第3巻第9話「仕組まれた誘い」
黒鉄山脈にそびえ立つ、巨大な巨木の要塞――黒鉄砦。
その大広間に、一人の山賊が息を切らせて駆け込んできた。
「アラクマさん! 国軍の総司令官が、何者かに拉致されました!! 今、国軍どもは大混乱に陥っています!!」
「――何だとっ!?」
大ジョッキを片手に持っていたアラクマが、太い眉を跳ね上げて身を乗り出した。
「それは本当か? どこぞのコソ泥が流したデマカセじゃねえだろうな、あぁん!?」
「間違いありません! 他のルートから探らせても、国軍の全部隊の動きがあまりにも滅茶苦茶になっており、総司令部である『白亜の砦』も完全に大パニックです! この騒動が広がれば、各地に潜伏している反乱勢力や組織が一斉に動きますよ!」
山賊の必死の報告を聞きながら、アラクマは突き立てた戦斧の柄をじっと見つめ、獰猛な目を細めた。
「一国の軍のトップを、警備の厳重な視察の帰りに無傷でかっ浚う、か。……まさかだが、この騒動の裏には、あいつ(・・)が絡んでるんじゃねえだろうな」
「あいつ……? まさか、あの新参者の……」
「ああ、稲川翔だよ」
アラクマは鼻でフンと笑い、戦斧を肩に担ぎ直した。
「あいつの部下には、あの『血塗れ兄弟』のギタとカブがいる。あいつらは元猟師だ。気配を消したトラッキングや、獲物の足止め、夜闇での奇襲だの拉致だのだったら、あの兄弟の右に出る奴はいねえ。おそらく、すべては稲川翔の指図(指示)だろうな」
アラクマの悪党としての勘は、寸分の狂いもなく東義慶のハメ手を見抜いていた。
「おい、今すぐ周辺の偵察に出した奴らをすべて呼び戻せ。それと、稲川翔に手紙(招待状)を書け。……『会談』の用意だ」
「はい、兄貴!」
「稲川翔、一回話そうや」
アラクマは濁り酒を喉に流し込み、不敵な三日月のような笑みを浮かべた。
「さて、どんな悪党なんだ? もし口先だけのただのデマカセ野郎なら、会談の席でその場で八つ裂きにして殺せば良い。だが……もし、俺を遥かに超えるほどの大悪党なら、あるいは楽しみだねぇ!!」
――時を同じくして。
廃墟街の東義慶アジト、地下の薄暗い尋問室。
「……はは、この自白剤(薬草)の力は本当にすごいですね」
シイナはメガネの位置を指先でクイと直し、薬草水で完全に精神をハメ落とされた国軍総司令官を見下ろしながら、羽ペンを走らせていた。
「国軍の拠点の配置、将校たちの繋がり、兵糧の流通ルート。総司令官の持っている情報、これですべてまとめ終えましたよ、ボス」
「いいぞ、シイナ。ウチのやり方だ、奪えるもんは情報だろうが金だろうが、すべて残さず奪い尽くせ」
上座の椅子でくわえ煙草に火をつけた翔が、満足そうに喉を鳴らす。
その時、尋問室の扉が慌ただしく開いた。東義慶の私兵が、一枚の羊皮紙を手に駆け込んでくる。
「ボス! シイナさん! たった今、拠点の外に転がっていた国軍の兵士の死体の胸元に、俺たち宛ての『手紙(矢文)』が突き刺さっていまして……!」
「あ? 見せろ」
翔は手下から羊皮紙をひったくるように受け取り、広げた。
「どうしましたか、ボス?」
シイナが不思議そうに覗き込む。翔はその書状を一瞥すると、くわえていた煙草の煙をふっと吐き出し、獰猛な狼の笑みを浮かべた。
「――ああ。とうとう、お出ましになったか」
翔は手紙を机の上に放り投げ、ナガドスの柄を親指でカチリと押し上げた。
「シイナ、明日にすべての情報を仕上げろ! それと、ギタ、カブ、新入りのラズも今すぐここに呼び戻せ! ……ついに、あの有名な二千人の巨頭、アラクマさんが『一回俺たちと話したい』そうだ。ハッ……かかったな、泥棒猫の親玉が」
チート能力なき極道・稲川翔。
相手が二千人の軍勢を率いる強者だろうと、関係はなかった。アラクマが対話を求めて動いたその瞬間、東義慶の放った冷徹なクモの糸は、すでにその巨躯を完全に絡め取ろうとしていた。




