* 7-(2) *
(…ここは……)
ハナは、辺りの様子が何となく分かる程度の暗がりにいた。仰向けに転がっており、目の前に、見慣れたツキの部屋の天井と全く同じものが見える。
しかし、ツキの部屋ではない。同じなのは天井だけで、周囲が違う。体の下には湿気を帯びた敷布団。そのすぐ横には、コタツ。
(…師匠の、お部屋……)
みぞおちに残る鈍い痛み。
(…そっか、私、師匠に お腹を殴られて、その後、目の前が真っ暗になって……。師匠に、運ばれてきたのかな……? そうだよね、だって、他にいない)
口元に違和感。口にピッタリと何かが貼りつき、口を塞いでいるのだ。どうりで、息苦しいと思った。
剥がそうと、何故か不自然に ずっと背中の下に敷いていた両腕を動かそうとする。が、
(っ? )
動かない。後ろ手に縛られていた。そして、足も。足首のあたりで縛られている。
目だけで辺りを見回し、状況を確認する。静かだ。サスケの姿は無い。
時計を見れば、
(8時っ? )
もう、夕食の仕事の時間だ。……と言うか、既に受付時間は終了し、片付けも、2人作業時であれば、ぼちぼち終わろうという頃だ。
(どうしよう……)
突然休んだりしてしまって、チエさん困っただろうな……と、心配になる。チエが1人で社食の仕事をする時もあるが、初めから1人でやるつもりなのと、2人でやるつもりでいて突然休まれるのとでは、全然違うはずだ。
とにかく起き上がって社食へ行き チエさんに謝らなければ、と、ハナは両膝を曲げて腹のほうへ引き寄せ、膝で勢いをつけて横に転がり、身を捩って、斜め座りの形に起き上がった。
そうして起き上がった際に見えた足首は、布テープでグルグル巻きにされており、感触からして、手を縛っているのも口に貼られているのも同じテープ。
ハナは、起き上がったままの斜め座りから正座、正座の状態で足の指を足下の布団の上に しっかりとつけ、反動をつけて立ち上がると、グルグル巻きにされたままの足で、ピョンピョン跳んでドアへ向かった。
ドアには鍵が掛かっていたため、ドアに背を向ける格好で、自由になっている手の指先を使い 開けようとする。が、届かない。
そこへ、コンコンッ。
外側からドアをノックされ、ハナは、ビクッ。
ノックに続き、
「サスケ、いるか? 」
ツキの声。
(ツキさん! )
「チエさんから、ハナの体調が悪いから夕食の仕事は休ませるって、サスケが言っていたと聞いたんだが、部屋に戻ってみたら、ハナ、いないんだ。ここにいるのか? 」
(チエさんには、師匠が言ってくれてあったんだ……。じゃあ、チエさん 困らなかったよね、よかった……)
ハナは安心して落ち着いてしまいそうになるが、
(……じゃないっ! 今 ここから出してもらえないと、師匠が戻ってくるまで出られなくて……って言うか、戻って来ても 出してくれるか分かんないけど、出してくれるにしても くれないにしても、師匠が戻って来ちゃったら、藤堂のトコに行けなくなることに、多分、変わりはない。
手足縛って口塞いで閉じ込めて、なんて仕打ちから、師匠が私を行かせまいとする本気度が窺い知れるからっ! )
そう考え、ツキさん! ツキさんっ! と、大声で呼ぶ。
しかし、テープで塞がれた口から実際に出る声は、
「んー! んーっ! 」
しかも、あまり大きくない。
それでも、
「サスケ? 」
ドアの向こうから、ツキの反応があった。
反応があったことで力を得、違いますっ! ハナですっ!
そう叫ぶも、やはり音としては、
「んごんんんっ! んんんっ! 」
何を言っているかまでは分かってもらえなくても、ただ事ではない雰囲気だけでも伝わってくれれば、と、祈るような気持ちのハナ。
返ってきたのは、
「……ハナ? ハナなのか? どうかしたのか? 」
ツキの怪訝な声。
期待以上の伝わり方に、ハナは、もうひと頑張りだ、と思った。
ドアノブが静かに回り、ドア全体が揺れる。
「ハナ、鍵を開けてくれ」
開けれないんです! 手が届かなくてっ!
「んんんんんんんん! んごんんごごんんっ! 」
「……開けれないのか? 待っていろ、すぐにシュンジイさんから マスターキーを借りてきてやる」
その言葉を残して、ドアの向こうからツキの気配がなくなった。
(…よかった……。伝わったみたい……)
ホッとするハナ。
その場で腰を下ろしてツキを待つこと数分、
「ハナ、鍵は貸し出し出来ない決まりだそうだから、シュンジイさんに来てもらった」
ドアの向こうでツキの声。続いて、
「ハナちゃん、今 開けるからね」
シュンジイの声。
直後、カチャッと 鍵の開く明るい音。
「ハナ! 」
ツキの声と共にドアが開き、サアッと廊下からの光が射した。廊下は実際には それほど明るくないはずなのだが、ずっと暗い中にいたハナには、とても明るく感じられたのだ。
(ツキさん! シュンジイさん! )
ハナは本当に嬉しくなりながら、光の中に立つ2人を見上げた。
そんなハナの視線の先で、ツキは目を見開き、
「ハナ……」
掠れた声で呟いたきり、絶句。シュンジイも、酷く驚いた様子で固まった。
と、すぐ次の瞬間、ツキがハッと我に返った様子を見せたかと思うと、突然ハナに飛びつく。
(っ! )
驚くハナ。
ほぼ同時、ベリッ! ツキが、ハナの口のテープを いっきに剥がした。
「……っ! 」
痛みに、ハナは涙目。
「……っ痛っいです! ツキさんっ……! 」
言葉が出てくるまでに十数秒かかった。
「あ、悪い……」
呟くように言ってから、ツキは、ハナの背後に回って膝をつき、ハナを後ろ手に縛っているテープを剥がしにかかる。
「一体、どうしたんだ? 何があった? 」
ハナは返答に困った。シュンジイは確か、ハナについて、サスケから、少なくてもハナの前では、知り合いの子で ちょっと面倒をみることになって、としか聞かされていないため、縛られて閉じ込められるに至った経緯をシュンジイの前で話してよいものかどうか、判断に迷ったのだった。話す過程で、もしかしたら、サスケとツキ以外に聞かれてはまずいキーワードなんかを知らずに言ってしまったりするかもしれない、と。
俯き、黙り込んでしまうハナ。
自分がいては話しづらいのだという空気を察したか、シュンジイ、
「それじゃあ、私は下に仕事を残してきてしまっているので一度戻ります。この部屋に また鍵を掛けるときになったら呼んで」
と言い置いて、去って行く。
その背中に、ツキ、
「ありがとうございました」
ハナも急いで続く。
「あっ、ありがとうございましたっ! 」
シュンジイ、一度 足を止め、振り返って、ニコッと笑って頷き、階段方向へと姿を消した。
遠ざかって行く シュンジイの足音。
ツキ、ハナの手のテープを剥がし終え、立ち上がりながら、
「ほら、取れたぞ」
ハナ、ありがとうございますを言い、自由になった手で、足のグルグル巻きを剥がしていく。
ツキ、ハナの正面に回り、再び体勢を低くして ハナと目の高さを合わせ、小声で、
「それで、何があったんだ? 」
ハナ、足から取り去ったテープを手の中で丸めつつ、
「…足が治ったので、私、今夜 藤堂の所に行くって決めて、師匠に そう言ったら、藤堂の家が 私じゃ無理なくらい警備が厳重になっているからとかで大反対されて、今は やめとくとかじゃなく、復讐そのものを諦めるよう言われたんです。
それでも行こうと考えてるのを見抜かれて、お腹殴られて気を失っちゃって……。気づいたら 口塞がれて手足縛られた状態で、もう傍に師匠はいなくて、師匠と話していた時は まだ夕方だったはずなのに、もう夜8時とかになってたんです」
ツキ、小さく息を吐き、
「大反対と言ったって、やることが異常だ。どうかしてるな、アイツ……」
独り言のように言ってから、ハナを気遣うように見て、
「それで、ハナ。体は大丈夫か? 何ともないのか? 」
「はい! 手がずっと体の下敷きになっていたので、まだちょっと痺れてますけど、大丈夫ですっ! 」
そうか、それなら良かった、と、頷いてから、ツキ、
「結局、ハナは どうするつもりだ? ここまで強く反対されて……。やめるのか? 復讐」
ハナは、驚いて首を横に振る。やめようなんて考えは、全く浮かんでいなかった。
ツキ、頷き、
「そうだな。あたしも、やめないほうがいいと思う。
……ハナ、久し振りだったんじゃないか? 正確には気絶だが、こんなに、夕方からだから3・4時間くらいか? まとめて眠ったの。じっとしていると、色々考えてしまって辛いんだろう? 熱が下がって以降、ハナが じっとしてるところを見たことが無い。夜も、全然寝てないだろ? 」
ハナはハッとし、
(静かにしてるつもりだったけど……! )
「すみませんっ! うるさかったですかっ? 」
急いで謝る。
ツキ、小さく笑みを作り、
「あたしは、いい。気にするな。ふと目が覚めた時なんかに、ああ また起きてるのか、って、何となく思うくらいで、ちゃんと眠れているから。
……それより、ハナが心配なんだ。寝ないし、おそらく ろくに食べてもいない。それでいて、動いてばかりいる。これじゃあ、体が参ってしまう。心だって……心は、既にズタボロか。これ以上の崩壊はマズイから、させないために、体を動かしているのだろうから」
(心は、ズタボロ……? )
そんなふうに見えていたのか、と、ハナはショック。
(落ち込んでるのとかって みっともないから、一生懸命普通に明るくしてるつもりだったのに……)
ツキは、探るようにハナの目の奥を覗く。
「ハナ。確認しておきたいんだが、お前は以前、藤堂への復讐を果たしたら 自分も死ぬようなことを言っていたな? この先 どうしていいか分からないし、帰るところも無いから、と。……今も、その気持ちは変わらないのか? あたしやサスケのいる ここは、お前の帰る場所には、なりえないか? 」
(ツキさん……)
ハナは、胸の奥がジンワリと温かくなったのを感じながら、首を横に振る。
「ありがとうございます! ツキさんに そんなふうに言ってもらえて、とても嬉しいですっ!
私、死なないですよ? この間、生まれて初めて自分で働いて お金もらって、嬉しかった。親がいなくても何とかなりそうだって、思えたんです。
この先どうしていいか、って、自分で決めることなんですよねっ? 自分がどうしたいのか、って、ことなんですよねっ?
私、これからも働いて、そうして貰ったお金で、好きな物を買いたいです!
……藤堂を殺しても、もしも捕まらなかったら」
ツキは、驚いたような表情。
「意外だな……。そこまで、ちゃんと考えて、覚悟していたのか……」
その言葉に、ハナも驚く。
「考えてますよー、それくらい! 死んじゃえば捕まりっこないですけど、私は生きますから」
ツキは納得したように何度も頷き、
「そうか。死ぬつもりではないことを 確認しておきたかった」
と前置きし、
「ハナ、あたしに依頼しろ。藤堂邸の警備の厳重さ加減については、別にサスケが自分の目で見てきたわけではなく、同業者の間での いつもの噂話だろうが、縛ってまで行かせまいとしたくらいだ。信憑性の高い噂なのだろう。あたしが直接 藤堂に手を下すワケにはいかないが、お前を藤堂の所まで警護することは出来る。藤堂邸に行ったはいいが 復讐を果たせず捕まるだけでは、バカらしいからな」
「でも……」
ハナは心配し、途惑う。よその家に無断で侵入するのは、それだけで犯罪だと思うのだが、それを手伝ってもらって良いのか、と。
そう ツキに言うと、
「契約書の依頼内容の欄に、夜道の警護と書いてくれればいい。そうすれば、あたしは ハナの行くところに どこへでも付いて行って護らねばならず、不法侵入したところで 主に罪に問われるのはハナになるから、気遣い無用だ」
答えて、ツキは、フッと笑って見せた。
そういうことなら、と、安心してお願いしそうになったが、ハナ、
(……いくらかかるんだろう? )
ハタと気がつき、聞いてみる。
(私が払えるくらいだったらいいけど……)
ツキの答えは、
「厳重な警備をくぐり抜けて行かなければならないから、本当なら、ハイリスク料金で 少なくても1時間4万円 請求したいところだが、書類上は夜道の警護だからな。ローリスクの1時間1万7500円で、所要時間が分からないから、まあ、多めに見積もって8時間で算定して、14万円か」
(……無理っ! )
すごい金額だ、と、ハナは思った。しかし以前、サスケがSHINOBIの仕事について説明した際、一般の身辺警備であれば5人必要なところを1人で警備すると言っていたのを思い出し、納得した。5人の人に、しかも別の人を介して、8時間もの長時間 多少なりとも危険の伴うことをお願いするのと同じなのだ。このくらい かかって当然なのだろう、と。
ハナは丁重にお断りしようとしたが、一瞬早く、
「だが、金のことは気にするな」
ツキが口を開いた。
「聞かれたから答えたが、ハナに話すつもりではなかった話だ。ハナの復讐を成功させたい あたしの保身のための経費だ。初めから、あたしが払うつもりでいた。本当は、依頼するのかしないのかもハナの意見を聞いていない。ハナに断られても、あたしは、勝手にハナの名前で契約書を書いて ついて行く」
(ツキさん……)
ありがたいが、申し訳ない。
ハナは ちょっと考え、
「あの、ツキさんっ。やっぱ、私、払いますっ。出世払いで、何年かかっても必ず お返ししますから、それまで、すみませんが貸しといて下さいっ」
ツキ、フッと笑い、
「分かった。そうしよう」
言って、身を起こして ハナに背を向け、開けっ放しだったドアの向こう、廊下の向こうの窓より更に向こうを見る。
「副社長室に明かりがついている。まだ いらっしゃるようだ」
その視線の先は、グラウンドを挟んで寮と背中合わせに建つ社屋だったようだ。
「契約書類をもらってくる。
善は急げと言うからな。明日以降になってしまえば、またサスケから どんな妨害を受けるか分からないし、今日がベストだろう。それに、サスケは7時半頃 制服で出掛けたと、さっき鍵を借りに行った時に シュンジイさんが言っていたから、今頃は仕事中なのだろうが、ここ数日の仕事と同じように朝方にならないと帰らないとは限らないから、出掛けるのも早いほうがいい。
サスケが早く帰るかもしれないことを抜きにしても、契約成立には副社長のハンコが必要なんだ。お帰りになられる前に手続きを済ませなくては」
ツキが契約書類を取りに副社長室へ行ったのを、ハナはツキの部屋で待ち、書類を手に 一旦 部屋へ戻って来たツキに急かされるまま記入。
今度は書類を提出に 再び副社長室へ行ったツキが、副社長の印を捺された お客様控を持って戻って後、ハナはスエット上下に、ツキはSHINOBIの制服にと、身支度を整えた。
「行こう」
準備を終えたツキがドアに向かおうとしたところで、ハナは、
「あ! 」
先程まとめる途中だった荷物を思い出して、残りを急いで詰め込み、手に持つ。
「何だ? その荷物は」
ツキの問いに、ハナ、置いたままにしてはツキに迷惑が掛かると考え 持ち出そうと準備した私物であることを説明。
するとツキは、
「置いていけ。帰って来るんだろう? 」
(ツキさん……)
ハナは また、胸の奥がジンワリとした。
「はい! 必ずっ! 」




