魔王の侍女
「ミリシア。お前とは本日限りで、婚約を破棄させてもらおう!」
学園が主催する創立パーティの会場である大広間にて、それまで人の笑い声や楽しげに話に興じる空気が、そのたったひとつの声でしんと静まり返る。
長い歴史を積み上げる学園は、爵位を持つものだけを受け入れる場所であり、勉学は勿論、将来に向けて人脈を広げる意味合いも持つ場所でもある。
今日は学年最後の日であり、長い休暇を前にしての催しなのだが、一瞬にして不穏なものへと変わり、その場に居た生徒達は何事かと声のした方へ視線を動かす。
広間の奥。数段高めに設えたその場所は、王族のみが立つ事を許された場所である。その壇上にひと組の男女と、二人を囲むように立ち並ぶ数人の男子生徒達。
それから、段下から彼らを見上げる一人の少女の姿があった。
「……は?」
糾弾された少女――ミリシア・フュルスト・シュワルツ――は、それが自分に向けられたと理解するまで寸刻の時間を要した後、ようやくとして出たのは令嬢にあるまじき間の抜けた声だった。
淡い金の髪をハーフアップに結い上げ、銀の髪飾りに髪に巻き付くように垂れる真珠が、彼女が身じろぐ度に金の波を泳ぐ。
少し釣り目ぎみなアクアマリンと見まごう瞳は、あどけなさの残る、だが淑女として遜色ない輪郭に均等に並び、その下には小振りな鼻と薔薇色に塗られた艶やかな唇は、少女と女性のアンバランスさがあり、とても人の目を惹く。
ミリシアは、壇上の声をあげた婚約者であり、このカルシュ王国の第二王子であるラルフ・フォン・カルシュが今日着る服装に合うようにと、婚約者の母がわざわざ送ってくれたオレンジ色のドレスは、ミリシアのスレンダーな上半身に沿うような形で、胸の下からはふんだんに使用された生地がふわりと広がるエンパイアスタイルと呼ばれる型である。可憐にも拘らず、彼女の可憐ながらも毅然とした性格を現すように、ドレスとロンググローブにあしらわれた黒のレースがどこか妖艶さも感じさせた。
「……おっしゃってる意味が理解できません。詳しく御高説いただけれるでしょうか? 第二王子……いえ、王太子殿下?」
手にしていた扇をそっと口元を隠しつつ、多少の厭味を込めて白の王国では王太子として崇められてる壇上のお方へと向ける。
すると、壇上に威風堂々と立つ第二王子は、光の加減で薄い菫色にも変じる銀髪の間から、琥珀を瞳にしたそれから剣呑な眼光を持って、ミリシアを強く睨み据える。
「詳しく……だと? だったら言ってやろう。お前は僕が愛するクララ男爵令嬢を、執拗に虐めただろう!」
「え?」
「しかも挙句の果てに、階段から突き落としたそうじゃないか! 見てみろ! クララの美貌に傷までついたじゃないか!」
「……はぁ?」
そっと第二王子の隣に立つ、鳶色の髪をサイドテールにし、若苗色の瞳に怯えを滲ませているクララという初めて会うその人へと窺い見る。
階級的には下から数えた方が早い男爵階級は、どちらかといえば庶民に近い存在として扱われる故に、彼女の着ているドレスも作りは良いもののどこか垢抜けていない雰囲気を感じる。型もどうやらひとつ前に流行ったようなものだ。
それでも彼女の持つ可憐な雰囲気が違和感を感じさせなかったが……。
(愛してる存在って言うなら、彼女に新作のドレスくらい買ってあげなさいよ)
じとり、と第二王子を睨めつけていると。
「……ひっ! ミリシア様が私を睨んで……っ」
クララという少女は全身をぶるりと戦慄かせると、第二王子の肩に顔を埋めしがみついたのだった。
(誰があなたを睨んだっていうのよ)
溜息が零れそうになるのを、かろうじて口の中にとどめ、二人と周囲に侍る人たちの様子を眺める。
一言で言えば、鼻の下を伸ばしてみっともない。
第二王子だけでなく、周囲の男性たち――あれは、生徒会の人たちかしら。冷静沈着で、公正平等な采配を振るうともっぱらの彼らのデレデレした姿に、ミリシアは死んだ魚のような目で、他の人たちは幻でも観てるかのように、目を瞬かせていた。
「大丈夫だ。僕がクララをミリシアから守ってあげるからな」
蕩けるような眼差しでクララの髪を梳く第二王子は、耽溺を全身からにじませながらクララ嬢と愛でている。
政略的理由とはいえ婚約して十数年。かつてこれほどの締まりない顔を見たことがない。いや、どちらかといえば、しないでくれてありがとう、第二王子よ。ぶっちゃけ気味悪いですので。
またも転がりそうになる言葉をぐっと飲み込み、いつになったら茶番が終わるのだろうかと待機していた。
婚約破棄をしたいのなら、ご勝手に。ただ、それが王家の総意であればいいんですけどね。
「ああ可哀想に、クララ嬢。あんな性悪に睨まれたら、君の可憐な心が傷ついてしまう」
「クララ嬢。僕らが君を守ってあげるよ」
「ああ、そうだな。クララ嬢、あんなくだらない者に怯える必要はない。向こうで菓子でも摘もうじゃないか」
「それは良い提案だ。さ、クララ嬢、ラルフ様、どうぞあちらへ」
第二王子とクララ嬢を囲んでいた金魚の糞たちは、二人を気遣う様相を見せながらも、視線は牽制しあってる。
人は恋をすると愚者になるというけど、あながち間違ってないみたいだ。
「……くすっ」
「なにが可笑しい。さっさとクララに謝るんだ!」
喧騒に紛れるように笑ったのに、第二王子の耳には届いてたらしい。地獄耳なのかしら。
「大変申し訳ありませんが、私は睨んだつもりもございませんし、そもそも私がそちらのクララ嬢と言われる令嬢につきましても、今日まで接触した記憶はございませんわ」
ミリシアは毅然と立ち、ありのままの事実を告げる。向こうが信じるか信じないかは別にしても、ね。
「嘘だ! 僕はお前がクララを虐めたと聞き及んでいるのだぞ!」
「ですが、私の言葉も嘘偽りはございません」
ミリシアは貴族令嬢として、事実を隠す事はあっても、嘘を言った事はない。
また、公爵貴族として矜持を曲げるつもりは更々ないし、白を黒と言うつもりもない。相手が信じようが信じまいが、これが自分なのだから、相手に合わせるつもりはないのだ。
しかし、せっかくの学園創立パーティが台無しではないか。
ミリシアは楽しんでいたであろう周囲の同級生たちに悪い気持ちを感じながらも、このままでは埓もあかないし、どちらにせよこの様子では他の王家の賛否は別にしても、第二王子は婚約破棄も本気であると察し、ミリシアは優雅であり完璧な淑女の礼を披露すると、
「事実はどうあれ、第二王子がそう申し出るのであれば、今回の婚約破棄のお話残念ですがお受けいたします」
背筋を真っ直ぐに伸ばし、毅然とラルフ第二王子に告げた。
本当は、「ふざけるな」と叫びたかった。「割り込んできたのはクララで、自分の方が被害者だ」と「低級貴族が高級貴族から婚約者を奪ったのだ、それがルール違反だと気づかないそちらが愚かだ」と、言ってしまえばすっきりするだろう。
しかし、貴族であるという尊厳がそれを許さなかった。
だけど、このまま泣き寝入りするのも、自尊心が許さない。
「ラルフ王子」
「……なんだ。まだ何か言いたいのか」
クララ嬢の肩を抱き、この場から立ち去ろうとしていた第二王子を引き止める。
ミリシアはそれまで強気だった表情をホロリと崩し、見つめる瞳は潤んで揺れていた。
「これまで、ずっとお慕いしてました。これも、本心ですわ」
手に持っていた扇を広げるとクルリと踵を返し、足早に会場を立ち去った。扇に隠れた形良い唇の間からは苺のように赤い舌を覗かせていたが。
「お嬢様。こんなに早くどうされたのです?」
従者控え室に向かう途中で、警備の騎士にアデイラの侍女を呼び出してもらい、先に馬車へ向かったのだけど、既に侍女のソフィが驚いたように佇み、そう言って近寄ってきた。
「私にも何が何だかだけど、婚約を破棄されたみたい」
「は?」
紫苑色の髪をひとつに纏め、お仕着せを着たソフィは主の言葉に目を丸くする。
(そうよね。突然ですものね)
ミリシアは苦笑して、ソフィの手を借りて馬車に乗り込むと、続いてソフィが乗り込んでしばらく、馬車は自宅へとゆっくり走り出したのであった。
ソフィは何か言いたげだったが、色んな感情が混じり今は上手く言葉にできない。馭者の手によって乗った馬車がゆっくりと屋敷に向けて動き出す。
揺れはほとんどといっていいほど、体に振動は感じない。馬車の性能の良さもあるが、馭者の腕もあるのだろう。
カラカラと車輪の回る音を耳にしながら、ミリシアは小窓から見える景色を眺め、ぼんやりと思考を揺らせる。
(きっと今頃、お父様の耳にも婚約破棄の話は入ってるでしょうね)
落胆したい暗鬱とした息を落とし、ミリシアは静かに目を閉じた。




