第65話 眩き魔王
「二人とも、大丈夫?」
薄暗い室内に平淡な声と、鍵を閉める乾いた音が木霊する。ドア越しに聞こえる乱暴なノックの主はミゼリアか、あるいは鎧たちによるものだろう。騒々しさに耳を澄ませば、小廊下の奥にある広間で戦いが起きている事は明白だった。
「っ痛……ありがと、私は平気。半美さんは?」
「あたしも大丈夫。ていうか、ここにいても危なそうだね」
「うん。いったん奥、行こうか」
ここにもじき、ミゼリアがやってくる。直感は容易に確信へと結びついた。
サジを先頭に、三人は青い絨毯を暗中の道標としながら歩き出す。奥にあるガラス張りの壁からは時折雷光が差し込み、そのたびに部屋全体と、正面に控える”ある物”のシルエットをくっきりと照らし出していた。
「……椅子」
三人の正面に見えたのは、赤と黒の椅子。それもありふれた造形ではない。
背もたれの長い、いわゆる王様椅子のような外見で、細部に施された煌びやかな装飾はそこへ座す者に威厳と風格を与えていた事だろう。
内装も広間や廊下にも増して荘厳さが強調されており、さしずめこの空間は”玉座の間”とでもいったところだろうか。視線を巡らせつつ、半美は感心した様子で息を漏らしていた。
「これ、父さんと母さんが座ってた椅子」
足を止め、サジがぽつりと呟きをこぼす。
「え、うそ? あれ絶対背もたれ曲がんないけど、腰痛めるよ?」
「うん。だから大事な話をする時以外は座らなかった」
「……過去形なんだ」
座らなかった。葵の耳についたのは、何よりもそこだった。
ふと湧いて出た疑問に返ってきたのは「早くに亡くなったからね」という背を向けたままの文言で、ガラス窓に打ち付ける雨音がいっそう強く木霊する。
瑠稀がサジについて秘めていた事柄は、もしかしたらこの事なのかもしれない――納得すると同時に、葵は沈黙を打ち破った。
「サジは……これからどうするの? みんな心配してるし、それに」
指の甲が髪の毛先を撫で揃える。
「今まで過ごしてきたから、これからも一緒だ、って。そう言ってくれた本人が勝手にいなくなるの……やっぱり、私の中ではナシだよ。そんなの」
こんな事を言うのは、絶対に、私の柄じゃない。
強く自覚しつつも、それでも葵は誰か一人が欠けてしまうかもしれない現実に抗いたかった。
今、こうして嘘偽りのない”自分”を出せるようになったのはサジの言葉と、瑠稀が葵自身の心に寄り添ってくれたおかげだ。その事実に背中を押されればこそ、葵はサジの言葉を待ち続けた。
「……ごめん」
たった三文字の言葉を皮切りにサジは振り返る。
「何から言えばいいか迷ってて……けどおれ、そんなに心配かけてたんだ」
「かけてた。みんなも、だけど」
「それにサジくんのお姉さんだって、キミを探してカフェまで来たんでしょ? だったらやっぱり――心配なんだと思うよ。何かあったら、誰かが誰かを気にかけるのは自然な事だよ」
半美は酒をひと口喉にくぐらせ、
「お姉さんとは、ちゃんと会話できた?」
「いいや。まだ、かな」
「っへへ……! じゃあまぁ言いたい事、一回ちゃんと言ってみたらいいんじゃない? ”言葉足らず”だと伝わらないか――」
直後、背後から轟いた衝撃音が耳を震わせる。爆弾が爆発したのではないかと疑うほど大きな音に聞こえたのは、しばしの静寂に耳が馴染んでいたせいだろう。
外側から強引に打ち破られたドアは外れかけ、ぞろぞろと鎧たちが押し寄せる。ほどなくして響いた高めの靴音の主が、三人の意識を独占した。
剣、槍、斧槍……物々しい得物を携えた鎧たちの前に立つ姿は、しもべを従えた女王のようですらある。
「……サジ。ここに来たら、もう逃げ場はないわよ」
耳を撫でるように艶やかな、しかし、そこはかとない語気の強さを含んだ声が葵と半美を身構えさせる。しかし、
「いいよ二人とも。……全部、おれがやる」
玉座に背を向け、サジは二人の前に立つ。手にした剣を握りしめながら。
「でも……やれるの? サジ」
「おれだけ何もやってないから。それに、姉さんには言いたいこともあるし」
「っひひ、気合入ってるねぇ。じゃあちょっと――目と口、閉じてくれる?」
小気味よい開栓音。そしてサジの頭上から降り注ぐ、芳醇な香りを漂わせた清らかな液体。
白雪のような髪と透き通るような肌を濡らし、満遍なく振りかけられたそれは一分の隙もないほどのアルコール臭でサジの体を満たしていく。
「これはあたしからの餞別」栓を閉めながら半美は頬を緩める。「でもって、思ってることが話しやすくなる”おまじない”」
「……ありがとう。これなら、戦える」
ミゼリアの持つ香りと魔法の欠点。それは、より強烈な香りの前では魔力と化してしまう点にある。この欠点ゆえにカフェを訪れた際、彼女は半美の動きを封じることが出来なかった。
ならば自身の持つ酒を他者に振り掛ければ――ごく単純な発想ではあったが、対策としては至極、理に適っていると言えた。唯一難点を挙げるとすれば、ただただお酒臭くなってしまうという点に尽きるだろうが。
「……抵抗する気なのね、サジ」言いながらミゼリアは耳に横髪をかけ、「そういえばわたしたち、あまり喧嘩した思い出はなかったわよね」
「かもね。けどまあ――」
剣を引き抜き、足元に鞘を転がす。
さらにサジは胸元に巻かれている包帯を乱暴に引きちぎり――切れ端から青白い光の粒子へと分解され、小さな十字の光となってサジの頭上に集まってゆく。
束ね、重なり、編み込まれ……出来上がったのは白く輝く、眩き光輪。光輪から手に注がれた一筋の光が、一振りの剣を形成する。
ガラスのように透き通った刃は、清流を流れる清水の如く。柄から切っ先にまで湛えられた曇りなき青さは、サジの瞳と同じく空色に澄んでいた。
「……たまにならいいと思う。喧嘩するのも」
今ここに、戴冠は果たされた。
手にした刃は空と白銀、頭上に頂くは無垢なる冠。
輝きと荘厳を一身に宿したその姿は、まさしく”眩き魔王”と呼ぶにふさわしいものだった。




