はじまり
目の前にいるのは、ジラルド・マーグレイブ・フォン・グルンレイド辺境伯。
通り名は極悪辺境伯。金と、美しいものを好むと聞く。
私、アドネ・バルトは、この日のために数年間をかけて準備してきた。周辺貴族として、それなりの地位と財を積み上げてきた自負はある。しかしこの方の前では、それもいかほどのものか。
辺境伯の屋敷は、噂通り、異様な雰囲気を漂わせていた。門をくぐった瞬間から空気が変わる。案内役のメイドの後ろをついていき、廊下に飾られているきらびやかな装飾品や、美しい絵画を見る。すれ違うメイドたちは私がそばを通ると深く礼をするが、笑顔など一切ない。ただ、無駄のない整った所作で、頭を下げ、また黙々と仕事へ戻っていく。
本来であれば辺境伯よりも私のほうが爵位は上だ。侯爵という地位にいながら、王以外にこのような厳粛な態度をとらなければいけないと嘆くのが普通だろう。しかしこの屋敷に一歩踏み入れた瞬間から、そんな事実はどこかへ消えてしまう。圧倒的な富と、その背後に漂う実力がそうさせるのだろう。気づけば私のほうが深く頭を下げていた。
「グルンレイド辺境伯。本日はお会いできて光栄です。」
じろり、と鋭い目が私を見据えた。何もかもを見透かしたような、そんな目だ。
「座れ。」
そういって辺境伯は段上の椅子に腰を下ろす。私も椅子に腰を下ろそうとして……やめた。グルンレイド辺境伯との対談では、自分如きが対等に腰を下ろすという行為はやめたほうがいいと思ったのだ。幸い辺境伯の椅子は段上にある。私が立ったままでも、頭の位置はこちらが下だ。
「いえ、私はこのままで問題ありません。」
その一言がプレッシャーとして私の背筋を伸ばすには十分だった。卓上には手つかずの紅茶が置かれていた。
「要件はなんだ。」
「はい。私が近く奴隷商を始めるということは、辺境伯のことですから耳に入っていると思われます。」
辺境伯の眉が、わずかに上がった。そんなことは百も承知、という表情だ。その貫禄に押しつぶされそうになる。
「それらを始めるめどが立ちました。それにあたって、私の領土周辺の権力者であるグルンレイド辺境伯に、一番最初に品定めをしていただこうかと思いまして。」
私の領土周辺のトップといえば辺境伯しかいない。その方に最初に利用していただくというのは、他の奴隷商に対して『辺境伯が認めた』というアピールになる。それほどまでに辺境伯の影響は大きい。
「ほう、奴隷商か……。」
辺境伯は短く返し、何かを考えているようだ。
「分かった、今すぐに向かう。」
「今すぐですか⁉」
「そうだ。」
もう何も言わせるな、という強い意志が感じられた。後日ゆっくり見に来てもらおうかと考えていたのだが、この方がそう言った以上それ以外の選択肢はない。私は急ぎ準備を整え、辺境伯とともに我が領地へと向かった。その決断の早さは、私も見習わなければならないかもしれない。
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「こちらです。少々見苦しいところですが、ご了承ください。」
「うむ。」
奴隷の部屋とはいえ、疫病などが広まらぬよう最低限の清潔さは保たなければならない。それでも辺境伯を招き入れる場所としては最悪の部屋だ。しかし辺境伯は特に不快な様子を見せることもなく、静かに部屋を見渡していた。
「グルンレイド辺境伯はご存知かと思いますが、奴隷の区分についてご説明させていただきます。」
この世界の奴隷は、大きく三種類に分けられる。
『一般奴隷』。その名の通り、もっとも数が多い奴隷だ。罪を犯した者、金に詰まって権力者に売られた者など、奴隷全体の八割を占める。力仕事に使われる者もあれば、それ相応の目的で扱われる者もある。用途はさまざまだ。
『貴族奴隷』。罪を犯した貴族が落ちた奴隷である。教養があるぶん商人に重宝され、その補佐などを務めることが多い。一般奴隷よりも値がかなり高い。
『奴隷落ち』。病や事故により、腕や足を失った奴隷だ。値は安いが使い物にならないものが大半で、魔物をおびき寄せる囮に使われたり、そのまま買い手もつかず死ぬことがほとんどだ。
「ふむ……まずは貴族奴隷を見せろ。」
一通り説明を聞き終わると、辺境伯はそう言った。確かに一般奴隷はどこでも同じようなものだ。奴隷商の特色が出るのは貴族奴隷である。辺境伯が一番に見たがるのも納得がいく。
「それではご案内いたします。こちらが貴族奴隷を扱っている部屋になります。」
私の奴隷商では仕切りに牢ではなく、魔法で強化したガラスを使用している。唾を吐かれたり悪臭が漂ったりすることなく、なおかつ中の様子をはっきりと見ることができる。辺境伯がガラスの前を歩きながら、中を見渡していく。
「あの娘はいくらだ。」
辺境伯が指さした先には、顔の死んだ娘がいた。金髪に水色の瞳。美しかったであろう輝きを、完全に失っている。
「大金貨八枚でございます。」(銅貨:百円 銀貨:千円 金貨:一万円 大金貨:百万円 聖金貨:一千万円)
「ふむ。」
そういって辺境伯は歩き出した。あの娘は気に入ってもらえた……のだろうか。
「奴隷落ちの部屋はどこだ。」
「奴隷落ち……ですか。こちらです。」
辺境伯ほどの方が奴隷落ちを見る意味はほとんどない。一般的な貴族も奴隷落ちには目もくれない。理由は単純だ。金があるからだ。少し上乗せすれば一般奴隷が買える。奴隷落ちを買って一日で死んだ、などという話はざらにある。
「あの黒いあざはなんだ。」
奴隷落ちの部屋の隅で横たわっている娘を見て、辺境伯が言った。
「悪魔付きでございます。」
悪魔付きとは、魔物の肉を食べたり、魔物から出る瘴気を長く浴び続けることでかかる病だ。人間の生命力を奪い続け、死へと追いやる。あのあざの量では、歩くことがやっとだろう。売り物としての価値はほぼない。
「ふむ。では、あの頭に包帯を巻いている娘はどうした。」
「あの娘は左の目を失っております。」
もともと盗賊にさらわれていたところを、私の護衛兵が奪ったものだ。名目上は正当防衛である。そのときにはすでに、左の目がなかった。
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一通り見終わったところで、上流の客を通す応接室へと案内した。紅茶とアップルパイを用意する。
「金髪の貴族奴隷、悪魔付きの奴隷落ち、左目のない奴隷落ちを連れてこい。」
「かしこまりました。」
やはりこの方は普通ではない。奴隷落ちを買う辺境伯など聞いたことがない。しかし私はそれを表に出さず従う。
「連れてまいりました。」
悪魔付きの娘は、今にも倒れそうなほど弱っている。
「金髪の貴族奴隷。名前はあるか。」
辺境伯の声を聞き、死んでいた瞳にわずかな生気が宿った。
「……アナスタシア」
貴族が奴隷となると、姓が失われる。名前しか名乗ることを許されない。次に辺境伯は、悪魔付きの娘を見た。
「今日からお前の名はリアだ。」
貴族以外が奴隷となった場合は、名が失われる。よって、主が名をつけることとなっている。
「そしてお前は、メルテだ。」
左目のない娘にそう告げる。
「これらでいくらだ。」
「大金貨八枚、金貨五十枚、金貨五十枚、でございます。」
「そうか。」
そういって辺境伯は、聖金貨を一枚取り出し、テーブルに置いた。
「これで買おう。」
「辺境伯、これでは多すぎます。」
「かまわん。」
紅茶とアップルパイには手をつけずに高級なコートを羽織り、辺境伯はすでに立ち上がっていた。
「ありがとうございます。それではこちらが奴隷契約書になります。」
三枚の契約書を渡す。奴隷になると同時に奴隷契約書が作成され、契約書の所有者に危害を加えることができなくなる。魔法によって所有者をグルンレイド辺境伯へと変更した。
「なかなかよい奴隷商だな。ガラスを使うという発想が良い。」
そういって、辺境伯は馬車に乗った。これで私の奴隷商も安泰というわけだ。辺境伯の気迫に耐えたかいがあったというものだ。




