潜入準備
「それは危険すぎませんか」
ブルーネル騎士団長が反対した。イリスがカーンとして、バイエルへの使者を務めると言い出したのだ。
「いいや、これは譲れない。自分の目で敵を確かめたい」
イリスへの婚約の申し込みを断りに行くので、バイエル王に謁見することが出来る。
王家の様子を探るには、うってつけの機会だ。
イリスは態度も話し方も、すっかりカーンに切り替えている。イリスの個性を出すと、周囲も混乱するので、これから暫くはカーンになり切ることにしている。
誘拐事件でイクリスの名は知られていても、カーン・バイスは、まだバイエルには知られていない。バイエル側の、誘拐事件に対する温度感のような物も、探りたい。
結局周囲を説き伏せ、カーンが使者を勤めることになった。
同行するのは、ルーザーとミラ。それと騎士団から六名。そのメンバーでバイエルに向かうことになった。
ケインは教祖として教団に入り込んでもらう。彼はしばらくは、どっぷりと教祖様として生活することになる。カイルはケインの弟子兼従者だ。
今の教団はまだ固まっていない。これまではケインの求心力と、バイエル王家のセレス擁護に対する反発でまとめていただけで、教義もはっきりしていない状態なのだ。
それらの方針は、王家の様子を確認してから、おいおい決めていくことにした。
アイラだけがレンティスで待機に決定した。
バイエルから婚約の打診が来てから6日が経っていた。その間に幾つか、同様の話が舞い込み続けたが、イリスは体調を崩して療養中と言う言葉で、全てを丁寧にお断りしている。
等しく全てを即刻断っているので、悪印象は持たれていないらしい。
巷では、ブルーネル公爵が、留学から帰ったばかりの娘を手放したくなくて、片っ端から断っていると噂されているそうだ。ブルーネル公爵も、屋敷の者たちも、その噂は否定できないでいる。半分くらいは本当のことなのだ。
エドワードはあの日から三日後に再びやって来た。かなりへこんだが、他の話も全て断っているのだから今までと変わらない、そう言って笑ってくれた。
そして、強くなりましたね、とアイラに褒められていた。
イリスはお姉さん役をアイラに奪われたようで寂しかったが、エドワードは弟ではない。そこは気持ちを切り替えなくてはいけないと、心に決めていたので我慢した。
両親と話したあと、イリスはシモンより大事に思える男性を探すことにしたのだった。
今のところ、シモンを上回る男性はいないが、いつかは現れる事を期待している。
「ねえ、エド。ちょっと触ってもいいかしら」
そう言って、手を取って握ってみた。温かくて、とても大きい。
自分の手のひらと合わせてみたら、大きさが全く違う。指を擦ってみても、ごつごつしていて、自分の指より太い。
胸を触ると、そちらもだいぶ幅が広くなっているし、筋肉もしっかり付いている。そして腕も太い。
「あの、何をしているの?」
エドワードがギクシャクした動きで、少し離れようとしている。
「少し触らせてよ。女性としての自分を見つめ直すのよ。男性のことも知らなくちゃだめでしょ。ちょっと協力して」
アイラがやれやれと首を振った。
「触ってみるならカイルでやってください。エドワード殿下で試したら駄目です」
エドワードがイリスの手を掴んで引き寄せた。
「駄目。他の男性を触るなんて絶対に嫌だ。それくらいなら僕で試して良いよ」
アイラが割り込んできて、二人を引き離した。
「全く。ローティーンのお友達同士じゃあるまいし。年齢を考えてください。そういうことをしていいのは十二歳くらいまでです。それ以上は実害が発生することもあるのですよ」
実害、とイリスがつぶやくと、エドワードが真っ赤になった。
「まあ、実害が発生して嫁入り決定、というのでも構わないですけどね。その場合、お相手はエドワード殿下限定です。それ以外の男性でお勉強しようなんて考えてはいけませんよ」
そう忠告してから、アイラがため息をついた。
「イリス様、こちらに戻ってから、女性としての精神年齢だけ14歳くらいまで下がっていませんか。こんな忠告をすることになるなんて、思いもしなかった」
「そうかしら。恋愛について遅れているのを自覚したのよ。両親にしっかりお小言を言われたもの。このままでは駄目だって」
アイラは不安そうに言った。
「こんな調子のイリス様と、新婚ボケしたルーザーと、おおざっぱなミラでは全く心もとないのですが、大丈夫なのでしょうか」
エドワード殿下も心配そうな顔をして、イリスとアイラをチラチラ見ていた。
「イリス様、やはり私もバイエルについて行きます。イリス様のサポートをしたほうがいいと、今確信しました」
エドワードが、すごい勢いで同意し頷いた。
「絶対にアイラを連れて行ってくれ、お願いだから」
「じゃあ、アイラにも使者に加わってもらうわね。そんなに心配しないでよ。ちょっと探ってすぐにもどるわよ」
そう言いながら、エドワードをぎゅっと抱きしめた。懐かしい匂いがした。
昔とは違い、今は彼の方が背が高い。でも、なんとなく安心する。
見上げたエドワードの顔は、ものすごくうれしそうでいて、それ以上に不安そうに見えた。




