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第1話 大泥棒、執事になる

 王都の一角に立つアディンセル子爵邸、その執務室。月明かりが差し込む窓の下に座り込んだ男は天井を仰ぎ、目を閉じた。

 いつか来る時が来た。ただそれだけのことだった。


「我が家をターゲットにしたのが運の尽きだったわね、大泥棒の蝙蝠(ヴェスペルティリオ)さん?」


 上質なワンピースを着た貴族の娘が腕を組み、男を見下ろしていた。その隣にはもう一人、燕尾服に身を包んだ背の高い老紳士。

 男は(いか)るでも泣きつくでもなく、はあ、と肩を落とした。


「別に、ただ時が来ただけさ。俺ももう歳だしな。それよりなんなんだよそこのジジイは、只者じゃねえだろ」

「あら、大ベテランの泥棒さんが年齢を言い訳にするなんて見苦しいんじゃなくて? うちのティルソン、貴方より幾つ年上だと思っているの?」


 自分のことのように胸を張る令嬢の横で、白髪の執事は糸のように目を細めたまま立っている。しかしその佇まいに一切の隙はなく、この執事を振り切って逃げるのは不可能だろうと男の本能が悟っていた。


「ああそうだな、俺が間抜けだっただけだ。ほら、さっさと憲兵に突き出せよ」


 男は気だるげに両腕を揃えて持ち上げた。

 ところが。


「――それはつまり、貴方の命運はわたくしの手の中にあるということでよろしくて?」


 貴族の娘は鈴のような声音で、妙なことを口にした。

 男は怪訝な顔を重たそうにもたげ、そのとき初めて娘をまじまじと見た。青白い月光に照らされた顔の造形は彫像のように美しい。


「貴方の身柄は憲兵には引き渡しません」


 キッパリと言い放たれた宣言に、男は限界まで眉根を寄せた。


「は? 何言ってんだ、お嬢様よ? こう見えて俺の首にはそれなりの額が懸かってんだぜ。ああ、お貴族様にとっちゃあ(はし)た金か」

「そういう意味ではありません。貴方、主人に対する口の利き方をわきまえなさい」


 男は耳を疑った。この娘、今、なんと言ったか。

 ――主人?


「貴方は今日からわたくしの執事です」


「…………はあ!?」




◇◇◇




 あの屈辱的な夜から二日後。


 男の姿は再び、アディンセル子爵邸の執務室にあった。ただ、今は盗みを働くための黒ずくめの衣服ではない。糊の効いた真っ白なシャツにセンタープレスの入った黒のスラックス、光沢のある黒いベストに蝶ネクタイ。すべて男の体格に合わせてあつらえたものだ。

 ただ、その顔は不本意極まりないことを隠そうともしない。


 その正面で腕を組んで立っているのは、亜麻色の長い髪を垂らした可憐な少女。自らを主人と言ったあの令嬢だった。


「へえ、くたびれた薄汚いおじさんだと思っていたけど、なかなか(さま)になってるじゃない。さすがはティルソンの見込んだ男ね」

「恐縮でございます、ロレッタお嬢様」


 男の斜め後ろに立つ老執事が恭しく頭を下げる。

 ロレッタは男を頭のてっぺんから爪先へ、そしてまた頭へと、品定めするように視線を往復させた。


「無精髭は剃ったみたいだけど、その髪はどうにかならなかったの? 切ったら?」

「この者は後ろでまとめた方が清潔感が出るかと」

「んー、それもそうね」


「お前らなぁ……黙っていれば勝手なことを言いやがって……!」


 耐えかねた男が痩せた頬をピクピクと引きつらせる。しかしロレッタは表情を変えずに平然と話を続けた。


「貴方、蝙蝠(ヴェスペルティリオ)と呼ばれていたわね。本名は?」

「そんなもん忘れたな」

「そう、じゃあヴェス。貴方のことはヴェスと呼ぶわ」

「安直だな……。それで、なぜ俺を生かした? なぜ俺を執事なんかにする?」


 闇夜を思わせる濃紺の鋭い目が、凄みを利かせてロレッタを見下ろした。その辺にいる子供なら逃げ出すような顔だ。しかしロレッタの青い瞳は一切揺らぐことなく男を見上げ、花びらのような唇は物騒な言葉をずばりと言い切った。


「大泥棒の実力を見込んでのことよ。わたくしの復讐を成功させること、それが貴方の仕事です」





 アディンセル子爵は二年前に他界した。今は子爵の従兄弟に当たる人物が代理を務めている。死因は病死、急な心臓発作だった――ということになっている。表向きは。


「お父様は自ら命を絶ったの。騙されたのよ」


 (よわい)十七の少女が語るにはヘビィな内容に、男――ヴェスは眉をひそめた。代わりに執事に説明させればいいものを。ところがロレッタは斜め下を睨みながら話し続ける。


 三年前、アディンセル子爵はかつてから親交のあったオトウェイ子爵に金を貸して欲しいと頼まれ、二つ返事で了承した。ロレッタ曰く、「お父様はちょっと人が好すぎた」らしい。それがオトウェイ子爵が脱税の隠蔽にアディンセル子爵を巻き込み、ひいては罪をなすりつけるための策略だったとアディンセル子爵が気がついた時には、すでに言い訳のできない状況に追い込まれていた。

 このままでは爵位を取り上げられかねない。そうなっては妻と娘のロレッタを路頭に迷わせることになる――。


「バカよね、お父様は。死んだら爵位も何もないじゃない」


 アディンセル子爵は自らの命を以て冤罪を回避した。しかし元々体の弱かった子爵夫人も、翌年に後を追うように息を引き取った。

 そしてすべての元凶であるオトウェイ子爵は今もなお、何食わぬ顔で生きている。


「――で、お前はそのオトウェイ子爵に復讐がしたいってわけか」

「そうよ。子爵の罪を明らかにして然るべき罰を受けさせ、お父様の無念を晴らす。それがわたくしのなすべきこと」

「はあ……そりゃずいぶんと崇高なことで」


 ヴェスは興味がないと言わんばかりに肩をすくめた。確かに、両親を亡くしたこの小娘はいささか可哀想ではある。だが所詮、貴族なんてものは平民から搾取した金で贅沢の限りを尽くす生き物だ。貴族同士の(いさかい)いなんて勝手にやっていればいい。


 ――なんて心の声が態度に表れていたのだろう。睥睨するロレッタの視線に、ヴェスは自分の立場を否応なしに突きつけられる。

 はあ、とため息をついた。


「で、どうやってオトウェイ子爵の罪を暴くつもりだ、証拠はあんのか?」

「あるわけないでしょう? わたくしの手元にあるならとっくに告発しているわ。だからオトウェイ子爵に近づくの。そのためにフロックハート伯爵令息と結婚する必要があるのよ」

「は? 結婚? しかも違う家じゃ」

「順番に説明するから、黙って聞いてなさい」


 ロレッタはヴェスの言葉を遮って、コホンとひとつ咳払いをした。


 オトウェイ子爵の懐に入り込み罪の証拠をかき集めるなら、当然オトウェイ子爵令息であるフィリップ・オトウェイに近づくのがストレートなやり方だ。ロレッタとは歳も近い。

 だが父親であるオトウェイ子爵がロレッタを警戒しないはずがない。なにせ自分が罪を着せようとして、結果的に死に追いやった男の一人娘なのだ。フィリップと恋仲になれたとしても結婚を反対されるに決まっている。

 そこでロレッタが目をつけたのが、オトウェイ家の親戚であるフロックハート伯爵家の次期当主、トレイシー・フロックハートだった。歳はロレッタの二つ上。


「オトウェイ家はフロックハート家の傍系なの。爵位もフロックハートが上。つまりフロックハート家の人間になることができれば、オトウェイ家に介入できる。親戚同士なんだから邸宅に行くことも自然だし、オトウェイ子爵もフロックハートの命令には逆らえないわ」


 ロレッタの堂々たる説明を、ヴェスは唖然として聞いていた。「わかった?」と聞かれてようやく我に返り、ガシガシと後ろ頭を掻く。


「そんなことのために結婚するたぁ、お貴族様の考えてることは意味不明だな……」

「そんなことですって?」

「あーはい撤回します。素晴らしい計画だと思いますぅ」

「その気に障る口の利き方、なんとかしなさいよね、いい大人なのに……。それに政略結婚は貴族の(たしな)みよ、当然のことだわ」

「へいへい、そうですか」


 ヴェスは降参とばかりに両手をヒラヒラと上げた。貴族の考えていることはわからない。わかりたくもない。そもそも爵位を守るために命を絶ったというロレッタの父親の気持ちも理解に苦しむ。


「だが、そう簡単にいくもんかねぇ? 確かにお前は美人だが、後ろ盾のない子爵令嬢が伯爵家に嫁ぐって話だろ、ちょっと気に入られたくらいじゃ厳しいんじゃねえの?」

「そうよ、この計画には綿()()()調()()()()()()が必要なの。だから――」


 そこでロレッタは、ビシッと音がしそうな勢いで人差し指をヴェスに向けた。


「貴方には、わたくしの手足となって働いてもらいます。これから二ヶ月間、ティルソンの下で徹底的にしごかれてちょうだい」

「げっ」

「別にその庶民臭さを洗い流せと言っているんじゃないわ。『千の顔を持つ男』と呼ばれた貴方なら、有能な執事の仮面を被ることくらい簡単なことでしょう?」

「……千は言い過ぎだ」


 別に自ら名乗ったわけじゃない。ヴェスは苦虫を噛み潰したような顔で小さくこぼす。


「それじゃあ早速今日から。ティルソン、頼んだわよ」

「承知致しました、お嬢様」


 ヴェスは斜め後ろで深く頭を下げる老執事を(かえり)みた。顔を上げたティルソンの目は相変わらず糸のように細く、温厚な紳士然としている。だが、わずかに開かれた目がヴェスを見下ろした時、ヴェスは蛇に睨まれた蛙の気持ちを初めて思い知ったのだった。

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