゃんが読んでたやつね、この家にきてからずっと」
「隠しておこうかと迷ったのですが……十五年も経てば人は変わりますね。孫というのは可愛いもので……今はただ、十五年前に戻りたいです」
パタンとドアを閉めて書斎に向かう元助。
残された姫未はため息をつき、天井を見上げた。
「簡単に戻れるわけないでしょ、過去になんて……それが出来るなら、人間世界はとっくに終わってる」
*
家を飛び出した織斗は、再び街を走り回った。人通りの多い場所には見当たらない。
なんとなく思いつき、街の丘公園へ向かう。その階段を登る途中で、織斗はようやく足を止めた。
「なぁ、咲知らね?」
階段上にはあやめが居た。じっと織斗を見下ろし、しばらくしてすいっと視線を外す。
「当主様から伝言を預かっています」
「伝言?」
「お前の妹、しばらく緋真で預かるから。とのことです」
「……は?」
「では、伝えました」
一方的に会話を終え、織斗の横を通り抜けようとするあやめ。
「え、いや、ちょっと待て!」
しかしすれ違いざま、織斗はあやめの腕を掴んで引き留めた。
「預かるってどういうことだよ、なんで」
「あなたが無知だからじゃないですか? ちなみにこの家出、あなたの妹が言い出したことなので」
「咲が? なんで……しかもよりによって緋真に」
「落ち着いた方がいいですよ、お互いに。当主様は優しい方です。知っていますよね?」
「知ってるよ! 広は頭いいし、空気読めるし、咲も……広の方が話しやすくていいって、言ってたし」
「? そんなことはないでしょう、詳しくは知りませんが」
「だって、それならなんで緋真に……」
「あなたのもとへ帰るためでしょう?」
ざぁっと風が吹いて、あやめの髪が揺れた。艶やかな黒髪と、同じ色をした綺麗な瞳。
「でも、咲は俺の妹で……」
「今まで存在すら知らなかったのに? 十五年も離れていたのでしょう、少しの間くらい我慢してください」
「十五年も離れてたから! 一日でも長く取り戻したいんだよ!」
「一時的な感情で、残りの人生を蔑ろにしないでください。突発的な一瞬の感情で人は暴言を吐く、その一言で絶縁してしまう友もいる。だったらその言葉を口にする前に、取り返しのつかないことになる前に、少しの時間を考えるために使ったらどうですか?」
「…………」
目線をそらしたのは、織斗から。返す言葉が見つからず、うつむいてあやめの手を離す。
「大丈夫ですよ、あなたは当主様のお友達ですから」
「は?」
「私はあなたのことはよく知りません。だけど、当主様が家憲に逆らってまで友でいたいと思った相手だから。きっとあなたはいい人で、正しい未来を選択できる人なんでしょう」
「今の俺は、そんなこと……」
「……喋りすぎました、喉が痛くなりそうです」
ふぅーっと息を吐き、あやめが階段を一つ降りる。次の一歩を踏み出す前に、振り返ったあやめが織斗に声をかける。
「まぁ、せいぜい、頑張ってください」
それだけ言うともう振り返らず、あやめは階段を降りて夜の闇に消えて行った。
「……口悪いな、マジで……助言ならもっと、優しい言葉使えよ」
一人、階段に残された織斗は手のひらで顔を覆った。
「優しいな、緋真のやつら……広の家族は」
再度ため息をつき、織斗もまた、踵を返して歩き出す。
一応…名前にについて元助と広が「?」な反応してます。↓
p20「第三話 帰ってきた妹とヒロイン」
p29「第四話 神木の妹と緋真の長男」
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