その先にあるもの⑥ 今日の天気は恋模様
約束の日曜日になった。3月上旬のこの日はまだ肌寒かった。天気は良く、快晴だった。昨晩は緊張してあまり眠れなかった。約束の時間には随分と早かったが、僕は9時30分には公園の入り口に着いていた。(緊張するな)と僕は思った。さっきから腕時計ばかり見ている。そんなことをしても時間が早く過ぎるわけではないのに、じっとしていられなかった。(先生まだかな?)僕はさっきから数十回は見ている腕時計をまた見たとき、赤色の車が走ってきて僕の前で停まった。
「桧室君。早く乗って。」
先生が僕を急かして言った。僕は慌てて助手席に乗り込んだ。僕が乗って、シートベルトをしたのを確認すると先生は車を発車させた。先生はしばらく無言で車を走らせていた。僕もその雰囲気にのまれて黙っていた。
「ここまで来れば大丈夫ね。ごめんね。誰かに見られるとちょっとまずいかなと思ったの。」
先生がようやく口を開いた。
「桧室君。どこか行きたいところある?」
「うーん。特に考えていなかったです。どこか先生のおススメの場所ってありますか?」
「そうね。そしたら私がよく1人でドライブに行くところでいいかしら?」
「どこですか?」
「少し遠いけど海なの。休みの日とか、その海を見に行くの。特に何をするってわけじゃないんだけど、ただゆっくりと海を眺めているの。」
「いいですね。そこに行きましょう。」
先生とのドライブが始まった。僕は先生とデートしているみたいで嬉しかった。車の中では、『大学に行ったら何をしたいのか?』といったような話をしていた。先生の大学時代の話も聞かせてくれた。話が弾んでとても楽しい時間を過ごした。だいたい2時間ぐらいドライブをしていて、目的地に到着した。先生は駐車場に車を停めた。夏場になると、海水浴客でいっぱいになるそうだが、今はシーズンオフで釣り客がちらほらといる程度だった。波の音が心地よく響き、静かで落ち着いた良い場所だと僕は思った。
「この近くに、おいしい海鮮丼のお店があるからお昼はそこで食べよっか。」
10分ほど風景を楽しみながら歩いて、その店に着いた。
「いらっしゃいませ。あら、享子ちゃんじゃない。久しぶりね。元気にしてた?」
店のおかみさんが言った。
「おかみさん、お久しぶり。元気にしてたわよ。今日は海鮮丼を2つお願い。」
僕たちは海の見える席に座った。いい景色だった。
「私、この店の常連なの。おかみさんや大将に覚えてもらってるから。」
先生は笑ってそう言った。
「そうなんですか。」
さっきから、おかみさんが僕の方をチラチラ見ているのが分かった。いったい、僕はどのように見られているのだろうかと思った。
「享子ちゃん。今日は彼氏と一緒なの?」
おかみさんが聞いた。
「そう見えます?」
先生はそう言って笑ってはぐらかした。そしておかみさんが海鮮丼を持ってきてくれた。海鮮丼と、みそ汁とお新香のセットだった。
「いただきます。」
僕と先生は海鮮丼を食べ始めた。ウニにイクラ、エビ、マグロ、イカ、サーモンなどが贅沢に盛られていて、とても豪華だった。
「どう、おいしいでしょう?」
「はい、とてもおいしいです。」
海鮮丼は本当においしかった。こんなおいしい昼食を食べるのは初めてかもしれないと思った。食べ終わると、
「おかみさん。ごちそうさま。相変わらずおいしかったわ。」
先生はそう言って財布を出しお金を払った。僕も慌てて財布をだしたが、
「いいわよ。ここは私が出すから。」
「すみません。ごちそうさまでした。」
僕は素直にごちそうになった。僕と先生は店を出た。そして、海の匂いのする道を歩き出した。ここは漁港にもなっていて船着き場には何艘もの漁船が係留されていた。
「向こうの方に波止場があるの。そこで、何も考えずに海を眺めているのが好きなの。」
歩きながら先生が言った。
「じゃあ、そこに行きましょう。」
僕は先生が好きな場所に一緒に行ってみたいと思って言った。ゆっくりと、漁港の街並みを見物しながら歩いて、先生の言っていた波止場に着いた。波止場には数人の釣り客がいた。
釣り客の後ろを通り過ぎて、僕と先生は波止場の奥の方まで来た。この辺りには、もう釣り客はいなかった。
「ちょっと座ろうか。」
先生はそう言って波止場のコンクリートに足を投げ出すように座った。僕も同じように先生の隣に座った。先生は黙って遠くの海を見ていた。僕は、先生が何か言うまで邪魔をしてはいけないと思って黙って待っていた。波の音だけが僕たちの間に響いていた。
「この間の返事をしなくちゃね。」
かなりの時間が経ってから先生が言った。その目は海を見つめたままだった。
「私なりに自分に正直になって真剣に考えてみたの。」
先生は一言一言、言葉を紡ぎだすように言った。僕は何も口を挟まず聞いていた。
「そしたら、このまま桧室君と離れ離れになってしまうのは嫌だなって思っている自分に気づいたの。」
そういって先生はいったん言葉を止めた。再び僕たちの間に沈黙が訪れた。先生は、どういっていいか考えているようだった。僕はまた先生の次の言葉を待った。
「それでね、これから先、桧室君とどうやったらまた一緒にいられるのか考えたんだけど、なかなか結論が出なかったんだ。何かごめんね。私、何言ってるかわからないよね。」
先生が今度は僕の方を見て言った。
「いえ、僕と離れ離れになるのは嫌だと言ってくれました。それがとても嬉しいです。」
僕も先生の方を見て言った。
「考えれば考えるほど、私、どうしたらいいのか分からなくなって・・・。」
そこまで言うと先生の目から涙が溢れていた。気が付いたら僕は先生を抱きしめていた。先生は拒まず、僕に身を預けてきた。
「先生、ごめんなさい。僕、先生のことを泣かせてしまいました。でも、これからも先生と会えるんですよね?」
僕は先生を抱きしめながら言った。
「でもいいの?私、桧室君より10歳も年上なのよ。桧室君は私なんかより、同年代の女の子と付き合った方がいいわ。」
僕の腕の中で先生が弱々た。すると、先生はまた泣き出した。先生はしばらく僕の腕の中で泣いていたが、徐々に泣き止み、顔を上げ、
「信じていいのね。」
と言った。
「はい。信じてください。僕はもう、先生のことを離しませんから。」
僕は先生の目を見つめて言った。
「ふふふ。ありがとう。」
そう言って、先生も僕の目を見つめてきた。お互いに見つめ合っているうちに、どちらともなく目を閉じ、2つの影が1つになった。幸せだった。どのくらいキスしていただろうか?先生の方から唇を離して、
「あーあ、教え子とキスしちゃった。」
と言って恥ずかしそうに笑った。
「改めてお願いします。僕とお付き合いしてくれますか?」
「こんな私でよかったらよろしくお願いします。」
先生は言った。その顔にもう迷いはないように僕には見えた。
「あんまり遅くならないうちに今日は帰ろっか。」
「ええ、もうちょっと一緒にいたいな。」
「これから、ずっと一緒でしょ。」
「それもそうですね。」
僕たちは立ち上がって、元来た道を戻り始めた。
「先生、手をつないでいいですか?」
「いいわよ。で、その先生っていうのをやめようか。」
「うーん。でも、先生は先生だから。じゃあ、享子先生って呼んでいいですか?」
「仕方ないわね。でも、いずれ名前だけで呼んでね。」
僕たちは手を繋いで歩き出した。記念すべき一歩だった。僕たちにとって今日の天気は恋模様だった。
〈完〉




