グルンレイドのメイド
「なあヘプナー、お前グルンレイドのメイドって知ってるか?」
ここは王国内にある酒場『闘犬と果樹園』のカウンター。
「まあ、王国にいれば当然な。」
王国内で小さな服屋を経営しているヘプナーがそう答える。
「道を歩いているだけでチラホラとそんな単語が聞こえるんだが……俺は田舎もんだからよ、さっぱりだ。」
フロッグとヘプナーの2人は王国からかなり離れた村の出身であり、小さい頃はよく2人で遊んでいた。そして現在はフロッグはその村の農家を継ぎ、ヘプナーは王国へ出稼ぎに来ている。
「グルンレイドのメイドは……文字通りグルンレイドのメイドだ。」
「いやだから……普通のメイドは噂になんかならねぇって言ってんだよ。」
「ここから南西に山があるのは分かるか?」
「あぁ、あれか。」
王国は山に囲まれているため、北だろうが南だろうが山があることには変わりはないのだが、とりわけ高い山が南西と東に存在する。その一つが南西の山『フリーマウンテン』だ。
「あの山を越えた先にある領土がグルンレイド領だ。」
「……王国の目と鼻の先じゃねぇか。」
「まあ、領土的にはそうだな。」
「辺境伯は国境沿いの領地を与えられるイメージだったぜ。」
「いや?国境沿いだぞ?」
フロッグは困惑する。一度骨董品屋で大陸地図というものを見たことがあるが、王国の南西には亜人国が存在するが距離は……とてつもなく離れていた気がしていた。
「簡単にいえば、めちゃくちゃ広い。」
「まじか……」
この話でグルンレイド領、そしてグルンレイド辺境伯は普通の貴族ではないということがわかった。
「この国の王様もよっぽどグルンレイド辺境のことを気に入っているんだな。」
「いや、それがそうでもないらしい。」
「じゃあなんで……」
「まあ聞け。グルンレイド辺境伯から領地を返還させるために、幾度となく指令を出していた。時には王国の軍が動いた時もあった。」
フロッグはさらに困惑する。なぜ、今までグルンレイド領が存在しているのかが不思議で仕方がなかったのだ。
「それを全て返り討ちにしたとされるのが、グルンレイドのメイドだ。」
「そんな馬鹿な!」
「いや、現にグルンレイド領はまだ存在しているだろ?」
確かにそうだが……だがやはりフロッグは信じられなかった。
「おい!グルンレイドのメイドが通るぞ!」
突然、そんな声がこの酒場に響き渡る。入り口で男がそう叫んでいたのだ。するとその叫ぶ声も霞んでしまうような熱気を含んだ歓声が沸き起り、多くの客が一目散に外に出て行く。
「いい機会だフロッグ、お前も一度見てみるといい。」
「あ、あぁ。」
フロッグもその波に流されるように酒場の外へと出ていくと、信じられない光景が広がっていた。
この酒場に入る前は大通りは多くの人で溢れかえっていたのだが、今はどうだろうか。人々は道の端により、中央の道は誰一人いない状態が広がっていたのだ。
「有名な貴族が通るのか?」
「いいや、今からたった一人の“メイド“が通る。」
少し遅れてやってきたヘプナーがそう答えた。さっきまで歓喜していた客たちだけでなく、外に出ている全ての人のざわつきが消え、静寂が訪れる。王国のメインストリートとは思えないほどの静寂にフロッグは戦慄していた。
コツ、コツ、コツと足音が聞こえてくると、フロッグは人と人の隙間から中央を歩いている人を見た。
「メイドだ……」
「だろ?」
恐ろしく美しいメイドが、この状況に狼狽えることなく堂々と道の真ん中を歩いていたのだ。そして魔法の使えない俺でも感じ取ることができてしまうほどの魔力が、そのメイドの周囲を漂っていた。
「肌がピリピリする……」
「魔法士じゃなくてよかったな。下手に魔力を観測できちまうと、圧倒的な魔力密度にその場に倒れてしまうらしいぜ。」
少し前まではこんなヘプラーの発言も信じることはできなかっただろうが、フロッグは今なら信じることができると思った。
「あのバッジの色……ありゃローズだな。」
「ローズ……?」
メイドの胸の辺りをよくみると、小さなバッジがついているのが見える。
「銀のバッジにバラが描かれている。その花びらの色が赤ければローズだ。」
「だからローズってなんだよ。」
「グルンレイドのメイドは3種類に分けられる。一つは見習い……バラに色はなく銀のままだ。次にローズ、そして最後はマリーローズだ。見習いよりもローズの方が強く、ローズよりもマリーローズの方が強い、と覚えていればまず問題はない。」
もう少し詳しくその話を聞きたかったが、遠くから聞こえたとある声に遮られる。
「おうおう、なんの騒ぎかときてみれば……メイドだぁ?」
静寂が破られ、誰もいなかったはずの道に柄の悪そうな男数人が侵入していった。
「あーあ、たまにいるんだよ。世間知らずのゴロツキがな。」
「だ、大丈夫なのか?」
「まあ見てろ。」
ちらっと周囲を見渡してみれば立派な鎧を装備している自治団体、王国騎士団も見かけるのだが、ここにいる全ての人があのメイドを助けに行く様子がないことにフロッグは困惑する。確かに魔法が使えるからといって、あの人数相手ではメイドも厳しいのではないだろうかと考えていた。
「やっちまいましょうよ兄貴、こいつ高そうな装飾品を身につけてますぜ。」
「どきなさい。」
フロッグは一瞬、誰の声かが判断できなかった。透き通るような、そして力強い声。
「あ?」
「どきなさい、と言っているの。」
それがメイドの声だと気づいたのは、二度の発声終わって数秒経った頃だった。
「誰がお前のいうことなんか……」
ドサリ、とリーダーと思わしき男が地面に倒れた。
「お、おいへプラー何が起こったんだ!」
「いや、俺もわからん。」
グルンレイドのメイドはあの男を斬っていた。この場でそれを確認していたのは、たまたまその場に居合わせた王国騎士団の“席“の一人と、それを監視していた王国観測部隊のリーダーだけ。
「どきなさい。」
「ッ……」
後ろにいた盗賊はすぐに地面に倒れた男を担ぎ上げ、裏路地へと消えていく。次の瞬間……
「「「うぉぉぉぉーーー」」」
物凄い歓声がメインストリートを包み込んだ。
「はは……なんだ、これ。」
「だろ、思わず笑っちまうよな。」
その歓声の中を迷惑そうな表情を浮かべてメイドが、再びゆっくりと進んでいくのをフロッグとへプラーは見えなくなるまで眺めていた。