三章:5 脱和
そこからの流れは正直あまり覚えていない。
「ダメだ」
「魔界行きは、許さない」
ただそう喚いていたことを覚えている。
え? でも……と驚く朝凪に、ただただ繰り返す。
「許さないと言ったら許さない。
これは決定事項だ」
もはや議論と呼べる状態ではなかった。
その後もこんな調子が続き、もう遅い時間だったからか、話にならなかったからか、その場は微妙な空気のまま解散した。
失望しただろうか。
教主がこんな感情的で理路整然さの欠片もない人間で。
それとも、やはり狂人だったと改めて思い知ったか。
夜道、ふらふらと歩き自宅へ向かう。
念のため、住所を頼りにミュウトの家にも寄ってみたが、彼女はいなかった。
(行ったことはなかったが、ギフトはたまに贈り合っていたので住所だけは互いに知っていた)
調べると、会員は魔界へ発つまで、脱和グループが借りている物件に格安で泊まれるそうだ。
全く、至れり尽くせりだ。
コンビニで買った酒をぐいっと飲む。
通りすがりが危険人物を見るような目でこっちをみるが、もう、何もかもどうでもいい。
現実ってヤツはどうしてこうも、どうしようもないものなのだろうか。
ミュウトは寒いから出発を春まで延期しただけ。
その間に魔界行きの準備をよりちゃんとするって話になれば、そりゃそうなる。
シャーリの話も、もはや俺のようなフワフワした人間が何か言える話ではなかった。
そりゃそうだ。みんな人生を本気で生きてる。
くだらない遊び感覚で、宗教だなんだ言ってるアホの出る幕じゃあないんだ。
自分のこれまでの歩みがひどく薄っぺらいもののように思えてくる。
『結局、お前は逃避していただけ』
そんな言葉が、軽くアルコールの入った脳を何度も駆け巡る。
明日からどんな顔して彼らに会えばいいのか。
教祖が一番、己の教えを、在り方を疑っている。
教祖失格にもほどがある。人の上に立つ器ではなかったのだ。
逃げるように自宅へ戻ると、宅配ボックスに荷物が届いていた。
頼んだ覚えのない届け物。
ただ、住所も宛名も間違いなく自分のもの。
こんな時になんだよ、とひったくるように取って家の中に入る。
普通のアパート。
入社したてのときに借りた少し広めの1LDK。
退職前の稼ぎならもう少しいいところにも住めたが、特に広い家に住みたい欲求もなかった。
テーブルに荷物を置いて乱暴に開けると、プレゼント用の包装紙が出てくる。
何の心当たりもない。
訝しむようにそれも開く。
丁寧な包装紙の中から出てきたのは、一枚のカードと一本のワインだった。
高級酒『エルフの妙薬』
超高級酒『エルフの秘薬』が少しだけ安く求めやすくなったもの。
とはいえ、いい値段はするはずだ。
寝かせば寝かすほど美味しくなる、という触れ込みだ。
逆に飲むタイミングに困るし、いつ飲むのが最適なのか分からない。
そのテーマだけでミュウトとの話が一時間盛り上がったのを覚えている。
カードを見ると手書きの文字。
あいつの手書きの文字など今まで見たことはなかったが、
丁寧ではないがどこか品を感じる筆跡で、ミュウトの字だと直感した。
八年物
いつ飲んでもいいから
あなたがいて、楽しかった
今までありがとう
お元気で
別れのメッセージのつもりだろうか。
連絡もよこさずにこんなものだけ送りやがって。
心底そう思った。
やたら豪華な包みやお洒落なメッセージカードが今はただ苛立たしい。
『親愛なるあなたへ』という印刷の文句も、俺達の間柄には浮いて見えた。
プレゼントのセンス自体は、あいつらしい。
けど、こんなメッセージカードはあいつらしくない。
きっと……
映像の端に映ったミュウトを思い返す。
脱和グループの活動の一環なのだろう。
残していく人たちに贈り物を、とかどうせそんなノリ。
このプレゼントも、いかにもカタログにありそうだ。
途端にふつふつとしたモノがせりあがってくる。
解釈違いだ。
輪になって座りパチパチ拍手するあいつも、こんなメッセージ贈るあいつも。
何より、『あなたがいて、楽しかった。今までありがとう』なんて歯の浮く言葉、あいつらしくない。
『ありがとう? あなたがあたしに感謝しなきゃいけないことの方が多いでしょ。あたしが何を感謝するのよ』
うん、これがミュウトだ。
クソみたいなセミナーに感化されやがって。
作例にどうせ『感謝の言葉を』とか『相手がいて、どういう気持ちだったかを伝えましょう』とか書いてあったに違いない。
見れば見るほどそんな文章だ。
酒選びのセンスだけは認めるが、脱和グループのサイトを少し調べると……やっぱりそうだ。
入会者のみが購入できる『お得なギフト』に、この酒があった。
「和国に遺す人たちのために」とかいう薄ら寒いキャッチコピーと共に。
ミュウトは、こんなんじゃない。
俺の心の底の底の底が、こんなミュウトを否定しているのだ。
日に日にこんなものに染まっていくミュウトなど、想像するだけで吐き気がする。
何が脱和グループ。
何が魔界行き。
今この瞬間に確信した。
俺が人生で打破するべきものは、あいつらだ。
あれが、俺の敵だ。
ボトルを開け、一気に飲み干す。
何年も置いて欲しかったか? 残念だったな。
思い通りになど動いてやるものか。
奴らの全てが敵だ。
奴らの言ってることが一種の正論だとか、さっきはそんな話をしていたな。
じゃあ正論も俺の敵だ。
敵が見えた途端、次第にやるべきことが見えてくる。
ミュウトはなんとしてでも奪還しなければならない。
なにせ大切な同期だ。敵に渡すわけにもいくまい。
真実だろうが、しみったれた現実だろうが、その全てを俺が超越してやる。
アルコールでカッと上がっていく体温。
その焼けるような感覚とは裏腹に思考はクリアになっていた。
あいつらを打ち滅ぼし、ミュウトを奪還する。
そのために必要なのは……。
スマホを手に取り、かける。
あいつはまだ起きているはずだ。
「なんじゃ?
先程の会議では大分様子が……」
「天啓が降りた。会って二人で話したい」
「……ほぅ」
ニヤリとした顔が、実際に見ずとも電話越しにも分かった。
「正論を、超える」




