後編
「違うんだ刑事さん。俺は千絵を殺してない。千絵は自殺したんだよ!」
相変らず千絵千絵とうるさいな。明神刑事が連れてきた男は現場に着くなりそう言ってわめき散らした。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ斉藤さん。いや、恋人が死んで気が動転する気持ちは分かりますがね。そんな大きな声を出されるとまるであなたが犯人みたいだ」
みたいだ。じゃなくてそいつが犯人なんだって。
「なんちゃって」
なんちゃってじゃないっつーの。お茶目っ気のある声で言うと、大川警部補はガハハと大口で笑った。
「我々も警察も自殺だと思ってるんですがね。まあ一応ってやつですよ」
「話ならさっきしたじゃないか」
「それなんですがね。どうも明神刑事があなたに改めて話を訊きたいって言うんですよ。文句があるならコイツに言ってやってください」
大川警部はそう言うと、バンと明神刑事の背中を叩いた。
「ちょっと、痛いじゃないですか。大川警部」
「こちとら我侭に付き合ってやってんだ。我慢しな」
「はぁ……」
明神刑事は生返事をすると、深呼吸して居住まいを正していた。
なんか頼りないなぁ。ほんとに大丈夫かな。
「それでは改めて訊きますが、斉藤孝〈たかし〉さん。あなたはあそこにいるご遺体の高橋千絵さんの婚約者だったという事で間違いないですね」
「そうだよ」
「あなたは高橋千絵さんに多額の借金をしていた。そして今日も金の催促の為に彼女の部屋を訪れた。それで間違いないですか?」
「そ、そうだよ」
「そして高橋千絵さんの死体を発見した。失礼ですが部屋に入ったのは合鍵で?」
「合鍵持ってちゃ悪いのかよ」
明神刑事が訊ねるのに斉藤が突っかかるように言う。それを大川警部が宥めるように言った。
「いえいえ恋人同士ですからなぁ。合鍵くらい持ってるでしょう。それでゴルフクラブで後頭部を殴打して自殺している高橋千絵さんを発見したわけですな」
「そうだよ。それで部屋の中に入ったら千絵が……千絵が死んでたんだ。机に遺書があって『わたしはもう生きるのに疲れました。死にます』って書いてあって」
「エスペラント語で遺書書くなんてなかなか洒落たお嬢さんですなぁ」
「あいつはそういう所があるんだよ」
いやねぇよ。あんたが書いたんだろ。
「とにかく千絵は自殺したんだよ。遺書があるのがその証拠だろ」
「いや、全くその通りですな。明神刑事やはりこれは自殺だよ。借金を頼みにきた恋人が合鍵で彼女の部屋に入ると、ゴルフクラブで後頭部を殴打して自殺している高橋千絵さんの遺体を発見した。机には遺書。これでどこに自殺を疑う疑問の余地があるというのだね」
疑問の余地ありまくりでしょ。しっかりしてよデブ。
明神警部は質問を続ける。
「借金の事で揉めたりはしなかったんですか?」
「揉めるわけないだろ。千絵は喜んで俺に金を貸してくれてたよ」
喜んで貸してないっつーの。というかそれが嫌で別れ話を切り出したら、あんたがゴルフクラブで殴ってきたんじゃん。
「まあ、結婚したら財布は一つになるわけですしなぁ。借金でというのは殺人の動機としては弱すぎますわなぁ」
大川警部がのんびりとした声で言う。いやいや動機として十分過ぎるだろ。ああもう、このままじゃ本当に自殺にされちゃう。
「ちなみに借金の金額を教えてもらってもいいですか?」
「五十万」
五百万。
「なるほど」
明神刑事は頷くと、目を細めた。
「明神刑事もういいだろう。こんな綺麗な目をした青年が殺人を犯すはずがない。俺の人を見る目は確かだよ」
人を見る目ってなによ~。そんなんで犯人かどうか決めないでよ。とにかくそいつが犯人なんだって。
「まあ、もう少し時間をください。大川警部」
おお、食い下がってる。明神刑事頑張って。
わたしが応援していると、明神刑事はわたしの手元を指差した。
「彼女の手元に〈サイトウ〉と血の文字で書いてあるのですが。これは斉藤さんの事ではないですか?」
そうそう、それは斉藤の事なの。ダイイングメッセージなの。
「確かに〈サイトウ〉と書いてあるように見えるけど、俺は漢字で〈斉藤〉だぜ? ここに書いてある〈サイトウ〉はカタカナじゃないか。俺の事じゃない」
「なるほど」
なるほどじゃないよっ。ああもう、明神刑事もあんまり当てに出来ないかも。
わたしがはぁとため息をついていると、
「明神刑事。これだけ捜査しても彼女が自殺であるという証拠しか出ないんだ。刑事は疑う事が仕事だが限度ってもんがある。そろそろ満足してくれないかね」
「そうですね」
大川警部が諭すように言うのに、明神刑事が諦めたように頷いた。
うそでしょ。犯人はあいつなのに。
このまま自殺で処理するっていうの? ちょっと待ってよ。お願い待って。
「ああそうだ。最後に一つだけいいですか?」
思い出したように明神刑事は斉藤の顔を見ると、
「実はあなたの犯行を目撃したという目撃者がいるんですよ。それについてはどう思いますか?」
「目撃者だって? 俺が開けるまでこの部屋は千絵しかいなかったんだぞ。目撃者なんているわけねぇだろ。誰だって言うんだよ?!」
「彼女ですよ」
そう言うと、明神刑事はわたしを指差した。
え、わたし?
「そう、あなたです」
もしかして、明神刑事ってわたしの声が聞こえるの。
「ええ、あなたは何度もこの男が犯人だと証言していましたね」
そうそう、そいつが犯人なの。もうばっちり死に際に目撃しちゃったから。
「彼女の証言によると、あなたが犯人だそうです」
「ちょ、ちょっと待てよ。死体が目撃者だって? あんた頭大丈夫か? おい相棒の刑事さん、あんたもなんか言ってやってくれよ」
大川警部はふーむと口ひげを撫でると、
「目撃者が現れたというなら仕方ありませんなぁ。ここに来て他殺の線が浮上してきました。任意で同行……お願いできますかな」
「な……」
え、それでいいのか大川警部。いや、わたしはいいんだけど。
「斉藤さん。ご同行願えますか?」
重ねるように明神刑事が言った。
「なんなんだよあんたら。さっきまで自殺って言ってたじゃねーか。それが死体が証言したから俺が犯人だと? 死体は喋らねーだろ。常識的に考えて!」
「馬鹿やろう! 常識常識って、てめぇは刑事ってもんが欠片もわかってねぇようだな。わからねぇってんなら教えてやる。刑事ってのはなぁ常識を疑う生きもんなんだよ。死体が喋らねーだと? 勝手に決め付けんじゃねぇぞこの青二才が!」
おお、大川警部。ちょっとかっこいい。
「な、な、な、なんなんだよアンタら、俺はやってねぇぞ! 借金を断られて別れ話を切り出されたからゴルフクラブで後ろから殴ってなんてないって言ってるだろ! くそっ、なんなんだよそのトンチンカンな捜査はよぉっ。ふざけんじゃねぇぞ!」
それはもはや自白では?
斉藤がナイフを取り出して明神刑事に切りかかる。しかし、明神刑事はナイフをかわし相手の腕を掴むと投げ飛ばした。
「公務執行妨害であなたを逮捕します」
そして間髪入れずに手首に手錠を掛けた。
それを合図にばたばたと警察官が部屋に入ってくる。
「大丈夫ですか!」
「ええ、大丈夫です。この男を署に連行してもらえますか?」
「はっ、わかりました」
明神刑事が斉藤を警察官に引き渡すと、そのまま斉藤は連行されわたしの視界から消えた。
大川警部は連行される斉藤を最後まで見送ると、
「まさかあれだけ自殺の証拠が揃っていながら他殺だったとはなぁ。明神刑事、君が正しかったようだ。すまない」
そう言って明神刑事に頭を下げた。
いやいや、あれのどこか自殺の証拠だったのよ。
「いいえ、大川警部。あなたは悪くありませんよ。彼の偽装工作は完璧でした。私も彼女の声がなかったら自殺を疑っていなかったでしょう」
明神刑事も自殺を疑ってなかったんかい。
「目撃者がいてくれて助かりました」
「まったく、目撃者様様だよ。明神刑事、俺は先に署に戻ってる。目撃者をちゃんと供養してやれよ。俺には専門的な事はわからんが、自縛霊にでもなったら次にこの部屋に住む奴が可哀想だからな」
手をヒラヒラとさせながら、大川警部が去っていった。
明神刑事はそれを見送ってから、わたしの脇に膝をついた。
「ずっと無視していて、すみませんでした」
明神刑事はわたしの声がずっと聞こえてたの?
わたしが訊ねると、明神刑事が優しく頷いた。
「ええ、私は陰陽師の血を引く家の出でしてね。昔から霊的なものとの縁〈えにし〉が深いのです。殺人現場に行くと稀にあなたのような喋る死体に出会う事もあるのですよ」
そうなんだ。それならそうと、早くあいつが犯人だって言って欲しかったんだけど。
「それはあなたが嘘をついているという可能性もありましたので」
失礼な、わたしは嘘なんてつかないよ。
「そうですね。彼が語るあなたとあなたの態度があまりに違うものですから、あなたの方が正しいという結論に至りましたが、もっと早く判断してもよかったかもしれません」
ねぇ明神刑事、アイツはちゃんと罪を裁かれるよね。
「ええ、もちろんです」
よかった……。
安心すると、なんだか体が軽くなったような気がした。
「怖がる必要はありません。魂が成仏しようとしているのです」
明神刑事の呪文が聞こえてくる。
魂が体を離れていくのが自分でもわかる。
死んじゃったのは残念だけど、これでわたしも未練なく逝く事が出来る。
明神刑事を見ると、片目を瞑ってウィンクをしていた。
そして――。
それが死体としてわたしが見た最後の光景となった。