首花
とある知人に聞いた話。
彼は幼い頃、よく田舎の祖父母の家を訪れていた。そこには祖父母と伯父家族のほかに、祖父の末の弟にあたる大叔父が住んでいた。
大叔父は仕事も結婚もしておらず、いわゆる引きこもりだったようだ。祖父たちからは「冷や飯食い」と呼ばれ、大事に扱われていないことは子供ながらに明白だったという。
いつも、廊下の一番奥の部屋に引っ込んでおり、夕食の時だけ姿を見せた。それもみんなとは一緒に食べず、自室にお膳を持って行き、ひっそり一人で食べていた。朝と昼は現れず、どうやら一日一食しか食べていないようだった。
トイレも風呂もいつしているのか不明で、知人と兄はこっそり「妖怪」と呼んで気味悪がっていたし、口には出さないが両親も同じだった。
小学六年生の冬休み、知人は例年通り家族で祖父の家を訪れた。目当てのお年玉をもらい従兄弟たちと遊び、とうとう明日は帰るという晩、夜中にトイレで目が覚めた。
用を足して目をこすりながら自室へ戻ろうとすると、誰もいない廊下で何やら声が聞こえる。身を硬くした知人だったが、すぐにそれが、廊下の奥の部屋から漏れているのだと気がついた。引き戸が少し開き、音と共にか細く明かりも漏れている。
そこは、大叔父の部屋だった。
ラジオでも聞いているのだろうか。そう思った知人は、大叔父の部屋を覗いてやろうと考えた。大叔父がどんなラジオを聞くのか気になったし、そもそもどんな部屋で何をして過ごしているのか、ムクムクと興味が湧いてきたのだ。
知人は足音を忍ばせゆっくりと部屋に近づくと、引き戸の五センチほどの隙間に顔を近づけた。
豆電球に照らされた四畳ほどの室内には、驚くほど物がなかった。部屋の隅に敷かれた布団と、その対角の隅に小さな文机があるのみだ。
しかしなぜか部屋の中央に、黒い花瓶が置かれていた。高さが二十センチほどの楕円形の花瓶で、花が活けられている。花の名前は知人には分からなかったが、黒っぽい色で星のような形をしていた。
そして、その花瓶と向かい合うようにして大叔父があぐらをかいていた。
大叔父は何かボソボソと呟いている。独り言かとギョッとしたが、よく聞くと内容はわからないものの、どうやら目の前の花瓶に話しかけているようだ。
やっぱり、大じいちゃんは妖怪だ。
なんとも言えない不気味さを払うように、知人は心の中で強がりを言った。早く自室に戻りたい気持ちはあったが、なぜかその光景に釘付けになっていたという。
段々と薄暗さに目が慣れてくると、黒一色に思われた花瓶の詳細がわかってきた。中心より少し右に逸れたあたりに、白っぽい楕円形の模様が描いてある。いや、描いてあるのではなく、妙に立体的なあれは、花瓶に取り付けてあるのだ。飾りだろうか、それにしてはなんだか気持ちが悪い。まるで人間の耳のような形をしているーー
そこまで考えて、知人は総毛立った。
あれは花瓶ではない、人の首だ。髪の長い人間の、右側頭部を見ているのだ。
今すぐ逃げ出したかったが、体は金縛りにあったように動かない。それなのに頭の一部では妙に冷静に、いつも行く散髪屋にある練習用の首だけのマネキン、あれの中をくり抜いて花を挿したらあんな感じになるのだろうか、と考えていた。
ふと気づくと、大叔父の独り言は止まっていた。静かなはずなのに、自分の鼓動が身体中に鳴り響いてうるさい。逃げ出したいのに、体はピクリとも動かない。
そんな知人の目の前で、首がゆっくりとこちらを向いた。
見えたのは、見たこともないような美しい女の顔だった。閉じていた目が開き、女はにこりと微笑んだ。
知人の記憶はそこからないという。
・・・・・・・・・
「本当に不思議なんですが、気がついたときは家へ帰る車の中だったんですよ。訳が分からず狼狽していると、冬休みボケかと兄貴に叱られたのを覚えています。全く記憶にないんだけど、僕は普通に朝起きて食事をして、帰り支度をしてきちんと祖父母に挨拶までして、帰路についていたところだったんです」
知人はさっぱり分からない、というように肩をすくめた。
「あの夜のことは夢かとも思ったけど、やっぱり気味が悪くてね。それ以降、中学生になって忙しいと理由をつけて、祖父の家にはしばらく行かなかったんです。久しぶりに訪ねたのは、高校一年の夏だったか、大叔父が亡くなったという報せを受けてでした」
迷いはしたが、それでもあの時の真相が気になって、知人は祖父の家を訪れた。大叔父の葬儀は本当に質素なもので、数人の身内だけで行われた。
大叔父は、布団の上で眠るように死んでいるのを発見されたのだという。一応不審死なので警察が介入したが、心不全ということで片付けられた。
葬儀の後、知人はこっそり大叔父の部屋を訪れた。さすがに布団は片付けられていたが、それ以外は以前見た時と変わらぬ、殺風景な部屋だった。
予想はしていたが、あの時の人の首はどこにも見当たらなかったという。
「帰る時、祖父が話しかけてきましてね。祖父は誰よりも大叔父を嫌っていたようでしたが、そこは兄弟なんでしょう、ずいぶん気落ちした様子でした。そして僕に、大叔父の話をしてくれたんです」
祖父によると、大叔父はもともとは引きこもるような性格ではなく、明るく社交的で、あちこち出歩くのが好きな性格だったのだという。山歩きが好きで、珍しい山菜やキノコの穴場をよく知っていた。どっさり採ってきては、家族や近所に振舞っていたそうだ。
ところがもうすぐ二十歳になろうかという春、山に入ったきり帰ってこなくなった。家族や近所が総出で探したが手がかりもない。泣く泣く捜索を打ち切ったが、半年ほどしてひょっこり帰ってきた。
ところがその時にはもう、以前の明るい大叔父ではなくなっていた。沈んだ目をして話しかけてもろくに答えず、やせた手には泥の塊のようなものをしっかり抱き、離そうとしなかった。
それから大叔父は部屋に閉じこもるようになり、怒鳴ったり宥めたりして外に出そうとした周りの者もいつしか諦め、知人の知る大叔父が出来上がったのだという。
「大叔父が抱いていた泥の塊というのが、もしかしたら僕が見たあの人の首だったのかもしれません。祖父に聞いても、心当たりはないようでしたが。今となっては、あれは単なる夢だったのかもしれない。でもそう思う反面で、そんなはずはないという自分もいるんです」
知人の大叔父は、その首に魅入られてしまったのだろうか。
「そうかもしれません。それが納得できるくらい、あの首は美しかったから…」
知人はどこかうっとりとした表情で、そう応えた。




