突然の求婚
次の日、イリスは父に呼ばれて執務室に向かった。
途中、ケインとカイルに会い、昨日訪ねてきたバイエルンの外交官が、無理なことでも言ってきたかと話しながら、ドアの前に立つ侍従に声を掛けた。
室内には既にエドワードとアイラがいて、今まで父と三人で話をしていたらしい。
挨拶をして勧められたソファに座り、父が話し出すのを待った。
父はまず、バイエルで情報収集に当たっていたケインとカイルに、バイエルの王族の噂を聞いていないかと尋ねた。
カイルは王と王妃が不仲で、第二妃が絡んだ揉め事が絶えないという話をした。
ケインは正妃の子供達と、第二妃の子供達の仲が悪く、王太子の選定でも、もめているらしいと話した。
「揉め事の多い王室ということだな」
二人の話を聞いて、父はそう言った後に続けた。
「イリス、バイエルの王太子から婚約の申し込みがあった。どうだ」
部屋の空気が固まった。
ケインとカイルがバッとイリスの方を向き、他の三人は黙ってじっとイリスを見ている。
イリスは無言だったが、頭の中は素早く動いていた。
バイエルの王太子の情報を急いで思い出そうとしたが、会ったことが無いし、情報も少ない。
バイエルは今度は婚姻で寝返らせようと考えているのだろうか。
イリスがバイエルの王妃になるのは、逆にバイエルで権力を握るチヤンスでもある。しかしどう転ぶかは運次第。生まれた子供の命は危険と隣り合わせだ。
そこまで考えてから言葉を返した。
「バイエルの王族と結婚するのはリスクが高いです。私は自分の産んだ子供は平和に育って欲しいのです」
「そうか。とんでもないと拒絶するかと思っていたが」
父はそう言ってから、しばらく考え込んだ。
「結婚で敵国に入り込んで権力を奪う事を考えたが、子供の行く末が不安だと言いたいのだな」
イリスは黙って頷いた。成長した後に、子供がどちらの国を選ぶかは分からないし、どちらを選ぶにしても、重苦しい選択になる。
「王家にバイエルの王太子について問い合わせをしたのだ。それで、エドワード殿下が来てくれた」
エドワードを見ると、少し引きつった顔をしている。どうしたの、と目で問いかけたが、下を向いてしまった。
横に座るアイラと目が合うと、彼女が代わって答えてくれた。
「あまりに貴族的な答えですね。イリス様は必要ならどこにでも嫁ぐ覚悟なのですか?」
イリスにとって思いがけない言葉だった。考えてみたらそういうことだが、深くは考えていなかった。
「私の答えは高位貴族の模範解答ね。でも私には子供を賭けてまで、権力闘争する気はないわ」
アイラが父と何故かエドワードに、もう一言いいですかと承諾を取ってから続けた。珍しく真剣な面持ちで言う。
「イリス様には結婚した相手を、まして子供の父親を殺すことなど出来ません。ご自身の気持ちで相手を選ばないと、苦しむことになります。恋も結婚も、そろそろ真剣にお考えください」
またしてもイリスは全員にじっと見つめられた。
イリスにとっては、恋も結婚もまだとても遠くのことに思える。
「結婚について考えるも何も、先日ミカエル君に求婚されたのが最初で最後よ。全く現実味が無いわよ」
「僕が求婚したら考えてくれる?」
突然エドワードが言い出した。彼の表情は言葉とは裏腹に辛そうだし、もの凄く無理をしていそうだ。
その他の面々が何故かため息をついた。ケインとカイルさえも。
その後、唐突に父が結論を出した。
「バイエルの話もレンティスの話も今は断る。その他のこれから来る話も同様だ。理由は、イリスの体調不良による療養とする」
不服そうな声が一斉に声が上がった。
「イリスはしばらくカーンとして行動しろ。今から半年を目安に、バイエルに揺さぶりを掛ける。その中でバイエルの王室と、レンティスに対する攻撃の黒幕を探る」
そしてすぐに解散になった。アイラはエドワードと共に王宮に向かったようだ。
ケインが横に寄って来た。
「エドワード殿下の前で、迷うのは酷くないですか。しかも相手は宿敵、バイエルの王太子なのに」
「バイエルだからこそ考えたの。謀略の常とう手段よ」
カイルも混ざって来た。二人共、非難するような目つきだ。
「慌てて求婚に来たのに、最悪の雰囲気でしたね。あの流れで話を切り出すのはきついなあ」
「何の話よ」
「だから、エドワード殿下からの求婚」
ええ! とイリスは盛大に驚いた。そのイリスを二人は残念そうな顔で見つめている。
「あ、やっぱり。ブルーネル公爵様が言いましたよね。バイエルのもレンティスのも断るって」
「凄く嫌そうだったじゃないの。あれが求婚だなんて思わないわよ」
ケインが首を振った。
「結婚相手は誰でも良いと目の前で宣言されたら、恋も求婚もあったものじゃない」
逆にカイルは指をパチッと鳴らし、嬉しそうに言った。
「誰でもいいならエドワード殿下でいいですよね。ほら、問題解決」
誰でもいいのだろうと面と向かって言われると、勝手なことにイリス自身も気分が悪い。やはり、先ほどの受け答えはまずかったと反省した。
その日の夕食の後、今後について話をしようと父に言われ、父の書斎に母と三人で顔を揃えた。
「明日からさっそく、バイエルへの報復作戦に取り掛かろう」
そう言って、父が明日からの行動について説明し始めた。
明日からはカーンとして過ごすこと。
変装に関しては、誘拐事件で係わった者達以外には秘密にすること。
今回は宗教団体メイサムを利用し、バイエル王家に対する不満を煽り、暴動を起こさせる。
そして、意外な条件を付け足した。
「イリスはその間に、女性としての自分を見直すこと。自覚が全く無いようだが、お前は危うい。実は今日、エドワード殿下の話を受けようと思っていたが、お前の様子を見ていて怖くなったのだ」
母は昼間のことも聞いていたようで、黙って聞いていたが、考えながらぽつぽつと話し始めた。
「あのね、恋と結婚を切り離して考えられるなら、それでいいのよ。でもあなたは違うと思うの。まだ恋をしたこともないでしょ。シモンの事件のせいなのはわかっているけど、今のあなたは歪なの」
確かに恋はしていないが、それの何が問題なのかイリスにはわからなかった。
「例えば、バイエルを乗っ取るつもりで王太子と結婚し、二人の子の母になったとするわね」
父が過激すぎる例えだなと困ったように言った。
「子供の目の前で父親や祖父母を殺せる? 出来ないでいる内に、レンティスと戦争になったら、どちらに味方する気? レンティスからしたらあなたは敵の王妃よ」
それは……レンティスに勝って家族を守らないと。そしてレンティスを滅ぼすのか? と思ってぞっとした。そんなのは絶対に嫌だと、心の中で否定し、母に向かって反論した。
「例えが悪すぎます。その道筋はありえませんから」
「でも、そのありえない選択肢を考えてみたと、皆の前で言ったのでしょう」
そう言われると、イリスは急に恥ずかしくなった。
「もう一つ聞くわね。もしシモンと名付けた息子を、エドワードとレンティス兵が殺しに来たら?」
「全員生きては返さないわ」
即答してから、はっとした。エドワードをも殺すと言い切っていた。
「恋するとシモンに対するよりも、もっと強い気持ちが湧くの。あなたは自分自身を知らないといけないわね。焦っても無理だけど、心に留めておいてね」
イリスは自分が未熟なことを自覚したのだった。