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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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12/15

漏れ始める現実

西暦××××年××月××日 首相官邸地下 危機管理センター


「オーストラリア側が、先に動き始めています」


調整官の声は低い。報告というより、確認に近い。


「どう動いた」


「断定はしていません。"可能性"という枠から出ていません。ただ」


「ただ」


「日本側が説明していない理由を、向こうなりに整理し始めています」


沈黙。


否定は出なかった。反論もない。否定できなかった。


オーストラリアは、日本のエネルギー供給を理想論では見ていない。数字で見ている。取引量。契約の厚み。物流の距離。代替可能性。そして、日本が「止まれない国」であることを理解している。


だから、「知らない」とは言えない立場にある。


「説明は、世界に向けたものではありません」調整官が続ける。「内向きです。自国向けです。"日本で何が起きているか"を暴こうとしているわけではない。"日本が沈黙している状況で、我々はどう理解すべきか"、その問いに答えるための説明です」


「記事の内容は」


「穏やかです。刺激的な表現はない。危機という単語も使わない。"供給網の一部に不透明性"、"日本側の評価作業が進行中"、"民間レベルでの確認の広がり"。どれも官邸がまだ口にしていない言葉ですが、どれも事実を踏み外してはいません」


「官邸は反論できるか」


「……できません。反論するには、まず公式の説明を完成させなければならない。だが、その説明は、まだ途中です」


「向こうは、日本を批判しているか」


「していません。むしろ、かなり好意的です。"沈黙は慎重さだ"という解釈をしています」


その言葉が、かえって重かった。官邸が言えない言葉を、官邸の外で、善意で代弁されている。しかもそれが、日本国内ではなくオーストラリア発だ。


「止められるか?」誰かが、小さく聞いた。


調整官は首を横に振る。「止める理由がありません。不正確でもない。違法でもない。悪意もない。ただ、官邸より先に語られている。それだけです」


────


柳田美玲が続けた。「SNSの状況も変わってきています。オーストラリア発の情報を参照した投稿が増えています。"外国のメディアはすでに動いている"という論調が出始めている。官邸が何も言わないことへの不満が、形になりかけています」


「どの程度の広がりか」


「まだ主流ではありません。ただし拡大が速い。今日明日で止まる動きではないと思います」


「テレビは」


「まだ大きくは扱っていません。ただし担当者レベルでは情報を集めているようです。オーストラリア発の情報が国内メディアに届く前に、官邸側の説明を整理する必要があります」


「整理する時間は」


「二日から三日。それ以上は難しいと思います」


黒崎は少し間を置いた。「分かった。今日は動かない。だが明日の朝一番で方針を出す」


────


同日 経済産業省 局長室


局長は、机の上の数字を見ていた。


原油備蓄。LNG在庫。石炭。今日の数字は問題ない。明日の数字も問題ない。一週間後の数字も、計算上は問題ない。


問題なのは、その先だった。


「輸入が止まった場合、どこまで持つか」


そういう計算を、これまでしてこなかった。する必要がなかったからだ。輸入は止まらない。それが前提だった。前提が壊れた。ならば、計算しなければならない。


「最悪を想定した場合の備蓄期間は」


担当者が数字を出した。「現在の消費ペースで、おおよそ九十日から百二十日です。ただし、節電・節約を徹底した場合は最大百八十日まで延長できます」


百八十日。半年。


「その間に、新たな供給源を見つけられなければ」


「……現実的ではありません」


局長は数字から目を上げた。「オーストラリアは」


「資源国です。LNG、石炭、鉄鉱石。日本の主要輸入相手国の一つです。この惑星にオーストラリアが存在するなら、理論上は供給継続の可能性があります」


「理論上は」


「ただし、向こうの状況が分かりません。オーストラリア側も混乱しているはずです。需給バランスが成立するかどうかは」


「分からない」


「はい」


局長はしばらく沈黙した。


報告書を書き始めた。表題は「現状把握のための整理」。決裁欄は空欄だ。誰にも判断を求めていない形にする。


ただ、「見てほしい」という伝え方だった。


命令ではない。要求でもない。


だが、見てしまった者は、知らないふりができなくなる。


────


同日 経産省廊下


担当者の一人が、報告書を抱えて廊下を歩いていた。


書いた内容の重さを、自分でも分かっている。これを官邸に上げれば、何かが動き始める。動き始めれば、止められなくなる可能性がある。


だが書かないわけにもいかない。事実は事実だ。現実は現実だ。見てしまったものを、書かなかったことにはできない。


書いて、上げて、見てもらう。それだけだ。その先の判断は、自分には関係ない。


そう思い定めて、廊下を歩いた。


────


同日 民間 各所


港湾会社の担当者が、海外のエネルギー企業にメッセージを送った。


「次回船便について、念のため現状確認をお願いします」


それだけだ。命令ではない。抗議でもない。ただの確認。だが、そのメッセージは、これまでとは違う意味を持っていた。「本当に来るのか」を問いかけたことが、初めての違和感だった。


これまで、そんな問いを立てる必要がなかった。船は来るものだった。燃料は届くものだった。


大学の研究室では、エネルギー政策の准教授がメモを書いた。論文ではない。誰に出すでもない、内部用の覚え書き。「世界が繋がっているという前提が崩れた場合の、資源供給の持続可能性について」


整理されていない。だが、捨てられない。


エネルギー企業の社員が、給湯室でぽつりと言った。「うち、輸入前提で全部組んでるよな」


誰も笑わなかった。「国内だけで回す想定、何年もしてない」「……確認だけでも、した方がいいんじゃない」


それは命令ではなかった。提案ですらない。ただの、自己防衛だった。


────


官邸が「決断」を保留している間に、現場は「確認」を始めていた。


勝手に。静かに。責任の所在を曖昧にしたまま。


誰かが踏み出した一歩は、小さすぎて責任を問えない。だが、同じ一歩が各地で同時に踏み出されると、それは流れになる。


流れは、政策よりも速い。


官邸は、まだ何も決めていない。だが、世界はもう「確認され始めていた」。


次に問われるのは「何が起きているか」ではない。「いつまで決めないでいられるか」だった。


────


同日 夜 官邸地下廊下


相馬は廊下で立ち止まった。


別の惑星。輸入依存。断れない提案。


それらが頭の中で一本の線に繋がった瞬間、背筋が冷えた。


別の惑星にいる。だとすれば、日本はどうなるのか。食料は。エネルギーは。資源は。日本は国内で完結できない国だ。それはあの朝より前から変わらない事実だった。だが、あの朝より前は「世界と繋がっている」という前提が、その事実を支えていた。


前提が崩れた。


今日の経産省の報告書が、その現実を数字で示した。九十日から百八十日。その期間の間に、新たな供給源を見つけなければ、国家が機能しなくなる。


オーストラリアが北にいる。


それは脅威ではなかった。むしろ、今この状況においては、選択肢の存在を意味する。選択肢があるということは、まだ動ける。


「急ぐな。だが、止まるな」


黒崎の言葉を、相馬は廊下で繰り返した。


止まれない。止まれば、百八十日後に答えが出る。答えが出てからでは、遅い。


廊下の蛍光灯がいつも通りに唸っていた。あの朝からずっと、そうだった。

◆日本の一次エネルギー自給率

日本は石油・天然ガス・石炭などの一次エネルギーの約90%を輸入に依存している。あの朝以前の数字だが、これは「世界と繋がっている」ことを前提に成立していた構造だ。あの朝以降、その前提がなくなった。


◆「急かさない」圧力

オーストラリア側の外交姿勢の核心。期限を切らず、要求せず、ただ「準備はできている」と待ち続ける。相手の弱点(日本の輸入依存)を正確に理解した上で静かに待つことで、相手を自発的に動かす。最も強い圧力は、声を上げない圧力だ。


◆「逆輸入」される説明

官邸が沈黙している間に、外側で組み立てられた説明が国内に戻ってくる現象。誰かが意図して流したわけでも、情報漏洩でもない。ただ、説明が存在しないという状態が続いた結果として、外側で自然に生まれた説明が内側に戻ってくる。

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