宴の準備
王宮内の屋外パーティー会場では、宴会の準備で使用人たちが走り回っている。
こちらはこちらで、戦場だった。
ブルーネル公爵家の料理長ロマンを中心として、ブルーネルとレンティス王宮の料理人達が総出で料理の最中だ。
イリスの帰国時の野外料理の噂が広がり、それを期待する者が多かったせいで、今回は野外パーティーになった。そのため、設営の方法も、料理の種類もいつもと違うことづくしとなる。
外に炉を幾つか作り、そこで豚や猪を焼くという。外に調理場を設けての屋外パーティーなど、王宮では初めての試みだ。
そのため、このパーティーの準備を担当した責任者は、非常に苦労していた。
とりあえず一箇所に付き、料理人二人とサポート要員を4名ほど配置して、調理とサービスに当たらせることにしてみたが、初めての試みで、勝手がわかる者がいない。
その様子を見かねて、今回の模擬戦に出ない騎士が数人、手伝いを買って出てくれた。イリスを迎えに行き、ロマンから調理係として任命された騎士達だった。
ロマンの人選は的確で、彼らには料理のセンスがあり、一緒に料理をする内に、素早くコツを覚えていたのだった。彼らのおかげで、準備はだいぶ具体的になっていった。
炉の作り方、火の管理、肉の焼き方から盛り付け、付け合わせに何がいいか、などの細々したことは、彼らが料理人や使用人たちに教えていった。だが、それにも限界がある。それで、ロマンにも手伝って欲しいという依頼が、ブルーネル公爵家に入って来た。
もちろんブルーネル公爵家は、快く料理長とその部下を王室に派遣した。
そして当日の料理は、大きく二つに分業されることになった。調理場で作って外に運ぶ、いつものパーティー料理。こちらは王宮の料理人達の担当。
ロマン率いるブルーネル公爵家の料理人達は屋外調理の担当だ。
ロマンは前日に会場の設営にも参加し、だいぶ改善を加えている。テーブル以外に、ベンチやスツールを所々に置き、炉を囲むように座れる場所も用意した。彼は、ここが特等席だと言っている。
皿なども、割れない木製の物を、ロマンの手持ちから貸し出してくれた。
もちろん全く足りないので、ブルーネル公爵家が負担して買い足した。この先も、このような屋外パーティー、もしくは野戦があるだろうと踏んでの出費だ。
ロマンは、イリスが出陣するなら、自分も従うと言っている。周囲の者は驚いたが、ロブラールから勝手に付いて来た男なので、妙な説得力がある。
大きな豚と猪を担ぎ、それを捌く様を見ると、とてもではないが、ひ弱にも、気弱にも見えない。
背は低いが、がっしりした体と、キラキラと好奇心に輝く目が印象的な彼は、いつの間にか、ブルーシャドウの六人目のメンバーと呼ばれ始めていたが、ブルーネル公爵は、それを黙認している。
公爵家では、積極的に使用人に対して訓練を行っている。使用人は警戒されないため、侵入者の隙を衝ける。そういう訳で、騎士以外でも、何らかの武術に長けた者が多いのだ。
連絡員が模擬戦の終了をロマンに伝えに来た。
「さあ、後四時間しかないぞ。走れ」
その号令で、全員の動きがスピードアップした。
模擬戦に参加した者も観戦していた者も、一旦自宅に戻り、汗と埃を落として王宮に向かう。パーティーは八時から始まる。
イリスは今回男装して、ブルーネル公爵の庶子として出席する予定だ。以前の誘拐事件で、男装した姿を多数が見ており、色々な噂が飛んでいる。これを、この先に起こす予定の、バイエルとの戦いに利用するつもりでいる。
このパーティーで、ブルーネル家の庶子の存在を、実在のものとして印象付けるのだ。
そのため、帰宅後アイラとミラに手伝ってもらい、男装の準備を始めた。
途中で、女装に戻す予定なので、女性用衣装一式も用意してもらってある。
「あら? 雰囲気が変わりましたね。明るい感じになって、年齢も二十二歳くらいに見えますよ」
変装すると年が上に見られることを気にしていたイリスは、二十四歳から二歳も若返ったと喜んだ。実年齢の十九歳まであと一歩。満面の笑みを浮かべていると、ミラが愚痴った。
「冷ややかな感じのイクリス様、素敵だったのにな。あちらのタイプに戻しませんか? マーガレット王太子妃も、きっとそのほうが好きです」
そう言われてイリスは驚いていた。自分で見る限りは、違いがわからないのだ。
「どっちでもいいけど、男性に見えないと困るわね」
アイラが化粧を終えて、少し離れてイリスの全身を見回した。
そして、先ほどいただいた胸飾りを掛けると頷いた。
「完璧です。女だと思う人は居ないでしょう。以前のイクリス様と雰囲気が違うし、庶子の兄弟という設定も使えそうですね」
「ああ、二歳年下だし」
そうミラが答えると、アイラがにやっと笑い、公爵様と相談しましょうと言い、すぐに部屋を出ていった。
ドアをノックする音に応じると、両親と騎士団長が入って来た。
三人共驚いていたが、まず母が近寄ってきて、まじまじとイリスを眺め回した。
「公爵様の若い頃そっくりだけど、前のイクリスとは別人のようだわ。少し若く見えるし、もっと華やかで大柄な感じね」
母もアイラやミラと同じような事を言う。
ちらっと父の方を見ると、父も寄ってきた。
「私には更にもう一人息子がいたのかな。イクリスの弟だな」
父も思いっきり嬉しそうだ。
それから全員で話し合った。
この男装は、バイエルとの戦いに向けて、こちらの戦力を大きく見せるための作戦なのだ。公爵家の男子は多いに越したことはない。バイエル側を罠に嵌めることにも使えそうだ。
結局イクリスの弟設定にすることに決まった。名前はカーン。シモンの名を決めるときに、候補に挙がった名だそうだ。
母が手を差し出して来た。
「ではカーン。私をエスコートしてもらえる?」
「庶子に対して、お母様がそんなに親しげなのは、不自然ではありませんか?」
「昔の公爵様にそっくりだもの。実際に庶子だったとしても嬉しいわ」
カーンは母の手を取り、歩き始めた。バイエルで過ごした三ヶ月のおかげで、男としての所作はしっかり馴染んでいて、誰も文句の付けようがなかった。見事に青年紳士だ。
アイラが、女のたらし込み方を覚えたら完璧ね、と一人言を言った。
公爵と騎士団長はぎょっとしたようだったが、それも大きな戦力の一つですと言われて、言葉を飲んだ。
王宮で馬車を降りると、いつもの庭園とは様変わりした屋外パーティー会場に、人々が群れ集っていた。
開けた場所にはテーブルが並び、椅子も置かれている。料理が並んだテーブルの前には、使用人が並び、給仕の準備を整えている。
テーブルには、ろうそくが灯されている。長テーブルに並んで食事をするのとは全く違い、こじんまりして親密な感じだ。
庭園の奥の方では、炉を中心にして周囲に松明が置かれている。炉は四か所に設置され、料理人が調理する様子を、目の前で見ることが出来る。
肉があぶられ、肉汁が垂れる様子を目の前で見て、香ばしい匂いを嗅ぐと、それだけで気持ちが昂る。火に掛けられて煮立っているシチューや、こんがり焼けたパイも目を惹く。
鉄板や網の上で焼かれている、大ぶりのソーセージや野菜を、自分の目で見て選べることもうれしい。楽しくてワクワクするのだ。
薪の爆ぜる音が心地良く周囲に響き、火の粉が楽しげに舞う。
王の挨拶がまだなのだが、匂いが素敵すぎて、皆待ちかねている様子だ。
ブルーネル公爵が王の元に行き、挨拶をすると、すぐに王が開宴を宣言した。
わッと声をあげ、各々が目当ての料理に向かっていった。
ブルーネル公爵一行は、しばらく様子をうかがい、王の周辺から人が少なくなった頃を見計らって、もう一度王の元に進み出た。