不死者、異世界へ!⑥
「カヅ君、本当にそれ開けるの!?」
「ああ。元々ここにいる奴に会うために戻ってきたようなものだしな。
それよりみつ姉、スマホ、もう少しこっちに向けてくれないか。光が足りん」
既に陽の沈んだ夜の山中。
神妻とみつは例の大岩と鉄蓋によって封のされた井戸の前にいる。
暗闇に支配された夜の山では光源は必須と言えるが、今日は幸いにも月が満ちている。井戸の周辺はそれなりに拓けているので、月の光も届きやすい。それでも十分と言えないのが田舎ならではの事情だ。
「あら、お姉ちゃん悲しいわ……。てっきりカヅ君は私に会いに戻って来てくれたものだとばかり思ってたのに……シクシク」
「シクシクなんて自分で擬音言うぐらいには平気そうだな、みつ姉」
わざとらしくべ~っだって舌を出しているみつをスルーして、井戸の上の岩の排除を神妻が試みる。五年前は全身を押し付け体重を乗せることでやっと動かせた岩だが…………
結論から言うと結局、腕の力だけでは今回も岩が動くことはなかった。
なので、五年前とまったく変わらないやり方で、岩を井戸の上から転がし落とす。
そのことが五年間まったく成長していなかったことへの裏付けになろうとは。
昔と大して変わっていない身長にコンプレックスを抱いている神妻だが、どうやら止まっている成長は非情にも身長だけに留まらないらしい。身長どころか筋肉――、身体中のあらゆる肉体的機能が成長を拒んでいる。
重い気分を引きずったまま、神妻が今度は鉄蓋に手を掛け始める。
五年前と同じようにチマチマと井戸からズラしていき、最終的には岩と同じように。
ようやく井戸の口が開ききった。
「約束通り来たよ……ミユ」
みつには聞こえないぐらい小さな声で呟く。
そのつもりはなかった神妻だが、本人の気付かないところで抑えきれない感情が漏れた。
何も知らなかった子供の頃と違って、恐る恐る神妻が五年の年月を経て井戸を覗き込んだ。
「………………」
井戸の前に突っ伏したまま動かなくなった神妻を怪訝に思ったみつが近寄るが、
「……あ」
「そんな気はしてたけどな……」
五年前も五年後も神妻の探し人はそこにいなかった。
中は干上がり底が見える、何もない井戸。
「……ったく、約束はどうしたんだよ……ミユ」
今度は周りに遠慮する余裕なく無意識に声を漏らしてしまう。
だが、哀愁に浸る間もなく神妻は周囲から近付いてくる気配に勘づく。
「……追い付かれてしまったか。
みつ姉、ちょいと井戸の後ろにでも隠れててくれ」
急に声のトーンを落とした神妻の言葉の意味をみつもすぐに理解した。
二人が来た方角から、緩慢な動きで追い掛けてきた十五体の立体化した黒い人影……『刻詠の遣い』がとうとう神妻たちに追い付いたのだ。
「ね、ねえ、カヅ君、さっきみたいにこのまま反対方向へ逃げよ!
動き遅いみたいだし、また逃げ切れるよ!」
「……みつ姉、確かここに来たの初めてだったんだよな?
五年前……俺が村を去る前、ここから反対方向には神社があった……
今も当然あるんだよな?」
「え~と……今どの辺りにいるのか把握出来てないから自信ないけど……神社ならずっと場所変わってないよ? …………あっ」
神妻が言わんとしてることに遅蒔きながらみつは気付いた。
確かに神妻の言う通り神社は今もある。そこに自分たちがここから逃げれば『刻詠の遣い』はまた追い掛けてくるのは明白。そうなれば神社に危害が及んでしまうかもしれない。
しかし、それ以上の問題があるのだ。
「神社からは村もそう遠くないわ……。怪物たちが村まで来てしまったら……」
大惨事になるだろう。神妻は心の中でみつの言葉を引き継いだ。
バスを襲われた時みたいに死者が出かねない。それも今度は一人どころの被害では済まなくなるはずだ。
「こいつらは一体一体はそんなに強いわけじゃない……。
ふぅ~……ここが正念場か」
「え!? カヅ君!?」
リュックサックをみつに強引に手渡し、肩に背負っている釣竿を神妻が袋から引き抜くと、その全身が顕に。空のような水色のロッドには既に釣糸が繋がれている。仕掛けはまだ付けられていない。中身を抜き、空っぽになった竿袋を足元に落とした。
「もしかしてカヅ君、その釣竿で戦おうとしているの!? そんなの無理よ!!」
「ああ、このまんまじゃ無理だな。だから、こうやって、こうやってっと…………よし! 準備完了!」
神妻が自分の履いているズボンのポケットから取り出したのは球体状の重り。
ちょうど野球の硬球ぐらいの大きさをした重りを糸の最奥に慣れた手付きで取り付け、仕掛けは完了。
ちょっとした、明けの明星と呼ばれる武器『モーニングスター』の完成だ。
「さ、早く井戸の後ろへ」
「わ、わかった……」
みつの移動が終えるのを待ってから、神妻は釣竿を持つ手で最初はゆっくりと手首を回すだけの動きから、遠心力を得て次第に頭上で腕いっぱいに振り回す。
「いっくぞおおおぉぉぉ――っ!!」
遠心力で破壊力を持った鉄球が円を描いて化け物たちの群れに飛び込む。
頭蓋があるのかどうかはわからないが、最初の犠牲となった『刻詠の遣い』の頭を砕いた。
目標を捉えて尚、勢いが弱まることを知らない鉄球は、すぐ後ろにいる二体目、三体目までも巻き込んだ。
「す、凄いカヅ君……
で、でも、これなら逃げ回らなくたって良かったんじゃ?」
「ここぐらい拓けた場所じゃなきゃ思う存分振れなかったんだよ!
それより井戸から上に頭上げると危ないからな、みつ姉! 正直コントロールは得意じゃない!」
次の獲物を狙って鉄球が風切り音を鳴らして宙を舞う。
さらに一体に鉄球が命中し動きを止めた。
残り十一体。
順調に数を減らしていく。
このままいければと思うみつ。
しかし――、
「くそ! やっぱ数が多過ぎる……。このままじゃ押し切られる……」
神妻の危惧は不幸にもすぐに的中してしまう。
そのことに神妻が気付けたのは、前の方に立ち並ぶ『刻詠の遣い』五体のどれもが、だらりと垂らすだけだった腕を胸の高さまで持ち上げ、神妻に差し向けたからだ。
神妻のようにリーチのある武器を用いてこそ埋まった距離だが、神妻と遣いとの間には走っても数秒を要するだけの距離が空いている。そして『刻詠の遣い』はこの決定的なリーチを補える武器を持ち合わせていない。
何をする気だ?
一瞬の迷いと予想外の攻撃に、神妻の動きが遅れてしまい――
「ぐ……が…………」
伸びてきた遣いの手が鋭利なものとなって、気付いた時には神妻の左胸を刺し貫いていた。
「……い、いやああああああ――――――っっっ!!!!」
このみつの悲鳴が合図になったわけではないだろうが、他の四体までもが神妻に尖った腕を一斉に伸ばした。
五体の両手……計十本の腕が神妻の胴体を串刺しにする。
身体に刺さる度に神妻の意識がはっきりする。その瞬間だけは時間の流れがスローモーションのように思え、肉を抉り抜かれる感覚が脳に伝わる。すぐにその後、痛覚が肉体の異変を神妻に知らせた。
あまりの痛みが神妻の肉体を支配する。
口から鉄の臭いがしたと思った矢先、喉から赤い液体が逆流し口から溢れた。
「カヅ君、カヅ君、カヅ君――っ!!」
井戸の後ろに隠れていたみつが、神妻に向かって慌てて飛び出たのとほぼ同時に――、神妻を貫いていた十本の腕が全て引き抜かれていく。
足に力が入らず、前に倒れそうになる神妻を、みつがなんとか支えに入った。
「死なないで、カヅ君!! お願いだから……ねぇ……!!」
胴体のあちこちに風穴を空けられ、大量に流れる血が止まらない。
みつは自分の腕の中で感じる神妻の体温がどんどん奪われていくのがわかり、頭の中の思考がぐちゃぐちゃに。目から涙が止めどなく溢れてくる。
「せっかく、また会えたのに……こんなことってないよぉ……」
一度感情の堰が切れてしまったみつは、まるで幼い子供のように泣きじゃくる。
「――」
そんなみつの濡れた頬に下から手が触れた。
「……みつ姉……、泣かないでくれ……
大丈夫。俺、死ねないからさ」
ついこの間……そう、春の終わり頃に多くの人が混み合う街中で、神妻は今と同じことを言ったことがある。
ビル工事中の足場が崩れ、女の子を庇い下敷きになった時だ。
その時は神妻と歳が近そうな女の子に言ったわけだが、随分と心配そうな顔をしていた。
今、神妻の顔を上から覗くみつの表情は、あの時の女の子と同じ表情をしている。眉間を寄せて悲しそうな顔を見せるみつに、苦痛で動けない神妻の胸に別種の新たな痛みを刻み付けた。
「なんて顔してるんだよ……みつ姉……
さっきも言ったけど俺は……死なない……死ねないんだ
俺の身体は……不死身だから……
だから…………、みつ姉だけでもここから離れるんだ」
「!? そんなこと出来るわけないよ!! カヅ君を置いてなんて絶対無理!!」
そうこうしてる間にも『刻詠の遣い』が、まるで歩く死体のようにぎこちない動きでゆっくりと近寄ってくる。
ほんとにゾンビなんじゃないのかとその動きを見てると疑いたくなるが、本来歩く死体とは生きてたものが亡くなって甦ったもののことだ。
ゲームや映画に出てくる定番モンスターで、その定番の知識しか神妻は持ち合わせていないが、こいつらは違う。
こいつらからは生前というものを想像できない。
だからといって神妻の知るどの生き物とも違うし、そもそも生を感じない。
直感でしかないが、この世に存在してはいけないもののように神妻には思えた。
話し合ってる暇なんてない。みつ姉だけでも逃がさないと――、そう神妻が考えた矢先に、誰もいないことを確認したはずの場所から気配が――
「カヅマ、約束の日は明後日よ。相変わらずせっかちさんね――」
どこか懐かしさを感じる声に、神妻は無条件に声がした方へ首を動かした。
そこにはさっきまでと違い、井戸の口から白光が溢れている。
白い光に押し上げられるように、中から白と青の二色が目に飛び込む着物を纏った銀髪の少女が姿を見せた。
美しい白銀の髪は頭の横で一本結われ、月光を受けた銀髪が白光に輝き、風に持ち上げられ宙で揺らめいている。
「はは……やっと逢えた……今までどこ行ってたんだよ……」
神妻の目の前には、見たことのない少女が井戸から完全に姿を見せ、井戸の上に浮いていた。
見たことはないが、神妻はこの少女を知っている。会ったことがある。
見たこともないのに会ったことがあるというのも可笑しな話だが。
まだ幼かった頃、二週間ほどだが毎日一緒に他愛のない話を楽しんだ思い出が今も鮮明に残っている。彼女と別れて五年間、忘れた日なんてなかったほどに、神妻にとっては特別な思い出。
だから五年経っても忘れるはずがない。
一目で彼女が誰かわかった。
「久しぶり、ミユ」
「ええ、久しぶり。また会えて嬉しいわ……カヅマ」
そこには神妻と違って、大人っぽく成長したミユの姿があった。
「もう起きているのも辛いでしょ? ゆっくりお休みなさい」
全身を貫かれた痛みは、今では痺れとなって神妻の行動と思考を束縛している。
「……悪いけど……そうさせてもら……う……」
なのに彼女の瞳に射抜かれると、不思議と全身の痛みが和らぎ安らぐ。すぐに瞼が重くなり……神妻を死へ誘う深い眠りに落とした。