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狭間の少女  作者: 柏木椎菜


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12/16

十二話

 私は目の前の景色に足を止めて、胸元で埋まるエリスに言った。

「あった……町があったわ! 見える? エリス」

 探し歩いて三日、やっと見つけられたことに私は喜んでエリスに声をかけたけど、返事はなかった。外套の下にいるエリスの身体は、三日前よりもさらに小さくなった気がする。こんな姿だとまだ生きてるのか確かめたくなるけど、無理に返事をさせるようなことはしたくない。そうしなくても、時々小さな身体が身じろぎするから、それで生存確認はできてる。話しかけても何も反応はないけど、聞いてくれてると思って報告してから私は町へ向かった。

 前に立ち寄った町よりも、ここはもっと大きな町みたいだ。建物の数は多いし、その大きさも見上げるものばかりだ。白い石造りで統一された街並みはとても美しい。道は広くて石畳が敷かれて歩きやすい。そこを無数の人達が行き交ってる。でも今は景色に見惚れてる暇はない。早く教会を探して聖水を貰わなきゃ、エリスが今にも死にそうだ。

 建物を見回してそれらしいものを探し歩くけど、見える範囲にはなさそうだ。だけど、こんなにある建物の中から見つけるのは時間がかかってしまう……歩いてる人に聞いてみるか。

「すみません、私、教会を探してて……」

 近くを歩いてた子連れの女性に声をかけた。でも女性は無視して行ってしまった。私の声、小さくて聞こえなかったのかな。喧騒が結構うるさいから、次は大きめな声で聞こう。

 私は教えてくれそうな人を探し、眼鏡をかけた若い男性に近付いた。

「……あの、教えてほしいんですけど……」

 しっかり大きな声を出したのに、男性もまた私を無視して行ってしまった。ちょっとぐらい聞いてくれてもいいのに……。気を取り直して別の人に声をかけた。

「すみません、教会の場所を教えてほし……」

 のんびり歩いてたおじさんは、こっちに見向きもせずに通り過ぎて行った。次に聞いた二人組の女性も、おしゃべりしながら行ってしまう。その次の帽子と杖を持った男性も、まるで私の声が届いてないかのように、わかりやすい無視で去って行った。……この町の人達は他人への優しさや親切心というものを持ち合わせてないんだろうか。ここまで無視され続けると、さすがに私の心も折れそうになる。でも折れちゃいけない。エリスを助けられるのは私だけなんだから――傷付いた気分を引きずって、私は道を進みながら諦めずに声をかけ続けた。

「教えてほしいんですけど……」

 かれこれ二十分ほど、老若男女に声をかけたものの、ことごとく無視されるという対応に、痛みが溜まった心には怒りという新たな感情が湧いてた。何てひどい人達なの。私は場所をたずねたいだけなのに、その短い時間さえも惜しんで一体何を急ぐというんだろう。ここには薄情な人間しか存在しないの?

 こんなことを続けても誰も教えてくれそうにないし、何より私の怒りが溜まる一方だ。もう自力で見つけるしかない――声をかけることを諦め、私は教会を求めて道を進んだ。

「……ん、あれって……」

 ふと前を見た時、こちらに向かって歩いて来る男性が目に留まった。その服装は白を基調にしたローブで、同じ色の、冠のような形の帽子を被ってた。これによく似た服装を私は昔見たことがある。集落に月に一度巡回に来てた神父様が、まさにこんな感じの格好をしてた……もしかしてあの人は、神父様?

 そう思ったら声をかけずにはいられず、私は人の間を縫ってその男性に近付いた。

「あの、聞きたいことがあるんですけど――」

 そう声をかけた瞬間、男性はちらとこちらに目を向けた。ほんの一瞬だけ目が合う。やっと話を聞いてもらえる――そう喜んだのも一瞬だった。男性は明らかに私に気付いたのに、立ち止まることなく通り過ぎようとする。また無視……? だけど私は諦める気はなかった。求めてる神父様かもしれないのに、ここで見逃すわけにはいかない――男性の後を追って、私はしつこく声をかけ続けた。

「待ってください! あなたは、神父様ですか?」

 男性は黙々と歩いてる。

「もし神父様なら、お願いしたいことがあるんです!」

 私の言葉に、男性はちらちらとこちらを見てくる。

「私の友達を助けてほしいんです! 弱って死にそうなんです!」

 男性の歩く足は全然止まってくれない。

「お願いです! 神父様にしか助けられないんです!」

 こんなに頼んでるのに、男性は背を向けたまま歩き続ける。私の願いは聞いてもらえないのか――怒りと落胆を覚えたその時、男性の歩く速さが緩やかになったかと思うと、顔だけをこちらに振り向かせて小さな声で言った。

「……わかった。付いて来なさい」

 はあ、と思わず安堵の息が出た。ようやく耳を傾けてくれる人がいた。この町では多分貴重な心の持ち主だ。見つけられてよかった――私はローブの男性を見失わないよう、ぴったり後ろに付いて行った。

 十分ぐらい歩き続けて着いたのは、町の郊外と思われる場所だった。建物の数は減り、通りかかる人も少ない。見通しがよくなった先には、緑の木々や畑、丘などの自然の景色が見えた。そんな道を進んで行くと、やがて白く大きな建物が見えてきた。三角の屋根の上には鐘楼があって、銀色の鐘が太陽の光を反射して輝いてた。どういう建物なんだろうと眺めてると、前を歩く男性はその入り口に向かって行く。それで私はハッとした。

「もしかしてここは、教会……?」

 後ろから聞くと、男性は前を見たまま答える。

「ええ、ここは教会だよ」

「それじゃあ、あなたはやっぱり神父様なんですね?」

「私はここで皆に教えを説いている。あなたの要望は中で聞こう」

 背中を向けたままそう言うと、神父様は教会の中へ入って行った。集落には集会所に小さな祭壇はあったけど、こんなに大きくて立派な教会は初めてだから、私は緊張しながら、そっと中へ足を踏み入れた。

 白い外観とは逆で、内側は黒い石床と石壁で作られてて、何だか重くて厳かな雰囲気があった。長椅子が整然と並んだ奥には縦長の大きな窓があって、その前にはこれまた大きな神像や燭台が置かれてる。頭上を見上げると、高い天井にはいくつも照明が下がってて、その周りには小さな球体が光を放ちながら何体も浮遊してた。集落でもたまに見かけたことがあるものだ。人の言葉はしゃべらないけど、こちらから話しかけると少し動いたり色を変えたりする。よくわからない存在だけど、私はその形からエリスに近いものだと勝手に思ってる。

「教会へ来るのは初めてなのか?」

 不意に神父様に話しかけられて、私は慌てて視線を戻した。

「あっ、はい。住んでたところには、こういう建物はなかったので……とても綺麗で、落ち着く場所ですね」

 初めて正面から神父様を見て話す。微笑んでる神父様は四十代ぐらいだろうか。しわの刻まれた笑顔はすごく優しそうだ。

「ありがとう。神を信仰する皆のおかげだ」

「それで、神父様にお願いしたいことがあって――」

「バーク神父、お戻りでしたか」

 教会の奥から女性の声がして振り向く。ちょうど扉を開けて出て来た女性は、本や書類の束を抱えてこちらにやって来た。

「ご用はお済みになられましたか?」

「ええ、無事に。だが今、新たな用ができてしまってね……」

 そう言うと神父様は私のほうを見た。それにつられるように女性もこちらを見る。

「……ああ、そうですか。頼られる身も大変ですね。ほどほどになさってくださいよ」

「そう言われても……強く頼まれてはさすがに放っておけない」

「そういうご性格だと、こちらはわかっております。何かお手伝いできることがあれば、お申し付けください」

 女性は笑顔を残し、教会の奥へ去って行った。

「あの人は、誰ですか?」

「ここの修道女で、リゼットという。……すまない。話の途中だったね」

「あ、えっと……お願いしたいことがあるんです」

「何かな」

「聖水を分けてもらいたいんです」

 不思議そうな顔が見つめてくる。

「聖水とは……また珍しい頼み事だ」

「エリスが、私の友達がすごく弱ってて、死んじゃいそうなんです。何日か前に、悪霊に襲われて……元気になるには聖水で浄化してほしいって言われたんです」

「ほ、ほう……それは、災難だったようだね。しかし、肝心のお友達はどこにいるんだ? 見当たらないが……」

「エリスならここにいます」

 私は外套の胸元を示した。

「でも、この子は私以外には見えないみたいで……本当にいるんです。嘘じゃないんです」

 神父様は示した胸元を怪訝な顔で見てくる。

「……そういうことなら、そういうことにしておこう。聖水も貴重品ではないし、すぐに用意しよう。しばらく待っていなさい」

 そう言って神父様は奥の扉へ一旦消えると、小瓶を片手にすぐ戻って来た。

「悪霊に襲われたということは、瘴気に当てられたのだろう。この聖水を振りかければ浄化がなされるはずだ。お友達を私の前に出すことはできるか?」

「はい。できます」

 私は外套の下から球体のエリスを優しく取り出し、両手の上に乗せた。

「ここに、エリスがいます」

 神父様は目をぱちくりさせる。

「お友達というのは、こんなに小さいのか……で、では、そのままじっとして」

 小瓶の栓を取ると、神父様は自分の手に聖水を取り、それを振るようにしてエリスにかけた。何度か繰り返して、私の手も聖水まみれになったところで、エリスに変化があった。丸い身体が少しずつ膨らんで、大きさが戻り始めてた。放ってる青い光も、より鮮明に力強さを感じるものになってる。そして何より――

 ――アストリッド。

 久しぶりに聞くエリスの落ち着いた声は、私に飛び跳ねさせるほどの喜びを与えてくれた。

「エリス! しゃべれるの? 身体はどう?」

 ――もう大丈夫です。元に戻りました。

 するとエリスは球体を歪ませると、見慣れた小鳥の姿に変身して私の肩に乗る。

 ――瘴気の影響は消えました。迷惑をかけてしまい、申し訳ありません。

「何にも迷惑じゃないよ。元気になってくれてよかった。もう死んじゃうんじゃないかって怖かったんだから」

 ――命を取り留めたのはアストリッドのおかげです。そして、そちらの神父も。

 言葉に促されて神父様に目を向けると、聖水を振りかける構えをしたまま、私を見て止まってた。

「……お友達がどんな様子か、教えてくれると助かるのだが」

「あ、そうでした。元気になって、話せるようになりました! 今は私の肩に乗ってます」

 私が自分の右肩にいるエリスを見やると、神父様は興味深げに見てくる。

「ほお、肩か。どれどれ……」

 聖水で濡れたままの手を伸ばし、エリスに触れるか触れないかぐらいのところで止める。微動だにしないエリスに向けた手のひらは、何かを探知してるかのようにしばらく動かなかった。そしておもむろに引っ込めると、神父様は独り言のように言った。

「……なるほど。確かに、何かいるようだ」

「エリスが見えるんですか?」

「いや、見えないが、うっすらと気配は感じられる。とても澄んだ気配だ」

 エリスの存在に気付いたのは悪霊以外じゃ、この人が初めてのことだ。私の他にもわかる人はいるんだな。

「エリスはとてもいい子なんです。真面目だし、優しいし、怒ったことなんてないんですよ」

「今までにない雰囲気だ。こんな気配は私も初めて感じる……君達は、一体何者だ?」

「何者、って言われても……」

 正直に、そのまま答えればいいのかな――私は迷いつつ、思った通りに言った。

「ずっと遠くの集落に住んでたんですけど、襲われて、皆死んじゃって……行き場がなくなっちゃったから、私はお母さんのところへ行こうと思って、それで捜してるんです。エリスはそれに付き合って付いて来てくれてて、終わったら森で見つけた住みかに戻るんです」

 そう答えると、神父様は複雑な表情を浮かべた。

「何やら、ひどい目に遭ったのだな……そのお友達が、心の支えになっているようだね」

「はい。エリスが側にいてくれるだけで、とても心強いです」

 私が笑うと、神父様もニッコリ笑った。でもすぐに表情を戻すと聞いてきた。

「……そう言えば、君の名前は? 私はフィンリー・バークという」

「私はアストリッド・ホロウェーです」

「アストリッド……君の捜しているお母さんというのは、今もご存命なのかな」

「生きてるかどうかってことですか? 集落が襲われる前に家を出て行ったから生きてるはずです。死んだなんて知らせも聞いてないし」

「家を出たというのは?」

「それは……愛想を尽かして、出て行ったって聞いたけど……でも本当にそうかわからなくて、それを確かめるためにも、お母さんの故郷を探してるんです」

「お母さんは故郷へ行ったのか?」

「はい。実家へ帰ったって言われました」

「では君は、その故郷へ向かっている途中なのか」

「そうなんですけど、私……その故郷がどこなのか、わからなくて……」

「わからない? 聞いていなかったのか?」

「すごく昔に聞いた気はするんですけど、忘れちゃって……」

「わからないまま、どうやってお母さんを見つけようとしていたんだ?」

「町とか村で、いろんな人に聞いて行こうと……だけど、誰も話を聞いてくれなくて」

「そうか……そういう捜し方では、見つけるのは苦労するだろう」

「でも、私は思い出せないし、手がかりもないし、誰かに聞きながら捜すしか方法がなくて……」

 私と同じように、神父様も困った顔で考え込むと、おもむろに口を開いた。

「……この地域だけにはなるが、戸籍を管轄する役所へ行って、私が調べてみよう」

「え、し、調べられるんですか?」

「領内の町村であれば、頼めば該当する人物がいるかどうか、数日のうちには判明するだろう」

「ほ、本当に? お母さんが見つかるんですか? ……エリス、もう誰かに聞かなくて済むかもしれないわ!」

 ――ここでの苦労がなくなって、よかったですね。

「君が無事、旅を終えられるよう協力しよう。だが、この領内にお母さんの故郷があるかはまだわからない。あまり期待し過ぎないように」

 優しい笑みを浮かべる神父様に私はすぐにお礼を言った。

「ありがとうございます! エリスも助けてもらって、まさか私まで助けてもらえるなんて、他に何て言えばいいのか」

「その気持ちは見つかった時に受け取ろう。……では、お母さんについて教えてくれるかな。調べるにはいろいろな情報が必要になるのでね」

 名前や生年月日、容姿など、お母さんの情報を私はできる限り伝えた。神父様はそれを持って来た紙に全部書き記していく。

「……知ってることは、これぐらいです」

「わかった。ありがとう。早速今から役所へ行って頼んで来よう。調べる書類は膨大だ。今日明日では見つからないだろう。それまで君はどうする?」

「待つしかないんですよね。だとしたら、どこかの軒下を借りて野宿して過ごしてます」

「特に行くところはないのか……ならばこの教会で休んでいればいい」

「いいんですか? 私、部外者なのに……」

「部外者でも受け入れるのが教会という場所だ。困っている者ならなおさらのこと。私は差別はしない。結果が来るまでここにいなさい」

「何から何まで、本当にありがとうございます!」

 ニコリと笑うと、神父様は教会奥の扉を開けて、その向こうへ声をかける。

「リゼット、いるか? ちょっと頼みたいことがある」

 しばらくすると神父様の前に、さっきの女性がやって来た。

「はい、何かご用でしょうか」

「空いている部屋がいくつかあるだろう。休めそうな部屋に彼女を案内してほしい」

「彼女というのは、先ほど仰った……? ですが私は――」

「大丈夫だ。案内するだけでいい。あとは私が面倒を見る」

「そうですか……そういうことでしたら」

 神父様は振り返ると、私に手招きした。

「さあこちらへ。リゼットに付いて行きなさい」

 呼ばれて側へ行く。前に立つリゼットさんを見ると、どこか不安そうで、困ったような表情を浮かべてた。いきなり来た知らない人間を部屋に泊まらせるなんて、やっぱり心配なのかな……。

「……では、よろしいでしょうか?」

「ああ。頼む」

 リゼットさんは私じゃなく、なぜか神父様にそう聞いてから廊下の奥へ歩き出した。横に立つ神父様の視線に付いて行きなさいと言われて、私は小走りで彼女の後を追った。

 横目にいくつかの部屋を通り過ぎて行くと、廊下の行き止まりにあった部屋にリゼットさんは入った。一人部屋のようで、狭いけどベッドと机と椅子はちゃんと置かれてる。リゼットさんが閉じられてた窓を開けると、差し込んだ光の中に埃の粒が舞い上がって、空気と一緒に外へ流れて行った。

「掃除はしているけれど、空気は入れ替えましょう」

 独り言のように言って、部屋をぐるりと見回して入り口に戻ったリゼットさんに、私はすかさず言った。

「あ、ありがとうございます」

「この部屋で休めるといいけれど……」

 ボソッとそう言うと、こちらをまったく見ないままリゼットさんは廊下に出て行った。……あれ? 聞こえなかったのかな。それとも知らない人間を泊まらせるのが嫌で、わざと無視したのかな。そんな意地悪なことをしそうな人には見えなかったのに。何か、しばらく肩身が狭くなりそう……。

 とりあえず椅子に座って、エリスとおしゃべりしながら外の景色を眺めてると、扉を叩く音と共に神父様がやって来た。

「何も問題はないかな」

「はい。とても快適です」

「それはよかった。私は今から役所へ行って来る。何か希望があれば、遠慮なく言いなさい」

「希望は特には……あっ、でも一つだけ……」

「何かな」

「何か食べ物を……くれませんか?」

 悪霊のことがあってから、そう言えばほとんど食べてないことに気が付いて私は頼んだ。こうやって気付くと、途端にお腹が減ってくる気がする。

「何でもいいです。量もそんなになくていいんで……」

「食べ物……そうか。大事なことを忘れていた。すまなかったね。リゼットに言って用意させよう。それまで待てるか?」

「もちろん待ちます。急がなくてもいいです」

「言っておこう。では、また後で」

 扉をパタンと閉め、神父様は出かけて行った。

 ――アストリッド、お腹が空いたのですか?

「何となくね。ずっと食べてなかったから、何か食べたほうがいいでしょう?」

 それから数分後、再び扉を叩く音がして、リゼットさんが盆に載った皿を持って入って来た。そしてそれを静かに机の上に置く。見ると皿には野菜がたくさん入ったシチューがなみなみと入ってた。美味しそう。

「食事、ありがとうございます」

 またお礼を言っても、リゼットさんはやっぱり何も反応せず、無視して入り口に戻る。私、すごく嫌われてるのかな――モヤモヤした気持ちで見送ろうとした時、扉に手をかけたリゼットさんは立ち止まってこちらを見た。

「お口に合うかしら……」

 そう一言呟いて部屋を出て行った。今のは……私に言ったんだろうか。でも視線はシチューに向いてた。どう受け取ればいいのか。考えても、リゼットさんの態度の意味がよくわからなくて、答えが見つからなかった私は、まあいいかと考えるのをやめてスプーンを握った。見た目通り、シチューはまろやかでとても美味しかった。

 借りた教会の部屋で、私はそれから数日を過ごした。日に何度か神父様が様子を見に来てくれたり、リゼットさんは相変わらずだったけど、毎日食事を運んで来てくれたり、私は不自由なく過ごせてた。神父様と皆が何かの儀式や聖歌を歌ってる時は、邪魔しないように外へ散歩に行って時間を潰した。だから教会の近所のことは結構詳しくなった。でもやっぱり誰も私と話してくれる人はいなかったけど。

 そんな平穏な日々が十日ほど経った頃だった。

 朝食を食べ終えてこの後どうしようかとエリスと話してると、扉を叩いて神父様が入って来た。

「アストリッド、先ほど役所から結果が届いた」

「え、わかったんですか!」

 待ちに待った知らせに、私は椅子から飛び上がって神父様に駆け寄った。

「落ち着いて。私もまだ見ていないのだ。一緒に確認しよう」

 白い封筒を開けると、神父様は中から一枚の紙を取り出し、広げる。

「ええと……貴殿のお捜しになられている人物について……ふむ、該当者を一人、見つけたと書かれている。どうやら見つけてくれたようだ」

「お母さん、見つかったんですね!」

「数年前の戸籍簿に、君のお母さんと同じ名前、生年月日の女性が記されていたようだ。確実にお母さんとはまだ言えないが、だが可能性は高いだろう」

「お母さんの故郷は、どこにあるんですか?」

「戸籍簿に記されていたのは――」

 神父様は便箋の文字を目で追って行く。

「……ラジューヌという村だ。聞き覚えは?」

 私は記憶をたどるけど、聞いたはずの名前は完全に頭の奥底へ埋もれてしまったみたいだ。

「わかりません……その村は、ここから遠いんですか?」

「そうだな……少し待っていなさい」

 神父様は部屋を出て行くと、三分後にまた戻って来た。そして手に持ってた大きな紙を机に広げて見せた。

「……これは、この辺りの地図ですか?」

「そうだ。私達がいるのが、この町」

 グリットンと書かれたところを神父様は指差す。それがこの町の名前らしい。

「そして、ここから西へ、しばらく行った先……ここがラジューヌだ」

 指先が左へ動いて行くと、ラジューヌという文字にたどり着いた。この町から離れてるけど、地図上だといまいち距離がわからない。

「村まで、どのぐらい遠いんですか?」

「おそらく、歩いて行けば四、五日はかかるだろうね。だがこの辺りは平野が続いていて、上り下りの道はないから歩きやすくはあるだろう」

「四、五日か……そのぐらいなら、これまでも歩いて来てるし、大丈夫よね」

 ――今までと大きく変わらない道程と言えるでしょう。目的地が定まり、よかったですね。

 やっとお母さんへの手掛かりを手に入れた――私は肩のエリスに頷き、そして神父様を見る。

「私達、すぐに行こうと思います。いろいろ助けてもらって、感謝します」

「役に立てたのなら私も嬉しい。この戸籍簿の女性が君のお母さんであることを願うばかりだ」

 私は旅支度をして……と言っても荷物なんてないから、手早く身支度しただけだけど、お世話になった部屋を出て教会の入り口へ向かうと、見送ると言って神父様も付いて来てくれた。

「あら、バーク神父、どこかへお出かけですか?」

 廊下の途中でリゼットさんと会い、私達は足を止める。

「彼女の旅立ちを見送るところだ」

「そうですか。と言うことは問題が解決したのですね」

「私ができることはしてやれただけのことだ。あとは彼女自身で確認してもらうしかない。……君もよければ一緒に見送ってくれないか」

「そう仰るのであれば見送らせていただきます。ちょうどお勤めも一段落したところですので」

 笑顔でそう言ったリゼットさんも連れて、私は入り口へ行き、晴れた青空の下に出た。

「……それじゃあ、行きます。お世話になりました」

「いい結果が君を待っていることを祈っているよ」

 優しい眼差しで神父様は言った。こんなにいい人と別れるのは何だか寂しいな……。お母さんの情報を見つけ出してくれた恩は絶対に忘れない。

「リゼットさんも、毎日食事を持って来てくれて、ありがとうございました」

 神父様の隣に立つリゼットさんにもお礼を言うけど、その目は私を通り越したどこかを見てて、言葉には何も反応してくれなかった。最後までやっぱり無視なのか……。

「君に、食事を持って来てくれた礼を言っている」

 気を遣ってか、神父様が小声で反応を促すと、リゼットさんは驚いたように目を丸くした。

「私にも言葉をかけてくれているのですか? 優しい娘なのですね……こちらこそ、ちゃんとお世話ができていたかしら。望みが叶い、安らかに過ごせるといいですね」

 ニコニコしながらリゼットさんは言葉を返してくれた。そこに私を嫌うような感情は見えない。これまでの態度と違うことに、私は不思議に思いつつ考えた。……きっとリゼットさんは耳が悪いんだ。神父様の声は聞き慣れてるけど、私の声は聞こえづらいに違いない。そう考えれば納得できることが多い。うん。きっとそうだ。嫌われてたように感じたのは私の思い込みだったんだろう。最後にそうわかってよかった。

「さようなら。二人とも、お元気で」

 手を振り、歩き出すと、神父様も手を振って見送る。

「君に、神のご加護があらんことを」

「行ってらっしゃい」

 二人の並んだ笑顔が遠ざかる。後ろ髪を引かれる気持ちだったけど、行くべき場所がわかった今、胸にはふつふつと希望が湧いてた。もうすぐお母さんが見つかるかもしれない――そう思うと、歩む足には自然と力が入った。

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