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episode2-5


 時が流れ、二十五日の木曜日。五年二組との交流会の日だ。

 

 二年二組と五年二組の児童は全員、校舎一階の東側にある図工室へと集められていた。これは無論、通常の教室では、二クラスの児童が入りきらないためである。図工室ならば、教室全体も広く、机も大きいので、カルタを広げやすいと考えたのだ。


 だが、さすがにこれだけの児童が集まると少し窮屈に感じる。一クラス二十五〜三十人だから、一室に五十人以上が集まっていることになる。しかも、当たり前だが全員子供なので、恐ろしいくらいに騒がしい。


 俺は簡単な挨拶を述べた後は部屋の後方に下がり、宇喜田に進行を任せることにした。俺が前に出てしまうと、五年生の児童までが少し怯えたような表情を浮かべる。こんな日くらいは心から楽しんでもらいたいという、俺なりの配慮だった。


「それでは、五年生の人、カルタを先生の机から持っていってくださーい」

 さすがの宇喜田も、児童の前では堂々とした面持ちだ。それまでお喋りしていた児童もきちんと黙った。先日のように、蛇に睨まれた蛙のような目はしていなかった。俺は、そんなに怖いのだろうか。


 ふと、遠野春季のほうに目をやる。二年生と五年生が五人ずつ、計十人一組の班が作られているが、うるさくする様子もなく、同じ組になった五年生と仲良く談笑している。少し安心した。この分なら、何事もなく終わるかもしれない。


 全ての班がカルタを広げ終わったところで、宇喜田がルール説明を開始した。基本的なゲーム説明の後、班の中で最も多くのカルタをとった者には、手作りの金メダルが授与されると発表すると、二年生からは大きな歓声が上がった。遠野に至っては、「絶対に獲ってやる」と意気込むくらいだった。


 こうして見ると、純粋な子供だな、と思う。騒いだり、不真面目な一面もあるが、やはり子供なのだ。隣に座る五年生が大人に見えるくらい、遠野は小さい。

 普段よりも一歩下がって見るだけで、遠野が悪魔ではなく、普通の子供に思えるのだから不思議だ。もともと、授業中に歩き回ったり、おかしな行動をとるような児童でもない。ただ勉強が嫌いで悪ふざけが過ぎるだけの、元気過ぎる子供なのだ。「カルタ」という遊びの中でなら、特に問題を起こすこともないのではないか。そう思った。



「では、先生が読み札を読みますから、皆は一生懸命、絵札を探してください」

 そう言うと、宇喜田は手にしていた読み札の束を持ち上げ、ゆっくりと聞き取りやすい声で、読み始めた。

「『みんなで かけっこ 楽しいな』。はい、み、ですよ。み、の文字が書かれた絵札を探してくださーい」

 児童の顔が、一斉に机へ向けられる。早い班では、『かけっこ』の時点で絵札をとった者もいた。遠野は……残念。小林に先を越されてしまった。悔しそうに下唇を噛んでいる。ちなみにカルタは学校の備品室にあった子供用のものを使用している。もちろん、百人一首のようなものは使っていない。


 その後、次々と読み札が読まれていき、児童たちは絵札を熱心に探した。見ていると、ほとんどの絵札は二年生が獲っていた。おそらく、手加減してくれているのだろう。


「『ルビーのゆびわが きれいだね』。はい。今度は、る、ですよ。どこにあるでしょうか」

 ほとんどの班はすぐに獲り終えたが、一つの班が苦戦していた。どうやら読まれた読み札に対応する絵札が見つからないらしい。カルタにはよくあることだ。なぜか一枚だけが、どこを探しても見つからない。十人の目をかいくぐってしまう、不思議な絵札。


「おい、宇喜田先生」

 俺は宇喜田の元へ駆け寄り、声をかけた。

「は、はい。な、何でしょう」

 なぜいきなり吃る。さっきまで堂々と絵札を呼んでいたのに、俺が相手だとどうしてこうなるのか。

「もしかして、『る』の絵札が抜けちまってるんじゃねえのか」

「あ、そうかもしれませんね。ち、ちょっと一緒に探してみます」

「俺も探すよ」

 二人でその班の机を覗いてみたが、確かに『る』のカードは見当たらなかった。どうやら、何かの拍子に抜けてしまったらしい。


「うーん、どうしましょうか」

「とりあえず、じゃんけんで勝った奴が一枚プラス、ってことでいいだろ。それよりも絵札だ。一応学校の備品だから、なくすと面倒だぞ」

 とは言っても、児童はカルタに熱中し、宇喜田には読み札を読むという役目がある。つまり……。


「仕方ない。じゃ、俺がちょっくら探してくるよ。多分職員室だろう。さっき点検した時に仕舞い忘れたんだ」

 当然、カルタが始まる前に、全ての絵札と読み札が揃っているか、二人で点検してある。その時には全てあったのだから、なくしたとしたらそれ以降、ということになる。


 すみません、と謝る宇喜田を図工室に残し、職員室に向かう。誰もいない廊下を過ぎ、扉を開けて中に入り、宇喜田の机の上を覗く。ここで点検をしたからだ。


「あったあった」

 散乱した書類にまぎれるように、ルビーの指輪が描かれた絵札が置かれていた。一応確認したが、汚れている様子はない。とりあえずは一安心だ。


 窓から外を見ると、亘のクラスと五年一組の児童がサッカーに興じていた。歓声がここまで聞こえてくる。来学期は、少し早めに宇喜田と相談して、校庭で何かをしようと思った。おっと、こんなところで油を売っていてはいけない。図工室へ戻らなければ。


 図工室へ戻るには、階段を下らなければならない。最近、階段を下る時に膝が痛むことがあるが、歳だろうか。ゆっくりと下りきり、長い廊下を歩いていく。廊下は静けさに支配されていたが、遠くからは楽しそうな声が微かに聞こえてくる。


 異変に気づいたのは、扉を開ける直前だった。引手に手をかけた瞬間、中の騒がしさが伝わってきた。それも、皆で何かを楽しんでいる様子ではなく、心の底がざわめくような、不吉な騒がしさだっだ。ドアについている窓は曇りガラスのため、中の様子は見えないが、長年子供の声を聞き続けたこの耳が、嫌な雰囲気を感知したのだ。


 扉を開けると、案の定、一つの机に人だまりが出来ており、中心に向かって何か騒ぎ立てている様子だ。それは、遠野春季の班がカルタをやっていた机だった。だが、児童たちが円になって取り囲んでいる所為で、何が起こっているのかがわからない。


「おい、何をしている!」

 俺がそう一喝すると、机の周りにいた児童のほとんどが黙り込み、こちらに目を向けた。

「どけ、どくんだ!」

 児童たちをかきわけ、集団の中心に近づいていく。子供たちの頭の間から、宇喜田の後頭部が見えた。

「宇喜田先生! どうした!」

「あ、く、久茂先生。遠野君と小林君が……!」

 宇喜田が言い終わる前に、円の中心で起きていたことの全貌が明らかになった。


 そこにあったのは、床の上で仰向けになった小林の上に跨がった遠野と、その遠野を引き剥がそうとする宇喜田の姿だった。一目で何が起こっているのか理解できた。喧嘩だ。遠野と小林が、取っ組み合いの喧嘩をしているのだ。見る限り、遠野が小林に襲いかかっているように見える。


「お前ら! 何やっとる!」

 そう怒鳴るが、遠野はこばやしに殴り掛かるのをやめようとしない。完全に頭に血が上っているようで、俺を含めた周りの反応など見えていないようだ。対して小林は防戦一方だった。仰向けで遠野からの口撃を防ぐのに精一杯の様子で、その目には涙が浮かんでいる。


「おい遠野! やめろと言っているんだ!」

 仕方なしに、俺は背後から遠野の腹部に両腕を回し、そのまま思い切り彼を持ち上げた。遠野の体は、いとも簡単に宙に浮かぶ。それでも、遠野は小林に向かって拳を振り回し続ける。


「う、宇喜田先生! 小林をどこかにやってくれ!」

 俺の言葉に跳ねるように反応した宇喜田は、小林を抱えて図工室を出て行った。小林の姿が見えなくなったことで、遠野はようやく、徐々に落ち着きを取り戻していった。


 辺りには、カルタの札があちこちに散らばっている。騒ぎの大きさを物語っているようだった。


「何をしている! この馬鹿者が!」

 遠野が俺に鋭い視線を向ける。睨んでいると言ってもいい目つきだ。

「あいつが、あいつが俺のこと、バカだって言ったんだ!」

 その目には強い怒りの色が浮かんでいる。頬に引っ掻かれたような傷があるが、涙は一切流れていない。子供にありがちな、「泣き怒り」ではないようだ。

「だからって殴り掛かる奴があるか!」

「俺は悪くない! あいつが悪いんだ!」

 ダメだ。聞く耳持たずといった様子だ。これでは話にならない。


「お前らは全員、とりあえず自分の教室に戻れ。カルタは中止だ」

 当然、異を唱える者はおらず、児童たちは図工室を出て教室へ戻っていった。


 一体、何があったと言うのだ。ついさっきまで、仲良く遊んでいたではないか。楽しそうに、皆と笑っていたではないか。


 やはりコイツは、モンスターなのか。俺は心の隅で、確かにそう思った。


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