第75話 稼働音
あの日から、三ヶ月が経った。
世界は、変わったようで、あまり変わらなかった。
魔王――操られていた期間を含めて、実に八十年ぶりに正気を取り戻したという彼は、各国政府との協議の場に、自ら出てきた。
最初の会見で、彼が言ったのは、謝罪だった。
人類に対してではない。
まず、自分の配下たちに対して。
『我は、長きにわたり、汝らに理由なき命を下し続けた』
『兵の一人に至るまで、我が言葉が届かぬ日々を強いた』
『……それは、王の為すことではない』
その会見には、ゾルドという名の一兵卒が、なぜか同席していた。
鶏の羽根が一枚、その甲冑に挟まったままだったことは、後に切り抜きで散々いじられた。
和平は、意外なほど、あっさりと結ばれた。
双方に、戦う理由がなかったからだ。
協会は、魔王軍との窓口部署を新設した。
初代の担当官は、あの苦労人の指揮官だった。
彼が最初に提出した報告書の表題は、「不明存在関与事案の最終報告」だったという。
――そして。
あの日以来、ピクトグラムは、姿を現していない。
出現報告は、ゼロ。
三ヶ月間、一件も。
総合スレは、その三ヶ月で、二十スレ以上を消費した。
考察、検証、追悼、そして、また考察。
「消えた」のか「休んでいる」のかで、何度も割れた。
誰も、答えを持っていなかった。
――それでも、世界は、廻っていた。
ゲンは、二十四層で講座を続けている。
カップは、今も二つ用意されているが、二つ目は、いつも冷めたまま持ち帰られる。
ライガは、単独で三十八層に到達した。
妹に持たされた時計は、今も鳴る。
サロン・ド・アビスは、三十二層で新しい美容素材を発見した。
サファイアの工房は、注文が三年待ちになっている。
マッスル坊主'zは、プロテイン鳥と共に、テイム研究の共同研究者として大学に招かれた。
講義はすべてポージングで行われ、学生からの評価は極めて高い。
ダンジョン楽器工房は、スズネと共に、五層で定期演奏会を開いている。
入場料は、缶コーヒー一本。
釣り部は、十九層で相変わらず十二時間座っている。
カルロスは、日本に移住した。
街のサンバチームの指導をしながら、週に一度、ダンジョンの入口でスピーカーを鳴らしている。
誰も、止めなかった。
ヒロトは、母親を呼び寄せて、二人で暮らしている。
フミヤは、六層まで到達した。相変わらず、よく転ぶ。
ミサキは、登録者三十万を超えた。
時々、危険な階層に一人で行こうとして、視聴者に全力で止められている。
――そして。
その日も、どこかで、誰かが、配信を始めていた。
「えー、あの、こんばんは。……『三人でゆるっと探索』、初配信です」
画面に映るのは、若い三人組だった。
装備は新品。表情は硬い。
「リーダーのタクヤです。あと、ケイと、ミナミです」
「ケイです。……あの、緊張してます」
「ミナミです。よろしくお願いします」
同時視聴者、九人。
タクヤ「今日は、二層まで行ってみようと思います。無理はしません」
『初配信おつ』
『九人しかいなくて草』
『いつもの初配信タグ巡回組です』
『新人発掘が趣味なんだ』
『装備、ちゃんと初心者向けの揃えてるのは偉い』
タクヤ「……あの、正直に言うと。俺たち、あの映像を見て、探索者になったんです」
タクヤ「三ヶ月前の。……セントラルの」
『……ああ』
『あの日か』
『あれ見て志した奴、多いらしいな』
『協会の新規登録、三倍になったって』
タクヤ「……無謀だって、言われました。実際、俺たち、弱いです」
タクヤ「でも、あの日、四十九層まで道を作ったのって、全員、普通の配信者だったじゃないですか」
タクヤ「……だから、俺たちも、いつかって」
ミナミ「……あと、私は」
ミナミが、少しだけ、俯いた。
ミナミ「……あの人に、会いたくて」
『……』
『あー』
ケイ「言うと思った」
ミナミ「だって! ……アーカイブ、全部見たんです。初出現の医者の回から、最後の日まで、全部」
ミナミ「……三ヶ月、出てないのも、知ってます。……知ってますけど」
タクヤ「……ミナミ、それ、今言うことか?」
ミナミ「……ごめん。でも、言っておきたくて」
『分かるよ』
『三ヶ月、みんなそうだ』
『新人でその動機、多いらしいぞ』
『「会えるかもしれないから探索者になった」ってやつ』
『協会が困ってるって記事、読んだわ』
『危ないからやめろって言えないんだよな 実際に助けられた人間が山ほどいるから』
タクヤ「……とにかく、今日は、二層です」
タクヤ「無茶はしません。……そういうのは、あの人が一番嫌がるって、アーカイブで見ましたから」
『よく分かってる』
『新人四人組の回だな 自力で倒せる相手には手を出さないやつ』
『予習してる新人、久しぶりに見た』
――探索は、順調だった。
三人は、教本通りに、慎重に進んだ。
小型モンスターを、二体。
危なげなく、処理した。
ケイ「……や、やった!」
ミナミ「初討伐だね!」
タクヤ「よし。……この調子で」
『初討伐おめでとう』
『動きは硬いけど、手順は守ってる』
『いいね』
――だが。
二層の、奥。
通路の突き当たりで。
空気が、変わった。
ミナミ「……ねえ。……何か、いる」
タクヤ「……え?」
暗がりの中で、何かが、動いた。
大きい。
いや、大きさの問題ではなかった。
――形が、おかしい。
四足のようにも見え、そうでないようにも見える。
輪郭が、定まらない。
表面が、絶えず、揺らいでいる。
『……何だ、あれ』
『二層にいるものじゃない』
『いや、待て』
『……図鑑にない』
『協会のデータベース、全部当たった』
『……該当なし』
『新種か?』
『新種にしても、形がおかしすぎる』
『……こんなの、見たことない』
タクヤ「……に、逃げよう! 三人とも、下がって!」
三人が、後ずさった。
――その、退路に。
同じものが、もう一体、立っていた。
いつの間にか。
音もなく。
ケイ「……っ、後ろにも!?」
ミナミ「嘘、なんで……!」
『挟まれた!!』
『通報した!!』
『二層だぞ!? すぐ助けが来るはずだ!!』
『いや、間に合うか!?』
『あの子ら、初配信だぞ!!』
輪郭の揺らぐそれが、前後から、距離を詰めてきた。
ゆっくりと。
急ぐ必要が、ないというように。
タクヤ「……くそ、剣を……!」
タクヤが、震える手で、剣を構えた。
だが、その切っ先は、定まらない。
ケイ「タクヤ! どうすんの!?」
タクヤ「……分からない! でも、ミナミだけでも、逃がす!」
ミナミ「そんなの無理だよ!!」
『まずい』
『本当にまずい』
『誰か! 近くに誰かいないのか!』
『二層の奥は今の時間、人がいない』
『……くそ』
『三ヶ月前の、あの日みたいには、いかないのか』
『あの時は、みんながいた』
『……今日は、誰もいない』
ミナミ「……っ」
ミナミが、震える声で、言った。
ミナミ「……ねえ、タクヤ。……こういう時、いつも、来るんだよね」
タクヤ「……ミナミ」
ミナミ「……アーカイブで、何度も見た。……だから」
ミナミは、目を、つぶった。
ミナミ「……お願いします。……誰か」
『……』
『やめろ』
『それを言われるのが、一番きつい』
『三ヶ月、出てないんだぞ』
『期待させるな』
『……いや』
『いや、待て』
輪郭の揺らぐそれが、一体、身を沈めた。
――跳ぶ。
タクヤが、目を、つぶった。
――その、瞬間。
――ヴィイイイイイイン。
高い。
機械の、稼働音が。
ダンジョンの、通路に。
響き渡った。
――
コメント欄が、止まった。
九人の視聴者の、その全員が。
一秒、動きを、止めた。
――そして。
『…………今の』
『……今の、音』
『……嘘だろ』
『……嘘だろ!!!』
『チェンソーだ!!!』
『チェンソーの音だ!!!』
『間違えるわけがない!! 三ヶ月ずっと聞いてなかった音だ!!』
『来た』
『来た!!』
『来たあああああああ!!!』
タクヤ「……え? ……な、なんの音!?」
ケイ「分からない! でも、何か、来てる!!」
ミナミ「……っ、この音」
ミナミが、目を、開いた。
ミナミ「……この音、知ってる」
ミナミ「……何回も、聞いた」
『そうだ』
『そうだよミナミちゃん』
『君が、アーカイブで何百回も聞いた音だ』
――そして。
画面の、端から。
白い人型が。
歩いてきた。
いつもの、白い姿で。
両手に、あの、ギザギザの刃の付いた、四角い塊を提げて。
肩を、揺らして。
――背中に、傷は、なかった。
『……いる』
『いるぞ!!』
『あいつだ!! 間違いなくあいつだ!!』
『三ヶ月ぶりだ!!』
『どこ行ってたんだよ!!』
『心配したんだぞ!!』
『[¥150,000] おかえり』
『[¥150,000] おかえりなさい』
『[¥150,000] 待ってた』
『九人しかいないのに上限が並んでる』
『いいんだよ!! 今日は!!』
『……あ、待て』
『どうした』
『同時視聴者、増えてる』
『九人が、二百人になった』
『三千人になった』
『……早すぎる』
『三ヶ月、みんな待ってたんだよ』
『通知を切ってなかった奴が、全国に何万人といる』
白い人型は、三人と、輪郭の揺らぐそれの間に。
悠々と、割り込んだ。
そして、そちらを、見た。
しばらく。
――それから、こちらを。
カメラを、見た。
そして。
――片手を、上げた。
いつもの、あの仕草で。
『手を振ったww』
『三ヶ月ぶりの第一声がそれかよ!!』
『泣いてるんだが』
『こっちも泣いてる』
『何事もなかったみたいに現れやがって』
『そういう奴だよ、こいつは』
ミナミ「……っ、来た。……来てくれた……!」
タクヤ「……ミナミ、見えるのか!?」
ミナミ「見えない! ……見えないけど、いる! 絶対いる!」
『そうだ』
『見えなくていい』
『そこにいるってことだけ、分かってればいい』
タクヤ「……あの、コメントの皆さん! あの人ですか!?」
『そうだ』
『三ヶ月ぶりの、出現だ』
『君たち、運がいい』
『いや、運じゃないな』
『……あいつは、いつも、来るべき場所に来る』
『三ヶ月ぶりでもな』
白い人型は、チェンソーの回転を、上げた。
輪郭の揺らぐそれが、初めて、動きを止めた。
――そして、後ずさった。
『……下がったぞ』
『あいつのこと、知ってるのか?』
『……分からん』
『分からんが、警戒してる』
『……なあ』
『何だ』
『……あれ、黒いやつと、関係あるんじゃないか』
『やめろ』
『いや、でも』
『……その話は、また今度だ』
『今日は、いい』
白い人型は、両足を、開いた。
腰を、落とす。
――そして、踏み込んだ。
稼働音が、一段、高くなる。
その背中を、三人は、見ていない。
見えていない。
――だが、九人が、三千人が、そして今も増え続ける誰かが。
見ていた。
『……いつも通りだな』
『いつも通りだ』
『何も変わってない』
『……いや、一つだけ変わった』
『何が』
『……俺たちが、知ってる』
『あいつが、ちゃんと帰ってくるってこと』
『……ああ』
『そうだな』
――ダンジョンの、二層。
初配信の、三人組。
そして、白い人型。
稼働音が、通路に、響いていた。
いつもの、ように。
――
『おかえり』
『おかえり』
『おかえり』
ここまで読んで頂き誠に有難うございました!
ベタベタでめちゃくちゃ雑な展開でありましたが!気分転換には最高でした!
読んで頂いた方が誰か一人でも楽しんで頂けたなら幸いです!
それではまた!お元気で!




