episode3-9
昼休み、僕は木村と岡部を空き教室へと連れて行った。サッカーがしたいという木村と勉強がしたいという岡部を、大事な話があるからと半ば強引に連れ出したのだ。
「呼び出された理由は分かるかな」
その問いに、木村は訝しそうに目を細めて返した。岡部は完全なポーカーフェイスだ。思い当たる節が本当にないのか、それとも、やはり何かを隠しているのか。今の時点では、判断のしようがなかった。
「先週、君たちはこの教室で何をしていたんだ」
話を切り出したところ、反応を見せたのは木村だった。彼は大きく目を見開き、絶句しているようだった。その仕草を見て、少なくとも安藤が出鱈目を言ったわけではないということは分かった。
「……一体何のことですか」
口を開いたのは岡部だ。どうやらしらを切るつもりらしい。
「とぼけないで。木村君の腕の痣のことだよ」
「先生、それは……」
「翔は黙ってて」
岡部は木村を制し、僕の目を真っ直ぐに見据えてきた。
「翔の腕の痣が、どうしたんです」
こちらが話を訊いているのだが、岡部のほうが詰問しているような口調だ。おかしなことを口走らせないように、極力こちらが知っていることを吐かせようという魂胆だろうか。対抗しても仕方がないので、この際だから全て喋ってしまおう。
「君が木村君の腕をつねっているところを見た子がいるんだ。日付は先週の月曜。今日は火曜日だから、八日前だ」
またも木村が口を開きかけたが、岡部が言葉を発する方が早かった。
「そんなの、見間違いです」
「なに?」
「先生はその話を何時聞いたんですか」
「……昨日だよ」
「だったら、昨日の時点でその目撃情報は七日前ということになります。それって、本当に信用出来る話ですか? 人間は自分の記憶をいくらでもねじ曲げるものだとテレビで言っていました。その子も、単なる思い込みで偽の記憶を作ってしまったのではないですか」
予想外の反論に、思わずたじろぐ。しかし、そんな言い訳めいたことで煙にまくことができると思っているのか。
「その子は、君の顔をはっきり見たと言っている。決して信用出来ない話ではないよ」
「放課後だったら西日も差し込んでいます。窓は南向きで逆光です。顔なんてはっきり見えるんですか」
理路整然とした反論だった。狼狽えることもなくこのようなことをすらすら並び立てるのは流石だ。しかし所詮は、まだまだ小学生のようだ。
「西日が差し込んでいたって、どうして分かるの?」
「は?」
「僕は一言も、それが放課後の出来事だったとは言っていないよ」
岡部が、息を呑んだ。
「更にいえば、場所が教室だったとも言っていない。それなのに君は、勝手に放課後だと思い込んで、勝手に教室だと思い込んだ。どうしてかな」
「それは……」
「見苦しい言い訳はやめなさい」
そう言い放つと、岡部は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて黙り込んだ。
「確かにその子が見たと言っているのは、月曜日の放課後、場所は教室だった。そこで岡部君は、木村君の右の腕をつねっていた。場所や時間帯を知っていたと言うことは、少なくともそれが君たちだったと見て間違いないね」
「……違う」
木村が、そう小さく呟いた。
「え?」
「銀河は何もやってない。全然、全然関係ないんだよ」
「木村君?」
「本当だよ先生。銀河は何もやっていないんだ。悪いのは、悪いのは全部俺なんだって」
「木村君、落ち着いて」
「お願いだよ先生。銀河を叱らないで。コイツは、本当になにもやっていないから」
木村は明らかに取り乱していた。しかしそれは、単に岡部を庇っているわけではなさそうだった。もっとこう、必死というか、何かに恐れをなしているようにも見えた。
「分かった、分かったよ木村君。だから落ち着こう」
とりあえず木村を宥めてから、僕は岡部に問いかけた。
「一体、どういうこと?」
「……月曜日の放課後、僕たちが教室の残っていたのは認めます。でも、僕は翔に何もしていない。つねったりなんか、していません」
「……岡部君、君は」
「僕は、何もしていません。翔が言っていることが、事実です」
きっぱりとそう言いきる岡部に、僕は何も言い返すことが出来なかった。
「分かった。とりあえずは、君の言ったことを信じる」
「ありがとうございます」
ホッとした様子で、木村が頭を下げた。
岡部は、本当に木村に対してなにもしていないのか。鵜呑みにするわけにはいかないことは分かっている。しかし、この子たちの言っていることを全て疑うことも、なぜだか大きな間違いなような気がするのだ。それは、自分が受け持つ児童を信じたいという甘ったれた正義感から来るものでは断じてない。言い換えれば、そう、見当違い。彼らはまだ、何か重要なことを隠している。そんな予感がするのだ。
「じゃあ、もう一つ聞いてもいいかな」
「……なんですか」
「岡部君は、どうして昨日、あの場所にいたの?」
「は?」
「放課後、四年生と喧嘩したときだよ」
「……ああ、放課後の件ですか。昨日は、僕たちが行っている塾が休みだったから」
「いや、そうではなくて」
僕は、岡部の見せる動揺を見逃さないように、まっすぐに彼の目を見据えた。
「君、サッカーできないだろう」
「……見学です。翔に誘われたので」
嘘をついているようには見えなかった。
「……サッカーは、いつもやっているの?」
「はい。月曜は、皆ヒマだから」
「じゃあ、君たちは月曜以外は忙しいんだ。塾の休みは、月曜日だけ?」
「……塾は月曜日と水曜日、あと日曜日も休みです。でもその日は、他の皆が習い事をしていて」
「塾は何時から?」
「いつも五時からです」
「じゃあ、放課後はあまり時間はないね」
「まあ、そうですね」
僕は岡部から視線を外し、今度は木村に問いかけた。
「木村君は、岡部君と同じ塾に通っているんだよね」
「はい」
「柔道の方は? 何曜日に練習があるの?」
「……水曜日の夜と、日曜日の昼です」
つまり、塾が休みの日には柔道の練習がある、というわけだ。
「……うん。分かった。どうもありがとう」
「あの……どうして、そんなこと聞くんですか?」
岡部が当然の質問を投げかけてきた。
「さぁね」
「はい?」
「とにかく、もう戻っていいよ。ごめんね、時間とらせちゃって」
二人は顔を見合わせたが、何も言わずに部屋を出ていった。
どうしてそんな質問をするのか。岡部からの問いを思い出して思わず苦笑する。
そんなの、こっちが聞きたいよ。
「なるほどね。どうもありがとう」
放課後、僕からの報告を聞いて、道元先生は満足げに頷いた。
「一体、彼らのスケジュールを調べて何をするおつもりですか」
「別に深い意味はないわよ。ただ、一応、ね」
そう言いながらも、道元先生は含み笑いを隠す気がないようだった。
「でも、そっか。翔君は、銀河君は何もしていない、と言ったわけね
「ええ。そう言っていました。でも木村君は、何かに怯えているような感じでした」
「怯えている……」
「それに、しらを切ろうとした、ということは、少なくとも岡部君は二人で教室にいたことを隠そうとした、ということですよね」
「そうねぇ……」
道元先生はぼんやりとした返事を繰り返すだけで、自分の考えを話す気はなさそうだった。
するとそこへ……。
「なんだあんたら、まだ何かしているのか」
声をかけてきたのは、久茂先生だった。
「あら久茂先生。あなたも気にかけてくれていたの?」
「職員室の隅で毎日のようにこそこそやっていたら、嫌でも気にかかるでしょう」
久茂先生に軽口を叩ける道元先生に尊敬していたら、久茂先生はその鋭い目を今度はこちらに向けてきた。思わず体が硬くなる。
「それで、何か話は進んだのか」
「あ、え、はい。えっと……」
僕は久茂先生に、これまでのことを簡潔に伝えた。途中までは黙って聞いていたのだが、昼休みの件を話すと、彼の眉間に深い皺が刻まれた。
「おいおい、随分と甘っちょろいじゃないか。そんなもん、嘘ついてるに決まっているだろうが」
なぜだか彼と話していると、こっちが学生に戻ったような気分になる。あまり叱られた経験がない僕は、身が縮こまる思いだ。
「児玉先生を責めないで。それは私の指示よ」
「なに?」
「私がいったのよ。向こうが否定してきたら、あまり深く追求しないでいいって」
彼女の言っていることは真実だ。僕は二人から話を聞く前に、道元先生にその件と、二人のスケジュールを確認するよう指示されたのだ。
「……どういうことだ」
「あまり意味がないからよ」
道元先生は、あっけらかんとそう言った。
「おい、どういうことだ。まさかあんた、何か掴んでいるのか」
道元先生は否定も肯定もしなかったが、ふふんと鼻を鳴らした。
「何かわかってんなら教えてやったらどうです。もったいぶってねぇで」
「別になにもわかってないわよ。ちょっと思い当たる節がないわけでもない、
ってところかしら」
「何ですか、それ」
道元先生は答えず、手を振ってその場から離れてしまった。残された僕たちは互いに顔を見合わせ、そして同時に溜め息をついた。




