飯テロ女の契約料理人~君の飯に恋してる~
人は言う「男は胃袋を掴め」と。
確実に私は彼の胃袋を掴んでる。でも……彼が恋してるのは私の料理で、私じゃない。
私は自分の料理に嫉妬する。
運命の出会いは意外な所にあるというけれど、これは斜め上過ぎだろう。
小学生時代からの幼なじみ・峰崎琴子に、予告も無くTwitterでブロックされた。
「私がダイエット中だって知ってるでしょう! アンタの飯テロに耐えられるわけないじゃない!」
私は自分の作った料理を写真付きでTwitterにアップしている。食レポ付きで。これが結構フォロワー数が多くて、皆から「飯テロだ!」という怒りだか、褒め言葉だかわからないリプをもらう。
だから私のアカウント名は、いつしか「飯テロ女」になっていた。
深夜0時過ぎを狙って、飯テロツイートを垂れ流してたのは悪かったけど……。
「だからって……予告無くブロックされたら、こっちも凹むわよ」
「悪かったわね。じゃあ、お詫びに男を紹介するって言ったらどう?」
29歳。現在彼氏なし。来年三十路だ。昔は20代で結婚できるでしょう? って高をくくって、しばらくしてまあ女の幸せ結婚だけじゃないよねと開き直り、そして20代最後の年になって猛烈に焦り始めている。
「なんでいきなり……男を紹介するって話になるの?」
「私の知り合いに偶然、恋音のフォロワーがいたのよ。飯テロ女が私の友人だって言ったら、是非紹介して欲しいって」
昔の男の事が一瞬頭をよぎり、かさぶたを剥がしたみたいにひりひりする。まだあんなつまらない男に振り回されてるなんてばからしい。忘れよう。
琴子は私の一番長い友人で、私の好みを知りつくしている。彼女が紹介するなら悪い男ではないだろう。
こうして私は友人の紹介で彼に出会った。初めから私の料理目当ての男に。
「……初めまして、桐谷昴です。よろしくお願いします」
ぼそぼそっと緊張してる様な、でもすごく丁寧な挨拶とお辞儀。きっちりスーツを着込み、とても真面目そうな人だなというのが第一印象。昴という華やかなイメージの名が、まったく似合わない。
年齢は若くも見えるし、そこそこの年にも見える。特徴を見いだすのが難しい様な、たぶん道ですれ違っても見落としそうな顔立ち。
「初めまして鈴代恋音です。よろしくお願いします」
慌ててお辞儀を返し、しっかり頭を下げてから見上げる。桐谷さんを上目遣いでちらりと見たら、ふいっと目をそらされた。シャイな人……なのかな? 銀縁フレームの眼鏡の奥で、瞳が泳いでる。
「なに……お見合いみたいな事してるのよ。ちょっと食事しようってだけなのに。さあ、ここは桐谷さんの奢りだっていうんだから、遠慮なく食べなよ、恋音」
琴子にそう言われて緊張の糸が緩んだ。ひとまず店のメニューに目を落とす。
まだオープンして1年だというおしゃれな野菜レストランの店で、メニューを見てるだけで美味しそう……なのだけど、結構お高い。三人分奢りでいいのだろうか?
「ダイエット中に食い道楽二人に付合って、カロリーオーバーしたくないし、野菜レストランにしてもらったの」
琴子がウィンクして見せ、なる程と納得。私は食べる事がもの凄く好きだけど、桐谷さんもそうなのかな?
無難に野菜のコース料理三人分頼む。琴子はダイエット中だから、水だけでいいって言うので、桐谷さんと二人でワインをシェア。
運ばれてきた料理があまりに美味しそうで、思わず乾杯を忘れてフォークに手を伸ばした。
ガラスのカクテルグラスに散りばめられた、赤、緑、黄色。色とりどりの、一口サイズの野菜が目に眩しい。アンチョビが効いたバーニャカウダソースをつけて、次々に口に放り込む。
さくさく食感の良いベビーコンーン。ねっとり甘いかぼちゃに、みずみずしく程よい歯触りのズッキーニ。セロリの爽やかな香りが鼻に抜けるように清々しい。
「このバーニャカウダー、ちょっとニンニクが物足りないかな……」
「……僕もニンニク強めの方が好きですね」
「凄く良い野菜だから、野菜の風味を優先してるのかしら?」
「……ジャガイモの甘みが強いですね。僕の好みです」
「キタアカリ……ともちょっと違うような。新しい品種かも?」
「……最近はジャガイモの品種が増えて、色々食べ比べるのも面白い」
「ジャガイモの品種食べ比べセットとかあったらいいですよね」
「……よいですね」
「そんなニッチなメニュー頼むの、貴方達くらいでしょう」
琴子が呆れつつ私の皿にジャガイモを押し付けた。曰く「炭水化物はダイエットの敵よ!」らしい。以前会った時より頬がすっきりした気がする。でも琴子はふっくらした体型も可愛いのに。
翡翠色の美しい丸皿に、散りばめられた野菜達。ほとんど辛みがないのに、しゃきしゃき食感を失わないオニオンスライスに、甘みの強い赤と黄色のパプリカ。そこに乗る水ダコは、ぷりっぷりな歯ごたえで旨味たっぷり。甘酸っぱいマリネソースが全体をまとめあげる。
「このマリネ、甘さが程よいですね。リンゴ酢かな?」
「……香りも独特だけど……バルサミコ酢とも少し違う気がします」
「お酢だけじゃなく、ハーブを効かせているのかも」
「……」
私と桐谷さんのマニアックな料理考察に、もはや突っ込む気もうせたという顔の琴子。それを無視してしまう程、桐谷さんの食べ方が綺麗なのに目を奪われる。
白くて細くて華奢で、少しだけ筋張った手が男の人らしくなくて、その手が振るうフォークの先に刺さるトマトが、熟れた汁気を滴らせ、思わずかぶりつきたくなった。
「せっかく……野菜レストランにしたのに、結局飯テロじゃない」
琴子の目が涙目な気がするけど……正直凄い楽しい。食べ物の事以外一切話してないし、視線は桐谷さんの顔より料理に釘付けだけど。
味付けの隠し味とか、細かい所まで良く気がつく。桐谷さんは舌の肥えた人だな。料理の話になると、初めのぼそぼそとしたしゃべり方が嘘の様に、饒舌で楽しそうだ。
料理が美味しいからワインもぐいぐい飲んじゃって。足りなくてもう1本頼むくらい。桐谷さんも結構飲める人なのね。
食事が終わって珈琲を一口。にんじんのシャーベットを食べ終えたら、急に場がしんとした。……何を話していいのかわからない。既に食べ物はなくなった。話題が無い。
食べ物の話だけでさようなら……二度と会いませんというのは、哀しい。せめて何か次に繋がる事をと、考えるのだけど思いつかずに口ごもる。
気まずい沈黙が続き、その静けさに耐えきれず、ふと目をあげる。初めて桐谷さんと目と目があって不穏な気配を感じた。震える声が少しうわずっている。
「……鈴代さん。お願いがあります」
「え……何でしょう?」
「……僕の為に料理を作ってもらえませんか?」
まるでプロポーズの様な言葉に動揺し、まともに返事もできず固まった。
「……謝礼に……何でもごちそうします。鈴代さんは美味しいものを食べるのが好きな様ですし、高級レストランでも何でも奢ります。だから……作ってもらえないでしょうか?」
謝礼……というギブアンドテイクな言葉に、まったく恋愛の香りが漂ってなくて、さらに困惑する。
「恋音。言ったでしょ。桐谷さんはアンタの飯テロツイートをずっと見てたって。アンタの手料理が食べてみたいって、それで紹介したのよ」
琴子の説明でやっと事態が飲み込めた。つまりプロポーズでも何でもなく、本気で私の料理目当てで桐谷さんは会いにきたのだ。
「料理を作れと、言われましても……どこで?」
「……僕の家のキッチンを使ってください。調理器具や食材が足りなければ、言っていただければ僕が全て買いそろえます。必要経費です」
いきなり初対面の男の家に行く……というのはもの凄くハードル高いのだけど、必要経費なんて事務的用語と、桐谷さんの生真面目な雰囲気が、まったく下心を感じなくて……逆にせつない。
「……すみません。使い慣れてない調理場だと困りますか? 鈴代さんのお宅にお邪魔した方がいいでしょうか?」
「いえ……それもちょっと」
自慢じゃないが、料理以外の家事は苦手だ。汚い部屋を見せたくない。それに万が一変な人だった場合、自宅の場所を知られる方が危ない。
「……では……どこかキッチンスペースでも借りますか? レンタルだといくらくらい……」
「そこまでお金をかけて食べたいんですか? 私の料理」
「はい。食べたいです」
それまで言葉にあったよどみがいっさいない、清々しいくらいにはっきり、きっぱり。そこまでしてでも食べたいと言われれば……悪い気はしない。
じっと桐谷さんを見ると、申し訳なさそうに肩を縮ませ「……無理を言ってすみません」と蚊が泣く様にか細い声をあげた。とても残念そうで見てて不憫だ。
少し悩んだけど、酒に酔ってたかもしれない。勢いでうっかり頷いた。初対面の私にこんな大胆な提案、きっと桐谷さんも酔ってたに違いない。
「……よろしくお願いします」
こうして私は、彼の契約料理人になった。
男の家に料理を作りに行き、高級な食事をごちそうしてもらって……まるでデートみたいじゃないか。そういう関係をこれから続けて、いつか恋に発展するかもしれない。
……未だに名前以外、何も知らない人ですが。
性格は? 職業は? 趣味は? 家族構成は?
それ以上に気になるのは……果たして私達の間に、食べ物以外の話題が成立するのだろうか?
胃袋でしか繋がれない男女の物語が始まる。




