第6話 音
「おい、テメェいつまで寝てんだ!起きろ!」
──バキッ!
怒号とともに、鋭い痛みが頬を貫いた。意識が闇の中から引きずり出される。目を開けようとしたが、何も見えなかった。布の感触。どうやら目隠しをされているらしい。手も縄で縛らているのか、全く動かない。
「………。」
喉がひりつく。声が出ない。全身が冷たく震えていた。ここはどこなのだろう?何故、こんな事になっているのだろう?
「おい。目隠し取れ。」
「へい。」
ガサリ、と布が外される。ぼやけた視界が、薄暗い光に染まる。
目の前には、昼に会ったメガネの男がいた。
上からぶら下がる小さな電球が、工場のような無機質な空間をぼんやりと照らしている。鉄骨がむき出しになった壁、油の匂い。周囲には、無言でこちらを見つめるスーツ姿の男たち。その中には、昼間、僕を追いかけてきたあの筋肉質の男の姿もあった。
「やぁ、また会ったね。こんばんは。」
メガネの男は、満面の笑みを浮かべていた。
「………。」
ドンッ!
突然、蹴りが飛んできた。足がしびれるように痛む。
「テメェ!なんか言えよ!俺が挨拶してんだろぉ!『こんばんは』つったら『こんばんは』って言うのが当たり前だろぉぉ!?ガキか?テメェは?あぁん?」
「コ、こん……ばんは」
精一杯の声を絞り出したが、恐怖でかすれてしまった。涙で視界が滲む。
「おい、イス出せ。」
「へい!」
メガネの男が指示を出すと、部下らしき男が僕の目の前に椅子を置いた。
「おい!こっち向けよ!」
──バキッ!
僕の頬を殴る。頬がジンジンする。首が痛い。歯が痛い。口から鉄の味がする。
男は、一息深呼吸をした。
「いやぁ。すまない。取り乱してしまってね。」
まるで友人に謝るかのような口調だった。
「さぁ、大樹くん。僕とお話しようか!」
僕は恐怖を押し殺しながら、震える声で尋ねた。
「あ………の、ここは、どこですか?あなた達なんなんですか?」
その瞬間、メガネの男の表情が冷たくなった。
「テメェは、自分が質問できる立場にいると思ってんのかぁ!!」
再び怒号が響く。空気が震える。
「テメェは、俺の質問に答えればいいんだよ!」
また、男は深呼吸をした。そして、男はポケットから一枚の写真を取り出した。
「大樹くん。この写真の人の事は、知っているかな?」
メガネの男は、懐からとある写真を取り出した。
そこに写っていたのは、目つきの鋭い男だった。額には横一文字の傷跡がある。表情だけで人を威圧するような、凶悪な顔。だが──僕は見覚えがなかった。
でも、僕は、この男のことを全く知らなかった。本当に。
「し…知りません。」
「あぁ!?知らばっくれんなテメェ!?」
「………本当に知らないんです。」
「…......そうか!」
男は、ポケットから何かを取り出した。男が取り出したものに僕は、見覚えがあった。
──メリケンサック。
よくゲームで見るやつ。拳に着けて攻撃するやつだ。初めてみた
よく見ると、拳の所には、鋭い棘がついている。
心臓が跳ね上がる。
「や……やめ──」
ゴッ!!
視界が揺れた。鈍い音とともに、頬に鋭い痛みが走る。棘が皮膚を貫く感触。
~~~~~~!!!
頬が熱い。痛い。痛い。
頬からだらだらと血が滴る。涙が出る。
男は、僕の髪の毛を掴み、無理やり顔を上げさせられる。
「おい!嘘ついてんじゃねぇ!?テメェ、殺されてぇのか?あぁ!?」
痛みと怖さでどうにかなりそうだった。
「……ほ…ほ…本当に…知らないんです…。ゆ…許してください…。」
「……。よし!次は爪だ!」
嬉しそうな声。
──カチッ、カチッ。
背後から聞こえる、ペンチを鳴らす音。
「や、やめ────」
────ベリッ!
音が耳の奥に響いた。
鋭い痛みが指先から脳天まで駆け抜け、息をするのも忘れる。目の前がチカチカと明滅し、胃の奥が反転するような感覚に襲われた。
喉の奥で何かが引っかかる。叫び声にならない悲鳴が漏れた。
露出した皮膚が空気に触れ、焼けるように熱い。
「次は、どの指にして欲しい?」
「………ほ……本当……に…何も知らないんです……。」
「ふーん。」
メガネの男は、少し考える素振りを見せた。
「じぁ、昨日って何してたんだい?」
メガネの男は、聞いてきた。
痛みに邪魔される思考を必死に巡らせる。昨日……? 一昨日……? 何をしていた……?
何も思い出せない。
なぜなら、寝ていたから。
記憶などあろうはずもない。
「………ね、寝てました。」
沈黙。
男は、僕の服の襟元を摑む。
「ほ、本当です!僕は、あの、一度寝たら数日間起きない体質で!今日起きたんです。昨日1日中寝てたんです!本当です!信じてください!」
僕は、大声で弁解した。死ぬ気で。
必死で訴えた。命懸けで。
男はしばらく黙ったままだった。しかし──
「あぁ!そういう事か!」
急に笑顔になった。
「わ、わかってくれましたか……?」
「うん!うん!分かったよ!」
瞬間。
──バキッ!
再び、頬に衝撃が走る。血が流れる。
「……な、なんで…………。」
「んー?取り敢えず、君のこと殺さないように拷問してから親父に受け渡す事にしたよ。」
絶望。
理不尽。理解不能。
なぜ? 僕が、何をしたっていうんだ……?
カチッ、カチッ。
再び、ペンチの音が鳴る。
──バンッ!
突然、破裂音が辺りに響いた。視界が暗くなる。
カラカラカラ…。
割れた電球の破片が床に落ちる音が、静寂の中でやけに響いた。
「誰だ!」
男たちが懐に手を突っ込み、銃を取り出す。
── ヒュッ! ドスッ!
何かが飛ぶ音。そして、ドサッと人が倒れる音。
「ちッ! 田中がやられた!」
焦りに満ちた声が響く。
── ヒュッ! ドスッ!
「グハッ!」
前方で誰かが崩れ落ちる。徐々に視界が慣れてきた。よく見ると、倒れた男の喉元にナイフが深々と突き刺さっている。
── ヒュッ! ドスッ!
まただ。次々とナイフが飛び、周囲の男たちが倒れていく。
男たちの足元には、いつの間にか血の海が広がっていた。
「くっ…!逃げるぞ!」
「「へい!」」
メガネをかけた男たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
た……助かった………のか……???
静寂が訪れる。
スタッ、スタッ、スタッ
足音がする。一定のリズムで、確実にこちらへと近づいてくる。
「…だ、誰で──」
「静かにして」
低く冷たい声が、僕の言葉を遮った。
女性の声だった。
その人は僕の腕を縛る縄を切ってくれた。僕は、後ろを振り向く。
振り向いた僕の目に映ったのは──
雀の面を被った、黒いフードの女。
まるで生きているかのように僕を見つめる、リアルな雀の面。
怖い…。でも、お礼を言わなくては…。
「た、助けてくださって、あ、ありがとうございます。」
震える声でお礼を言うと、彼女は無言のまま歩き出した。
スタッ、スタッ、スタッ
歩く音が響く。
スタッ、スタ………。
彼女が立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「あんた、もう街に近づかない方がいいよ?」
何だったんだ……?
というか、あの面の人誰だ…?
何で助けてくれたんだ…?
疑問が次々と浮かぶ。目で彼女が歩いていくのを追う。
だが──
その時、視界の端で何かが蠢いた。
倒れていた男の一人が、微かに動いている。
銃口を、彼女に向けて──!
僕は、痛む体を動かし、彼女に駆け寄る。
「危ない!!」
ドンッと彼女を押し倒す。
「え?」
──バンッ!
響く銃声。
僕らは、倒れる。彼女の面が外れカラカラと転がる。
乾いた銃声が響いた。
僕らは床に転がり、彼女の面が外れてカラカラと床を転がる。
「くっ…!」
彼女はすぐに懐からナイフを抜き、鋭く振るった。
── ヒュッ! ドスッ!
男の喉元に突き刺さるナイフ。
「グフッ…。」
男は二度と動かなくなった。
そして──
窓から差し込む月明かりが、彼女の顔を照らす。
「──!」
息を呑んだ。
綺麗な瞳だった。吸い込まれるようなそんな…。
月光に照らされ、青みがかった髪フードの奥でが淡く輝く。
小さな顔立ち。可愛らしい顔をしていた。
心臓の音が速くなる。
なんだろう……?
「…。どいてくんない?」
彼女が少しムスッとした顔で言った。
「あ、あぁ、すみません。」
慌てて身を起こすと、彼女は乱れた服装をを直し、プイッとそっぽを向いた。
「…。ありがと…。でも、もう会うことないから。じゃね。」
去っていく背中を見つめる。
胸の高鳴りが止まらない。
鼓動が全身に響く。
「待ってください!」
気づけば、声が出ていた。
「なに?」
ゆっくりと振り向いた彼女を見つめながら、僕は、初めて自分の気持ちを理解する。
「好きです。一目惚れです。」
僕は、この音が恋の音だと悟った。
静寂が落ちる。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
彼女の顔が、真っ赤に染まった。
雀の面の女の子。
命を救ってくれた謎の女の子に、僕は恋をした。




