第三章 売買(バイバイ)
時間商人とのやり取りに もはや恐怖を微塵も感じなくなった恵梨華は一時間、また一時間と売っていくのであった。
「……恵梨華さぁ、なんだか雰囲気変わったよね」
前の席の由美子は寂しそうに口をこぼす。
「え~? そう? 全然変わってないよ~」
恵梨華は由美子の話を半ば適当に聞いていた。
「そうだよ、だってバッグとか服とかもブランドものばっかりだし なんだか前より金遣い荒くなったきがする」
時間商人と二度目の取引をしてから、恵梨華は”時間を売る”ことへの恐怖心は全くなくなってしまい、欲しいモノがあったらすぐ買い、お金がなくなれば取引をする生活を続けていた。
「ん~そう? 欲しいモノがあったら欲しいし、買いたいものがあったら買うのが普通じゃない?? 」
恵梨華には余裕がある。なぜならば好きな時に、いつでも時間商人と取引をしてお金を手に入れることができるからである。
「恵梨華、あれからまた時間商人と取引したの……? 」
「してるけど、それが何?? 」
心配層に尋ねる由美子に対し、恵梨華はさも当然の如く答える。
「ねえ、もうそんなバカな事やめたほうがいいって……だって寿命を売ってるんだよ? 」
由美子の”バカな”という発言に対し、恵梨華はイラつきを覚えた。
「何? あたしがバカだって言いたいの? 」
恵梨華のトゲのある言い方が由美子に刺さる。
「ち、違うけど……でも、」
「でも何なのよ」
予想外の反応に対し、由美子は萎縮してしまった。しかし恵梨華はお構いなしに話し続ける。
「あたしがバカだって言うけど、あたしだってちゃんと考えて取引してるんだよ? あたしはまだ二十時間しか取引してない。いい? 一日も経ってないの 何十年先の寿命が一日早まるくらい大したことないじゃん」
恵梨華にとって遠い未来のことよりも目の前の今を生きることのほうが大切であり、さらに言えば時間よりもお金の方が大切であった。お金があれば好きなことができる。恵梨華はそう思っていたのだ。
「でもっ……」
「ああもう! 何なのよ! いちいち口出ししてきてさ、邪魔しないでよ!! 」
恵梨華はイラつきのあまり、由美子に怒鳴ってしまった。それまで、騒がしかった教室の中がしんと静まり返ったのが感じられた。皆の痛いほどの視線が二人に注がれる。
「私は、恵梨華のことを思って……! 」
由美子は涙を目に浮かべながら恵梨華に負けじと必死で訴えようとした。だが、
「あたしのことを思うなら、もう何も言わないで」
非常にも由美子の思いは届かず、恵梨華は冷ややかにそう言い放ち教室を出ていってしまった。気まずい雰囲気が教室の中を取り巻いていた。由美子は追いかけることができず、立ち尽くしたままだった。
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「なんでわかってくれないのかな……」
恵梨華はトイレで鏡に映る自分の顔を見つめながら呟く。正直、由美子に対して怒りをぶつけてしまった自分に驚きを感じていた。自分のことを心配してくれているのはわかっている。だが、恵梨華は由美子にも自分の気持ちをわかってほしいと思っていた。
十万円という大金がこんな簡単にも手に入るという喜びとリスクの低さを。
「流石に言いすぎたかな……由美子ちゃんに謝りに行こう」
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恵梨華はその後、教室に戻ってきた。クラスの皆は一連の出来事で恵梨華に対し、どう接していいか分からず腫れ物に触るような扱いであった。
その後は淡々と一日が過ぎてゆく。恵梨華は自分から怒ってしまった手前、謝ろうと思ってもどう声を掛ていいか分からずにいた。由美子も由美子で、先程の彼女が初めて見せた態度に完全に動揺してしまっていた。
結局二人はその後、会話をすることがなくそれぞれ学校をあとにしたのだった。
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「ただいま……」
恵梨華は元気なくそう言って、自宅のドアをゆっくりと開ける。目の前には母が立っていた。
「おかえり、少し話があるの」
母のあとについていき、リビングに入る。普段食事をとるために使うテーブルで向かい合う形で椅子に座った。臀部がひんやりと冷たくなっていくのを感じる。外では雨が降っているのだろう。静かなリビングに時計の音と雨が地面を叩きつける音が響く。
「……で、話って何? 」
嫌な沈黙を破り、恵梨華は向かい合う母の目を見つめながらそう尋ねる。
「恵梨華、あなた最近高そうなカバンを持ち歩いたり、高そうな服を着たりしているけど……一体どうやって手に入れたの? 」
母の問いは当然といえば当然であった。恵梨華に普段与えているお小遣いの金額では、到底買えないようなモノを娘がたくさん持っているのだ。ではそれを購入するためのお金はどこから出てくるのか。
「あぁ……アレは、色々あったんだよ」
「色々って何? あんたもしかして……援交とかしてるんじゃないだろうね? 」
「はぁ!? そんなバカなことするわけないじゃん! 」
恵梨華は予想外の一言に思わず声を荒げてしまった。
「じゃあどうしてあんなものが家にあるの!? 誰かに貰ったの?? 」
「それは……」
とっさのことで恵梨華は対応出来ずにいた。時間商人の事を母に話したところで、きっと信じてもらえないだろう。どうやって説明すればいいというのだ?寿命を売ってますなんて言えるわけがない。
「……なにか危ないことに首を突っ込んでるの? 」
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ何でなの? 説明しなさい! 」
恵 梨華はうまい言い訳が思いつかない自分と、納得のいく答えを求めようとする母に徐々にイライラし始めていた。
「私はね……あなたのことが心配なの、だから……」
”心配”という言葉が奇しくも由美子とのことを思い出させ、恵梨華の怒りを助長したのだった。
「……もう皆なんなのよ!! 何でそんなにあたしの事を認めてくれないの!? あたしのことを思ってるなら、あたしのしたいようにさせてよ!! あたしだっていろいろ考えて行動してるんだよ! 分かってよ!! 」
「恵梨華! どこに行くの!! 恵梨華!!! 」
恵梨華は怒りの感情を剥き出しにし母の制止を遮って自宅を飛び出してしまった。
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降りしきる雨が一人傘もささず歩く恵梨華を包む。まるで傷付いた心をそっと抱きしめるように。
水で重くなったスニーカーで地面を踏むと”ジャブ”と奇妙な音がする。恵梨華が歩くたびに一定の間隔を開けてなるその音が恵梨華には妙に気持ちよかった。泥で汚れてしまったスニーカーを眺めながら歩く。
「お嬢さん 時間を売りませんか」
視線を上げると、目の前にはあの男が立っていた。いつからいたのだろうか、全く気がつかなかった。
「あんたのせいで、あたしの周りはメチャクチャよ。」
恵梨華は恨めしそうに睨みつけながら言った。
「私は 時間をお売りするか提案しただけです 最終的に決定したのは あなた様のお金が欲しいという 願望」
男は相変わらず機械のように言う。淡々と。淡々と。
「いいじゃない……お金が欲しいんだもん! 目の前にお金を出されたら、誰だって売っちゃうよ! 」
「いいじゃありませんか 目先の欲 お金が欲しいという欲に 駆られても」
この男からそんな台詞が出るとは思わなかった恵梨華は、少しびっくりしていた。だが、自分の気持ちをわかってくれているんだ、わかってくれる人がいるんだと思うと、なぜだか少し安心する。そして無性に取引がしたくなってきた。
「時間商人さん、また時間買い取ってよ」
別に恵梨華は今お金に困っているわけではない。だが、恵梨華にとってそれは既に中毒のようなモノになっていたのだ。人々がパチンコにハマるように、ケータイにハマるように、恵梨華は”時間を売るという行為”そのものにハマってしまっていた。
「申し訳ありません お客様からお時間を買い取ることはできません」
「……は?」
予想もしていなかった一言に恵梨華は唖然とした。
「買い取れないって……どういうことよ!! 」
「申し訳ありません お客様からお時間を買い取ることはできません」
声を荒げる恵梨華に対し男は淡々と同じ台詞を繰り返すばかりであった。
「何なのよ……あんたまであたしのことバカにするっていうの……!? 味方だと思ったのに!! 」
恵梨華の心を表すかのように雨がどんどん激しくなってゆく。男は相変わらず機械のように同じ台詞を繰り返す。
「もういいよ……!! もういいよ!!! 」
恵梨華は男に失望し、男の横を走り抜けてゆく。一瞬男の口元が見えた気がした。
笑っている気がした、あの時と同じように。
恵梨華はそのまま息が切れそうになりながらも走り続けた。泥にまみれたスニーカーから鳴る音と雨の音が交差する。
何の目的があるわけでもなく何処に行くわけでもない。ただひたすら走り続ける。どれぐらい走り続けただろうか。気が付くと大きな十字路に差し掛かっていた。構わず直進する。今の恵梨華に曲がるという選択肢はない。ひたすら直進するだけであった。
すると左側から強い光と強烈なクラクションが恵梨華に襲いかかる。突然のことで身体が動かない。
目の前が光に包まれる中、恵梨華の頭の中に声が響いた。
「だから言ったじゃないですか もう買い取ることができないと」
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煩わしいほどの日光に照らされ熱を帯びた道を由美子は汗を流しながら歩いていた。
「知ってる?三丁目の東原さんのところのお嬢さん 亡くなったらしいわよ」
「そうらしいわね~まだ十七歳だっていうのに、かわいそうにねぇ」
「なんでも、雨の中走っててあそこのほら、五丁目の十字路のところで横から来たトラックに……」
由美子の目線の先にいる四、五十代のオバさん達がそんな会話をしていた。あの人達はきっと時間商人の事を知らないのだろう。そんな事を考えながら、由美子はオバさん達の横を通り過ぎていった。恵梨華が死んでもう4日がたった今でも、未だに死んだことが信じられない。
トラックに轢かれた。事故だと人々は言うが本当は違う。恵梨華は時間商人に殺されたのだ。自分の寿命を使い切って。
「私があの時、恵梨華を追いかけていれば……あの時恵梨華に話しかけていれば……」
由美子の独り言は誰にも聞かれることなく溶けて消えてゆく。
「お嬢さん 時間を売りませんか」
後ろからそんな台詞が聞こえた気がした。ハッとして振り返った由美子だったがそこには誰もいなかった。
あったのはただ、どこまでも広がる青い空と、ギラギラと眩しく照りつける太陽だけだった。
どうも ムッシュ上原です。 いや~~~~やっと第一部が終わりました!!!なんとかここまで書く事が出来てよかったです。
目に見えないもののやり取りは時に自分の身を滅ぼすこともあります。
今回はそんな話でした。 ここまで読んでくださった皆様 ありがとうございます!! では、第二部でお会いしましょう!! また!!!!(*゜▽゜*)