松本の婆様
とある里山の集落で聞いた話。
その集落のはずれ、山と里の境には、古く大きな松の木があった。今は跡形もないが、昔その松の木の下にあばら家があり、老婆が一人で住んでいたという。
老婆は『松本の婆さま』と呼ばれ、失せ物探しの名人として里では知られていた。
松本の婆さまは自分を訪ねてくる人に、失せ物についての思い出を語らせたという。財布を失くしたのなら、どんな経緯で手に入れどれくらい使っていたのか。料理に使うお玉を失くしたなら、それでどんな料理を作っていたのか。そしてそれを聞く間中、親指ほどの小さな糸巻きから赤糸を繰り、もう一つの糸巻きに巻き直していた。依頼主が話し終わり、糸がすっかり巻き直されると、「〇〇にあるよ」とお告げをくれた。それは面白いように当たったという。
松本の婆さまは、失せ物探しで金を取ることはなかった。その代わりに人々は、畑で採れた野菜や米や、狩った鳥なんかを持っていったそうだ。中でもおはぎのような甘味を持っていくと、とても喜んだという。
この松本の婆さま、人間ではなく狸だと、里の一部の人々には思われていたそうだ。
身寄りはなく、いつからそこに住んでいるのか誰も知らず、家は人が住めるとは思えないほどのぼろ家で、中に入ると少し獣臭かった。金を取らないのも、金の使い方を知らないからだと言われていた。
正体が人外であれ、松本の婆さまは人々に重宝され、敬われていた。失せ物探しの依頼は当然いつもあるわけではなく、畑を耕す様子もない婆さまがどうやって生計を立てていたのかは誰も知らなかったが、近所からよく差し入れをもらっていた。
子供達は用もないのに近づくのを禁止されていたが、あばら家から一歩も出ることがない婆さまのために、時折季節の花を持って訪れる子もいたという。そんな時婆さまは、好物の甘味をもらったのと同じように喜んでいたそうだ。
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「ある時桜の枝を持って行ったら、お礼だと割れたドングリやカタツムリの殻なんかを大事そうに渡されたことがあってな。婆さまが狸だなんて信じちゃいなかったが、その時は本当かもしれないと驚いたよ」
懐かしそうに男性は目を細めた。
「その婆さまは、そんなに最近までいらっしゃったんですか」
てっきり昔話の類と思っていた私が驚くと、男性は当たり前のように頷いた。
「そうだよ。まぁ、最近といっても俺が子供の頃だから、もう六十年近く前の話だけどな」
「もうお家もないようですが、亡くなったのですか?」
「それがわからんのだよ」
男性は首をひねった。
「俺が中学に上がる前だったか。松本の婆さまがいなくなったと、ちょっとした騒ぎになってな。近所の者が差し入れに行ったら、もぬけの殻だったんだと。まぁ、行方不明だな。みんなで辺り一面を探したし、当然警察にも相談した。ところが、誰も松本の婆さまの素性を知らないもんだから、警察も困ってたよ。松本が名前かどうかもわからないんだ。身体的特徴といっても、小柄な老婆というくらいしか特徴もなくてな。そもそも、立って歩いてるところすら、みんな見たことがなかったんだ。訪ねた時はいつも、囲炉裏端で座って糸を繰っているばかりだったからなぁ。オタオタする大人たちを見て、年寄り連中は呆れていたよ。『アレは狸だったんだから、山に帰っただけだ』と言ってな」
「本当に狸だったんでしょうか」
「さぁなぁ。遺体も見つからなかったし。確かに、浮世離れというか、人間離れした婆さまではあったがなぁ」
結局何もわからずじまいだよ。男性はそう肩をすくめた。
残されたあばら家も、主人を失くすとと早々に崩れてしまい、今では家があった痕跡も見当たらない。本当に風に巻かれたように、松本の婆さまは消えてしまったのだという。
「でもな、今でもこの辺では、探し物が見つからない時は糸巻きを取り出して、『松本の婆さま、お願いします』とおまじないをするんだ。本家には敵わないが、なかなか効果があるとうちのばあさんなんか言ってたよ」
そう言って、男性は糸を繰る仕草をして笑った。




