プロローグ1
高く鋭い、金属音。
これまでに私が何度も耳にして来た、金属と金属が打ち合う、独特な色の音。
私の好きな、とても聴き慣れた、いつもの音だ。
それは、モニターの左右に置かれた、少し小さめのスピーカーから鳴り響いていた。
“カーン!カーン!カーン!“
その音に合わせるように、画面の中では赤い髪の猫耳少女が、何度も槌を振り下ろす。
それを見るたびに思い出されるのは、私が幼い頃に一度見た、鍛冶師の姿。
私の父の、真剣な表情だった。
◆
深夜1時。
目の前の画面に映っているのは、MMORPG「エターナルワールド オンライン」の世界。
いわゆる、多人数参加型のオンラインRPGゲームというやつだ。
ある時突然ネットで話題になり、それ以来、凄い勢いでプレイヤーの数を増やしている超有名オンラインゲーム。
かく言う私もその面白さに魅入られ、こんなド深夜までプレイしてしまっている。
ちなみに、このゲームの制作会社は大手のゲームメーカーではなく、最近設立されたばかりの無名のゲーム会社らしい。
そして、そのゲーム会社の最初のタイトルが、この「エターナルワールドオンライン」だ。
私はそのゲームの中で鍛冶師となり、夜な夜な武具の制作に勤しんでいた。
今日もいつものように、こんな遅い時間までゲームに没頭してしまっていた。
「おい、月穂。入るぞ。って、やっぱりまたそのゲームか。お前それほんと好きな」
「あ、おにい。って、なんで勝手に部屋に入って……」
「あーはいはいはい。文句言う前に取り敢えずその音を下げようか。カンカンうるさくて寝れやしないぞ」
「え、あー。ごめん」
「てか、今何時だと思ってるんだ。親父が怒って来ても知らねえぞ」
「え?時間って、うわ、もうこんな時間!?」
ノックもなしに勝手に入って来たこの男は、私、詠村月穂の3つ上の兄、詠村照史だ。
いくら兄妹とは言え、高3女子の一人部屋に勝手に入ってくるというのは、少しデリカシーが足りない気がする。
そんな兄だが、何だかんだといつも私の事を気にかけてくれる、私にとってはとても大好きな自慢の兄だ。
「つーか大丈夫なのか?明日はお前にとって大事な日なんだろ?寝坊しても知らないぞ」
「うん。そうだね。じゃあ、もうちょっとしたら私も寝るよ」
「いや、今すぐ寝ろよ」
明日は私にとって大事な日。
私の夢の為の第一歩が始まる大切な日だ。
「だって、このゲームとも今日でさよならかも知れないから、最後にやっておきたい事があるんだよ。大丈夫、すぐに終わらせて寝るから」
私は明日、朝から父の仕事場についていく事になっている。
父の仕事は刀鍛冶。
この今の時代では数少ない、専業の鍛冶師だ。
私は幼い頃に見た父の仕事風景が忘れられず、その時に作ったという、一振りの綺麗な刀を見て、心を奪われてしまった。
父の最高傑作。
この界隈でもそれなりの名匠とされていた父が作り上げた、渾身の一振り。
それを見た私は、言葉にならない気持ちが込み上げ、いつしか、自分も鍛冶師になりたいという夢を抱くようになっていた。
夢は、世界一の刀鍛冶職人。
女だからって関係ない。
世界にたった一つの、父の最高傑作に並ぶ、いや、それを超えるほどの刀を、この手で作り上げたいと思ったのだ。
しかし、そんな私の夢に対して、父は断固として反対した。
あのとても優しい、むしろ娘には激甘なくらい親バカな父が、聞く耳も持たずに反対した。
理由は単純明快だった。
私が女子だからという事もあるが、そもそも、鍛冶師という職業は、この時代ではもう仕事としては成り立たないという。
長男である兄に対しても、後を継がせようという素振りすら見せなかったのは、鍛冶師は父の代で終わらせる覚悟を決めていたかららしい。
それでも、兄がどうしても鍛冶師を継ぎたいと強く言えば、後継として教える事もやぶさかではなかったかも知れないが、それを言い出したのがまさかの娘である。論外だ。
職人の世界は厳しい。
特に鍛冶師のような歴史や伝統のある職人の世界となれば尚更。
そんな世界に、年端も行かない、まして自分の大切な一人娘が足を踏み入れるなど、止めない方がどうかしている。
そんな事は私も十分理解していた。
父からの理由を聞いても、反論できる部分など、1ミリもなかった。
父は意地悪や意固地で反対をしているわけではない。
むしろ、私のために反対してくれているのだ。
でも、私はそれでも諦められなかった。
理屈とかそういうのではない。とにかく鍛冶に魅入られていたのだ。
私は何度も何度も説得を繰り返し、兄にも何度も頭を下げて協力を仰ぎ、そしてようやく、「見学をするだけなら」という言質を勝ち取った。
それが明日。
あの幼い頃に一度行ったきり、ずっと立ち入りを禁じられていた父の作業場。
そこへようやく再び入る事ができる。
私は今まで、鍛冶に関するたくさんの勉強をして来た。
鍛冶打ち体験のイベントにもたくさん参加して来たし、知識だけなら父にも引けを取らないとも思っている。
もっとも、知識だけでは立派な刀どころか、なまくら刀すらも打つ事はできないだろうという事もちゃんと理解している。
「まったく。親父の説得がどれだけ大変だったかわかってるんだろうな。これで寝坊したから行けませんでしたとか、マジないからな」
「大丈夫だって。絶対起きるから。いつもいつも感謝してます、お兄様」
「何がお兄様だよ。この借りはデカイからな」
「わかってますとも。あと、その借りのついでに、もし起きれなかったら叩き起こしてください。どうぞお願いいたします」
「お前なぁ……。やれやれ。明日の朝は寝起きのいいお嬢様である事を願うばかりだよ」
「ありがとう!おにい大好き!!愛してる!!」
「はぁ……。とにかく、さっさと寝ろよ」
「はーい」
そう言って部屋を出る兄。
私はそれを見送り、再びゲーム画面に向き直る。
「よし、やり残した事をさっさと済ませて、とっとと寝るぞ」
◆
私がエターナルワールドオンラインに出会ったのはおよそ2年ほど前。私が高校1年生の頃だ。
鍛冶師としての夢を反対され、少しやさぐれていたその頃。
私はこのゲームに出会った。
この世界の中では、私は鍛冶師として生きていられる。
もちろん、ボタン一つで武器ができてしまうお手軽システムの鍛冶は、現実のそれとは似ても似つかないものではあったが、それでも私は興奮を止められなかった。
この世界の鍛冶システムはなかなかに凝っており、同じ材料を使えば誰でもまったく同じものができるというものでは無く、スキルの熟練度や、所持スキルの種類や数も完成度に影響し、素材を選ぶ順番や武器を作成するアイコンを押すタイミングなどでも出来上がりは違ってくる。
その仕様に関しては非公開の為、何かしらの法則があるのか、それとも完全にランダムなのかは不明ではあったが、これまでの経験や勘で作られた武具は、確かに成功率が高かった。
そんな世界に魅せられた私は、有り余る時間のほとんどをゲームに注ぎ込み、ガッツリと廃プレイをしてしまっていた。
画面の中には、そんな私が手加減なしで育て上げた、一人の鍛冶生産職のキャラがいる。
『鍛冶師エト』
そんな私の廃キャラが、今まさに、画面の中で槌を振り下ろそうとしていた。
“—————キン!!!“
仕上げのひと叩きの音が大きく鳴り響く。
すると、画面上に「コンプリート!」の文字が現れ、それと同時に、完成した武器の詳細が表示された。
武器名:覇斬の剣++
攻撃力:774
耐久力:507
武器ランク:A
生産者:エト
「え……」
画面に表示された詳細ウィンドウを見て、私は思わず声を漏らした。
ランクA++のダブルハイクオリティ品。
「いや、頼まれものの、ただの納品クエスト用の武器で、ハイクオリティ品を作ってどうすんのよ……」
ハイクオリティ品とは、いわゆる会心の出来というやつだ。
その会心の出来の中でもさらに会心の出来の物がダブルハイクオリティ。
もちろん、その能力値は通常の物よりもずっとずっと高い。
ちなみに、クエストで必要なのは「鍛冶師の銘の入ったランクA武器」であって、ハイクオリティ品である必要はない。
というか、何故かハイクオリティ品は納品の指定外だったりする。
「ええ……。どうすんのこれ」
今作ろうとしていたのは、チームメンバーから依頼されていた、クエスト用の納品アイテム。
私は今日でこのゲームを引退するつもりだったので、最後にやり残していたメンバーからの依頼品を作っているところだった。
しかし、これは依頼されていたものではない。
早く寝ないといけないのに、また一から作り直しとか、普通に泣ける。
「でも、ランクAでダブルハイクオリティとか、かなり久々に作ったかも。しかも攻撃力700オーバーとか、普通におかしいし。何気に過去一の出来だよ」
同じ剣でも、製作者の鍛冶スキルレベル等によって武器性能が左右される。
それが、このゲームの鍛冶システムだ。
当然、鍛冶スキルを初めとした、様々なスキルをカンストしている私にとって、ハイクオリティ品が出来ること自体はさほど珍しい事ではない。
だが、このタイミングでまさかのダブルハイクオリティ品。
しかも異常に高いその性能値。
まあ、クエストの報酬額を遥かに超える値で売れる訳だから、むしろ喜んで貰えるよね。
私は無理矢理そう納得し、表示されていたままだった武器詳細ウィンドウを閉じる。
そして、早速その武器を依頼主のチームメンバーに届けるため、鍛冶場を出る事にした。
私がマウスを操作して、キャラを鍛冶場から動かそうとしたその瞬間、何気なくふと思ってしまった。
「そう言えば、こういう時ってわりと同じことが続いたりするんだよね」
完成した剣を思い出しながら、私はそう呟いた。
そう。これまでの傾向として、私の鍛冶には波がある。
ダメな時はとにかくダメだが、いい時は割と連続していい結果が続く。
「今日なら、いけるかも……」
私はそう呟き、時計を確認した。
「あと一本だけなら、いけるよね」
私はもう一つ、武器を作ることにした。
◆
今から生産する武器は、先程作った「覇斬の剣」よりもかなり難易度の高い武器。
ランクSの神級武器【神剣エターナル】
このゲームが始まって以来、まだ作成に成功した人がいない、最高難易度の神剣だ。
神槍や神弓など、剣以外の神級武器は既に幾つか作成されているが、神剣はない。
そもそも、本当に実装されているのかすら疑われている幻の武器だ。
全ての生産品の中でも、ぶっちぎりで難易度の高い武器という触れ込みで、鍛冶師にとっては憧れの存在であった。
そんな神剣の生産に必要な素材は、一応公式で公開されている。
実は、神剣は未実装なのではないかという、ユーザーからの大クレームにより、運営は大炎上し、異例のレシピ公開がされていたのだ。
そして、その公開されたレシピを見た鍛冶師達は、愕然とした。
材料のほとんどが、ランクSモンスターから超低確率で獲得できる素材であり、その数も多岐に渡る。
さらには一定以上の鍛冶スキルと、特定の条件をクリアしている事が必要との事だった。
それを知ったユーザーのほとんどは無理ゲーだと判断し、神剣の作成を諦めるほどの鬼畜仕様であった。
それでも、神剣作成を諦めない物好きな者は一定数存在したが、未だに成功者は現れていなかった。
かくいう私も、その物好きな者のうちの一人だ。
私もまだ作った事のない、未知の領域Sランク武器。
神級武器と呼ばれるSランク武器の生産の成功率は超低確率で、失敗すると素材は全てただの「灰」になってしまうらしい……。
素材集めに数ヶ月、売れば先ほどの剣が数十本は買えるくらいの価値がある素材だ。
それが一瞬で消えてしまう可能性。
これまで何度も似たような様な事はやって来たが、今回はその比ではない。
一回数十万円の課金ガチャから小数点以下の確率のSSRを一発で引き当てようとしているようなものだ。
そんな事を思っていると、だんだんと不安になってきた。
しかし、このタイミングを逃すと、神剣にチャレンジする機会はもう来ない。
むしろ、これは引退直前にやって来た絶好のタイミングとも言える。
せっかくみんなで集めてくれたこの素材。
無駄に使って灰にするよりは、こっそりとチームの倉庫に送ってチーム運営の資金源にしてもらおうと思っていたが、倉庫を開けたら神剣が!?ってのも悪くない。
控えめに言っても、バチくそにカッコいい。
うん。これ以上の特大サプライズはそうそうないはずだ。
まあ、そんな上手くいくわけは無いんだろうけど。
「……よし」
私は大きく息を吐き、画面をじっと見つめながら、思い切ってマウスを動かし、生産を開始した。
”カーン!カーン!カーン!”
金属を叩く音がスピーカーから部屋中に鳴り響く。
私の脳裏には、失敗した時の光景がチラつきながらも、心を落ち着けてマウスを動かす。
神剣をつくるために必死に集めた希少素材……。
ギルドのメンバー全員が、たくさん苦労して集めた素材。
私は、失敗するかもしれないという不安に押しつぶされそうになりながらも、画面の中で剣を打つ自分から目を背けずに、最後のアイコンをクリックした。
ピロン!
と、その時。今までに聴いたことのない効果音がスピーカーから発せられた。
「え、もしかして、失敗……した??」
思わずそう呟いたその瞬間。
“キーーーン!”
仕上げのひと叩きとともに大きな音が鳴り響き、同時にゲーム画面は真っ白に埋め尽くされた。
「眩しいっ!な、なんなの!?」
突然の光に思わず一瞬目を背けてしまった私は、恐る恐る画面の方に向きなおった。
そこにはいつものゲーム画面とともに、真ん中に大きく「コンプリート!」の文字の表示されていた。
「え?!え?!?!」
そしてその文字はすぐに消え、画面には仕上がった武器の詳細ウィンドウが表示された。
武器名:神剣エターナル
攻撃力:6361
耐久力:3809
武器ランク:S
生産者:エト
「!?」
思わず言葉を失った。
私はほぼ放心状態となりながらも、時間をかけてゆっくりと状況を整理する。
「まさか……でき……た」
成功。
みんなで必死に集めたレア素材の数々は、灰になる事はなかった。
むしろ、私が灰になっていたが……。
そのまま画面の前で灰化して十数分後、視界の中でうっすらと見えた「神剣」の文字に、私は正気を取り戻した。
「え?え?嘘!?神剣完成してる!!ええええ!?ホントに!?」
数分間、驚きと喜びを交互に繰り返していた私は、さらに時間をかけて徐々に落ち着きを取り戻し、画面に表示されている武器性能を、ようやくじっくりと確認することが出来た。
「は!?攻撃力6000越え!?え、なにそれ?マジ!?武器の能力値って999が限界だったんじゃないの!?これおかしくない?」
再び落ち着きを失った私だったが、いてもたってもいられず、取り敢えず所属チームへの報告をする事にした。
倉庫にこっそりサプライズなど、もはやどうでも良くなっていた。
私はチームのグループチャット画面を表示し、まずはログを確認する。
「だれか!誰かいない!?」
しかし、グループチャットの最後のログは数時間前で終わっており、誰もいないようだった。
「そっか。こんな深夜じゃ流石に誰もいないか……って!今何時!?」
時計を見ると、すでに深夜3時も回り、もうすぐ4時になろうとしていた。
「ヤバイ!早く寝なきゃ!!って、これ寝たら絶対起きれないやつだよね!?ノォぉぉぉぉぉ!!!」
明日の起床は午前7時。
単純計算すれば、今すぐ寝れば3時間は睡眠が取れる。
しかし、起きれる自信は全くない。
あの兄が起こすのを頑張ってくれたとしても、敗戦が濃厚だ。
「お、落ち着け、私。まだ焦る時間じゃない」
そもそも、そんな落ち着いていていい時間でもないのだが、今更どうしようも無い。
この瞬間、私の徹夜が決定した。
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