イントロダクション
「おはようございます。本日は4月10日、月曜日の午前8時です。今朝は少しひんやりしていますが、日中は気温がグンと上がり、春らしい初夏の陽気となる見込みです」
2023年4月10日。心地よい外の空気とは隔絶された暗がりの中で、スウェット姿の女性が朝食を食べながらテレビ番組を観ていた。流れているテレビ番組は、ミヤコテレビが誇る朝の人気番組『モーニング・モーニング』。お天気キャスターの女性が、生中継で外の天気を伝えている。
「私が今いる場所は、東京都八田市の月詠神社です。関東でも有名な縁結びの神社なんです。パワースポットとしても有名ですよね」
お天気キャスターは、やや興奮した様子で、境内をゆっくりと歩きながら月詠神社の魅力をレポートする。テレビの音は、暗がりの中で反響しており、あたかもライブ会場のように響き渡る。スウェット姿の女性はテレビを傍目に見ながら、真っ赤なイチゴジャムをたっぷりと食パンに塗り、小さな口で少しずつ食パンの味を楽しんでいる。
「なぜ、この神社が縁結びで有名なのか。実はここは奈良時代の723年に創建された非常に歴史的な神社なんです。祀っている神様はコノコイサクヤヒメという女性の神様で、すべての人々の恋や願いを応援する献身的で優しい神様として知られています。そんなコノコイサクヤヒメが願いを叶えてくれるという言い伝えを信じて、ここには毎日多くの参拝客が訪れています。私もこれから素敵な人に出会えるように祈願してみようと思います!カメラさん、こっち―――」
スウェット姿の女性はそこでおもむろにリモコンを押し、テレビを消してしまった。
「お天気キャスターが生放送で恋愛祈願しちゃダメでしょ。いや、そうやって彼氏がいないアピールをすることで人気を得ようとしているのなら賢い方なのかもしれないわ…あ、この紅茶、美味しい~」
そう、実はテレビに文句を言いながら紅茶を味わっているこの女性こそ、月詠神社の祀り神ことコノコイサクヤヒメ本人である。彼女がテレビを観ていた場所は、月詠神社の地下にある祠であり、彼女が数百年に渡って暮らしてきた家でもある。
「さて、今日の仕事も始めましょうか」
背伸びをしたコノコイサクヤヒメは、手を合わせてパンと鳴らすと身に着けていたスウェットが、桜色の上衣が特徴的な着物へと変わる。朝があまり得意ではない彼女はあくびをしながら、祠の奥にある祭壇へと向かう。祭壇へ向かう道は松明で照らされており、薄暗い洞窟の中でひときわ目立つ光となっている。祭壇も彼女の衣装と同じく桜色を基調としており、お供え物や米・酒などがたくさん置かれている。そして、祭壇の奥には大きな空洞があり、空洞の中はほのかな青色の光が輝いている。コノコイサクヤヒメは祭壇の前に立ち、両手を合わせ、祈りの言葉を捧げる。
「人々の願いが叶い、ハチダの地が満たされますように…」
彼女の祈りの言葉に呼応するように空洞の青色の光は輝きを増し、祠の中に地鳴りが響き渡る。
「よし、今日のお仕事も終わり!」
こうして彼女の一日の仕事は終わった…のであるが、馴染みのない読者の皆様はいったいどんな仕事なのか判然としないことであろう。そこで、少しだけ彼女が何をしたのか説明したい。
コノコイサクヤヒメの役割とは、人々の願いをエネルギーへと変換し、それを用いて八田市を支えることである。彼女は、月詠神社で祈願した人々の願いをエネルギーに変換することが可能であり、そのエネルギーを毎日空洞の中へ注ぎ込んでいるのである。空洞は八田市の地中一体に霊脈として広がっており、この祠が八田市の霊脈の基点となっている。霊脈のエネルギーがとめどなく流れることによって、八田市の豊かな自然が保たれ、人々の願いを叶えるための運気が行き渡るという構造になっている。なぜそんなことになっているのかはまた別の機会に説明したいが、とにかくコノコイサクヤヒメがいることによって、八田市の人々は健康的で幸せな日々を過ごせていると言っても過言ではない。
御年千ほにゃほにゃ歳(実際の年齢は彼女に勇気をもって直接聞いてください)のコノコイサクヤヒメは、この仕事を千年以上に渡って毎日ずっと続けてきた。常人には想像もつかない果てしない役割を背負った彼女は、人々の平穏な暮らしが保たれることを生きがいとして、晴れの日も雨の日も戦の時も天災の時だろうとこの仕事を続けてきた。
「よぉ~し、今日は久々に祠の模様替えをしようかな。ちょうどネット通販で良さげな本棚を買ったから、それを組み立てましょう!おぉ~!…と言っても誰もいないんだけど…」
彼女と接触したことがある者は、月詠神社を切り盛りしている月詠家の人間だけであり、彼女の存在は一般の人々には伏せられている。(そして月詠家は代々彼女の存在を秘密にするべく命を懸けてきたといわれる)
ちなみに祠は、月詠神社本殿から少し離れたところにある地下道を奥深くまで下った場所に存在し、太古の昔に自然の力で生まれた洞窟となっている。常にひんやりとしている洞窟の中には霊脈へ繋がる大きな空洞以外にもいくつもの穴や通路が存在し、それらは異なる空間・時空へ繋がっているとされている。
「本棚の段ボールはどこにあるんだっけ…うん?」
一仕事を終えて、自分の時間を満喫しようとしたコノコイサクヤヒメであったが、彼女の耳にコツコツと歩み寄る足音が聞こえてきた。どうやら何者かが祠にやってきたようである。
「誰?もしかして時雄君?」
コノコイサクヤヒメへ忍び寄る人影が松明の灯りに照らされると、そこには紫色の髪にリボンを結った制服姿の少女が立っていた。
「…ごきげんよう。コノコイサクヤヒメさん」
紫髪の少女は、どこか不敵な笑みを浮かべながらコノコイサクヤヒメに向かって話しかける。
「え、本当にどなた?」
コノコイサクヤヒメは訪ねてきた人が神社の関係者ではなかったことに驚くが、紫髪の少女は歩みを止めずにコノコイサクヤヒメへさらに接近する。
「そうね…あなたの力をお借りしたい人と言えばいいかしら…」
「なるほど…申し訳ないのですが、わたくしコノコイサクヤヒメは、誰かを特別に贔屓することはできないの。それにあなたは見てはいけない場所に来てしまったのです。だから、記憶を消さないと…」
「いや、訂正させてください。あなたの力をお借りするのではなく、奪いに来たのです」
紫髪の少女はおもむろに左手を掲げると、中指にはめていた黒色の指輪が輝く。その輝きを見たコノコイサクヤヒメは、青ざめた顔で驚く。
「あなた…まさか…」
「恋のせいで報われなかった者の恨みに震えるがいいわ」
自慢げに微笑む紫髪の少女の手から強大な光線が発せられ、コノコイサクヤヒメを直撃する。コノコイサクヤヒメは、即座に結界を張って防戦するが、強大な力に押され、彼女の体には徐々にひびが入っていく。
「案外、もろいのね…」
「こんなことで…死ぬわけには…本棚も組み立ててないのに…」
しかし、抵抗の甲斐もむなしくコノコイサクヤヒメは光線の中で粉々に砕け散ってしまい、洞窟一帯に大きな衝撃波が広がる。紫髪の少女は、衝撃波により激しく荒らされてしまった祠の中を歩き、霊脈へと繋がる大きな穴の前に立つ。そして、彼女は穴に向かって手をかざし、霊脈のエネルギーを吸収する。青色の光に包まれながら彼女は微笑む。
「これで私が望む世界が実現するんだわ…」




