第36譚 - 帰
温泉街から目と鼻の先の、温泉特有の香りと木の匂いに満ちた木造駅舎に、遠くから鳴る汽笛が響く。
車輪の金属音と白い蒸気の匂いとともに駅へ入ってきた列車が、微かに地面を揺らし、ゆっくりと停車した。
「はいこれ、ひなちゃんへお土産」
「まあ……!」
ぷしゅっと空気圧の抜ける音の後、がたんと重い扉が開くと、駅員が荷を積み下ろす。
まばらに人が降りてくるその横で、右京がずしっと大きな風呂敷包みをひなへ手渡した。
「ここが恋しくなるように、ひなちゃんが好きそうな銘菓を詰め込んでおいたから」
「ま……」
銘菓、と聞いて、ぽ、と頬を染めるひな。
釣られんな菓子に、と廉は思わず口を挟む。
清香が風呂敷包みをさっと受け取る横で、ひなは嬉しそうな顔で右京を見上げた。
「ありがとうございます、右京様……! また、お会いしに参ってもよろしいでしょうか?」
「是非。次来てくれたら、本気でひなちゃんを落としにいこうかなぁ?」
「まじでてめぇ、そろそろ清香さんに息の根止められるぞ……」
「お前じゃないのか」
修吾が意外そうな顔を廉へ向ける。
ぎろ……と右京を細い目で睨んでいる清香にぞわっと身震いする右京を横目で見ながら、廉は鼻で笑う。
「ひなは俺にべた惚れだからな、いちいち妬くことも――」
その時、はっ! とひなが右京を見上げた。
「ど……どこへ落とされるのでしょうか……!? やはり足湯……!?」
そう言うと、宗様にも落とされかけましたものね……!? とわなわなと宗一郎を見た。
思わず吹き出す宗一郎。
「いや、あれは不慮の事故ですから! それにすんでのところでちゃんと受け止めましたし――」
「何でお前がひなさんと足湯へ行ってるんだ」
えっ? と宗一郎と修吾が見合う。
すかさず、すっ、と前に出る清香。
「僭越ながら……昨日朝、花桃の丘へ赴く前にお2人ご一緒に参られたと伺っております」
「聞いてねぇよ」
「いや、偶然会いまして――」
すると、文子がくすっと笑った。
「私は、宗さんがひなさんをどうやって受け止めたのかが気になりますけれども」
「えっ? 普通にぎゅっと」
ね? とひなの顔を覗き込む宗一郎に、宗様は意外と力がおありでした……と頬に手を当てるひな。
「宗、てめぇな――」
「もう妬いてるじゃないか」
修吾が呆れたように突っ込むと、思わず固まる廉。
「余裕のない夫は愛想つかされますよ」
「なんと! また廉様がぷくぷくと焼き餅を焼いて――」
「それやめろ、ひな……!!!」
その瞬間皆が一斉に上げた笑い声が、駅舎全体に響き渡った。
ひなはバッグからすっと彼岸桜の押し花の栞を取り出し、右京へ向けて差し出した。
「こちら、右京様へお土産でございます」
こんな沢山の銘菓とはとても見合いませんが……と恥ずかしそうに右京を見上げる。
ありがとう、と丁寧に受け取ると、右京は嬉しそうに頬を染め、ふっと栞に口づけた。
「ひなちゃんを想いながら使います」
「重いわ」
「気持ち悪いな」
すかさず突っ込む廉と宗一郎。
はて、と清香がひなに顔を向けた。
「してひな様。ひな様は自分用には何の花をあしらったのですか?」
ま、と目を細めて口に手を当てると、ひなはよくぞ聞いてくれました、といったていで、うふふふ……と堪えきれずに声を漏らす。
じゃん! とバッグから取り出した栞を高々と掲げた。
「なんとなんと! 私の栞は全部載せ――」
「統一感ねーな」
すん……と廉へ真顔を向けるひなに、思わず笑いを堪えながらふるふると震える清香、宗一郎、修吾。
すると、栞を興味深そうに見ていた文子が、あら? と目を瞬いた。
「花桃は廉さん、ワスレナグサは清香さん、梅は私たち夫婦で雪柳は宗さん。彼岸桜が右京さんで……このサクラソウは?」
文子が不思議そうにそう言うと、ふふ、とひなは悪戯っぽく笑った。
そして帰宅後――
子ぐまの瓶を模した金平糖、サクラソウの栞、うさぎの焼印の押された饅頭を前に、かっわ……!!! と鼻を押さえてサンルーム前のテラスで倒れ込む植木屋の伸夫。
こちら新婚旅行のお土産にございます、と春色のワンピースを身に纏って花舞う笑みを弾けさせたひなに、庭の手入れに訪れていた伸夫は完全に崩れ落ちたという。
栞を手に、信夫はふるふる震える。
「サクラソウの花言葉知ってますか、ひなさん……!!!」
「知りません。お花が喋るのですか?」
「いえひな様。花言葉とは犬語とか猫語とかそういう類ではないと思われます」
きょとんと目を瞬くひなに、清香が丁寧に訂正する。
「そんなことよりも伸さん! こちらをご覧くださいませ! この小さな焼印のうさぎさん……う、うさぎさん……まああぁぁ……!!!」
懐紙に乗せたうさぎ饅頭を大事そうに手に乗せ、瞳を輝かせながら、かわ! かわ!!! とワンピースをふわっふわっと揺らすひな。
その無邪気な様子に、伸夫は鼻を押さえたまま、ぐっ……!!! と胸を苦しそうに掴んだ。
「やべ……過去イチの破壊力……俺今日死ぬかも…………あーやばい鼻血が」
「伸さん、出入り禁止」
「じゃあ清香さん会いに来て」
「図々しい」
ぷいっとそっぽを向く清香に、伸夫はふっと柔らかい笑みを浮かべたのだった。
新婚旅行先から沢山のお土産を持ち帰ったひなは、満開に咲き誇るソメイヨシノを眺めながら、木彫りのうさぎやうさぎを模した金平糖の瓶、綺麗なガラスペンに和紙のはがきにしたためた絵、そして全部載せの栞をうきうきと、丁寧に1つ1つ飾っていった。
新婚旅行という、非日常で、家族、友人たちと『気』との特別な経験を経て。また一つ、大事な大事な思い出がひなの胸にしかと刻まれた、新緑芽吹く麗らかな春であったという。
そしてまた、季節は巡り――
1年前、ひなと廉――2人が邂逅した、あの季節がやってきた。
季節は初夏。
その夜の社交場――煌びやかな洋装に身を包んだ若い男女の集う、とある洋館の夜会にて。
廉は、ぱし! と5枚のカードを机に叩きつけた。
「勝てるかぁ!」
だー! と机に突っ伏す廉を見ながら、宗一郎がカードを口に当てながらくすくす笑う。
「相変わらず持ってませんねぇ」
「うるせぇな、宗」
「廉さん、結婚でなけなしの運全て使い果たしたんじゃないですか?」
「言い得て妙だな」
ぱさっ、とカードを投げ捨てながら、修吾が頷く。
そのカードを見て、2人はぴたっと動きを止めた。
「……ストレート……!」
「おや? おかしいなぁ……今度こそ勝ったと思ったのに」
「お前たち、欲にまみれすぎなんじゃないか?」
「それは廉さんです」
「うるさいんだよ――」
「みなさんみなさん、見てください!」
すると、廉の隣に座るひなが、息巻きながらカードを机に置いた。
「同じ数字のカードがいっぱい集まりました!」
ひなの「な」(7のこと)がいっぱいでございます! と嬉しそうにぴた! と廉にくっつく。
3人は、目を丸くしてカードへ視線を落とした。
「……フォーカード……」
「……ひなさんがいると、ひなさん全勝ちですね……」
「キャラメルでも賭けてみるか? 欲が出て勝てなくなるんじゃ――」
「――相変わらずですね」
その時。
4人は、声をかけてきた人物へ、ふと顔を向けた。
「社交場って何か知っています?」
呆れたような顔の榎田子爵を見て、きょとんと目を瞬く4人。
「酒飲む所だろう?」
「飲んで、だらっと喋るところですね」
「キャ、キャラメル……!」
「お前のそれは何か違うな……」
廉が笑いながら、はい勝者のご褒美、とチョコレートをひなの口に放ると、ま……! とうっとり頬に手を当てるひな。
思わず笑う宗一郎と修吾に、榎田はさらに呆れたような目を向けた。
「君たちは変わりませんね……」
「まあ……そうでした! 榎田子爵様!」
ひなはあわあわと慌ててバッグに手をかけるとソファから立ち上がり、ささっとドレスを整えると榎田へ駆け寄る。
「これ……新婚旅行のお土産にございます」
栞を差し出しながら、きゃ! と身をよじるひな。
「……私に?」
「何といいましても、私が廉様と結婚できましたのは、榎田子爵様のお口添えのおかげでございますので……」
もじもじてれてれと恥ずかしそうにそう言いながらじっと見上げるひなに、わずかに頬を染める榎田。
ぱちぱちと花を散らすように目を瞬かれると、ぐっ……と観念したように栞を手に取った。
「……ありがたく、頂戴いたします」
「へえ……! 子爵の栞も作っていたの? ひなさん」
「ええ! ええ! もちろんでございます!」
ふふ! と笑うひなを見上げる修吾。
「何の花をあしらったんだ?」
「右京様と同じ、彼岸桜にございます」
「右京と一緒」
「右京と一緒……」
「……何か面白いな」
「誰ですか、右京って」
鼻で笑うように呟く宗一郎、廉、修吾に、思わず突っ込む榎田。
ふと栞の裏に描かれた手描きの絵へ視線を落とした榎田が、ああ、と目を丸くした。
「動物園にでも行かれたのですか?」
次の瞬間、じと……とひなに真顔を向けられた榎田は大いに混乱し、廉たち3人は腹を抱え、夜会会場全体に響き渡る大声で笑ったという。
1年前と同じこの会場で。
長い間同じ社交界にいながら一切関わらなかったひなと廉が、気まずく視線を交わしてから1年という時が経ち。
すれ違いながらもぎこちなく距離を縮め、様々な過程を経て笑い合う2人は、どの令嬢子息から見ても、まごうことなき仲睦まじい夫婦であったという。
そして――
「……動物園……」
「えっ」
ちょんと廉の隣へ戻ってくると、ひなはぽそっとそう呟いたのだった。
次の旅行で動物園前駅にて、再び宗一郎、修吾たちとばったり顔を合わせることとなるが、それは別の話。




