第32話 うすっぺら
「……撮るなら先に言ってよ」
シャッター音が鳴り響く。インカメラのフレーム内に収まっている顔はなづな以外随分と間の抜けたもので、夜空に浮かぶ満月だけが映えていた。
それに不満を覚えたのだろう、メロが撮り直しを要求し、なし崩し的に私もその流れに乗じて再び月を背に一枚、画角が悪かったのでもう一枚――
「おっし、これでいいっしょ」
撮った写真をイセスタづてに保存する――というより、半分無理やり送り付けられた――と、なづなは気絶している男の人の手足を拘束した。スキルで”まる”を形成し、それを両手両足に掛ければ即席の手錠の完成だ。目を覚ましたとしても、これならば暴れる心配はないだろう。
この人起こして、話聞いてみよっか。メロの提案に首肯して、私は呼びかけようと一歩踏み出す。すると早歩きでなづなが横を通り過ぎ、
「うっ……なんだこれ、動けねはぁン――!?」
後ろに引いた右足が、男の人の急所とも呼べる部分に突き刺さった。
「あ、やべ。起きてたんだ?」
「~~~っっ……!?」
細くて長い、蚊の鳴くようなかすかな悲鳴。じたばた、ごろごろと、のたうつように転げまわっているのは痛みを押し殺すためだろうか。少なくとも想像を絶する痛みに見舞われているのは間違いない。
「っ痛ぇなコラァ!!」目尻に涙を滲ませながら、男の人がきつくなづなを睨む。「……ってやべ、叫ぶとまた痛みが……っ……!」
「えっと……すいません。本当は私が呼びかけるつもりだったんですけど、たぶんなづなが焦っちゃったみたいで」
なんで私が謝ってるんだろう。
ふと冷静に考えればおかしな事をしているけれど、あまりの痛ましさについ口を開いてしまった。メロがその身を案じるように気を遣い、先の戦いで荒っぽい真似をしてしまった事を丁寧な口調で詫びる。とはいえ、間違ってもこの人と仲良く会話するためにこの街へ来たわけではない。
いくらか落ち着きのある空気が場に漂い出す。最初に口を開いたのは緊張の糸を切らさず、私の隣で男の人を睨んでいたなづなだった。
「お前、なんでなづな達の店襲ったの? いきなり好き勝手暴れやがって」
「……め、命令されたんだよ」
「めいれい? 誰に?」
メロの問いかけに男の人は苛立たしげに息を吐きだし、
「名前とか、あとは外見も。ローブを頭からすっぽり被ってたからわかんねえ。でも声の感じは、間違いなく”女性”だった」
「女性……それで、その人にはなんて?」
「……『人探しをしている、見つけてくれたら報酬を出す』って。訳分かんねえよ、この街も――ってかここ、どこなんだよ。アメリカ? ヨーロッパ?」
嘘なのか本当なのか判別がつかない。しかしもし前者なのだとして、そうする事によって生まれるメリットが私たちには思いつかなかった。
それに先ほどからこの人は、しきりに視線をさまよわせて周囲の街並みを確認している。今いる場所を把握していない言動から察するに、もしかしたら異世界に転移して日が浅いのではないだろうか。この予想は大きく外れていない気がする。
「う~ん……でも、変じゃない?」と言いながらメロは立てた人差し指を顎の前に置き、「人探しをお願いされたのに、なんでなづなのお店で暴れてるの? なんだか繋がってないような気がするんだけど……」
「たしかに……普通だったら、人に尋ねるたりする筈だもんね」
言動と行動の不一致を指摘すると、男の人は「いや、そもそもその頼みは断ったんだよ。怪しかったし」と不満げにこぼした。
「気付いたらこの店の中にいて、めちゃくちゃになってて……ああ、これ俺がやっちまったんだって感覚が後になって湧いてきた。怖かったんだよ。なんか良くない事しちまったんだって、自覚だけはあったからさ……!」
「……気付いたら、ってなんだよ。言い訳のセンスなさすぎだろ」
「本当だッ! 嘘ついて俺になんのメリットがあるんだよ!」
声を荒げて男の人は反論する。たしかになづなの言う通り、気付いたらという部分がどうにも曖昧で現実味に欠けているように思える。なのに言葉の端々から滲み出る語気には、妙な生々しさが漂っていた。
あながちその場しのぎの言い訳でもないのかもしれない。そう考えてしまったのは、私が男の人の感情に流されているせいだろうか。
なづなと男の人は互いに一歩も譲らぬ様子でにらみ合い、不意にぱんっ、と響いた手を合わせる音が私たちの注目を引き付ける。場の空気を和ませようとメロは努めて声の調子を明るくし、
「あっ! おにーさん、もしかしてその女の人と知り合いだったり――」
「なわけないだろッ! リアルの男友達だってそもそも少ないのに!」
悲しい事に、その言葉だけはすぐに真実であると分かってしまった。言葉に宿る説得力が他とは明らかに違っていたからだ。
「ご、ごめんなさい。おにーさん……」しぼんだ語気でメロが謝り、「嫌なことがあったら、メロたちのカフェに遊びに来ていいから。ね?」
「一応、セントシャールって街にある『サジメロアオイ』って名前のカフェなので、よかったら。……ありがとね、メロ」
労いの言葉を掛けると「メロ、ちょっと静かにしてるね」と、弱々しい笑みが返ってくる。
「……こんなクソボケぼっちハゲに追い出されてたのかよ。っち、マジで萎えんな」
「こっちだって被害者なんだよ……まあ、辛い気持ちは分かるけどよ」
「……は?」
空気がひりついたのは気のせいではなかった。
横髪越しに伺えるなづなの視線はひどく冷めていて、ナイフのように男の人を差している。下を向いたままその視線に気付くことなく、男の人は地面に言葉を落とし始める。
「人生なんて辛い事ばっかだし、でも大事なのは、辛さを辛さで終わらせない事なんだよな。上向いて歩かなきゃ星だって見えねえし、時には振り返って、歩いてきた道を見つめ直すのもいい」
俺だって大学は中退したけど、その後はフィギュア原型師の勉強して――そこから先の話を聞くことは叶わなかった。なづなのつま先が再び、男の人の急所を捉えたからだ。
当たりどころが悪かったのか、男の人は悲鳴も上げずぐったりとうつ伏せに倒れ込む。命に関わっていないか心配になりかけたけれど――良かった、かすかに聞こえる息の音に私は胸を撫でおろす。しかし、
「うっすい言葉……なんかのキャラクターのセリフ?」咥えていた飴がばきりと割れる。「なづなより人生上手くいってる奴に何が分かんだよ」
昨夜、なづなと夜ふかししていた時の会話がよみがえる。
私はなづなの過去を少しだけ知っている。知っているけれど、それだけだ。なづなが抱えている痛みが分かる訳じゃないし、天涯孤独の身になった事も無い。それでも辛い過去があるという点だけは、私でも共感する事が出来た。
共感と理解は似ているようで別物だ。
だからこそ私はあの時、なづなに”分かる”だなんて言葉は掛けられなかった。
吹き抜ける風に髪をおさえていると屋上のドアが開く。そうして名を呼ぶ声に振り返れば、葵さんとライモンさんが小走りでこちらに駆け寄ってきた。
あれだけの魔物もどきを相手にしたにも関わらず、二人には大きな怪我もない。驚きつつも互いの無事を確認すれば安堵の息が漏れ、一方、ライモンさんは地べたに横たわる男の人を仰向けに転がし、
「ありがとう。ちゃんと捕まえてくれたみたいだね。こいつをギルドに引き渡して事情を話せば、いくらか補償を受けられる。ただ――」
とん、と胸のあたりに杖の石突きを置く。
「オレのお気に入りに勝手に袖を通したのは許さないけどね」
しばらく目を覚まさないだろうと踏んだのか、ライモンさんはなづなに頼んで手錠を外してもらい、おもむろに『推ッス!』Tシャツを脱がせ始める。
小脇にシャツを、肩に男の人を担ぎ上げ、私たちは道行く人々からの奇異の視線に晒されながらギルドへ向かう。
やるべきことは、もうひとつあった。
◆
瑠稀たちが骨董カフェ『星の踊り場』を去った後。もの寂しげな店先で足を止める者がいた。
「……ここにはいない、か」
窓ガラスを一瞥しても、映っているのはローブを目深に被った己の姿のみ。頭上に輝く星月夜は、しかしその正体を暴きだせるほど眩くもない。
背後を何人かの通行人が通り過ぎ、小さくため息をついた時。”彼女”の足は夜闇に紛れるよう再び動き出す。
収穫はなかったけれど、もう少しだけこの街にいるのも悪くない。
ローブの裾からネイルで彩られた足元が覗き、どこからかやってきた黒猫が彼女に寄り添う。だが猛禽類を思わせる、頭上を飛んでいた黒鳥の羽ばたきを耳にするなり、その猫もすぐに離れてしまった。
「私の成すべきことは……――」




