後日談 七日間の父親(二)
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さっきも言ったが、俺は物心ついた頃には孤児院で暮らしていた。
当時は隣の国と戦争してたせいで、国全体が今よりずっと貧しい時代だった。貧民街の崩れかけた教会で、ボロ切れを着た子供が肩を寄せ合って、いつも腹を空かせていた。
盗みを始めた時期は覚えていない。周りの孤児がやっているのを見て、当たり前のように盗んでいた。ターゲットは市場の客で、腹の肥えた中年をよく狙っていた記憶がある。
バレても孤児のイタズラだとわかれば、そこまでキツいお咎めもなかった。それくらい治安が悪くて、俺らの代わりに頭を下げるシスターも平謝りだった。
だが、そんな中にも変わり者はいるもので。
近くにあるもう一つの孤児院に、とある女の子がいた。俺が八歳の頃、盗んできた金貨を見せびらかす俺に、五歳だったその子は腰に手を当てて言い放った。
『どんな理由があっても、ダメなものはダメ!』
くるくるとはねる栗色の髪に琥珀色の目をした女の子は、周りからどんなに馬鹿にされても自分の主張を曲げなかった。いつも腹の虫を鳴らしてるくせに誰かが盗んできた食い物には手をつけず、教会の聖母像の前で祈りを捧げていた。
『正しい行いをしていれば神様が手を差し伸べてくださるって、シスターが言ってたもん』
汚れのない眼で大真面目に話すその子を俺は煙たがっていたのに、なぜだか懐かれていたような気がする。教会のリンゴの木に登って実を採ってやると、嬉しそうに笑っていた。
ところが、ある日を境にその子の姿は見えなくなった。裕福な商人の家に引き取られたのだと後から知った。
それからも俺は盗みを繰り返し、盗賊まがいのこともした。ある時ヘマをしたところを別の泥棒に助けられて、その人に弟子入りもしたが、その話は割愛する。とにかく師匠の存在もあって、俺は本格的に泥棒業を飯の種にし始めた。ハイリスク・ハイリターンの仕事にスリルを求めていたわけでも、贅沢がしたかったわけでもない。ただ、真面目にコツコツと働くという生き方を知らないまま大人になった。
二十歳を過ぎて、貴族だけを狙う泥棒として蝙蝠なんていう名誉なんだか不名誉なんだかわからない名前で呼ばれるようになった頃。足がつかないように各地を転々としていた俺は、庶民ばかりが出入りする安酒場で唐突に名前を呼ばれた。
『ねえ、もしかして×××××? やっぱり! 懐かしい、全然変わってないね!』
声の主は、酒場の看板娘として働く女性だった。くるくるとはねた栗色の髪をバンダナでまとめ、料理の皿やエールのジョッキを手に元気よく店内を動き回る彼女は、紛れもなくあの孤児の女の子、リザだった。
リザの仕事が終わった後、俺たちは朝までやっている別の酒場で再会の祝杯を挙げた。
「なんでこんなとこで働いてんだよ。商人の家に引き取られたんじゃなかったのか」
「あはは、そうだったんだけど……逃げてきちゃった」
リザは笑って濁すが、そんなことだろうとは思っていた。裕福な人間が好き好んで孤児の、しかも女児を引き取っていく理由なんて、どうせろくなもんじゃない。子供の頃の俺はそんなこと知りもしなかったが。
「でも今はこうして仕事もあるし、なんとか食べていけてるし! そっちはどう? なんの仕事してるの?」
前向きに胸を張るリザに、俺は正直に打ち明けられるはずもなく。
「……短期の仕事をいくつか」
「ええ〜、お金なくなったら働く感じ? 定職に就かないの? 昔から運動神経よかったじゃない、今からでも遅くないよ。荷運びとか傭兵とか!」
苦汁を嘗めても曇らないリザの瞳は、俺には眩しすぎた。その光に焼かれる前に離れればよかったのに、なんとなく彼女のそばに居座って。
そうこうしているうちに、リザが身籠った。気が動転した俺が『父親は別の男じゃないか』と口走ったら、頬に見事な手形の跡がついた。
リザの腹が膨らみ始めた頃、俺はようやく自分の生業を打ち明けた。
「ええっ!? 泥棒の蝙蝠って私も聞いたことあるけど、あなただったの!?」
人を疑うことを知らない彼女は思った通り愕然として、俺は愛想を尽かされるか、よくてまた平手打ちが飛んでくるかと腹を括った。
ところが意外にも、リザは俺の手に両手をそっと乗せて、俺の目をじっと見つめて言った。
「そんなのよくない。どんな理由があっても、ダメなものはダメだよ。誰かから奪ったお金で、お腹の子を育てていくつもり?」
その頃のリザは悪阻がひどくて仕事を休み、その間の給金はもちろんなかった。貯金を切り崩していく生活に不安はあったはずなのに、どうして彼女の目は曇らないままなのか。
そうして、俺はようやく真っ当に働き始めた。今よりずっと失業率の高かった時代だ、学も仕事の経験もない、貧民出の薄汚い男にろくな働き口などありはしない。皿洗いの仕事になんとかありついたが、給金は微々たるものだった。
例年より厳しい冬を乗り越えた、春の乾いた嵐の夜。風の音に負けない元気な産声が上がった。
小さくてふにゃふにゃの赤ん坊をどう抱けばいいのかもわからず狼狽える俺に、長時間に及ぶ出産でヘトヘトになったリザがふふっと笑いかけた。
「もう、しっかりしてよ。お父さんなんだからね」
リザは赤ん坊がお腹の中にいた時からすっかり母親の顔になっていたのに、俺は情けないことに、その時初めて父親になった。
だが、それからが問題だった。リザが難産だったため産婆に払った額が嵩み、ただでさえ出産や子育てに必要なものを揃えるために出費を余儀なくされていた俺たちの貯金は、ついに底を突いた。
俺は苦渋の決断をリザに打ち明けた。返ってきた答えは意外なものだった。
「……わかった。でも、これが最後だよ? あとはもう二度と盗みなんてしないって約束して」
彼女なら「どんな理由があっても、ダメなものはダメ」というはずだった。だが、リザにも危機感があったのだろう。出産で消耗し切った彼女の産後の肥立は悪く、そうでなくても出産後数ヶ月は働けない。なにより母乳の出が悪いことにリザは悩んでいるようだった。
そして子供が生まれてから五日後の夜、それが蝙蝠の最後の仕事になる――はずだった。




