第70話 共に
セントラル、四十五層。到達記録の、さらに三つ下。
「――だから! なんで! 毎回! こうなるんだよ!!」
リョウマの剣が弾かれた。いや、弾かれたどころではない。半ばから折れた刀身が、乾いた音を立てて床に転がった。
リョウマ「――嘘だろ!?」
『まずい!!』
『聖剣が折れた!? あれ特級品だぞ!!』
広間の中央に立っていたのは、女だった。背丈は人と変わらない。だが、その身体からは絶えず黒い霧が立ち上っている。そして、その目は白く濁っていた。
『我は、魔王が右腕。序列第一。……災いのネルガ』
声は抑揚を欠いていた。まるで、書かれたものを読み上げているような。
『第七、第五が討たれたと聞いた。第三は戻らぬ。……ゆえに、来た』
ゴウキ「序列……第一だと!?」
カナデ「一番上です! 魔王の、直下……!」
『序列第一!? 一気に頂点まで来たぞ』
『いや待て、第二はどうした』
『飛ばして第一が来たのか?』
『「第三は戻らぬ」ってのはバルガスのことだろ あの人プロテインもらって帰っただけだからな』
『討伐されたことになってないの草 でも向こうから見たら失踪だぞ』
『職務放棄で消息不明扱いw』
『で、第二については何も言わなかったな いるのか? 第二』
『いや、それより現状がまずい リョウマの剣がない』
ネルガが両手を広げた。黒い霧が渦を巻いて、広間全体に満ちていく。
『滅せよ』
広間が爆発した。黒い光が、空間そのものを薙ぐ。
ゴウキ「うおおおお!!」
ゴウキが盾を掲げて前に出る。カナデの結界が、辛うじて間に合った。
ゴウキ「ぐっ……盾が……!」
カナデ「結界が削れて……! 二発目は、もちません……!」
リョウマ「くそっ、剣が――」
全体攻撃だった。広間のどこにいても届く。
――だが、その黒い光の中で、一つだけ無傷のものがあった。
『!』
『いた!! 白いやつだ!!』
『無傷だぞ!? いや、待て。あいつ、今どこにいた?』
白い人型が、広間の入口――カメラの画角の、ぎりぎり外から、するりと戻ってきた。その手には、あのハンマー。勇者の剣を岩ごと切り出した、あのハンマーが握られている。
『……画面の外だ』
『は?』
『全体攻撃が来る直前、画角から外れてた。そんで、収まった瞬間に戻ってきた』
『偶然じゃないか?』
『いや、待て 巻き戻して確認する』
『……タイミングが正確すぎる』
『これ、まさか画面の外にいると範囲攻撃を食らわないのか?』
『そんな仕様あるかよ』
『でも今までの記録、全部「画面内で食らってた」ぞ。チェンソーの回で尻尾に吹っ飛ばされたのも、骸骨に胸を掠められたのも、全部画面に映ってる時だ』
『検証班、緊急案件だ』
『いや、今は戦況を見ろ!!』
白い人型はハンマーを構え、ネルガの前に立った。ネルガの白く濁った目が、それを捉える。
『……視える。人ならざるもの。……だが、我らでもない』
その視線が、白い人型の手元へ落ちた。
『……その手のもの。なぜ、貴様が持っている』
『!? ハンマーに反応したぞ』
『あの剣のこと、知ってるのか?』
白い人型は答えなかった。代わりにハンマーを大上段に振り上げ、踏み込む。
ネルガが片手を振った。黒い霧が鞭のようにしなり、ハンマーの柄を打つ。
白い人型の手から、ハンマーが離れた。
『!! 弾かれた!! あのハンマーが!?』
回転しながら広間を横切り、それは床に突き刺さった。丸腰のまま立ち尽くしていた、リョウマのすぐ目の前に。
リョウマ「……っ!?」
『……あ』
『おい、それ、勇者の剣だぞ!! 十二年、誰にも抜けなかったやつ!!』
『……いや、待て。リョウマ、それ、四年前に抜こうとして抜けなかったやつじゃないか!?』
『そうだ!! 観光名所の映像に残ってる!! 「リョウマ選手も挑戦しましたが、抜けませんでした」って!!』
ネルガの二撃目が迫っていた。黒い霧が、再び渦を巻き始める。
白い人型は丸腰。ゴウキの盾は砕けかけ。カナデの結界は、もうもたない。
考えている時間は、なかった。
リョウマ「……くそ、あいつの得物か! 悪いな、借りるぞ!!」
リョウマは、突き立つ柄を掴んだ。
――ハンマーだと、思っていた。
振り慣れない重量。芯の位置も分からない。だが、丸腰よりはましだ。そう判断して、力任せに引き抜こうとした。
――ずるり。
抜けたのは、刀身だけだった。
リョウマの手の中に、一振りの剣が残っていた。床には、中身を失った岩の塊が転がっている。蔓と花の意匠が刻まれた、その岩だけが。
リョウマ「…………は?」
刀身が、白く光り始めていた。
『『『うおおおおおおおお!!!』』』
『抜けた!! 抜けたぞ!!』
『[¥100,000] 鳥肌が止まらない』
『[¥50,000] これが見たかった』
『いや、待て、なんで今抜けたんだ!? 四年前は駄目だったのに!?』
『……資格説か? 「勇者の剣は勇者にしか抜けない」ってやつ』
『じゃあ、四年前のリョウマはまだ勇者じゃなかったってことか?』
『……四十五層まで来た今の男は、違うってことだろ』
『泣かせにくるじゃん』
『いや、待て。もう一つある』
『何だ』
『あの剣、岩から出るのに十二年かかったんだよ。白いやつが岩ごと持ち出して、サファイア姐さんが磨いて、美容の泉で洗って、そして今日ここまで運ばれてきた』
『……全部、繋がってたのか』
『いや、偶然だろ』
『……偶然、か?』
リョウマ「……おい、待て。何が起きた。……俺、ハンマーを抜こうとしたんだが」
『リョウマ、それ剣だ!!』
『十二年岩に刺さってた剣だ!!』
『あんたが四年前に挑戦して抜けなかったやつ!!』
リョウマ「……四年前? ……いや、待て、まさかあの観光地の」
感慨に浸る時間は、そこまでだった。二撃目の黒い光が放たれる。
カナデ「――最後の結界!! 持ちこたえて!!」
白い人型が画角の外へ跳んだ。黒い光が広間を薙ぐ。
そして、光が収まった時。リョウマは、立っていた。白く光る剣を握って。
リョウマ「…………はは」
リョウマが笑った。
リョウマ「……何が起きてるのか、さっぱり分からねえ。……けど」
剣を構える。その動きに、迷いはなかった。
リョウマ「……手に馴染む」
白い人型が、画角の外から戻ってきた。その手にハンマーはない。代わりに握られていたのは、ギザギザの刃の付いた四角い塊――チェンソーだった。
『!! 久しぶりに見た!! 原点回帰だ!!』
『あの剣がリョウマに渡ったから、自分の武器に戻ったのか』
『いい判断だ。武器が持ち主のところに行った、ってことだな』
白い人型はチェンソーの回転を上げ、リョウマの隣に並んだ。そして見上げ、ゆっくりと拳を突き出す。
リョウマ「……ああ」
リョウマが、その拳に自分の拳をこつんと当てた。
リョウマ「――共に、行こうぜ」
『『『いいいいいいい!!!』』』
『台詞が完璧すぎる』
『[¥100,000] この瞬間に立ち会えてよかった』
『十万ww でも分かる。分かりすぎる』
二人が駆けた。ネルガが黒い霧を渦巻かせる。三度目の全体攻撃。
白い人型が画角の外へ跳ぶと同時に、リョウマは跳ばなかった。黒い光の真正面で、剣を掲げる。
白い刀身が、黒い光を斬った。
『!?!? 斬った!! 全体魔法を、正面から!!』
『そんなことできるのかよ!!』
『あの剣、そういうものなのか』
カナデ「……嘘。結界なしで、直撃を……」
ゴウキ「……いや、直撃してない。斬ってる」
黒い光が二つに割れ、リョウマの左右を通り過ぎた。光が収まった瞬間、白い人型が戻ってくる。二つの影が、同時にネルガへ迫った。
右からチェンソー、左から白い剣。黒い霧が二人を阻もうとしたが、回転する刃が霧を裂き、その隙間へ。
リョウマ「――うおおおおおお!!!」
白い剣が、ネルガの胸を深く貫いた。
『――ァ』
ネルガの白い目が揺らいだ。黒い霧が急速に薄れ、その身体が膝から崩れ落ちる。
『倒した!! 序列第一、撃破!!』
『しかも今回は勇者が決めた!!』
『よかった……本当によかった』
リョウマ「……はぁ、はぁ……。勝った、のか」
ゴウキ「……盾は、また壊れたがな」
カナデ「……三人とも、無事です。それが、一番です」
だが、白い人型はチェンソーを下ろさなかった。じっと、倒れたネルガを見ている。
『……ん? どうした』
『まだ警戒してる?』
倒れたネルガの目から、黒い霧が完全に抜けた。白く濁っていた瞳が、澄んだ深い青に変わっていく。
「……ぁ」
声が変わっていた。抑揚のない読み上げから、怯えた女の声に。
「……こ、ここは。……わたし、は」
リョウマ「……っ!?」
リョウマが剣を構え直す。だが、白い人型がその前に手を出して、制した。
『……待て、何か変だ』
『さっきと声が違う。目の色も』
白い人型はチェンソーを地面に置き、画面の外へ走った。戻ってきた時、その姿は白衣になっていた。
『! 医者になった!? 敵を治療する気か!?』
リョウマ「……おい、待て! そいつは魔王軍だぞ!」
白い人型はリョウマを振り返り、首を横に振った。そしてネルガの目を指差し、両手で黒い何かが入り込むような仕草をしてから、それを抜く動きをしてみせる。
『……訳すぞ。「こいつ、正気じゃなかった」だ』
『……え。操られてた、ってことか?』
カナデ「……リョウマ。見てください、この人の瞳。さっきまで白く濁ってました。でも、今は」
白い人型はネルガの前に膝をつき、その額にそっと手を当てた。荒い呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
「……っ、はぁ、はぁ……。あなた、たちは。……人間、なの」
リョウマ「……そうだ。お前が、殺そうとしてた人間だ」
「…………ごめん、なさい」
女は震える手で顔を覆った。
「……わたし、覚えてないの。命令を受けた、はずなのに。……ここに来るまでの記憶が、ない」
『操られてた説、濃厚だな』
『序列第一が、だぞ。魔王の右腕が正気じゃなかった』
『……じゃあ、誰が命令したんだ』
リョウマ「……おい。一つ聞かせろ」
リョウマは剣を下ろした。
リョウマ「お前に命令したのは、誰だ」
「…………魔王様、です」
リョウマ「……本当にか?」
女は長い間黙り込んだ。そして、絞り出すように言った。
「……分かりません。わたしは序列第一。魔王様の右腕と呼ばれています。……ですが、最後に直接お目にかかったのがいつだったか、思い出せないのです」
『……おい、それ、まずい話だぞ』
『序列第一ですら、魔王に会ってない。いつからだ』
『思い出せないってことは、相当長い間か』
「……命令は、いつも別の者を通して下りてきます。そして、命令を受けた後の記憶が、いつも曖昧なのです。気づけば戦い、気づけば帰っている」
リョウマ「……もう一つ、聞かせろ。序列第二は、どうした」
女の動きが止まった。
「…………第二。…………誰、でしたか」
『!? 覚えてないのか!?』
『序列第一が、第二を!? いや、おかしいだろ。すぐ下の階級だぞ』
「……おかしい。いるはずです。いない、はずが、ない。……なのに、顔も、名も、出てこない」
女は自分の頭を抱えた。
『これ、相当まずいぞ。記憶を弄られてる』
『魔王軍そのものが乗っ取られてるってことか?』
『バルガスが言ってた「素性の知れぬ幹部」、あれが原因か?』
『分からん。分からんが、下に行けば分かるかもしれん』
白い人型は治療を終えると立ち上がり、女に向かって上――帰り道を指差した。帰れ、というように。
「……わたしを、殺さないの?」
白い人型は首を横に振った。そして、女の目を指差し、両手で「◯」を作る。
『「今のあんたは正気だから」だ』
『相変わらずだな。正気なら殺さない、って基準か』
リョウマ「……帰れ。そして、次に会う時は」
リョウマ「……その目のままで、来い」
女はしばらくリョウマを見た。そして、その手にある白い剣に目を留める。
「……その、剣。……どこで」
リョウマ「……岩から抜いた。たった今」
「…………そう」
女は、小さく笑った。
「……なら、もう、決まっているのですね」
そう言い残して、黒い霧と共に広間から消えた。
『……何か言い残していったぞ。「もう決まっている」?』
『あの剣のこと、やっぱり知ってるんだ』
『魔王軍に伝わる何かがあるのか』
ゴウキ「……なあ、リョウマ。その剣、どうなってる」
リョウマは手の中の剣を見た。白い光は収まっている。だが、その刀身は明らかに、ただの金属ではなかった。
リョウマ「……分からん。ただ、手に馴染む」
そして、リョウマは床に転がる岩の塊を見た。中身を失った、蔓と花の意匠の岩を。
リョウマ「……なあ、白いの。これ、お前のだよな。返す」
リョウマは剣を差し出した。だが、白い人型は首を横に振る。そして、リョウマを指差し、次に剣を指差し、最後に両手で大きな輪を作った。
『「それはお前のものだ」だ』
『譲る気だ』
『いや、そもそも十二年、誰のものでもなかったからな。抜いた奴のものだろ』
リョウマ「……いいのか?」
白い人型は力強く頷いた。そして床の岩の塊を拾い上げる。蔓と花の意匠の刻まれた、それを。しばらく両手で抱えて、大事そうにしまい込む仕草をした。
『あ、岩だけ持って帰る気だ』
『……そうか。あれ、サファイア姐さんが彫ったやつだもんな』
『中身より、そっちが大事なのか』
『……いい奴すぎるだろ』
リョウマ「…………分かった。なら、預かる。ちゃんと、使う」
白い人型がサムズアップを返した。
ゴウキ「……で、これからどうする」
カナデ「……装備が限界です。盾は二枚とも壊れ、私の術式も組み直しが必要です」
リョウマ「……ああ。一度、地上に戻る」
リョウマは広間の奥、さらに下へ続く階段を見た。
リョウマ「……だが、必ず戻ってくる。この下に、答えがある」
白い人型もその階段を見ていた。そして、リョウマの方を向いて、拳を突き出す。今日、二度目の。
リョウマ「…………ああ。次も、頼む」
リョウマがその拳に自分の拳を当てた。白い人型は力強く頷き、岩の塊を抱え直して、通路の暗がりへ歩いていく。肩を揺らす、いつもの歩き方で。
去り際、振り返って、指を四本と五本立てた。それから、下を指差す。
リョウマ「……四十五より、下。……ああ。行くさ」
『次回、深層編』
『装備を整えてからだな』
『協会も動くだろ、今日の情報は重すぎる』
『「序列第一ですら魔王に会えない」「命令後の記憶が曖昧」「第二の記憶がない」』
『これ、公表したら大騒ぎになるぞ。でも公表すべきだ』
『世界中の探索者に関わる話だからな』
『あと検証班、フレームアウトの件も頼む』
『やる。今夜中に過去映像を全部洗い直す』
リョウマは、カメラに向き直った。
リョウマ「……えー。本日の配信、まとめます。四十五層で、魔王軍序列第一、ネルガと交戦。撃退しました。ただし、討伐はしていません。理由は、あいつが正気じゃなかったからです」
『重い報告だ』
『でも正確だ』
リョウマ「……そして、もう一つ」
リョウマは、手の中の白い剣を掲げた。
リョウマ「武器を、更新しました」
『それ、更新って言うのかw』
『十二年抜けなかった剣が更新扱いw』
『市の観光課、今頃どうしてるかな。「持ち去られた剣が日本最強の手に渡りました」って報告が行くんだぞ』
『怪文書が加速していく』
リョウマ「……あー、その件は。後で、ちゃんと話をつけに行く。借りたままにはしねえ」
『いい心がけだ』
『あいつも姐さんに説教されてたからな。やっと話が進みそうだ』
リョウマ「……それじゃ、今日はここまでだ。次に潜る時は、答えを持って帰る」
リョウマは最後に、通路の暗がりを見た。白い人型が消えていった方向を。
リョウマ「……なあ、みんな。あいつ、次も来ると思うか」
『来る』
『間違いなく来る。あいつは、いつも来る』
『呼ばなくても、来る』
リョウマ「…………だよな」
リョウマは笑った。
リョウマ「……じゃあ、行くか。準備しに」
勇者の冒険は、まだ始まったばかりだった。




