はじまり
目の前にいるのはジラルド・マーグレイブ・フォン・グルンレイド……王国の貴族だ。通り名は『極悪辺境伯』。金、そして美しいものが好きと聞く。
「グルンレイド辺境伯。本日はお合いできて光栄です。」
じろり、と何もかもを見透かしたような目は、頭を下げている貴族……アドネを見据えた。
「座れ。」
アドネも貴族としてそこそこの地位を手に入れているが(というかグルンレイド“辺境伯“よりも地位の高い侯爵ではあるが)、それもグルンレイド辺境伯の前ではこのように頭を下げていた。
アドネは地面に跪いていた体を起こし、用意されている椅子へと腰を下ろそうとして……やめた。やはりグルンレイド辺境伯との対談では自分如きが対等に腰を下ろすという行為はやめたほうがいいと思ったのだ。幸いグルンレイド辺境伯の座っている椅子は段上にあり、アドネが立ったとしても頭の位置はアドネが下だ。
「いえ、私はこのままで問題ありません。」
侯爵という地位にいながら、王以外にこのような厳粛な態度をとらなけれいけないと嘆くのが普通だ。しかし、このような立派な部屋へ招かれ、辺境伯じきじきに対応してもらえるというのはこの地位があってこそだと、アドネは感じていた。
「要件はなんだ。」
「私が近く奴隷商を始めるということは、辺境伯のことですから耳に入っていると思われますが。」
グルンレイド辺境伯のまゆが少し上がった。そんなことは百も承知という表情だ。アドネはその貫禄に押しつぶされそうになる。
「それらを始めるめどが立ちました。それにあたって、私の領土周辺の権力者、グルンレイド辺境伯に初めに品定めしていただこうかと思いまして。」
アドネの所有している領土周辺のトップといったら辺境伯しかいない。奴隷商などのグレーな商売は裏組織に狙われる確率が高い。辺境伯に最初に利用していただくというのは、そんな奴らに対して『グルンレイド辺境伯が許可した』というアピールするためだ。それほどまでに辺境伯の影響は大きい。
「ほう、奴隷商か……。」
グルンレイド辺境伯は短い返事をし、何かを考えているようだ。
「分かった、今すぐに向かう。」
「今すぐですか!?」
「そうだ。」
その目からは、もう何も言わせるなという強い意志が感じられた。アドネは後日ゆっくりと見に来てもらおうかと考えていたのだが、グルンレイド辺境伯がこういった以上もうそれ以外の方法はない。
アドネは早急に準備をし、辺境伯とともに領地へ向かった。その決断の早さは見習わないといけない部分かもしれない、とアドネは思った。
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「こちらです。少々汚いところですが、ご了承ください。」
「うむ。」
奴隷の部屋といえども、疫病などが広まらないために多少は清潔にしておかなければならない。もちろんお客様を案内する部屋も清潔に保とうとしているのだが、どうしてもアドネの屋敷のようにはいかない。グルンレイド辺境伯を招き入れる部屋としては最悪な場所だ。だが、グルンレイド辺境伯は特に不快な表情をするわけでもなく部屋を見渡していた。
「グルンレイド辺境伯はご存知でしょうが、奴隷の区分に関してご説明させていただきます。」
この世界の奴隷は大きく分けて三種類に分けられる。
『一般奴隷』
一般奴隷は、その名の通り普通の奴隷だ。罪を犯したものだったり、金がなく権力者に売られたものだったりと、奴隷の八割を占める。
盗賊からつかまり奴隷となったものには力仕事をさせたり、売られた娘はそれ相応の目的で使われたりと用途はさまざまだ。
『貴族奴隷』
貴族奴隷は、罪を犯した貴族が奴隷となったものである。一般奴隷に比べ教養があるため、商人に買われその補佐などを行う場合がある。一般奴隷よりもかなり金額が高いのが特徴だ。
『奴隷落ち』
最後に、奴隷落ちは病気になったり、事故にあったりして腕や足がないような奴隷である。値段は安いが、使い物にならないものが大半なので、狩りの時に魔物をおびき寄せるときに使われたり、そのまま買い手がつかず死んでしまう場合がほとんどだ。
「ふむ……まずは貴族奴隷を見せろ。」
アドネの説明を一通り聞き終わると、グルンレイド辺境伯はそのように呟いた。一般奴隷はどこに行っても同じようなもので、辺境伯はその気になればいつでも手に入れられるようなものだろう。奴隷商の特色が出るのは、貴族奴隷である。グルンレイド辺境伯が一番に見たがるのも納得がいく。
「それではご案内いたします。」
使用人が扉を開け、アドネとグルンレイド辺境伯は奴隷がいる部屋へと歩き出した。
「こちらが貴族奴隷を扱っている部屋になります。」
アドネの奴隷商では区切りとして鉄格子ではなく、魔法で強化されたガラスを使用している。鉄格子ではお客様に対して唾を吐きかけたり、奴隷の悪臭が漂ってきたりするからだ。その分ガラスは空間を完全に区切ることができ、なおかつ向こう側をはっきりと見ることができる。
「あの娘はいくらだ。」
辺境伯が指をさした先には、表情が死んでいる娘がいた。その金髪と水色の瞳は、美しかったであろう輝きを失っている。
「大金貨八枚でございます。」
(銅貨:100円 銀貨:1000円 金貨:1万円 大金貨:100万円 聖金貨:1000万円)
「ふむ。」
そういって辺境伯は歩き出す。あの娘は気に入ってもらえた……のだろうか?
「奴隷落ちの部屋はどこだ。」
「奴隷落ち……ですか。こちらです。」
辺境伯ほどの方が、奴隷落ちを見る意味はほとんどないように思われる。一般的な貴族も奴隷落ちには目もくれない。理由は簡単。金があるからだ。安い値段で奴隷落ちを買うくらいなら、もう少し金を出して一般奴隷を買った方がはるかに効率がいい。奴隷落ちを買って、一日で病気で死んでしまった、なんて話はざらにある。
「あの黒いあざはなんだ。」
部屋の隅で横たわっている娘を見て、辺境伯が言う。
「悪魔付きでございます。」
悪魔付きというのは、魔物の肉を食べたり、魔物から出る瘴気を浴び続けるとなる病気である。瘴気は人間の生命力を奪い続け、死に追いやるというものだ。あのあざの量では、あの娘はもうすぐ死んでしまうだろう。
「ふむ。では、あの頭に包帯をつけている娘はどうした。」
「あの娘は左の目を失っております。」
もともと盗賊がさらっていたところを、私の護衛兵が奪ったものである。名目上は正当防衛だ。あちら側が先に攻撃した(ということにしてある)。その時にはすでに、左の目がなかった。
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一通り見たところで先ほどの上流階級を招くための応接室へと戻る。一般客と分けるということはこの世界では当たり前のことだ。使用人が紅茶とアップルパイを持ってくる。
「金髪の貴族奴隷、悪魔付きの奴隷落ち、左目のない奴隷落ちを連れてこい。」
「かしこまりました。」
やはりグルンレイド辺境伯は普通の貴族とは違うと思った。奴隷落ちを買う辺境伯なんて聞いたことがない。が、アドネはそれを表に出さずに従う。
「連れてまいりました。」
あざの広がっている奴隷落ちは今にも倒れそうなほどに弱っている。
「金髪の貴族奴隷。名前はあるか。」
辺境伯の声をきき、死んでいた瞳にわずかに生気が宿った。
「……アナスタシア」
奴隷になったと同時に貴族の性は失われるため、名前しか名乗ることを許されていない。次に悪魔付きの奴隷落ちを見る。
「今日からお前の名はリアだ。」
そう告げた。基本的に一般奴隷や奴隷落ちは人ではないため、主が名をつけることができる。
「そしてお前は、メルテだ。」
左目のない奴隷落ちにそういう。
「これらでいくらだ。」
「大金貨八枚、金貨五十枚、金貨五十枚、でございます。」
「そうか。」
そういって、辺境伯は聖金貨一枚を取り出し、テーブルに置いた。
「これで買おう。」
「辺境伯、これでは多すぎます。」
かまわん。といって、辺境伯は立ち上がり、紅茶とアップルパイには手をつけずに高級そうなコートを羽織る。
「ありがとうございます。それではこちらが奴隷契約書になります。」
三枚の契約書をわたす。奴隷になると同時に、この奴隷契約書が作成される。そうなってしまえばその契約書の所有者に危害を与えることはできなくなる。魔法によって所有者をアドネからグルンレイド辺境伯へと変更した。
「なかなかよい奴隷商だな。ガラスを使うという発想が良い。」
そういって、グルンレイド辺境伯は馬車に乗った。これでアドネの奴隷商も安泰だろう。グルンレイド辺境伯の気迫に耐えたかいがあったと、心からそう思っていた。