表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
曰く付き公爵は婚約者の涙を愛す  作者: 朔間 はる子
37/37

エピローグ



 レイトラムの財政は思った以上に切迫していたそうだ。税収を跳ね上げ、一部の商家だけを賄賂の対価に優遇し、不正に甘い蜜を吸っていた。領地民からの反発も大きかったから、国王に訴状を送れば事態は早急に進展した。結果として、レイトラム男爵家は、今日正式に没落の烙印を押された。


 義母たちは市井に下ったらしいが、まともな生活はできないだろうと少し前にレヴィンさんが教えてくれた。そういう根回しをするようジルハルトさまに命じられましたのでと人形のような顔で淡々と言うものだから、なんとなく怖くなってそれ以上は聞いていない。


 それでもたまに、あの人達は今どうしているのだろうと考える。父が再婚してから亡くなるまでの短い期間だけは、みんな優しかった。もしもお父さまがあのまま生きていたら、レイトラム家はもっと、上手に家族でいられたのだろうか――なんて、今更だけれど。


「でも、わざわざお屋敷を買い上げたりしなくても良かったのではありませんか? 少し待っていれば、国王さまの名前でお屋敷ごと財産没収が執り行われたのでは……」

「公爵さまはフランさまが手ひどく扱われていたことに腹を立てていたご様子でしたから、どんな罰が効果的か、以前から考えて話を進めていらっしゃったようですよ。本来はもっと違うタイミングで切るカードのおつもりだったのでしょうが」


 レーヴェさんに髪型を整えてもらっていたフランは思わず彼女を振り返りそうになった。が、「動かれませんよう」耳の後ろあたりの髪を触っていた手がすかさずフランの頭をがっちりと固定する。仕方がないので鏡越しにレーヴェさんを見れば、視線に気づいて神妙な顔で頷く。


「あの時は、公爵さまも随分焦っていらっしゃいましたから。とにかくフランさまを間違いなく救出できる方法を選んだのでしょう。わたくしも同じ気持ちでしたから、お止めしませんでした」

「そう、だったんですか。ありがとうございます……」

「もしレイトラムの屋敷の売買契約が間に合わなくとも、おそらく問答無用に踏み入られたでしょうけどね。フランさまにも見せて差し上げたかったです、ロベルタさまに激昂する公爵さまのお顔。――さあ、できました」


 今日の髪型はハーフアップだ。結い上げたところにレースをふんだんに折り重ねたコサージュを飾って、後れ毛はゆるやかに巻いてある。こうやって見てみると意外と髪が伸びていて、時間の流れを実感する。


「そんなに怖かったんですか?」

「ええ。あんなに鬼気迫った公爵さまは初めて見ました」


 ルイザスお義兄さまを殴ったときのジルハルトさまも充分に物騒だったけれど、その上をいっていたということだろうか。フランは身震いした。


「絶対、怒らせないようにします……」

「難しいと思いますけどね」

「ど、どうしてですか?」

「だって公爵さま、フランさまを溺愛していらっしゃいますもの。さあどうぞ、公爵さまがお待ちですよ」

「で、できっ……」


 なぜ溺愛されていたら怒られることが免れないのかそれらの関連性がわからないまま、とにかく文字の威力にぼっと顔に熱を灯したフランを見て、レーヴェさんは可笑しそうに笑った。






 初夏の風が吹き抜けていくお屋敷の庭。今日のために少しだけ剪定された植木に囲まれる中、白いアーチをくぐると場所が小さく開けていて、そこに向日葵色のテーブルクロスがかけられたテーブルが用意されていた。

 太陽は眩いけれど肌を焼くほど暑くはなくて、屋外でのティータイムにぴったりな気候が気持ち良い。


 ジルハルトさまは先に座って、長い脚を優雅に組んでフランを待っていた。フランに気づくなり破顔するジルハルトさまに、フランも照れくさいけど笑みがこぼれた。


「さあ、どうぞ。今日は果実の皮を混ぜた爽やかな風味の紅茶をご用意しております」


 席につくとレヴィンさんが花びらのように薄いカップに色味の赤い紅茶を注いでくれる。確かにいつもと違う、少し酸味を感じるうっとりとした香りが漂った。


「わあ、いい香り……」

「紅茶よりも焦げたクッキーの方が香り高く感じるがな」

「ジルハルトさま!」


 レヴィンさんお手製のドライフルーツがたっぷり入ったパウンドケーキや貝の形を模したマドレーヌ、日差しの下での茶会を考慮した冷たいプリンなどが豪勢に並ぶ中、異彩を放つのはフランが焼いた焦げたクッキーだ。それを揶揄する声音に、フランは赤くなる。


「今日はいつもより焦げた面積が少ないんですよ、これでも」

「綺麗な焼き色のクッキーを作れるようになるまであと何十年かかるんだろうな?」

「いじわる……」

「今更か? ずいぶん気づくのが遅かったようだ」


 余裕綽々に言ってのけるジルハルトさまになにを言っても勝てる気がしなくて、悔しい思いで口をつぐむ。頬を染めたままぷいと横を向いた視界の端で、ジルハルトさまがクッキーを摘んだ。口に入れるとぼり、と硬い音がして、相変わらずだなとくすくす笑う声が続く。


「焦げていないクッキーを焼いてもらう約束だからな。何年でも待つさ」


 何年でも――そんな気恥ずかしい響きに首を戻せば、こちらが溶けてしまいそうな眼差しが向けられている。

 ずっと焦がれていた、未来の話。未来の約束。


「……頑張ります。だから待っていてくださいね、ちゃんとできるまで、ずっと」


 微笑んだフランの髪を、風がふわりとさらっていく。

 優しい表情を浮かべた双子の従者が見守る中で、ジルハルトさまとふたり、ほろ苦いクッキーを口にしては笑った。






おしまい





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ