公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、あまりのバブみにイケメンたちがオギャる
私は『浪速のお腐くろさん』と呼ばれていた。
私がBLに出会ったのは高校生。
ひょんな事で仲良くなった文学少女がいた。彼女がこっそり打ち明けてくれた秘密の趣味がBLだった。
押しつけられるように貸してもらった初心者向けのBL小説。
その夜。自分の部屋。ベッドの上。
ブックカバーで表紙を隠してそのボーイズラブの世界を開いた。内心では、明日になったら感想を求められるだろう、友達のためなら、と思っておっかなびっくりのチャレンジ。これから、どうやって接すればよいのか考えながらの読書。目を泳がせて文字を追った。
——どハマりした。
陰々と薄明かりが照らすヤオイの世界。男と男の友情が燃え上がってなお消えず、愛情へと昇華していく葛藤の描写。禁断に墜ちていく男たちの耽美。
香しきその発酵坂を、私は友達に導かれて滑り墜ちていった。
かくして、
いわゆる同人、イベント、自費出版と。
さらなる腐女子道を究めんと、私は腐女子へ成長した。
残念ながら絵の才能はなく有名にはなれなかったが、長く続けていれば縁は広がっていく。それが腐った縁ならなおさらのことで、色んなサークルと仲良くなった。
それが高じて、イベント運営を頼まれるようになる。
その頃にはもう社会人で、創作活動は馴染みのサークルさんの巻末四コマを寄稿するくらい。私のオタ活はイベント運営や印刷発注をまとめたり、初心者サークルさんをフォローして、みんなと楽しむ感じになっていた。
周りから『お母さん』とか『お腐くろさん』と呼ばれ出したのはこの頃からだったと思う。
そんな私は、やがて結婚することになる。
結ばれた夫は私の趣味に理解のある人だった。結婚後も趣味を続けることを応援してくれた。この人なら、と思うと自然と子どもが欲しくなった。
真剣に子作りをはじめてほどなく、愛しい二人を授かった。
一人目は女の子。元気いっぱいの玲奈。
二人目は男の子。優しい宗谷。
事件が起きたのは、宗谷が中学生のころ。
彼が交通事故で行方不明になってからだ。遺体は見つからず、神隠しだと周りが噂して、私は絶望にくれる毎日だった。
でも、本当の事件はここからだ。
宗谷が突然、姿を現したのだ。
家の中、いつものリビング、昼下がり。夕食の準備をしていたら、大きな物音がした。驚いて振り返ると、いなくなったはずの息子がそこに立っていた。
背がすっかり伸びて体つきも男らしくなっていた。気弱な感じのする顔だったのが、キリッとして凜々しく引き締まっている。まるで私オシの総受けキャラのようなイケメンだ。
「お母さん」
家のリビングに突然あらわれた息子は、表情を曇らせている。
「宗谷、なの?」
その場に、崩れ落ちて両手を床につく。
宗谷の随分と長くなった足が目の前で折り畳まれて、その表情が近づいていく。眉間に刻まれた皺と力のこもった目が険しかった。
かつての愛する息子の優しい顔はもはや面影ばかりで、その表情からは行方不明の間の苦労がしのばれた。
「お母さん、ごめんなさい」
「宗谷なの、宗谷」
「本当にごめんなさい。僕には、もう、お母さんにしか、」
「ああ、」
両手を伸ばして息子を抱きしめる。
ああ、本当に大きくなった。背中なんて、こんなに逞しくなって、腕の中で溢れてしまいそう。
「……時間がないんだ。ねぇ、お母さん」
息子の両手が肩にふれて、そっ、と体を離す。
険しかった表情が不意に緩んで、年頃のはにかんだ、恥ずかしさを誤魔化すような笑みを見せる。宗谷は、はっとしたように口元に手を当て表情を元に戻すと、襟元をゆるめて深呼吸をした。
ふと気がついた。彼は風変わりな服装をしていた。麻の丈夫な布地を折り重ねて、ベルトでたくし込んで上着にしている。ズボンは藍色のすそ広がりのもので、靴はよく使い込まれた革ブーツだ。
ブーツ? 家の中に土足なんて、絨毯が汚れてしまう。
「お願いがあるんだ」
それにしても、変わった服装。まるで、長く旅を続けていたような使い込み具合を感じる。
宗谷がこちらに向かって手を伸ばす。
思わずその手を取ると、自分の息子とは思えないほどに強い力でひっぱり上げられる。
その拍子に、カチャリ、と彼の腰元で鳴った金属の音に目が吸い寄せられる。そこには、よく使い込まれた西洋風の剣が黒革の鞘から覗いていた。
「宗谷、」
それは何? コスプレなの? とてもよく似合っているわ。
そう問いかけようとすると、宗谷の人差し指が目の前まで伸びて、言いかけたところで遮られてしまう。
「会えてうれしい。でも、時間がないんだ。それに、……お母さんしか思いつかなかった」
「どういうこと」
「お姉ちゃん、とも思ったけれど。やっぱり、ここに帰ってきてしまった。これは甘えだから、僕はお母さんの子どもなんだ。ああ、僕たちはどうしようもなく、子どもだったんだ」
「ねぇ、宗谷。分かるように言ってちょうだい」
「お母さん、」
宗谷は左手を胸元まで掲げる。
その薬指には、朱色の糸をよじって絡めた指輪がはめられていた。
「これは綾取の指輪」
「指輪?」
「鏡は確か、……あった」
振り返った宗谷は、居間にある化粧台の扉鏡のほうに私の手を引いて連れて行く。化粧台の椅子を横によけて、宗谷は鏡をひらいた。凜々しくなった宗谷と私の姿が一緒に映っている。
ああ、この一年間。何度と夢見た光景だろう。こうして、また再び家族が揃うなんて、本当に夢のよう。
宗谷が赤い糸の指輪を唇にあてて、つぶやき始めた。
「見えざるを映せし隔世の境界。隠したる裏面の対象、虚実の光陰。剝離せし異世の対、綾し絡めて紡ぎ編む。善悪の以前。虚構の現実——」
なにやら難しい言葉のその連続は、しかし、マンガやアニメの世界にどっぷりと妄想にふけってきた私には耳慣れたもので、思わずむずがゆくなって笑いがこぼれてしまう。
宗谷もそういう年齢になったのだ。昔の自分もそういうのが大好きだった。彼の服装もそういうことなのだろう。今夜はそういう話をいっぱいしよう。なんて楽みなのだろう。
鏡に映る、すっかり長身の男になった宗谷の指が、ぽぅ、と光り始めた。あの糸の指輪だ。その光は、まるで血のような赤い光を下に垂らし始める。
あら、最近のコスプレグッズは本当によく出来ているのね。
「ねぇ、お母さん」
「なぁに、宗谷」
「この指輪、受け取ってくれる?」
「あらあら」
その演出に、年甲斐もなくうれしくなった。
夫に愛想がつきれば息子に恋する、なんて言われる事もあるけれど、なるほどこういう感じなのかもしれない。夫との仲は良いけれど、少なくとも、宗谷は恋以上に愛して立派に育ってくれた息子なのだ。
「喜んで頂くわ」
「……ごめんなさい」
なぜか謝られて、少しだけ戸惑う。
「僕もすぐに行くから……。彼女は本当は、そんなに、悪い娘じゃないんだ」
息子が私の左手をとり、薬指に外した糸の指輪をそっと通した。
その瞬間、糸がきゅっと締まったかと思うと、辺りを照らしていた赤い光が収束しておさまる。
その時、声がした。
——ソーヤ!
甲高い、若い娘の声だ。
——おい! ソーヤ! 許さない。騙したわね!
その声は、自分の鼓膜の内側から聞こえてくる。
——絶対に、元の世界なんかに帰さない!
だんだん、と大きくなっていく。
思わず両手で耳をふさいだ。鼓膜が内側から突き破られそうなくらい、鋭い叫び声なのだ。まるで、悪戯をした幼子が閉じ込められて、それでも反抗しているような癇癪声。
「見つけたわ!」
ついにその娘の声は外から聞こえ始めた。
その声は鏡のほうから聞こえてくる。振り向くと、黒いゴスロリ衣装をまとった金髪の女の子が、鏡の向こうからこちらを睨みつけていた。
「ソーヤぁ! 下僕の分際でぇ!」
「レヴィ……」
二人はその不可思議な光景に、呆然として立ち尽くすしかなかった。
えぇ、何かしらこれ? VRゲームとかそういうのかしら。よく見ると、女の子はとても綺麗な顔立ちをしている。やっぱりゲームなのかしら。
「私、怒ったわ。この私を怒らせたのよ! 綾取の指輪を返しなさい。あんたとの血絡みの儀なんて、やっぱり、まっぴらごめんよ。八つ裂きにしてやる」
「僕たちはもっと知るべきなんだ」
「世迷い言、知らんわ」
「本当は、色々なことを勉強するべきなんだ。君は何でも出来てしまう人だけど、本当は色んなことを経験してから、なんだから」
「はぁっ! 鏡の薄皮一枚向こうで、得意気に!」
その美少女はとてもイライラしていて、かなり口が悪かった。
どういった状況なのか判断がつかず、おろおろとしていると少女はこちらに気が付いて横目で鋭く睨んできた。
「何? 誰! そこのババァ」
思わず頭を下げてしまいそうになる。
女の子は片方の眉を、ぴくり、と引き上げて、あっ、と口をあけた。
「なんで、そのババァが。なんで? その指輪!」
「レヴィ、」
「ソーヤ、お前はなんて、なんて事を、」
「君は、お母さんと入れ替わる」
その時、鏡が閃光を放つ。
視界が白く染まって、女の子の「糞がぁ!」という酷い言葉が再び鼓膜の内側からはじけて、意識が遠のいていく。
かつて『浪速のお腐くろさん』と呼ばれた私は、
こうして『災禍の少女』と恐れられる公爵令嬢レヴィア・ヤシャ・イフリータとして過ごすことになったのです。




