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極悪辺境伯の華麗なるメイド  作者: かしわしろ
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月の国3

目が覚めると、窓から差し込んでいる光が部屋を淡いオレンジ色に染めていた。


起き上がって窓辺に歩いていくと、砂漠の地平線から太陽がゆっくりと顔を出すところだった。昨夜の星空とは対照的に、空は端から端まで燃えるような暖色に塗りつぶされていく。砂の大地がその光を受けて、一面の金色に変わっていった。


「……綺麗。」

夕焼けも、星空も、そして朝日も。この国の空は、何を見せてくれても美しかった。


「んー……クレアちゃん、もう朝?」

レイリンちゃんが毛布の中からもそもそと顔を出した。


「朝だよ。早く起きて。帰るよ。」

「あと五分……。」

「だめ。次の日の夜までに帰りなさいってカルメラさんに言われてるんだから、のんびりしてる暇はないよ。」


「うぅ……。」

レイリンちゃんが渋々起き上がる横で、オリビアちゃんはすでに身支度を整えていた。いつ起きたのか気配すら感じなかった。この子は本当に気配を消すのが上手い。


「起きてたなら声かけてくれてもよかったのに。」

「クレアが窓を見てたから。邪魔したくなかった。」

「……ありがと。」

三人で手早く荷物をまとめ、宿の主人に礼を言って外に出た。朝の市場はまだ準備中で、昨日の喧騒が嘘のように静かだった。天幕の隙間から差し込む朝日が、石畳に長い影を作っている。


「あ、あのお茶の店開いてる。」

レイリンちゃんが昨日のミントと蜂蜜のお茶の店を見つけた。店主の老人が朝の準備をしているところだった。


「すみません、三つください。」

「おや、昨日のお嬢ちゃんたちかい。朝早いね。」

温かいお茶を受け取り、三人で並んで飲んだ。砂漠の朝はまだ肌寒くて、温かいお茶が体に染み渡る。

お茶を飲み終えると、私は南の門から見える砂漠に目を向けた。昨夜あの砂漠を飛んで、月の砂を手に入れた。カバンの中の容器を背中越しに感じる。容器を通してもほんのりと冷たい、あの不思議な感触。


「さて、帰ろうか。」

三人は月の国ルナリアの門をくぐり、空へ飛び上がった。眼下で砂色の街がどんどん小さくなっていく。白い塔の先端の三日月の装飾が、朝日を受けて最後にきらりと光った。


「また来たいね、ここ。」

レイリンちゃんが振り返りながらそう言った。


「遠征じゃなくて、普通に観光で来たいよね。」

「……同意。」

オリビアちゃんまでそう言うのだから、よほど気に入ったのだろう。私も同感だった。いつかローズになって、休暇をもらえたら——そんなことを少しだけ考えた。


ーー


砂漠を抜け、茶色い大地が徐々に緑に変わっていく。王国の街並みが見えてきた頃には、太陽はすでに高い位置まで昇っていた。


「サラちゃんのところ、寄るんだよね?」

「うん。約束したからね。」

王国の門で降り立つと、昨日と同じ門番がいた。私たちの顔を覚えていたようで、今度は腰を抜かすことなく通してくれた。


ミラに教えてもらった通りにまっすぐ進んでいくと、立派な門構えの屋敷が見えてきた。門番に「スタンフォード家を訪ねてきたグルンレイドのメイド」と伝えると、すぐに中へ通された。


「レイリンさん!」

屋敷の庭に出た瞬間、サラが走ってきた。昨日の汚れた服とは打って変わって、淡い水色のドレスを着ている。髪もきちんと整えられていて、本来のお嬢様という姿がそこにあった。


「サラちゃん!元気そうでよかった!」

レイリンちゃんがサラを受け止めると、サラはそのまま抱きついた。


「心配したんですよ!夜、戻ってこないから……。」

「あはは、ごめんごめん。ちょっと遠くまで行ってたから。」

「クレアさん、オリビアさんも、ありがとうございます。」

サラが私たちにも頭を下げた。昨日の怯えきった少女とは別人のようだった。自分の家に帰って、安心できたのだろう。


「皆さん、よくいらしてくださいました。」

ミラが庭に出てきた。隣にはまだ少し顔色の悪い男性——サラの父親が立っている。


「スタンフォード家当主、ダリオ・スタンフォードです。この度は娘と妻を……命を救っていただき、心より感謝申し上げます。」

深々と頭を下げられた。貴族がメイドに対してここまで頭を下げるというのは、本来あり得ないことだ。それだけ感謝の気持ちが大きいのだろう。


「お気になさらず。私たちはただ、目の前で困っている人を放っておけなかっただけです。」

「その心意気こそが、グルンレイドの名に恥じぬものだと私は思います。」

ダリオの言葉に、少しだけ胸が熱くなった。


「さあ、中へどうぞ。ささやかですがお礼の品をご用意しております。」

「あ、あの、直接いただくのは少し……。」

私がそう言いかけると、サラが前に出た。


「お友達への贈り物、ですよね?」

「……そうだった。友達だったね。」

サラがにっこりと笑った。レイリンちゃんも笑った。私とオリビアちゃんも、つられて笑ってしまった。

屋敷の応接間に通されると、テーブルの上に三つの小箱が用意されていた。


「この国で手に入る最高の紅茶葉と、砂糖菓子の詰め合わせです。お口に合えばいいのですが。」

「ありがとうございます。大切にいただきますね。」

レイリンちゃんが嬉しそうに小箱を受け取った。オリビアちゃんも私も、一つずつ受け取る。友達からの贈り物として。


「それと、これは私から。」

サラが差し出したのは、小さな布の袋だった。中を覗くと、透き通った青い石が入っていた。


「ライトサファイア……?でもこれは、サラちゃんのお父さんのものじゃ。」

「父に相談したら、あなたたちに持っていてほしいって。命を救ってもらったのだから、これくらいは受け取ってほしいと。」

「でも……。」

「友達からの贈り物、でしょ?」

サラが私の言葉をそのまま返してきた。この子、なかなかしたたかだ。


「……ありがとう、サラちゃん。」

「大切にしてね。」

私はライトサファイアをカバンの中にしまった。隠蔽の効果は私の魔法に及ばないけれど、この石にはそれ以上の価値がある。


「また来るよ。」

「約束ですよ。」

サラが小指を差し出した。レイリンちゃんがそれに小指を絡める。


「指切りげんまん。」

「何それ?」

「えっと……異世界の約束の仕方、らしいよ。アリサさんが教えてくれた。」

「へぇ、面白い。」

サラも同じようにレイリンちゃんの小指を握り返した。その光景を見ているだけで、なんだか幸せな気持ちになった。

スタンフォード家を出ると、太陽は西に傾き始めていた。あまりのんびりしている時間はない。


「じゃあ、帰ろう。」

三人は王国の空へ飛び上がった。


ーー


フリーマウンテンの上空を通過した。行きとは違って、今回は高度を上げて山を越えた。あの山にいるであろう山賊たちの気配は、はるか下の方にかすかに感じるだけだった。


「帰りはあっという間だね。」

「行きにいろいろあったからねー。」

レイリンちゃんが笑った。確かに、行きのあの密度と比べたら帰りは平穏そのものだった。

やがて、見慣れた景色が見えてきた。深い緑の森、その中にそびえる巨大な屋敷。グルンレイド領だ。


領内に入った瞬間、体中に馴染みのある魔力拡散結界の感覚が戻ってきた。ほっとする。何も変わっていない。当たり前だけど、それが嬉しかった。


「ただいまー!」

レイリンちゃんが叫んだ。もちろん誰にも聞こえていないだろうけど、その声が三人の気持ちを代弁していた。


屋敷の玄関前に降り立つと、そこにはカルメラさんが立っていた。


「おかえりなさい。」

まるで私たちが帰ってくる時間がわかっていたかのように、穏やかな表情で迎えてくれた。


「ただいま戻りました。」

私は背筋を伸ばして報告した。


「月の砂の採取、完了しました。」

カバンから容器を取り出して差し出すと、カルメラさんはそれを受け取り、蓋を少しだけ開けた。


「……ちゃんと採れているわね。」

指先で砂に触れて、カルメラさんは小さくうなずいた。その冷たさを確認したのだろう。

カルメラさんは容器の蓋を閉じると、私たち三人の顔を見た。


「それで?道中は何かあったかしら。」

「……色々ありました。」

「色々?」

「フリーマウンテンで山賊と戦いました。貴族の少女を救出しました。月の国の砂漠で魔物と戦いました。王国でその貴族の家にお邪魔しました。」

カルメラさんの眉が少し上がった。


「随分と盛りだくさんだったようね。」

「はい。でも、全員無事です。怪我もありません。」

「そう。」

カルメラさんはそれだけ言って、少しの間黙った。私たちの顔を一人ずつ見ている。何を確認しているのだろう。


「三人とも、いい顔をしているわ。」

「え?」

「出発前とは目つきが違う。」

カルメラさんがそう言った時、ようやく理解した。この遠征の本当の目的を。

月の砂の採取。それはもちろん任務として大切なことだ。でもカルメラさんが私たちを外に送り出した理由は、きっとそれだけじゃない。


この数ヶ月間グルンレイドで積み上げてきた力が本物かどうか。外の世界でそれを確かめること。そして——外に出ることへの恐怖を乗り越えること。


「お疲れ様。よくやったわ。」

カルメラさんが微笑んだ。出発の朝に見せてくれた、あの珍しい笑顔と同じだった。


「ありがとうございます。」

三人で同時に頭を下げた。


「詳しい報告は明日でいいわ。今日はゆっくり休みなさい。」

「かしこまりました。」

カルメラさんが月の砂の容器を持って去っていくのを見送ると、三人は顔を見合わせた。


「お風呂入りたい。」

「私も。グルンレイドのお風呂が恋しかった。」

三人で笑いながら屋敷の中へ歩いていった。廊下に飾られているアーティファルトの絵画が目に入った。"虚無を拾う老人"。あの不気味な絵が、今日はなんだか少しだけ優しく見えた。

自分たちの部屋に向かう途中、廊下の向こうからメルテちゃんたちが歩いてきた。


「あ、おかえり。」

「ただいま、メルテちゃん。」

「お土産あるよ!砂漠のお菓子!」

レイリンちゃんがサラからもらった小箱を見せると、メルテちゃんが少しだけ目を細めた。


「……楽しかったみたいだね。」

「うん。すっごく楽しかった。」

「よかった。」

メルテちゃんはそれだけ言って、すれ違いざまに小さく手を振った。リアちゃんとアナスタシアちゃんも笑顔で手を振ってくれる。


「ねえ。」

「ん?」

「なに?」

「私たち、もう外が怖くないよね。」

レイリンちゃんが天井を見上げたまま言った。


「うん。怖くない。」

オリビアちゃんが静かに答えた。


「……怖くない、とは言わないかな。」

私はそう言った。二人がこちらを見る。


「でも、怖くても大丈夫だってわかった。怖さを乗り越えられる力が、私たちにはあるから。」

しばらくの沈黙のあと、レイリンちゃんが笑った。


「さすがリーダー。」

「いいこと言うじゃん。」

「もう、茶化さないでよ。」

三人で笑った。月の国の砂漠で笑った時と同じ、自然な笑い声だった。


窓の外では、グルンレイド領の夕焼けが空を染め始めていた。砂漠の夕焼けとは違う、緑の大地と調和した穏やかな橙色。帰ってきたんだな、と思った。


帰る場所がある。待っていてくれる人がいる。一緒に笑える仲間がいる。


それだけで、次はもっと遠くまで行ける気がした。

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