六柱結界 一
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体、寺社仏閣などとは関係ありません。
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ホテルを出て、私達は壬子が運転するSUVに乗り込んだ。
車が動き出し、軽快な走りで博多区の町並みを抜けてゆく。
最近SUV乗っている人増えたなと感じていたけど、確かにこれはいいな。
「これマツダのCX-五ですよね? 乗ってる人増えましたよね」
「ですね。ハリアーと悩んだんですけど、こっちにしました」
車は大通りを南下していく。道沿いには関西では見ない大型店が多く見えた。
ドンキとセカストとブックオフはどこにでもあるなと、逆に安心感もあった。
現場へ向かう車内で、私は壬子に質問するために改めて声を掛けた。
柱をいちいち地中に埋めている理由が気になったからだ。
「今更ですけど、柱を地中に埋める理由ってあるんですか? 地上で祀って管理することってできなかったんですか?」
私の疑問に、壬子は「はは……そうですよね」と、苦笑い気味に笑った。
どうやら、なにかそうはできない訳があるようやな。彼女が説明してくてた。
「静夜殿のおっしゃるとおり、祠などを用意して管理が出来れば、それが管理する上では一番容易ですね。実は百五十年前までは、祠で管理していたんです。道真公の怨霊を鎮めるための祠として、地元の住民にも認知されていました。ですが、神仏分離令が発令され、神社と寺院が合併した安楽寺天満宮から太宰府天満宮として大社に指定されたことにより、大社周辺地域に住民が密集することになってしまい、土地の争いが発生したんです」
──土地争い?
天満宮周辺の土地のほうが、資産価値があると判断したのだろうか?
まぁ、確かに商売人ならそれも理解できるが、一般の住民まで何故周辺に固執したのだろうか?
「当時の周辺の土地を管轄していた福岡藩主である黒田氏が、太宰府天満宮として創建されるのを機に、門前町をより大きく整備するために、周辺一帯地域の区画整備を行なったのです。土地は人を集めるために比較的収める年貢や地子が低く提供されたようで、周辺に住んでいた住民たちや博徒、浪人が群がり、土地の権利の奪い合いとなりました」
そういうことか。土地を貸与する側からすれば、誰が購入しようが、納めるものを納めれば関係なかったのか。
要はその藩主は、土地ころがしを行なったのだろう。より商売がしやすい門前町にするために。
別にめずらしいことじゃない。土地という生き物は、いつになっても争いを生むものだ。
「それで祠が撤去されたと?」
私の、質問に対して壬子は首を振った。
「いえ、そこも揉めたそうですよ。ですが、当時の久井家の当主が、藩主である黒田氏と交渉を行い、完全な撤去ではなく、柱を地中に埋めて管理すること、そしてその土地は、帝へ寄進する地とすることで合意を得たのです。のちに明治時代に行われた地租改正によって、この土地は当時の帝から宇野浄階へ下賜され、その後改めて国に譲渡したと聞いています」
ほへー、宇野浄階そんなことまでやってやんや。聞く武勇伝がすべてストイックすぎるやろ。
でもそれって、土地が買収できんなら、祠維持できたんじゃないの?
「買収できるならとお考えですか? ですが、祠は祠でデメリットもあるんですよ。外部からの物理的な損壊です。台風や地震等の自然災害で破壊される可能性もあったので、最終的に地中で管理するに落ち着き、むやみに土地を譲渡できなくするために、国有の土地としたのです。土地を大社の名義にしてしまうと、土地の区画的に周辺の開発に影響がでると判断した上での譲渡だったそうですよ」
──なるほど、筋の通った話だ。
しかし、私は経済とか不動産価値とかその辺りの話題には、まったくの素人だが。
それぞれの土地には、深い歴史があるんやなと少し感動してしまった。
車が大通りから左折し、住宅街を進み始める。到着が近いのだろう。
比較的昔からある住宅街なのだろうか、ある程度の築年数を経た住宅街を抜ける。
「まもなく最寄りの柱に到着します。近くのパーキングに停めますね」
この度は、当作品をお読み頂きありがとうございます。花月夜と申します。
当作品は、初めての執筆作品となります。
当方執筆に関して、完全な素人な為、至らない点が数多くあると思います。
ですが、書き始めたからには、皆様に読んでよかったと思って頂けるような作品にして行きたいです。
これからも、随時更新して参りますので応援いただけると幸いです。
ありがとうございました。今後とも応援よろしくお願い致します。




