第三章 14 『鉄色の降伏』
高出力能力の制限が加えられてから、南門前の戦いは派手さを失った。
代わりに、一歩を奪うための判断と、武器を届かせるための細かな技術が、両陣営の間で剥き出しになっている。
フェルダは広域へ轟音を放たず、戦斧の刃と石突きへ衝撃を集中させていた。
振り抜くたびに自律刃が弾かれ、岩道へ短い破砕音が走る。
「制限されたくらいで、止まると思うなよ!」
戦斧の石突きが自律刃の腹を打ち、二本を同時に押し退けた。
フェルダは開いた隙間へ踏み込み、エルザヴェートまで残り六歩の位置へ入る。
「むしろ、君はこっちの方が得意そうだね」
エルザヴェートは腕を組んだまま、フェルダの肩と腰の動きを見ていた。
周囲に残した自律刃は数を半分まで減らしているが、その分、一振りごとの角度と速度が鋭くなっている。
「大きな音で崩すより、自分で崩しに来る方が性に合っているんじゃないかい?」
「よく分かってんじゃねえか!」
フェルダは戦斧を振り上げず、柄の中央を押し出した。
槍のように突き出された石突きが、エルザヴェートの胸元へ一直線に伸びる。
自律刃が三方向から柄を挟んだ。
先端を止めるのではなく、軌道を僅かに横へずらし、エルザヴェートの左肩を通過させる。
「でも、近づけば届くと思うのは早いね」
フェルダの足元へ二本の刃が滑り込んだ。
靴を斬らず、踵の後ろにある岩だけを削り、次の踏み込みへ使う支点を消す。
フェルダは前へ倒れず、戦斧を地面へ突いて身体を支えた。
自律刃が武器を押し外そうとするより早く、柄を軸にして大きな身体を回転させる。
「だったら、支点は作りゃいい!」
回転に乗った蹴りが一枚の刃を弾き、戦斧の刃が別の二本をまとめて薙いだ。
魔力体の刃が光の粒へ崩れるが、エルザヴェートの背後から新しい刃がすぐに補充される。
「実に興味深いね。君は武器だけで戦っているわけじゃない」
「戦場で使えるもんは全部使う! それが辺境のやり方だ!」
フェルダが笑う一方で、門前の鉄色側は少しずつ後退していた。
弓兵の射線を失い、軍需補給も止められたことで、槍と盾の交換が間に合わなくなっている。
「右列、盾を重ねろ!」
ドレイクの号令で、鉄色の重盾兵が門の右側へ集まった。
群青側が前進している区画へ守備を寄せ、狭い岩道を盾壁で塞ぐ。
「ローデリヒ。正面を押さえて」
「承知しました!」
ローデリヒは鉄色兵の身体ではなく、重ねられた盾の下端へ重圧を加えた。
地面へ強く押さえつけられた盾は動かしにくくなり、持ち手が交代しようとしても列を組み替えられない。
「左列、三歩だけ進め!」
群青側の盾兵が、固定された鉄色の盾壁を迂回するように前へ出た。
敵を押し潰さず、門前広場の空いている区画を一つずつ奪っていく。
「エルザヴェート様。右側の防衛線は、あと二列です」
ミレーネは記録紙に戦況を重ねた。
鉄色側の兵数、交代周期、負傷者の搬送路を比較し、守備隊がこれ以上前列を維持できる時間を算出する。
「ただし、押しすぎると治療班の経路と重なるよ」
「なら、そこは残す」
エルザヴェートの自律刃が右側へ広がりかけ、すぐに進路を変えた。
鉄色側の治療班が通る細い道だけを空け、武器を持つ兵士の足元へ刃を集中させる。
「取れる場所を取らないのか!」
フェルダは自律刃を押し返しながら、空いた搬送路へ一度だけ視線を向けた。
そこでは負傷した鉄色兵が、仲間の肩を借りて門内へ下がっている。
「取った後に恨まれる理由を増やす必要はないだろう?」
「候補戦で好かれようってのか!」
「違うよ。守るための手を、自分で減らしたくないだけさ」
フェルダは返事の代わりに戦斧を振り抜いた。
抑えた轟音が刃の周囲だけで弾け、自律刃を四本まとめて砕く。
その反動で、フェルダの右腕も僅かに下がった。
広域出力を封じた状態では、轟音の衝撃を自分の身体で受け止めなければならない。
「右肩、落ちてきたね」
「見てんじゃねえ!」
「見なければ戦えないだろう?」
エルザヴェートの刃が、フェルダの右側へ偏った。
肩や腕を狙わず、戦斧を振り戻す空間だけを塞いでいく。
南門から離れた運搬軌道では、卓斗が群青側へ飛んできた投槍を左手の斥力で逸らしていた。
槍そのものを弾き返さず、穂先を斜め下へ向けて無人の岩地へ落とす。
「今ので四回目」
ティナは卓斗の左肩へ視線を向けた。
斥力を放つたび、負傷の残る身体が反作用を受け、肩から背中へ細かな震えが走っている。
「数えなくても分かってる」
「分かっていて止まらないから数えているのよ」
「あと一回だけ」
「その言い方をした時点で、今は終わりね」
ティナは白銀の壁を運搬軌道の前へ薄く展開した。
次に飛んできた矢は硬化した空間へ触れ、力を失って地面へ落ちる。
「俺の担当取らないでくれる?」
「休ませるのも私の担当よ」
「勝手に増えてない?」
「契約者が自分の状態を正確に扱わないからでしょう」
卓斗は左手を下ろし、止めた軍需荷車の脇へ身を寄せた。
生活物資の軌道は開いたままで、精錬区画へ向かう水樽と食料箱は戦場の横を通過している。
「群青側、前進してるな」
南門の旗が、荷車の隙間から少しずつ近づいて見えた。
群青の盾列は治療班の道を避けながら、門前広場の半分近くを確保している。
「でも、まだ終わらないわ」
「フェルダがいるから?」
「それもある。鉄色側は門を守りながら、住民区画へ戦線を下げないよう耐えている」
ティナは南門だけではなく、地中へも意識を向けた。
古い地下網へ引かれていた流れは、両陣営が出力を抑えてから弱まっている。
「地下の吸い上げは?」
「減ったわ。でも、止まってはいない」
「戦わなくても取られてる?」
「点検用魔素や結界維持分まで、少しずつね」
「なら、早く門取って調べるしかないか」
「勝てば何をしてもいいわけではないわよ」
「分かってる。管理所に勝手に入らないって話だろ」
卓斗は戦場の先にある管理塔を見た。
候補戦で領地を取ることと、異常の正体を調べることはつながっているが、同じではない。
東側荷場では、坑道入口の岩盤が再び低く揺れていた。
旧坑道から避難してきた鉱夫たちはすでに安全区域へ移っているが、閉鎖柵の奥では小石が天井から落ち始めている。
「ラール、上!」
「見えています!」
ラールは白鋼の魔素を天井全体へ広げず、亀裂が走った三本の梁だけへ集中させた。
崩れ始めた場所を固定し、荷重を左右の岩壁へ分ける。
直後、閉鎖柵の内側で大きな岩が落ちた。
地面を打った衝撃で古い補強材が傾き、出口近くに残っていた鉄色側の技師二人が巻き込まれそうになる。
「伏せて!」
絵麻は技師本人ではなく、足元の座標を一歩分だけ後ろへずらした。
二人の身体が同時に後方へ滑り、倒れてきた補強材が目の前の地面を叩く。
「絵麻ちゃん、右側がまだ落ちます!」
「そっちは固定できる?」
「全部は無理です! 通路側だけ残します!」
ラールは白鋼を三角形に組み、避難路の上だけへ硬い支えを作った。
崩落そのものを止めず、落ちる岩を左右へ逃がして中央の細い道を残す。
「技師さん、走って!」
絵麻が声を飛ばすと、二人は工具箱を捨てて避難路へ入った。
最後の一人が白鋼の支えを抜けた直後、左右の岩が崩れ、閉鎖坑道の入口を半分埋める。
「入口が……」
鉄色側の技師は息を切らしながら振り返った。
長年使われていない坑道とはいえ、地下導線の点検口へつながる可能性がある場所だった。
「中に人はいないんだよね?」
「確認班は全員戻っている」
「なら、今は入口より人が先」
絵麻は右脇腹を押さえ、呼吸を整えた。
短い座標移動でも負傷箇所へ響いているが、立って判断できる程度には抑えられている。
「助かった」
技師の一人が頭を下げた。
昨日まで領内への立ち入りを拒んでいた相手へ、迷いながらも真っ直ぐ礼を置く。
「私だけじゃない。ラールが道を残したから」
「絵麻ちゃんが先に二人を動かしたからです!」
「はいはい。両方ってことでいいでしょ」
絵麻は照れを隠すように視線を逸らし、崩れた入口を確かめた。
岩の隙間からは、地表の魔素とは異なる古い流れが薄く漏れている。
「これ、恵依に見せた方がいい」
「でも、今は近づかない方がいいと思います」
ラールは白鋼の支えへ触れ、内部の荷重を確認した。
入口を無理に開けば、奥の空洞まで連続して崩れる危険がある。
「記録だけ送ろう」
「はい!」
絵麻は鉄色側の技師にも同意を求め、崩落時刻、振動の方向、漏れた魔素の色を候補戦管理局へ共有した。
群青側だけで情報を抱えず、領地を守ってきた者の記録として残す。
南東斜面では、三分の休止を終えた恵依とゲブが解析を再開していた。
地下の吸い上げは弱まったものの、古い導線から点検用魔素が失われる周期は続いている。
「東側荷場で崩落。旧坑道入口から古い魔素流が露出したそうです」
ゲブが絵麻たちの記録を読み上げた。
白銅の線は現場同士を直接つながず、候補戦管理局を経由した正規の情報だけを受け取っている。
「振動の順番と一致します」
恵依はガルド、旧鉱山、ヴァルネの記録へ、東側荷場の崩落時刻を加えた。
古代地下網へ魔素が引かれた直後、地中の圧力が変わり、閉鎖坑道の脆い部分へ負荷が集中している。
「領地核には細工がない。管理所の正規線にも侵入痕はない。でも、古い地下層では魔素が動いています」
「現在の防衛設備の下に、別の経路が残っているということですね」
「はい。誰かが新しく導線を作ったのではありません」
恵依は紙面の三地点を一本の円で囲んだ。
現行設備から見れば使われていないが、六百年前より前の地下構造が、今も完全には死んでいない。
「残っていた経路を利用しています」
「目的は魔素の回収でしょうか」
「可能性は高いです。ただ、集めた先で何をしているかは分かりません」
ゲブは事実と推測を別の記録紙へ分けた。
推測だけを強く伝えれば、候補戦の相手へ不要な恐怖を広げる危険がある。
「流川様。鉄色側から追加記録が届きました」
管理塔の確認班が、旧地下層で一定周期の魔素流失を正式に確認していた。
領地核本体には異常がなく、正規線の外側にある古い石管だけが微かに温度を上げている。
「一致しました」
恵依は初めて断定できる部分だけを指した。
「誰かが領地核一つを狙っているのではありません。古い地下網全体から、少量ずつ魔素を集めています」
「候補戦の高出力がなくても?」
「はい。戦闘で増えますが、通常時も止まっていません」
「ナーヴァ様へ送ります」
白銅の補助線を通じ、解析結果が中央岩棚へ届いた。
ナーヴァは報告を聞き終えると、南門のエルザヴェートと門上のドレイクへ同じ内容を伝えるよう立会人へ命じた。
「片方だけに渡さない」
「承知しました」
白い共有信号が再び上がった。
戦闘を止める合図ではないが、両陣営の指揮官が同じ情報を受け取るための印だった。
「旧地下層で魔素流失を確認!」
立会人の声が南門前へ響いた。
「領地核本体、正規管理線に異常なし! 現行設備より深い古代導線から、複数地点の魔素が同一方向へ集められています!」
ドレイクの表情が険しくなった。
管理塔が無事であることは、領地全体が安全であることを意味しない。
「流失量は!」
「高出力制限後は減少! ただし、通常時も継続しています!」
「地下調査班を増やす」
ドレイクは門内へ命令を飛ばしかけ、すぐに止めた。
旧坑道で崩落が起きた以上、現状のまま人員を深部へ送れば、調査する者を危険へ晒す。
「……いや、現行層までだ。封鎖扉の先へ入れるな」
「正しい判断だね」
エルザヴェートはフェルダの戦斧を自律刃で受け流しながら言った。
地下異常を理由に、相手の防衛判断へ口を挟むつもりはない。
「だが、このままでは調査できん!」
ドレイクは門前の戦況と管理塔を見比べた。
群青側を領内へ入れず、自分たちだけで異常を調べるという昨日の方針は、すでに限界へ近づいている。
「エルザヴェート候補!」
「聞いているよ」
「候補戦を止め、双方で地下調査へ切り替えるつもりはあるか!」
門前の兵士たちへ一瞬だけ迷いが広がった。
防衛側からの提案は、実質的な停戦の打診にも聞こえる。
「あるよ」
エルザヴェートは即答した。
「ただし、ボクたちを管理所へ入れないまま、ヴァルネ側の記録だけ渡せと言うなら昨日と同じだ」
「管理所への立ち入り許可は、俺だけでは出せん!」
「なら、候補戦の結果と混ぜない方がいいね」
エルザヴェートはフェルダへ向いていた刃を一度止めた。
彼女自身は交戦を中断できるが、領地の管理権と地下施設への立ち入りには別の正式手続きが必要だと理解している。
「ボクはガルドを取る。取った後で、現地責任者とバルタザール本人の許可を得て地下を調べる」
「勝てる前提で話すな!」
フェルダが戦斧を振り上げた。
だが、その右肩は先ほどより明確に下がり、呼吸も深くなっている。
「前提じゃないよ」
エルザヴェートの笑みが薄くなった。
余裕を見せるためではなく、目の前の相手へ決着を告げる表情だった。
「今から、そうするんだ」
自律刃が一斉に動いた。
フェルダの身体を囲むのではなく、戦斧の周囲へ六本、足元へ四本、背後の岩道へ八本が展開される。
振り抜く空間、踏み込む支点、後退する経路を同時に塞ぎながら、治療班へ続く左側だけを開けている。
「逃げ道を残して囲むか!」
「退く相手を斬るつもりはないからね」
「誰が退くって言った!」
フェルダは戦斧へ残った轟音を一点へ集め、正面の刃へ叩きつけた。
高出力制限を越えない範囲で放てる、最大の衝撃だった。
正面の自律刃が三本砕ける。
だが、左右と背後の刃は動かず、フェルダが作った突破口へ新しい二本が滑り込む。
「同じ場所を空けると思ったかい?」
エルザヴェートはフェルダの癖をすでに記録していた。
力を集中させた直後、右足へ重心を戻すまでの僅かな間を、自律刃が自動で拾う。
足元の刃が岩盤を浅く削り、フェルダの右足が沈んだ。
身体が傾いた瞬間、二本の刃が戦斧の柄を挟み、別の一本が石突きを地面へ押さえつける。
「ぐっ……!」
フェルダは柄を引いたが、右肩へ返った反動で力が入らない。
自律刃は手指へ触れず、武器だけを地面へ縫い留めている。
「まだやるかい?」
「当たり前だ!」
フェルダは戦斧を手放し、素手でエルザヴェートへ踏み込もうとした。
だが、その前へ刃が一枚だけ浮かぶ。
刃先は喉ではなく、胸当ての留め具へ向いていた。
さらに左右から二本が膝当ての隙間を塞ぎ、前進すれば装備だけが切り離される位置を取る。
「武器がなくても前へ来る。君らしいね」
「殺さねえなら、止まる理由もねえ!」
「殺さないことと、止められないことは別だよ」
最後の刃が、フェルダの外套を岩壁へ縫い留めた。
布だけを貫き、身体には触れていない。
フェルダは前へ出ようとしたが、外套と装甲の重なりが引かれ、踏み込みを作れない。
無理に進めば自分で外套を裂くことになるが、その動きさえ左右の刃が封じている。
「……やりやがったな」
「ボクは動いていないけどね」
「そこがムカつくんだよ!」
フェルダは悔しそうに笑った。
戦斧は地面へ固定され、自分も一歩を奪われている。
その間に、ローデリヒ率いる群青側の前列が門前広場へ入った。
重盾兵を傷つけずに押し分け、鉄色側の旗柱と門の開閉装置へ届く位置を確保する。
「門前広場、群青側が確保!」
ミレーネの声が響いた。
記録紙には、鉄色側の防衛線が門内へ後退し、治療班と住民退避線が戦闘区域へ近づき始めていることも示されている。
「これ以上続ければ、戦線が住民区画側へ入ります!」
ドレイクは門上から全体を見た。
守備兵はまだ戦える。
だが、門前を奪い返すには結界出力かフェルダの広域轟音が必要になり、地下への魔素流失と住民区画への被害を避けられない。
守るための戦いを続けることで、守る場所を危険へ近づける。
その矛盾を、守備責任者として見過ごすことはできなかった。
「鉄色側、全員止まれ!」
ドレイクの号令が南門へ落ちた。
槍兵が穂先を下げ、重盾兵も前進を止める。
群青側もローデリヒの指示で武器を引き、互いに届く距離を保ったまま動きを止めた。
「ドレイク!」
フェルダが岩壁へ縫い留められたまま叫んだ。
「まだやれるぞ!」
「やれることと、続けるべきことは別です!」
ドレイクは門上の鉄色旗へ手をかけた。
長く守ってきた領地の旗を下ろす指には、僅かな震えがあった。
「門前防衛線は突破された。副官フェルダ・クロイツも行動不能。これ以上の交戦は、管理塔、精錬区画、住民退避線へ被害を広げる」
鉄色側の兵士たちは反論しなかった。
悔しさを滲ませながらも、自分たちが何を守るために立っていたのかを理解している。
「ガルド鉱石領守備責任者、ドレイク・ハルトマンの権限により宣言する」
鉄色の旗が、ゆっくりと門上から下ろされた。
「ガルド鉱石領は、エルザヴェート・グリュンデューテ陣営へ降伏する」
候補戦管理局の立会人が、両陣営の停止と旗の降下を確認した。
石台の記録板へ群青の印が刻まれ、制圧成立を示す鐘が南門前へ響く。
「ガルド鉱石領制圧戦、終了!」
群青側から歓声が上がりかけたが、エルザヴェートは腕を組んだまま片手の指だけを僅かに動かした。
自律刃がフェルダの外套と戦斧から離れ、すべて光の粒へ変わって消える。
「勝ったのに静かだな」
解放されたフェルダは外套を整え、地面から戦斧を引き抜いた。
悔しさはあるが、負けを誤魔化す様子はない。
「地下がまだ動いているからね」
「普通は、もう少し喜ぶもんだろ」
「後で喜ぶよ。今は先にやることがある」
エルザヴェートは門上から降りてきたドレイクを迎えた。
勝者として管理所へ押し入るのではなく、昨日と同じ距離で立ち止まる。
「降伏を受け入れる。負傷者の治療と住民区画の保全を最優先にするよ」
「守備隊の武装は?」
「候補戦管理局へ預ける。地下調査が必要だから、全員から取り上げるつもりはない」
「我々をそのまま使うと?」
「ガルドを一番知っているのは君たちだろう?」
ドレイクはエルザヴェートを見た。
候補戦の相手として警戒していた少女は、領地を取った直後にも腕を組んだまま余裕の笑みを見せている。
「管理所へ入りたいのだろう」
「入りたいよ。でも、勝ったから勝手に入れるとは思っていない」
「領地は群青側へ移った」
「候補戦上の管理権はね。地下防衛設備には、現地責任者とバルタザール陣営の機密が含まれている」
エルザヴェートは門の奥にある管理塔へ視線を向けた。
扉を開ければ異常へ近づけるかもしれないが、相手の権限と記録を踏み越えれば、調査結果そのものへの信用が失われる。
「君の許可と、バルタザール本人の確認を待つ」
「異常が進んでいる間もか」
「緊急封鎖や住民避難は君の権限で進めていい。ボクたちが内部へ入るかどうかは、別に決める」
「随分と面倒な勝者だな」
「よく言われるよ」
ドレイクは短く息を吐いた。
昨日まで拒絶していた相手へ、地下異常の調査協力を求めることになる現実を受け入れる。
「バルタザール様へ至急使者を出す。返答が届くまで、管理塔外周と旧坑道入口の共同確認を認める」
「十分だよ」
フェルダは二人の会話を聞き、戦斧を肩へ担ぎ直した。
「負けた直後から仕事かよ」
「副官なんだから当然でしょう」
「分かってるよ、ドレイク」
フェルダは群青側の騎士ではなく、東側荷場から戻ってきた絵麻とラールへ目を向けた。
二人の背後では、助けられた鉄色側の技師が崩落記録を抱えている。
「お前、怪我してんのに人の領地で走り回ってたらしいな」
「そっちが住民の近くで斧振り回すからでしょ」
「避難が終わってから振った!」
「分かってる。だから文句だけで済ませてるの」
絵麻は右脇腹を押さえながらも、フェルダから視線を逸らさなかった。
敵として張り合った相手が、住民の位置を見て戦っていたことは認めている。
「気が強えな。気に入った」
「勝手に気に入らないで」
「次は万全でやろうぜ!」
「次がある前提なの?」
「候補戦は終わってねえからな!」
フェルダの豪快な笑いに、絵麻は呆れた顔を向けた。
ラールは二人の間で視線を往復させ、どちらに同意すべきか迷っている。
卓斗たちも南門前へ集まった。
軍需荷車は候補戦管理局が封印し、生活物資の軌道はそのまま維持されている。
「取った後の方が忙しくない?」
卓斗は門内を行き交う治療班と技師を見た。
勝敗が決まっても、負傷者、崩落、地下異常は何一つ消えていない。
「領地を取るというのは、問題ごと受け取ることだよ」
エルザヴェートは当然のように答えた。
「旗だけ欲しかったんじゃないの?」
「旗は結果を示すだけさ。ボクが欲しいのは、この領地を動かす権利と責任だ」
「情報量増える方を選ぶんだな」
「面白いだろう?」
「俺はあんまり」
「タクは面倒だと言いながら、もう管理塔を見ているわよ」
ティナに指摘され、卓斗は自分の視線が門の奥へ向いていたことに気づいた。
地下にある何かが引力へ似た残響を残した以上、無関係だとは思えない。
「見てるだけ」
「そういうことにしておきましょう」
恵依とゲブは、鉄色側の記録官へ解析結果の複写を渡していた。
ガルド、旧鉱山、ヴァルネの欠損時刻と、東側荷場の崩落記録が一つの資料へまとめられている。
「現時点では、接続先の位置は確定できません」
恵依は不明な部分を隠さなかった。
「ただ、現行設備より深い古代地下網が使われています。管理塔内部の正規線だけを見ても、原因には届きません」
「なら、どこから調べる」
ドレイクの問いに、恵依は管理塔と旧坑道入口を見比べた。
「まず、古い導線が現在の正規線へ接している場所を探します。切るのではなく、流れの前後を記録します」
「止めないのか?」
「接続先と役割が分からないまま止めれば、別の領地へ負荷が移る可能性があります」
ナーヴァが恵依の横へ立った。
背負ったデュランダルは、候補戦の間にも一度も抜かれていない。
「切れる。でも、まだ切らない」
「切るべき線が分からないからか」
「そう」
ドレイクは七歳の少女にしか見えない団長を見下ろした。
ナーヴァは視線を逸らさず、危険そのものと、危険へ接続された人や設備を分けて見ている。
「分かった。内部許可が届くまで、外側の記録を揃える」
「それでいい」
制圧成立から一刻後、南門には群青旗と鉄色旗が並べて掲げられた。
候補戦上の所属は群青へ変わったが、守備隊と住民が積み重ねてきたものまで消さないというエルザヴェートの判断だった。
群青側の騎士は門前広場を片づけ、鉄色側は負傷者と武器の数を確認する。
敵味方に分かれていた者たちは、地下異常という共通の問題を前に、必要な場所だけで作業を重ね始めていた。
エルザヴェートは管理塔の前まで進んだが、閉ざされた扉には触れなかった。
胸元のネックレスは、戦闘中より弱いものの、今も一定の間隔で青白く明滅している。
「近づくと強くなる?」
卓斗が尋ねる。
「少しだけね」
「領地核じゃなくて、下の何かに?」
「その可能性が高いだろう」
エルザヴェートは石座を指先で押さえた。
母の形見として身につけてきた石が、なぜ帝国の古い地下網へ反応するのかは分からない。
「外す気は?」
「今はないよ」
「理由、聞いていい?」
「分からないものを、怖いからという理由だけで手放したくない」
エルザヴェートはネックレスから手を離した。
「ただし、これが皆を危険へ近づけるなら、持ち方は考える。ボクだけで決めずにね」
卓斗は右手首の竜紋へ一度だけ目を向けた。
自分も、強制的に与えられたものを抱えたまま、使うか止めるかを選び続けている。
「それなら、まあ分かる」
「君にそう言われると、説得力があるね」
「褒めてる?」
「興味深いと言っているのさ」
「どっちでも面倒だな」
管理塔の下、現行図面には記されていない古代地下空洞では、地上の戦闘停止に合わせて魔素の脈動が弱まっていた。
三方向から集まっていた光は細くなり、黒い石盤の中央へ届く前に何度も途切れている。
鉄色の靴を履いた人影は、石盤へ置いていた手を離した。
領地がどちらの旗へ移ったかには興味を示さず、集められた量だけを確かめる。
「勝ったか」
低い声には、驚きも落胆もなかった。
候補者同士が争い、地下網へ魔素を流した事実だけが残っている。
「一領でこれなら、四つが動けば足りる」
人影は壁面に並ぶ古い導線のうち、別の方向へ伸びる一本へ触れた。
ガルドとは異なる領地を示す印が、赤黒く灯る。
「次は、別の旗だ」
靴音が空洞の奥へ遠ざかる。
地上では群青と鉄色が共同で記録を揃え始めていたが、その足音はさらに古い通路を通り、別の領地へ向かっていた。




