第六話 新たな人生のスタート
寝起きの感覚がいつもと違う事に気付いたのは俺の隣で妹の瑠璃が眠っていたからだ。
いつもであればちょっとした物音でも起きてしまう俺が隣に瑠璃がいることに気付かずに熟睡していたのは飲みなれない酒を飲んだせいだろう。そうでなければ眠っている間も手足をよく動かしている瑠璃が隣にいるのに寝ていられるはずがないのだ。
なぜ一緒に寝ていたのかわからないが、こうして一緒に寝るのなんて瑠璃が幼稚園の時以来のように思えて懐かしい気持ちになっていた。
それにしても、寝相が良くないのか瑠璃はまるで起きているのじゃないかと思ってしまうくらい手足を激しく動かしていた。
「え、なんで兄貴がいるの?」
実は寝たふりをしていたのであんなに手足をバタバタさせていたと言われても納得してしまうくらい瑠璃は寝起きが良いみたいだ。あんなに動いていたのだから目が覚めるのも一瞬なんだろうなと思ったけれど、瑠璃が疑問に思っていることは俺も同じように疑問に感じているのだ。どうして俺のベッドで瑠璃が寝ていたのか知りたい。
「なんでって、お前が俺のベッドに潜り込んだんだろ」
「そんなわけないでしょ。いくら何でもそんなことするわけな……い。うそでしょ」
寝起きでもちゃんと頭が動いている瑠璃は自分の置かれている状況を一瞬で判断したようだ。ここが自分の部屋ではなく俺の部屋だという事に気付いた瑠璃は俺と目を合わすことなく出ていこうとしていた。
「ちょっと、そのまま出ていくのか?」
「何? 何か言いたいことでもあるの?」
「ズボンくらいはいていけ」
瑠璃はそのまま視線を足元へ向けると自分の格好にようやく気付いた。もう一度布団の中へ戻ると少しだけ時間をおいてパジャマのズボンをはいた状態で出てきた。
「バカ兄貴。変態。エッチ」
そう言い残して瑠璃は俺の部屋を出ていった。
なぜ俺がそんな事を言われなくてはいけないのかと思っていたが、こうして一緒に過ごす時間もそんなに残されていないんだという事を考えてしまっていた。
瑠璃に言われて必要最低限だけの荷物をまとめた結果、俺の荷物は段ボール三箱分で済んでしまった。十年以上引きこもっていた俺に持っていくようなモノなんてほとんどないと思うと喜んでいいのか悲しんだ方がいいのかわからなくなってしまった。
引っ越し業者を頼むまでもない荷物は後で親が送ってくれることになったのだが、送り届ける先の住所を見て瑠璃の職場の近くだという事が判明したのだ。俺の職場と瑠璃の職場が近いのなら昨日みたいに一緒にご飯を食べに行く機会もあったりするかもしれないなと思いつつ、次からは酒を飲まないようにしようと心に誓ったのだ。
「あのさ、兄貴の荷物の届け先って私が住む寮の近くなんだけど、兄貴っていったい何の仕事をするの?」
「さあ、俺もよくわかってないんだよね。シスターが一緒に働けるって言ってたから、教会で何か雑務でも任されるんじゃないかな。ちゃんとした仕事だと思うよ」
「嘘でしょ。自分が何をするかも知らないって大丈夫なの? 兄貴はもう少し考えてから行動した方がいいと思うよ」
瑠璃のいう事はもっともだと思う。俺も何も知らないで働くというのは不安で仕方ない。が、そんな事を言っているような立場ではないのだ。
さすがに俺の両親は何か詳しいことを聞いていると思うのだ。それでも俺を引き留めようとはしないという事は怪しい仕事ではないという事だろう。俺よりも人を見る目は確かだと思うので安心してはいるけれど、瑠璃が不安そうな顔をしていると俺まで少し不安になってしまう。
「まあ、兄貴が困ったら私を呼んでくれていいからね。住所が近いって事は寮も近いって事だろうし、遠慮なんてしなくていいからね」
「ありがとう。妹だけど頼りにしてるよ」
「うん、頼りにして」
電車に揺られたどり着いた目的地の駅は外に出るとベンチに座っていた少女が俺の方へ手を振りながら駆け寄ってきた。
「そろそろつくんじゃないかなって思って待ってましたよ。どこかより対場所とかあればそちらに行きますけど、お兄さんはどこか行きたい場所有りますか?」
「特に行きたい場所とかはないけど、わざわざ迎えにきてくれたの?」
「当然ですよ。私がお兄さんをスカウトしたんですからそれくらいしますよ。寮まで少し歩くんですけど、そのついでにこの辺の事も紹介しますね。どこか行きたい店とかあったらいつでも私を誘ってくれていいんですからね」
人懐っこい少女に何となく小さかった頃の瑠璃と重なって見えた。この子はきっと瑠璃に負けず劣らず優秀な子なんだろうなというのが言動の端々に見えていた。俺の人を見る目なんて大したものではないと思うが、この少女に関しては間違っていないと自信を持って言える。はずだ。
「寄り道しなかったからあっという間についちゃいましたね。お兄さんってあんまり外で遊ぶの好きじゃない方ですか?」
「好きとか嫌いって言えるほど遊んだことが無かったからね。逆に、君が行きたい場所とかあったら誘ってもらえると嬉しいかも」
「言いましたね。その言葉忘れたら怒りますからね。そろそろお兄さんが住む寮に着きますよ。気に入ってもらえるといいんですけど」
俺の目の前に現れたのは実家よりも大きい平屋の家だった。実家の土地が余裕で入りそうなくらい広い家に戸惑っていたところ、少女はそのまま玄関扉を開けて中へと入っていった。
少女の後について俺も中へ入ったのだが、まっすぐ伸びている廊下だけでも俺の家よりも広いように見えてしまっていた。長く伸びる廊下の割には部屋数が少ないようにも思えるのだが、それは一部屋一部屋が広いという事を意味しているのかもしれない。
「ココはお兄さんのために建てた寮ですから好きなように使ってくれていいですからね。部屋が余ったら教えてくださいね」
「俺のために建てたって本当なの?」
「本当ですよ。職員寮は別にあるんですけど、そこって女性専用だからお兄さんをいれるわけにはいかなかったんですよ」
「そういう事なのね。でも、こんなに大きい家なんて使いきれないよ」
「大丈夫ですよ。お兄さんが使わない部屋は私が使いますし、お兄さんのお仕事の場としても使用しますからね」
俺が使わない部屋を使うとか言っているけど、そんなことが可能なのだろうか。これだけ大きい家ならば空いている部屋もたくさんあるんだろうけど、一つ屋根の下で暮らすという事に抵抗がないのだろうか。
それ以前に、俺は何の仕事をすればいいのかも知らされていないのだ。
「ところで、俺っていったい何をすればいいの?」
「そんなの簡単ですよ。お兄さんは私たちの相談に乗ってくれたらいいんです。私たちの悩みを聞いてくれるだけでいいんですよ」
「お悩み相談的な感じって事?」
「そんな感じですね。期待してますからね」