第75話 チョコミントアイスクリーム
荒唐無稽とも思える葵さんの発言に疑問符が浮かぶ。本来なら突飛の一言で片付けられるであろうその言葉は、けれどどうにも核心の輪郭を撫でているように思えてならなかった。もどかしさに苛まれる横で、葵さんはさらに話を続ける。
「いや、おかしい事言ってる自覚はあるよ。でも人目につく場所にいて、誰にも認識されてないのはさすがに変だし……逆にメロだけ瑠稀やライブの事を認識してるとなると、そう考えた方が辻褄合うのかな、って」
「……オートマタ」
ジュースを飲み干し、半美さんは空になったグラスをテーブルに置く。
「って存在は、あたしたちの世界にいないよね。当然魔力も魔法もないわけで。となると異世界独自の存在は、元の世界じゃ”いないもの”扱いされる……?」
マイナス同士の掛け算がプラスの答えを生み出すように、葵さんと半美さんの予想は、二つで一つのものと考えれば納得に足る説得力を得ているように思えた。
もちろんそのどちらかが――あるいはどちらも――間違いであるという可能性は捨てきれない。それでも、この予想が大きく外れているようには思えなかった。
幽霊に似た、いないもの。
見えないだけで、そこにいる存在。
認知こそしていなかったものの、私とメロは既に元の世界で出会っていた。奇妙で不思議な縁――これを運命と呼ぶのは、少し大げさかもしれないけれど。
「……私たち、結構前から知り合いだったんだ」
不思議な感覚だった。
目に見えていなかった相手と実は知り合いで、異世界で再会を果たしている。その事実を優しく受け止めるように、私たちは小さく笑い合う。
一方、メロがどうやって元の世界に転移し、異世界に帰ったのか――答えの出ていない疑問はまだいくつか存在する。しかし緊張の糸が緩み、驚きの出来事が連続した私たちにそれを考える余力は残っていなかった。
「……いろいろ起こり過ぎ、だよね」
後ろ髪をまとめて首の横に流し、椅子の背もたれに寄りかかる。脱力して窓の外を眺めれば、店先にはそこそこの人通りが見受けられた。
学校帰りであろう鞄を手にした学生に、楽しげに語らいつつ歩く老若男女の人々。心なしか、青空には茜色が差し始めてきたように見える。
「メロの記憶が戻ったのって……私がステージに立って、ライブしたからだよね」
「え? うん、そうだと思うけど……?」
メロの声で、頭の中だけで呟く筈だった言葉がつい口に出てしまっていた事に気が付いた。意識を窓の外から引き戻し、取り繕うように口を開く。
「あ、いや。なんか、思い出しちゃって……」
「もしかして、アイドルだった頃?」
「……はい」葵さんの指摘に相槌を返し、「ライブしてる時、自分でも意外なくらい必死で、楽しかったんです。本当はもっと続けたかったのかなとか、終わった後も考えてて……」
視界の端、小道を笑い合いながら歩く四人の女の子は友達同士だろうか。それぞれ同年代くらいで、年は私とも近いように見える。
三人が手にしていたのはドリンクで、一人だけソフトクリーム。鮮やかなグリーン色の上にチョコチップを散らされていたそれが、記憶の栓にそっと触れる。
「……していいのかな、こんな話」
「ひひ、いいと思うよ」
すぐに返事が返されるとは思っていなかったので、驚くついでに声がした方向を反射的に見てしまった。半美さんはグラスの縁に指を添えつつ、
「なんか悩んでるような、アンニュイな感じだけど……そういうモヤモヤを和らげるために、君の周りには人が集まってるんじゃないかな。もちろんあたし個人の意見としても、瑠稀ちゃんの悩みは受け止めたいと思ってるけどね」
先ほど飲み干していたのは本当にジュースだったのだろうか。もしかしたら透明なお酒だったのかもしれない――思わずそんな考えが頭をよぎってしまうほど、半美さんの語気は優しかった。
呆気にとられていると今度はメロと葵さんが互いに頷き合い、こちらに柔和なまなざしを向けてくる。
「今度は私が聞く側になるよ。前の借りもあるしさ」
「メロも一緒に聞く。ルキはどうかな? 話したい?」
――瑠稀さんも自分の事、あんまり話さないよね。
頭の中でリフレインしたのはこの場にいない、サジの言葉だった。
思い返せば私が転移してきた日以来、メロは私がいつ歌うか踊るかという事について触れてこなかった。それを気遣いだと思うのは烏滸がましいかもしれないけど、メロの優しさである事は確かな気がした。
「……ありがとう、メロ。じゃあ、みんなに話すね――」
横髪を耳にかけなおし、私は思い起こす。
異世界に来る前――元の世界で、アイドルをやっていた頃の私を。
◆
「……嘘でしょ」
休日。原宿の竹下通り。
天気――唐突な土砂降り。
雨の降り方といい降るまでの短さといい、いわゆるゲリラ豪雨だろう。
晴れ渡る空に立ち込めた雲は瞬く間に大粒の雨を降らし始め、往来する人々を建物の軒下に追いやった。
昼間という時間帯も手伝ってか人通りは多く、雨が降り出した途端、蜘蛛の子を散らすように道の両脇へはけていく人たちを眺めるのはある意味壮観だった。
「傘持ってないし……映画、始まっちゃうんだけど」
食べかけのベーグルを置いて、スマホの下敷きにしてあったチケットを取り出す。上映開始時刻は『13:20~』、対してスマホ上に表示された現在時刻は『13:08』――正直、微妙な時間だった。
雨が止むかやまないか、与えられた十二分という猶予では判断が難しい。映画館までの移動を考慮すれば、様子見に使える時間はもっと短いだろう。
今いるカフェから駅近くの映画館まで、さほど時間はかからないけど――
「……最悪」
土砂降りの中、雨に濡れてまで見に行く必要あるの――?
ため息ひとつ、けたたましい雨音の中に消えていく。
腰を上げられなかった私は、結局一枚のチケットを無駄にした。
雨が止むまでの三十分は、思いのほか長く感じられた。
チケットをベーグルの包み紙と一緒に飲み物のカップへ押し込み、ゴミ箱へ捨てる。外に出れば置き土産のように残された湿気に出迎えられ、竹下通りの人混みと相まってやや蒸し暑い。横髪を耳の上にかけるのは小さい頃からの癖だ。
カフェを出るとぬるめの風が髪を弄び、黒髪から甘めの花の匂いが香る。そのまま風に背を押されるよう歩き出すと、
「――ねえ、そこの君!」
雑踏にもかき消されない、通りのいい女の人の声が私を立ち止まらせた。
「……え。私、ですか」
「えっと、うん。そう」
駆けて来たその人は七分袖の白いブラウスに黒のフレアパンツを履きこなし、私物であろうサコッシュバッグを肩にかけていた。センター分けの前髪は多少遊ばせ、ショートカットに切り揃えられた髪型が大人っぽい雰囲気を演出している。
高い身長にすらりとしたシルエット、洗練された見た目から漂う俳優のような佇まいに当てられていると、発色のいい赤のリップで彩られた唇が動かされる。
「急に声かけてごめんね?」軽く手を挙げてその人は微笑み、「単刀直入に、なんだけど。この子と一緒に」
「――ねえ、アイドルやらない!?」
言葉を遮ったのは明るく、絵に描いたような爛漫さが滲む声だった。
「え……? あ、アイドルって……?」
「えへへっ……!」
初対面にも関わらず、その子はずい、と距離を詰めながら笑顔を向けてくる。その笑みはまるで木々の合間から差す木漏れ日のようにやわらかで、何よりも私の目と心に強く焼き付いた。
これが私と森嶋陽乃、そして私たちをスカウトしてくれたマネージャー・木崎夜詩野さんとの出会い。
そしてこれから始まる、アイドル活動のきっかけだった。




