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ハイツ華瑞希 六畳一間のキャンパスライフ日記

 前途揚々と燦然たる未来を漫然と君が夢見ているとしたら。




 君は広大無辺な大器の持ち主か底抜けの阿呆のどちらかだ。




 君がどのような志を抱いているか私には知る由もないが、新たな天地を拓かんとする君にはこれまで添い歩いてきた自己をこの部屋の隅にでも蹴り捨てておくことをお勧めする。




 月日はまさに百代の過客であり、凝り固まった自己は過ぎ往く時代を見るに相応しくないのだから。








   ○   ○   ○








 このような文から始まる手記のようなものを押入れの奥から発見したのは、まったくの偶然だった。




 それは原稿用紙に書かれ、枚数にして数十枚程度。しっかりと紐で綴じてあり表紙や題はなく誰が何の為に書いたものなのかも分からない。しかもこのご時世に手書きである。




「何だこりゃ」




 この春から大学へと通う身の上としては、この不可解な紙束が自分へと向けられたもののような気がしてしまう。


 六畳一間を引越しの荷物で敷き詰め、まだそれぞれの陣取りも終わっていない状況で、とりあえずしばらく使わないような冬物は収納してしまおうと開いた押し入れに、存在感たっぷりに置き捨ててあったのがこの紙束だった。




 この不可思議な紙束に対する考察は尽きないが、とにかく得体の知れないそれの正体よりも部屋の片付けが優先である。


 開け放った窓から春の風がさらりと吹き込んできた。




 ハイツ華瑞希(はなみずき)。ここが自らの新たな生活の居城だ。六畳一間の安下宿ではあるが、それを考慮に入れても大学からの距離の近さが魅力的である。窓から外を眺めてみればハイツの庭が見え、共用スペースであるその場所には、おそらく建物の名前の由来になったであろうハナミズキの木が一つ植えられている。




 ハイツの入口に人影が見えた。一瞬だったが、おそらく引っ越しを手伝いにきてくれた友人だろう。荷解きはまだまだ終わっていないので素直に助かる。足りないものを買い出しにも行きたい。




 紙束を開いていない段ボールの一つに乗せ、友人が来るのを待った。




 友人の名は繰間(くるま)といって、この春から自分が通う大学で二回生になる人物だ。


 見た目の平凡さとは裏腹に、高校時代から奇人変人の勇名をクラス内はおろか学校、果ては周辺地域に至るまでかなりの範囲で欲しいままにするようなヤツだ。


 決して狂っているわけではないが、正気のままで奇行に走るものだから逆に不気味さが際立つ。








   ○   ○   ○








 待てど暮らせど来ない繰間を思うあまり、荷解きを進めながらつい高校時代の奇妙なエピソードを思い返してしまうのも、無理からぬ話である。




 あれは二年前。高校二年生の春。繰間は両手に大きな紙袋をいくつも提げて教室に来るなり、その中から様々な菓子箱を取り出して教卓に積み上げ始めた。


 見たことがあるものから、よく分からないものまで、その数実に50弱。絶妙なバランスで前衛芸術と化した菓子の塔が出現し、繰間は満足げに言った。




「よいとまけ、萩の月に始まり、もみじ饅頭、ちんすこうまで。


 ここに全国の菓子を集めた。これを "甘味の塔" と名付ける」




 高々と宣言し、繰間は積み上げた菓子類を皆に配ってまわった。


 積み上げから切崩し、配布までの異常なまでの手際の良さに皆唖然と菓子を受けとるしかなかった。




「皆にとってはただの菓子。だが、甘味の塔の真価は私だけが知っている」




 自分にはきび団子をくれた。通販で買ったのかと聞いてみると、




「足を運んで買ったものだよ。ネットで買い揃えてもつまらないだろう」




 と繰間は言ったが、数々の菓子を買うためだけに日本全国を一周してきたとでも言うのだろうか。


 それを思い、そして確信した。繰間は偉大なる阿呆だと。そんな繰間と交友を深めていた代償として、級友達から "比類なき阿呆の片割れ" という偉大なる二つ名を賜る羽目になった。




 共通点も同じような趣味もなく、強いて挙げるならば性別が同じであることくらいが同類項ではあるが不思議と気が合う。


 ただ、頑として弁明しておくが自分は奇行に走ったことはない。いつでも繰間を眺め、笑って楽しんでいた。


 何事にも動じることなく過ごすのが自分の信条であり、また曲げることのない生き方である。








   ○   ○   ○








 しかし先程の紙束はその人生観を捨て置けという。さらに部屋の隅に蹴り飛ばせとも。非道である。


 新天地にてかくも自分を否定されるとは思ってもみなかった。随分と心外だが、何事にも動じることなく生きるのが信条だ。何食わぬ顔で見なかった事にしておこう。




 気がつけば日は少し傾かしいで、六畳間もある程度広く感じられるようになった。置場所に困っていた例の紙束が目に入り、ある考えが頭を掠めた。




 繰間なら、これくらいは興が乗ればやってのけるに違いない、そう考え、もう一度紙束を拾い上げて最初の部分を流し読む。




 その時、不意に扉を叩く音と開く音が同時に聞こえ、至って平凡な顔がぬうっと部屋に入り込んできた。扉を開きながらノックをしたところで、それはノックの持つ意味を軽んじる行為なのではないか。そう苦情を申し立てようとするよりも早く、侵入者は言った。




「やあ。綾見(あやみ)。手伝いにきた。


 とりあえず近所への挨拶は済ませてきたよ。


 亀の子束子(たわし)はやはり挨拶の定番だね」




 ああ、そうとも、こういうヤツなのだ。


 明日から自分は "タワシの人" と呼ばれることだろう。用意した洗剤セットは如何せん。うん、やはり渡しに行くべきだ。近隣への挨拶は家主がして然るべきなのだから。




「繰間、久しぶりにして相も変わらずだな君は。


 だが挨拶は自分でも行くよ。代わりに部屋の片付けを頼む」




「幸い、亀の子束子は残っている。適任だよ」




 こうして洗剤セットを片手に同じハイツの面々に挨拶に回ったが、その行程は苦難を究めた。繰間が先に挨拶とやらを済ませたせいで本来の借主である自分を理解してもらうのに苦戦したり、六畳一間に二人で住むのかといらぬ詮索をして訝しむ隣人達の好奇の視線に晒されてしまうこととなった。




 部屋に戻ると繰間は静かに何か読んでいた。タワシを流しに放り出し、開けていない荷物を椅子代わりにあの紙束を眺めていたのだ。


 西日は先程からさらに燈色を増し、伏し目がちに書を嗜む彼女(・・)の頬を鮮やかに染めていた。




 世界が切り取られたようなセピア色の空間に、普段は微塵も感じられない繰間の女性的な部分が垣間見えた。




 珍しいことだ。長年、同じ女性として "阿呆の片割れ" をやってきたが、このような風景はそう見られるものではない。ひとえに繰間の奇行による所が大きいのであろう。戸惑いながらも非難の言葉を彼女に浴びせたが、いたって平凡に返事があった。




「やあ、これが面白くて。そうか。君の元に来たか」




「なんだ。繰間が書いたものだとばかり」




「私には文才や書才はないよ。綾見。


 これは "過客(かかく)のススメ" というものだ」




 そう言って彼女は大学界隈にいつからか伝わるというこの紙束について知っていることを教えてくれた。




 "過客のススメ" はその昔、どこへともなく姿を消したある人物の下宿に残されていた手記で、飄々と大学生活を謳歌した後、日本を離れて世界を旅することを決意した事を記したものであるらしい。


 しかしそれではこの紙束が部屋に不法侵入できた理由がわからない。その疑問に対して繰間は、旅に出ている人物とは別に "部屋()り" と呼ばれる存在がいることも教えてくれた。




 部屋守りなる人物は大学界隈の下宿に使われる建物の全ての合鍵を所有し、無作為に選んだ学生の部屋に手記を放り込むのだという。さらにその部屋には、旅をしている過客と称される人物からの絵葉書やエアメールが届くのだと。




 つまりは、不定期更新の旅行記を受けとる権利を、この紙束の所持によって得たことになるようだ。


 完全に一方通行の旅の便りである。何故このような所業を為そうと思い立ったのか。まるで分からないが、この紙束を読み進めればその感慨に少しは近づけるのだろうか。




「二人組で読者一人のメールマガジンをやっているのか。


 徒労というか、無益というか」




「綾見は好きだろう? こういう阿呆は」




 繰間がくつくつと笑う。いつのまにやら、いつも通りの雰囲気を纏っていた。




「ああ。まるで繰間の奇行を見ているようで楽しいよ」




「私は奇行に走ったことなどないよ。


 成すべきことをしているだけさ」




「今は何を成そうとしているんだい」




「まだ見えないね。


 大学界隈では、どうも皆、桃色遊戯に興味があるようだけれど」




「繰間も興味が?」




「少しね」




「そう」




 なんと、繰間が男女間の親密なアレコレに興味を示すとは。先程の女性的な片鱗も、その桃色遊戯とやらに勤しんだ賜物なのだろうか。繰間と付き合えるなど、悟りを開いた者か向こう見ずのどちらかだろう。




「綾見は興味あるかい?」




「いや、まったく」




「ふふ、そう言うと思ったよ」




 稀代の変人たる繰間がいれば、それだけで世界は面白い。そこに、世界を旅する見知らぬ過客と、ともすれば法に触れるであろう部屋守りなる人物が加われば、日々はぐるぐると華やいだものになる。




 そしてそれを動じることなく楽しみ尽くすことが、自らの成すべきことだ。




 庭のハナミズキは夕日に照らされ、吹く風に楽しそうに揺れている。


 かくして、自らのキャンパスライフは繰間と共に始まったのである。

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