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第60話 アリシアの休日


 夏を感じさせる春が来ていた。

 10日程前の社交界で髭とお別れを告げたのだが、彼らは一途にまた顔を出した。


 今は、そんな慣れ親しんだ髭を撫でながら、アクアテラの中央広場の噴水前でアリシアを待っている。


 アリシアを聖女として利用したことの謝罪とお礼をかねて何が欲しいのか聞いたところ、普通の女の子の生活を送りたいと言われたからだ。

 俺と都市を歩くことが普通の女の子の生活かと言われると疑問だが。

 そして俺もまた普通とは程遠い人生を送っていたから、なかなかの難題だ。


 色々と言い訳を並べ立ててみたのだが、アリシアはそっぽを向いて、「エルさんにお任せします」としか言わなかった。


 普通の女の子か。


 いまだに悩みながら待っているとアリシアがとてとてと小走りで近づいてきた。

 黒い前髪を押さえながら。


「お待たせしてしまいましたっ」

「リシア。その格好……」


 声が少し震えた。

 アリシアがニーソックスで登場したから。

 いつも長いスカートを着ていたから気づかなかったが、とんでもない美脚の持ち主だ。違う。普段見えないからこそっ……いや、やめよう。アリシアをそんな目で見てはいけない。反省しろ。正しきニーソックス愛好家であれ。


「これですか?」


 とアリシアはスカートを少し摘んで見せる。ささっと俺は彼女の前に立ち、周囲を警戒した。ニーソックスは好きだが、アリシアのニーソックスは心配だ。

 かわいいや美しいより、心配が優ってしまう。

 いや、かわいいからこそ心配が上回る。


「髭……」


 周囲を警戒する俺の髭をアリシアが悲しそうに見る。

 そんなに嫌わないで欲しい。

 (ひげ)は俺の一部だ。いや、もはや俺が(ひげ)の一部と言ってもいい。


 ぶんぶんとアリシアは首を振る。


「やっぱり今のままでいいです」


 止まらなくなるから。と暗い目をして、付け加えた。

 俺は殺気を感じて背後を振り返ったが、幸せそうに日常を送る人々しかいなかった。

 アリシアといると、たまに背筋に冷汗を感じることがある。


「そろそろ行こうか」

「うんっ」


 アリシアは俺の斜め後ろをとことことついてくる。

 時折置いてきていないかと振り返ると、にまにまとした顔をしていて、嬉しくて仕方がないといった風だ。


 ただ街を歩いているだけ。

 普通の子は退屈するかもしれない。

 けれど。

 アリシアの願いは普通の生活。彼女にとっての特別が、この都市の普通だから。

 彼女の足取りは軽く、鼻歌すら奏でそうな雰囲気だ。


 ショコラ・アムールという店に行列ができていた。

 その最後尾につく。

 シャイロック商会への宣戦布告と同日に開店したチョコレート専門店。

 ヴァイオレット家の地盤固めの一つ。ロザリエッタ……奥様の作戦の一つだ。

 虎視眈々とシャイロックの首を狙っていた作戦が、他に幾重にも準備されている。

 その一つがこの店。


 アクアテラ中央の一等地の店舗が一月ほど前から空き店になっていた。

 白を基調とした壁や床、その清潔感のある店舗に、日々、洗練された家具が収納されていく様子に、街の人々は期待していた。何ができるのだろう、どんな店になるのだろう、と噂になっていた。


 初日の客入りは大したことがなかった。洗練された佇まいの店に、怖気づいてしまう人々がいたから。勇気をもって入った人は、また翌日も訪れた。

 噂が噂を呼ぶ。

 値段も手ごろであったため、10日足らずで市民たちの大行列。


 俺とアリシアもそこに並んでいるのだった。

 頼めば特別待遇で店内にいれてもらえるだろうが、アリシアが望むのは普通だ。

 ならば並ぼう。

 並んで並んで、待って待って、得られる思い出も良いものだと思う。


 アリシアの方に振り返ると、なぜか急いで手を引っ込めて後ろで手を組んだ。


「あの、その、あのっ」


 と目がぐるぐるしている。


「リシアは最近どうだろうか。先日はだいぶ無茶をしたようだが。頼んでおいて勝手だが、心配している」

「……塔の人たちには怖がられてるかも。えへへ。王都アルカディアから偉い聖女様が来て苦言を呈されました。けれど事情を説明したら許してくれましたよ。大聖女のフィー様も応援してくれました! ヴァイオレット家とハインリッヒ家から贈り物が増えて喜んでいる方々もいますし」


 大聖女フィーフィー。フィーも同じ孤児院出身だ。

 フィーがアリシアに、その事実を伝えているのかは分からないが。

 聖女の才能が開花され、アリシアが孤児院に来る前に王都へと行ってしまった幼馴染の一人。

 懐かしい名前に思わず笑みがこぼれてしまう。


「そうか、それはよかった」


 応援とはここで結界を構築することに対してだろうか。ふと疑問が浮かんだ。

 確かに頑張っている子は応援したくなるものだが、フィーもまた同じ聖女の境遇だろうに。


 少しアリシアが暗い瞳になっているようにも思う。

 あと目がぐるぐるしている。


 会話をしながら行列を牛歩のように進んでいると、とうとう店内に入ることが出来た。


「えっ!? ……え、エルさん。いらっしゃいませっ」

「あらあら~いらっしゃいませ~言ってくれれば並ばなくても~よかったのに~」


 赤毛のネイと、おっとりとした青髪のリシェルだ。

 いつもと違うメイド服で接客をしている。他にもヴァイオレット本家のメイドが応援に来ているようであった。


「今日は普通を楽しみたかった」


 アリシアは楚々と会釈する。

 メイドの二人は顔を見合わせた。けれどすぐに接客モードへと切り替えた。


 リシェルが案内してくれる。

 店内は白を基調とした清潔感のある店だ。商品のチョコとは相性がいい。

 チョコレートの香りが漂っていて、人によってはそれだけで幸せになるだろう。


「チョコレート作りの体験と~試食と購入ができます~。どうされますか~」


 アリシアはこっちを見上げている。

 どうせなら体験もしたい。そう言っている気がした。昔からしたいことを伝えるのが下手であったように思う。

 まぁ、俺も察するのが下手であるが。


「チョコレート作りの体験をしてから、買いたい」

「かしこまりました~」


 リシェルに案内された場所に行くと、チョコの生地と型、トッピングの具材が用意されている。

 チョコは湯煎(ゆせん)で固まらないようにしてあった。湯煎にすら魔工具が使用されていて笑ってしまう。周囲を見ていると笑顔でチョコ作りをしている親子、夫婦、カップルがいる。


 湯煎されている液体のチョコレート生地はミルクチョコレートベース。

 魔導灯に反射する、その光沢がうつくしかった。


「あのあのっうまくできる自信ないですっ!」


 アリシアも困ったようにしながらもうれしそうだ。


「失敗もまたたのしい思い出だ。好きなように作ろう」


 アリシアはハートの型を選んだようで、意を決してその中にチョコレートを流し込んだ。光輝くチョコの液体が型に流し込まれていく。


「おぉ。いいぞリシア」


 型の容量より、入れすぎてしまえば形が崩れ、少なすぎても厚みが変わり凸凹になる。シャル達が作る製品のように作るのは、なかなかに難しいのだが、だからこそ手作り感があり愛着がわくというものだ。

 アリシアはこちらに笑顔を向ける。

 そしてトッピングを楽しそうに盛り付けていた。

 俺もチョコレート作り体験を楽しむとしよう。


……。

 

 アリシアからもらったチョコレートを食べながら、街をぶらぶらと歩く。

 風の向くまま、気持ちの赴くまま。アリシアは俺が作った物を食べていた。


「おいしいですっ」


 完全に同意だ。

 ミルクチョコレートは苦みがなく、それでいてコクもあり、やさしい味。


「いつもありがとう、リシア」


 アリシアはチョコをはむはむと食べながら、こくこくと頷いている。

 チョコレートは気持ちを伝えるプレゼントに丁度良いと、改めて思う。

 きっとヴァイオレット家の躍進(やくしん)は続いていくのだろう。

 

 街の中の屋台や店にも、シャルのチョコが普及し始めている。

 ハインリッヒ商会ゆかりのある店で積極的に使われているから。

 アクアテラの人々にとってチョコレートがなくてはならないものになる日もきっと近い。


 チョコを食べ、屋台を覗き、興味のあるものを買い、服やら何やらを見て回るとあっという間に日が傾き、聖女の塔に到着した。


 アリシアは少し名残惜しそうに夕日を見ている。

 もうこの場所なら彼女の名を呼んでも問題ないだろう。


「アリシア、また普通の生活を送ろう」

「はいっ!」


 満開の笑顔でアリシアは手を振った。

 しばしのお別れの時間だ。


「また屋台で待っている。好きな時に来てくれ」


 何度も振り返っては手を振るセシリアを見送る。

 塔の中に入っていく、彼女のその髪は白く美しい色になり始めていた。

 いつかアリシアがアリシアのまま外に出られる日が来るといい、そう願わずにはいられない。


……。


 帰るとするか。

 道中、背中から声がかかった。

 振り向くとルリ・アズリアがいる。


「エルさん、どうぞ中へ」

「……え?」


 案内され促されるまま塔へ入る。

 塔の中の浮遊の魔術の編み込まれた乗り物に乗る。最上階付近にて止まった。

 とある部屋の前で、彼女が笑った。親しみのこもった表情で。


「この部屋がアリシアの部屋です」

「……え?」


 心の準備もなく、ルリはノックをする。


「ルリさん? 入っていいよ! 話たいことあるの!」


 と扉が開く。


 真っ白な髪。薄青を基調とした寝間着のアリシアが固まっている。


「アリシア、こんばんは」

「え……もう私夢の中?」


 扉を開けた状態で呆然としていた。夢と勘違いしているようだ。


 だが、その隙間から見える室内はなかなかに散らかっていた。

 汚れているわけじゃない。定期的に掃除はされているのだろうが、乱雑に物が置かれている。


「意外だな」


 ものすごい勢いで扉が閉められた。

 そして中でガタゴト、ドンタカドンタカ、音が鳴り、彼女の悲鳴が響いている。

 片付けているようだった。


……。


「なんで!?」


 アリシアは真っ赤な顔でルリに詰め寄っていた。


「日頃から片付けをしていれば済む話よ」


 どうやら散らかし癖を直したかったようだ。

 アリシアはうぅ~と唸りながらも、やがて観念したように俺の方へと振り返る。


「もうこれ以上恥を積み重ねてもなんとも思わないもんっ!」

 

 アリシアがベッドを指さす。


「ベッドで寝てください!」

「どうしてだ?」


「いいからっ!」


 よくわからないが、今のアリシアはどうにも不憫だ。目をぐるぐるさせて顔を真っ赤にしている。言うことを聞くことにした。


 ベットで寝る。

 なぜ聖女の塔で、聖女のベットで寝ているのだろうか。


「ごろごろしてください!」

 ごろごろする。


「もっとしてください!」

 もっとごろごろする。


 俺はいい年して聖女の塔で一体何をしているのだろうか。

 セシリアは満足そうにしていた。

 満面の笑みという言葉がふさわしいほどに。

 にへらにへらとしている。

 今の行為のどこに喜ぶ要素があるのか。

 塔に幽閉されている普通に憧れる聖女は変わっている。

 普通にはなれそうにないと思った。


……。


 後日、事情を知らない塔の世話役の一人が、ベットシーツを洗ってしまい、密かに聖女立てこもり事件が起きた。

 ルリは月に一回街角勇者亭の店主を塔に招喚することを約束し、何とか立てこもり犯を捕まえた。人知れず危機を救った英雄である。

 ルリは、ここ最近の成功体験から、アリシアがごねれば何とかなると学習しないことを祈るばかりであった。

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