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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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番外編  ロジェリンとファランギス


 エルは、まだ覚めやらないままに傍らの温もりを求めて無意識の内に手を伸ばしていた。だがそこに温もりは無く、ただ冷えた敷布の感触があるばかりである。

 「ロジェリン...?」

 やがてぼんやりと目覚めたエルは、細い声でその名を呼ぶが返答は無い。


 一行がルモンド・フェビアン卿の好意に甘え、この屋敷に移り早々、エルは七日程を寝込み大人達をやきもきさせた。そしてエルの具合もすっかり良くなった頃、まるで入れ替わるかの様にロジェリンが寝込んだ。十にもなって未だ独り寝を厭うエルは、常にロジェリンに添い寝をしてもらっていたが、さすがに寝込むロジェリンに添い寝をしてもらうわけにもいかず、かといって父にその事を訴える事も出来ずにいたが、父の方は心得た物で毎晩エルが寝付くまで寝台の傍らで寝物語を語ってくれた。その大方が今は亡き母の思い出話であり、故国ユトレアの話であった。


 エルは、眠気眼のままのろのろと起き上がった。燭台には灯が灯っていた。鎧戸を閉め切った暗い室内をぼんやりと灯している。先に起き出したロジェリンが灯した物であろう。五日程寝込んで後、ロジェリンは再びエルに添い寝をしていたが、朝に強く無い筈のロジェリンがここ数日頓に早起きであるのだ。エルは首を傾げながら寝台を抜け出すと、冷えた空気に身を震わせながら大急ぎで着替えた。



  

 その頃ロジェリンはといえば練武室で一人、額に汗しつつ鍛錬を積んでいた。三日前の事がロジェリンの脳裏をよぎる。久々にファランギスと剣を合わせ惨敗した。尤も、今まで勝てたためしなどありはしなかったが.....。

 『五日寝込んだ程度で随分と鈍ったな』

 余裕綽々なファランギスに言われた言葉を思い出し、ロジェリンは悔しさにうなり声を上げた。

 「くそっ! 今に見ていろファランギスめっ」

 「何をしているんだ、お前は...!?」

 突然起こった声にロジェリンの動きがはたっと止まった。声の主を振り返れば、戸口には呆れたと言わんばかりの表情でファランギスが立っている。ロジェリンは不機嫌に鼻を鳴らした。

 「見りゃあ分かるだろう? 鍛えてるのさ」

 そう言うやロジェリンは、一連の動きを再開する。その左手が握る綱には、薪が六本程括り付けられていた。彼女は先程からそれを上げ下げしているのだ。

 「やれやれ、お前という奴は...。で、私に何を見ていろと?」

 「必ずあんたの鼻を明かしてやるから、今に見ていろって事さ」

 毎回ファランギスに負けるのが余程悔しいらしい。

 「その為に鍛えていると?」

 「ああ。やっぱり男並みに力を付けないと、あんたには勝てない」

 ファランギスは片手で両目を被い、盛大な溜息を吐いた。

 「止めておけって。それ以上腕を太くしてどうするんだ? それで無くとも、お前は並の女よりもデカいというのに....」

 ロジェリンは、呆れを通り越して嘆かわし気な表情のファランギスをきろりと睨みつつも、その腕を休めようとしない。

 「そんな事は分かっているっ! いちいち言ってくれなくても良い!」

 ロジェリンのドスのきいた低い声に怯みもしないファランギスは、ただただ嘆かわし気である。

 「女の腕は細いに越した事は無い。本当に嫁に行けなくなるぞ」

 「余計なお世話だ。どこぞへ嫁に行こうだなんて望んでいないって言っただろう?」

 「少しは望め」

 ロジェリンは苛立たし気な様子のまま、翠の双眸をひたとファランギスへ向けた

 「私は己の事は良く分かってるつもりだよ。デカいのも分かってる。可愛く無いのも分かってる。女らしく無い事も分かってる。凡そ、世の男どもに好まれないのは良く分かってるさ。おまけにそんなに若くも無い」

 「.....」

 一瞬の沈黙の後、ファランギスはロジェリンに歩み寄るとその腕から薪の束を取り上げた。

 「何するんだ!? 返せ、バカたれっ!」

 「惜しいな、顔だけは人並み以上だというのに...」

 ぼそりと呟かれたファランギスの言葉に、今度はロジェリンが呆気にとられながら薪束を取り返そうと手を伸ばす。

 「...何か悪い物でも食ったのか?」

 目を丸くしているロジェリンに、ファランギスは半眼を向ける。

 「何故そうなる? そもそもお前は騎士の家の生まれであろうが? もう少し騎士階級の娘らしくしとやかに出来んのか?」

 苦々しく言いながらファランギスは、再びロジェリンの手から薪束を取り上げようとする。

 「階級が何だってんだっ! フンっ!」

 ロジェリンも負けじと薪束を取り返そうと引っ張る。

 「市井の娘達の方が余程女らしいぞ」

 ファランギスも引っ張り返す。

 「そりゃ結構! 何でも良いけど邪魔するな! ったく!」

 ロジェリンは不機嫌を当然の如く隠そうともせずに、何とも官能的な唇を突き出してぐちぐちと抗議を続ける。ファランギスは今一度密かに溜息を吐いた。

 「お前は女にしては充分過ぎる程に腕は立つ。多くを望み過ぎると碌な事にはならんぞ」

 「戦になれば、女だからなんて甘い考えは通用しなかろうが?」

 ロジェリンは低い声と共にファランギスを鋭く睨みつけた。

 「お前が危うい目に立てば真っ先に助けてやる」

 思わずそう言ってしまってからファランギスは我に返った。ロジェリンはロジェリンで再び固まりファランギスを見返している。 

 「あんた、やっぱり悪いもん食ったんだね、ファランギス?」

 困惑の表情を浮かべるロジェリンのその頬が気のせいかほんのりと染まっていた。片手を伸ばして滑らかな頬に触れると更に染まった。ファランギスは突然、彼女の唇を塞ぎたいという強い衝動にかられ、引力に引かれるかの様に身を屈めた。


 「ファランギス?」

 ゆっくりと身を屈めて来るファランギスの瞳の熱に捕われ、ロジェリンは身動きも出来ずに息を詰めた。鼓動は痛い程に打っていた。唇が触れるかと思われた時、ロジェリンはぎゅっと目をつぶった。しかし次の瞬間、聞こえて来たぱたぱたという軽い足音に目を開けると、間近にあったファランギスの榛色の瞳と目が合った。二人は無言のまま同時に開け放たれたままであった扉口の方へと目を向け、そして咄嗟に互いが互いから離れようと、手にしていた薪束の綱を同時に離した。それは当然の法則に従い落下する。

 「あっ」 という愛らしい声と、重さのある物体の落下音と、そしてファランギスの 「!!」 という声にならない声が起こるのもまた同時であった。薪束はファランギスの左足を見事に直撃していた。

 「ファランギスっ!?」

 弓を片手にした少年姿のエルが、その場に踞るファランギスにびっくりして駆け寄って来た。

 「これは姫...、お早うございます」

 微かによろめきながらも立ち上がるファランギスの笑顔は微妙に引きつっている。

 「大丈夫? ファランギス?」

 心配そうに見上げてくる主君の姫君に、ファランギスは思わず目を細めた。

 「何の、大事ありませんよ我が姫」

 さらりと答えて顔を上げれば、気遣うかの様な表情のロジェリンと目が合う。しかし目が合った途端、ロジェリンははっと息を呑み不機嫌な表情に戻る。

 「そうそう、ぜ〜んぜん大丈夫! そもそも、これはファランギスの自業自得だからね。

さっ、朝餉の支度を手伝いに行こう、エル」

 ロジェリンの厭みに反論も出来ず天井を仰ぐと、ファランギスは転がっていた薪束を拾い上げた。 

 「それ、何するの?」

 ロジェリンに背を押されながら、ファランギスを気遣い顔だけそちらへ向けていたエルが不思議そうに尋ねた。

 「これですか? これはロジェリンが腕に力こぶを付ける為に持ち上げるんだそうですよ」

 「えっ?」

 少女に見上げられ、ロジェリンは茶目っ気たっぷりに肩を竦めて見せる。

 「五日も寝込んで鈍っちゃったからね」

 独り残されたファランギスは、薪束を隅に置くと壁に寄りかかり髪をかき上げた。

 「私は一体何をしているんだ...」

 人知れず呟くと、かっくりと肩を落とした。


 


 「お前、足をどうかしたのか、ファランギス?」

 昼下がりの居間でラドキースが尋ねると、ファランギスはややきまり悪気な顔をした。今朝から様子がおかしいと思い、ラドキースは注意深くこの乳兄弟の様子を観察していたのだが、普段よりも緩慢な素振りはどうやら片足を庇っての事であるらしい事が分かった。痛みをこらえ、努めて引きずらぬ様に歩いていたのだろう。

 「私の不徳の致すところでして...」

 神妙な表情でそう答える乳兄弟にラドキースは訝る。

 「意味が分からぬ」

 「後生ですから、どうか不問に」

 「そう言われると気になるのだが」

 「まあ、血迷ったというか、魔が差したというか....」

 不問にするなと乞いつつ律儀に言葉を続ける乳兄弟に、ラドキースは内心苦笑する。

 「成る程、そういう事か」

 「え? 今のでお分かりになったんですか!?」

 顔を上げ目を丸くする乳兄弟にラドキースは微笑み頷く。

 「ひょっとして、何か聞いておられるのですか?」

 「いや何も。だがお前は昔から分かり易い」

 「まあ、殿下に比べたら誰だって分かり易いでしょうが...」

 憮然と答えるファランギスに、ラドキースは軽い溜息混じりの苦笑を零した。大方、またロジェリンを怒らせたか何かであろう事は想像に難く無かった。

 「あまり怒らせておると、まことに厭われるぞ、ファランギス」

 「...はあ、まあ...。この度ばかりは反省しております」

 「なれば、誠実な態度で許しを乞うてはどうだ?」

 「誠実な態度で許しを・・・ですか?」

 途端にファランギスは頭を抱え、盛大な溜息を漏らした。その様子に、ラドキースは先程よりも心持ち大きなため息をついて見せる。

 「お前らしく無いな。まあ、たまには良いか・・・・」

 「何ですか、たまには良いかって、殿下?!」

 「良い考えがある、ファランギス」

 不機嫌そうなファランギスにラドキースがすかさず気を持たせる様な言葉を投げかけた時、ドアを叩く軽い音と共に幼い少女が飛び込んで来た。寒さに頬を桃色に上気させていている。

 「父様!ファランギス!聞いてっ!初めて的に矢があったったのよっ!」

 小振りな弓を片手に、少年の様な成りの少女が瞳を輝かせて叫んだ。

 「まことか、エル?それは凄い」

 「父様も来てっ!見せてあげるから」

 「よし、行こう」

 ラドキースは、娘に手を取られながら立ち上がると、走り出しそうな勢いの娘に合わせて早足で戸口へと歩むも、そこで振り返った。

 「ファランギスよ、さっさと求愛しろ。それが最上の考えだと思うぞ」

 言い残すや、ラドキースは娘に手を引かれて姿を消した。

 「・・・・・・・・・・」

 後には、言葉を発する事も忘れたファランギスだけが残された。



おわり


 


 



 




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