第82話 道《前編》
骨董カフェと銘打っているだけあり、店内に置かれた古時計や絵画などはさながらインテリアのように空間に調和していた。他のお客さん同士で交わされる談笑の声はそれ自体が音楽のようで、いっそう居心地の良さを感じさせる。
穏やかなひと時だった。雑談や近況を話し合いつつ、紅茶とお茶菓子に舌鼓を打つ。そんな中、店内にある別室ではヌリさんがメロの様子を診てくれていた。事情は既に話してある。
専門的な道具は常に持ち歩いている鞄に入っているらしく、メロの手を引いてホールに現れたのはしばらく時間が経った後だった。
私が手を上げてテーブルまで誘導すれば、いよいよ話し合いの準備が整った――そう思っていると、
「……ねえ」小さくため息をつきながら葵さんがマヤを見る。「マヤはあっち行かなくていいの? エイミーとアルフ、遊んでるけど」
「別に。興味あるのと、復習のため。いいでしょ、葵さん」
「はあ? ……っていうか、名前呼びされるの違和感凄いんだけど」
「”おねえさん”呼びだと髪の長いおねえさんと被っちゃうから」
若干ながらも漂い始めた険悪な空気を、「まあまあマヤちゃん、アオイさん」と言ってヌリさんが窘める。どうやら装いや外見だけでなく、ヌリさんは社交性までをも磨いていたらしい。社交的な振る舞いを見れば、もはや以前のヌリさんと比較する事すら失礼に思えてくる。
メロと顔を見合わせて感心していると、話の本題はすぐに切り出された。
改めてメロの体を診た結果、特に異状はなかったという事。加えて私たちが話した事情――メロの記憶や私たちの世界に転移した事についてだ――については、少しの前置きを挟んで語られた。
「お二人からお伺いした事にすいてなんですが……メロがそちらの世界に転移した原因は、おそらく体内の核。オートマタの動力に使われている、転移石が原因です」
「転移石……って。あの、街の広場に置かれてる……?」
大きなひし形の、透明な壁と枠で囲われた青い魔石。この街に来るときも利用したそれを思い浮かべると、ヌリさんは首を横に振った。
「たぶん、お二人が今想像されているであろう転移石ではありません。私が言っているのは――”世界転移石”。メロ以外のオートマタには使われていない、特殊な転移石の事です」
初めて耳にする単語だったので葵さんが説明を求めると、ヌリさんは眼鏡の位置を直して解説し始めた。
世界転移石――別名、群青転移石。
名前の由来は通常の転移石より青色が深く、鮮やかな色合いをしているところから。そして時折、この異世界では見られない特殊な風景を映し出すという特徴から、”世界”という冠詞を頂いているらしい。
そして世界転移石のもう一つの特徴は、
「夜になると魔力が高まること……だよね。ヌリ”先生”」
「ふふっひっ――アッ、お、覚えててえらいね! マヤちゃん!」
先生という言葉の響きに心揺さぶられてか、漏れ出た金属的な笑みは喜びの感情を隠せずにいた。
二人が家庭教師と生徒のような関係である事が分かったのは、間を置かずして葵さんが突っ込みを入れた直後だった。ヌリさんがカフェにいる時はたまに勉強を教えてもらっているらしく、同時にマヤが言っていた”復習”の意味が理解できた。
紅茶を口にして、ヌリさんは浅く息を吐きだす。
「以前も話しましたが……メロはオートマタの、記念すべき第一号として作られた経緯があります。同時に試作品――という言葉はあまりメロに使いたくないですが――的な色合いも強く、他のオートマタにはない、実験的な試みも多かったんです」
「そのひとつが、動力を世界転移石にする事……ですか?」
確認するように問いかけると、申し訳なさそうに目が伏せられた。
「……当時は探り探りでした。私も、オートマタの製造に関わる人たちも。日常生活が送れるようなオートマタの製造技術は未知数、未発達な部分もあって……さっきマヤちゃんが言った事に気を付けないと、動力に採用した世界転移石が不安定になる事すら分からなかった」
「…………暴走」
せいかい――不穏な単語を落とした葵さんに、マヤが淡白な返事を返す。
しかしその単語は散らばっていたいくつものピースを繋ぎ始め、答え合わせとばかりヌリさんが口を開いた。
「世界転移石の暴走はすなわち、別世界への一時的な転移を意味します」
メロがなぜ、私たちの世界に来れたのか。その疑問はあっけなく氷解した。
過剰なまでに高まり、蓄積した魔力が世界転移石の暴走を招いた。そしてその力が、メロを私たちの世界にまで飛ばしてしまった――なら。
「一時的にって事は……メロ。私たちのライブを観てた時、具合悪くなったって言ってたよね。あれってもしかして……?」
「うん。世界転移石に蓄積した魔力が切れかかってたんだと思う。人が呼吸して酸素を取り込むのと一緒で、オートマタも息をして魔力を蓄積、循環させて動くから」
私が異世界に転移した日、葵さんとサジから聞いた話を思い出す。
大気中に含まれる魔粒子を呼吸して循環させることで、体内には魔力が蓄積される。しかし一週間前に半美さんが言っていた通り、当然私たちの世界にはエーテルも、ましてや魔力という不思議なエネルギーも存在しない。
魔力が吐き出されるのみで、取り込むことが出来なければどうなるのか――それを人間に置き換えて考えると、文字通り息が詰まりそうになる。メロは紅茶を口にして、
「だからあの息苦しさは……前兆だったんだと思う。この世界に帰る前の」
「……なるほどね。つまり世界転移石が”バッテリー切れ”を起こして、メロはそれと同時に異世界に帰ってきたんだ」
「体力ゼロのキャラが安全な場所まで戻されるのと同じ感じだね」と付け加えた葵さんの例えは、何となくではあるものの腑に落ちる解釈だった。
その後、ヌリさんは以前、メロのメンテナンスをしたタイミングで世界転移石、および動力の安定化を図ったという説明を私たちにしてくれた。
同時に記憶喪失の原因は世界転移石の暴走と、バッテリー切れによる影響である事を話し、さらに、
「メロが王都の、誰もいない屋敷で目を覚ました時。なんだか胸がざわつくような感じがした。まるで呼ばれてるみたいな……逆にこっちが呼んでるような、不思議な感覚がして」
「よく分かんないけど……なんだか呼び合ってるみたいだね」
「ううん。みたいっていうより、実際に呼び合ってると思う」
ただ私たちの気を引くために言っているわけではない。マヤの言葉は、確信にも似た明確な語気を孕んでいた。
「世界転移石の特徴、みっつめ。世界転移石同士は互いに反応して、呼応し合う……だよね。ヌリ先生」
「ふふっひ――あ、そ、そうです。王都はこの世界でもっとも広大な街ですから、そういった事象は珍しくありません」
ただ、と言葉を添えてヌリさんは話を続ける。どこか複雑な感情が入り混じった、迷いを帯びた面持ちで。
「いきなり、なんですけど……お二人は、元の世界に帰りたいと考えていますか?」
メロに関わる話から一転、話題の矛先が私と葵さんに向けられる。予想だにしない言葉だった。あまりの唐突さに、けれど私はすぐさま思い直す。
ある意味危険とはいえ、世界さえ飛び越えて転移する事が可能な世界転移石。異世界から私たちの世界へ行き、帰ってきたメロの存在。そしてヌリさんの目の前にいる私たち、二人の転移者。
元の世界に帰りたいかどうか。
そう問いかけてくる素地は、考えてみれば十分に整っていた。
「そうですね。私は帰りたいです」
即答に近い早さで葵さんが言葉を返す。
「この世界が楽しいって思う気持ちは、もちろんあります。もっと長居したいって気持ちも……ただ、私の夢はここじゃ叶えられないんです。元の世界じゃなきゃ、無理なんです」
その言葉の真偽を考えるのが野暮に思えるくらい、葵さんの言葉は正直で、まっすぐな語気を含んでいた。当然だ。葵さんは既に自分の心の深い部分と向き合っている。
そしてその様子を一番近いところで見守っていたのは、他ならぬ私自身だ。
元の世界に帰りたい。そのうえで、自分の夢も叶えたい。
なら、夢を失くした私はどうだろう?
「おねえさんは?」
灰色の瞳が私に問いかける。
「……私は……」




